58 決意の色
話したいことがあるとアイズに告げられた時、ずっと身を隠していたのであろう一人の男が近くの木陰から姿を現した。そのまま落ち着いた様子で歩み寄って来るその男は、先ほどまでのファウリッドと同じ紺色のローブを身に纏っていた。
思わず身構えるコーウェンだったが、すぐにその正体に合点がいった。
「は、はは……。これは、いったいどういうことだ……?」
そう問いかけると同時に男と目が合い、コーウェンの頭をまるで内側からハンマーで叩かれているかのような衝撃が襲う。
ぐわんぐわん、とグラつく視界の先で、男が複雑な表情で微笑んだ。
年齢は三十歳くらいだろうか。母親譲りの青味がかったグレーの髪は短く整えられ、愛嬌があると言われていたその顔は精悍な戦士の顔へと成長していた。そんな彼は高級そうなローブが汚れるのを気に留める様子もなく、コーウェンの足元へ片膝を突く。そしてコーウェンの頭へと手を回すと、優しく自らの肩へと小さな頭を抱き寄せた。
「よく……頑張ったな。お前ならもうわかってるだろう。――大丈夫、力を貸しに来た」
思いがけない優しい言葉と、その言葉の主の正体に、コーウェンの目尻から涙が溢れ出した。涙から遅れるように身体が震え出し、カチカチと歯が音を立てる。
「俺……ずっと、ずっと辛くて、悲しくて、だから――ッ」
「ああ、わかってるよ。他の誰よりも、一番よくわかってる」
男はコーウェンの頭から身体を離すと、さっきと同じ表情で微笑んだ。
「だからこそこうやって会いに来たんだ。それにそうじゃなきゃ、こんな風に抱き寄せたりしないさ。どうしても気恥ずかしいからな」
男は最後に冗談めいたことを言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
そのまま、こちらを不思議そうに眺めるディーアの下へと歩み寄り、膝を突く彼女へと手を伸ばした。事態を理解できていないような彼女だったが、有無を言わさない余裕に満ちた男の態度に促され、渋々その手を取り立ち上がった。
困惑を隠しきれない様子で、ディーアは男へと口を開く。
「その、名を……名乗ってほしい」
その言葉に男は頷き、そして告げた。
「コーウェン・ディスタートです。ディーア――さん」
男――特殊魔法『転移』によって未来からやって来た大人コーウェンの告白に、ディーアの表情が驚愕に染まる。信じられないという思いの反面、至近距離からその顔を見続けることが彼女を無理矢理納得させたのか、力のない視線を足下へと泳がせた。
「そう、か……。特殊魔法を習得したのか」
「話が早くて助かります」
「……当然だろう。私を、誰だと……思っている」
無理矢理絞り出した声でそう答えると、ディーアは大人のコーウェンへと努めて微笑んだ。
そんな彼女へと微笑み返すと、大人コーウェンは静かに目を閉じた。
「さて……、早速、本題に入ろうか。だけどその前に話しておく必要があるな。この場にはディーア――さんもいるので」
彼はそう前置きすると、やがて目を開き幼き姿の自分を一瞥すると、気負う様子を見せることなく語り始めた。長い時間をかけて、コーウェンの前世――秋谷隼人の全てを。
◆◇
「……そんな、ことが」
話を聞いたディーアは、信じられない、だけど信じるしかない、そんな思考の狭間を行き来しているように見受けられた。
隣に並んで話を聞いていたディーアの手が、コーウェンの幼き背中へと回される。そのまま回した手でコーウェンの頭を撫でるように、力強く引き寄せた。
「話は理解した。だがそれでも、私にとってウェンは、ただの可愛い子供だからな」
「ははっ、ありがとう、ございます……」
そうやって気丈に言い放つディーアの言葉には、一切の誇張や偽りが感じられなかった。そんな彼女へと心からの感謝を述べる。
やがてコーウェンは未来の自分自身へと視線を移した。
話をしている最中の彼の表情は、どこか他人の話をしているかのような、昔を懐かしむと言うよりは客観的に過去の出来事を並べているだけのような、そんな雰囲気を纏っていたのだ。
彼は話の中で、自らの年齢を三十二歳だと言っていた。隼人としての人生よりもコーウェンとしての人生の方が遥かに長いため、そんな風に感じられたのだろう。
彼にとって秋谷隼人とはどのような存在なのか、そんなことを考えながら、コーウェンは視線で続きを促す。
それを受け、彼は再び口を開いた。
「……次に、特殊魔法についてお話します。まず前提として、ここにいる幼き頃の私は既に特殊魔法を扱えます」
その言葉に、ディーアは黙って耳を傾け続けている。
「私の特殊魔法は『転移』。これには大きく分けて二つの能力があり、その内の一つである肉体の転移によって、私はここに来ました」
「……そうか。時すら越えられるということは、お前ほどの魔法使いと言えど制限もかなり重いのだろう?」
「はい、発動回数に限りがあります。能力の規模を考えれば制限など微々たるものですが、他の特殊魔法と比べるとやはり重いです」
大人コーウェンは、『肉体の転移』である三種類の転移――『自らの転移』、『他者の転移』、『他者を召喚する転移』の三つと、その使用可能回数がそれぞれ生涯で三回ずつだということを話した。
「そして、大きく分けての二つ目の能力――」
そこまで言ってから、彼はコーウェンの顔を見やった。
――大丈夫、わかってる。
視線を受けたコーウェンは、心の中でその能力を反芻する。――もう一つは、『魂の転移』。
「――『魂の転移』。これは言葉通り、死者の魂を転移させるというものです」
『魂の転移』――それは神すらも冒涜した魔法だ。
『肉体の転移』と同様に生涯で三回しか発動できないという回数制限と、対象となる魂は異なる世界への転移のみを可能とする、という制限がある。より具体的に言えば、死んだ人間を別の世界へと生まれ変わらせる魔法だ。それも転移後に力強く生きて行けるようにと、対象となった魂に強制的に転移後の事態を受け入れさせ、記憶や人格、身体能力さえも引き継がせるという圧倒的な特殊魔法。
聞かされたディーアも、驚きに目を見開き声を詰まらせる。
そんな彼女の姿を見て、コーウェンは今更ながらある可能性に思い至った。この特殊魔法を理解した瞬間に連想しなかったのが不思議なくらい、いや、連想しなかった自分自身に怒りさえ覚えるほど、今の状況にぴったりの可能性――。
――まさか……。
「そして、私がこの世界に秋谷隼人の魂を転移させました」
その瞬間、強い突風がコーウェンの身体を震わせた。
大人コーウェンは、コーウェンが予想した通りのことを言い放った。
――なんだ、それは……。なぜ……。
「……だ、だが、それが本当だとしたら、今のお前は誰がここに……?」
そう尋ねたのはディーアだ。
だが、そんなのは……。
「もちろん、私にとっての未来の私です」
「だがそれだと矛盾している……! ウェンがここに来た理由が転移ならば、転移させるためのウェンが先にこちらにいる必要がある。始まりが存在しないではないか!」
「はい、そうですね。ですがそれが正しいのなら、真実はそういうことなんです。ニワトリが先か卵が先か、そんなのは誰にもわからないし、わかる必要だってない」
そう言い切った大人コーウェンの目に、迷いの色は微塵も感じられなかった。覚悟の色もない。あるのは、遥か過去に見出した決意だけなのだろう。
そんな彼の迫力に圧され、ディーアは知らず知らずの内にコーウェンの手を強く握りしめていた。
話が壮大すぎるのだ。こんなのは人間に許された会話ではない。
「……一番大事な話を聞いていない。未来の俺がこの時代へとやって来た理由はいったい何だ……?」
「決まってるだろ。――アーヤを救い出すためだ」
決まっている、そう言い切った彼の言葉に違わず、コーウェンにもその答えは予想出来ていた。だが――
「だけど、アーヤは救い出せなかった。『転移』で過去へと飛んでも、過去を大きく改変することは叶わない。『魂の転移』だって試したさ。二度と会えなくても彼女が地球で幸せに生涯を送ってくれるなら本望だと、そう思って……!」
だがそれが不可能だったからこそ、コーウェンは激情に駆られ復讐の道を選んだのだ。
そんな悲痛な叫びに、大人コーウェンは小さく首を横に振った。
「過去を変えられない『肉体の転移』ならばまだしも、『魂の転移』ですら上手く発動しなかった。……そこに答えがあるんだ」
「どう、いう……」
「魂の転移先は異なる世界でなければならないのと同時に、それを受け入れられる肉体は一つの世界に一つだけしかないんだ。それはこの特殊魔法を理解したお前でも知っていることだろう?」
そんな問いかけにコーウェンは頷いた。
アーヤの魂を受け入れられる肉体は、この世界ではアーヤの肉体だけであり、地球では宮部葵の肉体だけである。その二つとは全く別の世界へと転移させることも考えたが、そこがまともな世界なのかも不明であり、生き地獄を味わせる可能性もあったため踏み切れないという現実があった。
「だからこそ言える。――アーヤ・メイルリーとしてこの世界へと生まれ変わった宮部葵の魂は、ずれた存在なのだ、と。そしてそんな彼女へと魂を転移させるには、一つの条件が必要なんだ」
そこまで言い切ると、大人コーウェンは小さく息を吐いた。
「考えたさ。……お前だってそうだろう? アーヤから聞かされた、彼女の初恋の相手。葵へと『赤いハンモック』を渡したという男は、どう考えても自分ではないか、と」
「……確かに、そう思った」
図星だった。
以前コーウェンの部屋で彼女から聞かされたその男性の身体的特徴や住んでいる地域、独特な癖など、全てが秋谷隼人と共通していたのだ。
「だからこそ、私は結論付けた。やはりその男は秋谷隼人で間違いない、と」
「ちょっと待って。……確かにそうとしか考えられないほど共通点があるけど、だけど、俺にはその時の記憶が全くないんだ。そんな本なんて知らないし、彼女が言っていたように、定期的に自宅前の公園で本を読んでいたなんてこともない」
そうやって、まるで被告人が自らの潔白を証明するかのように捲し立てるコーウェンへと、彼は悲し気に微笑んだ。
「……その程度の記憶、これから作って行けばいいじゃないか」
そしてこう続けた。
「その男は秋谷隼人で間違いない。より正確に言えば、コーウェンの記憶を持った隼人だ。そしてここへ来た葵は、コーウェンの記憶を持った隼人から赤いハンモックを受け取った葵だ」
一気に言い放たれたそんな言葉に、コーウェンは周囲の時間が止まったかのような錯覚を抱いた。
そして、その内容を頭が理解していくに連れ、胸中に渦巻いていた謎が綻びを見せ始めた。
アーヤの魂が転移するべき葵の肉体。それがある世界は少しずれたものであり、現時点では存在していない。
そのずれた世界とは、コーウェンから生まれ変わった隼人が存在する世界のこと。
ならば、コーウェンが隼人へともう一度生まれ変われば、その世界は初めて存在することとなる。
そしてその世界が出来れば、アーヤの『魂の転移』は成功する。
――コーウェンから生まれ変わった隼人。それはつまり……。
「……理解できたようだな」
「……うん、理解できたさ」
アーヤを助ける過程で、絶対に避けては通れない道。
「私は、コーウェンを殺すためにここへ来ました」
そう、『魂の転移』によって別の世界で生まれ変わるためには、一度死ななければいけないのだ。
そしてその道を無意識の内に受け入れている自分に気付いた。未来のコーウェンは、アーヤを救うために過去の自分をも殺そうとしている。――最高じゃないか。
だが、そんなコーウェンとは違い穏やかでいられないのは、隣で話を聞いていたディーアだ。
「そんな……! それしか方法はないのか!?」
「はい、残念ながら」
「だったら、なぜアオイはこの世界へと転移できたんだ!? 彼女はお前が転移させたわけじゃないんだろう!?」
だが、そんな尤もな疑問にも、完璧な答えが用意されていた。
「それも、『魂の転移』の能力の一つです。転移の対象――当時の場合では隼人――と家族として名を呼び合った人物も、強制的に転移を共にする」
テール・ティークスの特殊魔法『予知』では、予知した未来に対して取るべき最善策が導き出されるように。
ディーア・シルエットの特殊魔法『使役』では、使役対象となる魔物を戦闘時に自由に出し入れできるように。
コール・ディスタートの特殊魔法『付与』では、付与する能力も付与する対象も、あらかじめ自由に選択することができるように。
全ての特殊魔法には、その能力を最大限に活かせるように様々な予備能力が存在する。
それは当然コーウェンの特殊魔法も例外ではなく、『魂の転移』で異世界へと転移する際に対象者にとってプラスとなる予備能力が存在する。先に述べた記憶や人格、身体能力の引継ぎと同じように、望んだ者を共に転移させるというとんでもない予備能力が。
「私は絶命する瞬間、新たな家族として葵の名前を呟きました。それと同時に、偶然彼女の方も、隼人の名を呟いたのだと思います」
『赤いハンモック』を受け取った葵だからこそタイミングが合うこととなった。その原因が何かはわからないが、おそらくそういうことで間違いないだろう。
ニワトリが先か、卵が先か。
確かに、そんなことはもうどうだっていい。
あの時に呟いた何気ない一言。なぜ殺される瞬間にそんな発言をしたのかもわからない。寸前までの思考の延長だと言われれば、そうなのか、と納得する他ない。
そしてその時、葵も隼人の名を呟いた。その葵は、隼人がコーウェンへと生まれ変わるきっかけになると同時に、コーウェンがいなければ存在すらしていなかったはずの人物だ。
何が何なのか、最早よくわからない。だが、コーウェンはそのストーリーを酷く気に入った。彼女にとってかけがえのない歯車の一つになれたことが、心から嬉しく思えたのだ。
コーウェンは己の歩むべき未来を見据え、天を仰いだ。
「……俺は、喜んで生まれ変わるよ」
そう語るコーウェンの目には、未来の彼と同じように、迷いの色も覚悟の色も見受けられなかった。あるのは、滲み出した涙に煌めく決意の色だけだった。




