56 メッセージ
重苦しい空気の中、コーウェンとアイズの二人は王城へ向かって歩を進めていた。
変わらず燦々と照り付ける太陽の下、王都アレスの町は二人の意に反し今日も派手に賑わいを見せていた。コーウェンはそんな光景から目を背けるかのように、意識を思考の渦へと沈めて行く。
――必ず方法はあるんだ。
そう、アーヤを救い出す方法は必ず用意されている。アーヤがこの世界に来たことがそれを証明しているのだ。
だがどれだけ考えても妙案は浮かばない。きっとまた、未来の自分と同じように時間に押されて過去へと飛び、力不足から古代の龍王と死闘の末に相打つのだろう。そしてその時代に生きる子供のコーウェンも、今のコーウェンと同じ未来を歩むのだ。
そこで、噛み締めた唇から血の味がすることに気付いた。
ふと我に返ったコーウェンは唇の血を舐め取ると、アイズへと向き直った。
「悪いなアイズ。上手く行かないとわかってて、お前を付き合わせることになる」
アイズはアーヤを救い出す計画の唯一の仲間だ。コーウェンの考えを知る唯一の人物であると同時に、コーウェンの前世についてを話した唯一の人物でもある。
そんなアイズは、コーウェンの言葉に気負うことなく頷いてくれた。
「僕は君の剣だ。君の望みなら何だったやるさ」
「……ありがとう」
――アイズにはどれだけ感謝しても足りないな。
彼の心構えに、コーウェンは思わずそう呟いた。
「……なあ、金烏玉兎の話は以前にしたよな?」
「ん? うん、したよ。それがどうかした?」
「お前は言ってくれたよな。俺は太陽だと。そして俺は言った。それならばお前は月だ、と。……月は太陽がなければ光り輝くことはできない。だが、太陽は月がなければ、夜の町へと光を届けることができないんだ。……もう一度言うよ。ありがとう、友よ」
そう言って、コーウェンはアイズへと手を差し出した。
驚きに目を見開きつつ、アイズがその手を握る。これは家族やネイル、ディーアに向けたものと同じ、永遠の別れを告げる挨拶だった。
「そうだ、リグルドの家族は元気だった? 会ってきたんだよね?」
「ん……?」
突然話題が変わったことに訝しむと、目が合ったアイズはニコリと笑った。そこにいたのはいつもの飄々とした彼だった。気を利かせて話題を変えてくれたのだとわかると、コーウェンの心も幾分か軽いものになる。
「ああ、みんな元気だったよ。母さんの体調も心配なさそうだ」
「そうか、それは良かった。……確か、僕がリグルドを訪れる少し前くらいに倒れたんだよね?」
「そうだ。……ははっ、あの時は本当に焦った」
そう言ってコーウェンが笑うと、アイズは昔を思い出すように顎を上げた。
「……確か、メリファさんだったよね。うん、良かった良かった」
そう続けざまに放たれた言葉に、コーウェンは再び笑ってしまう。
――いやいや、メリファじゃなくてアメリアな。
母親と使用人の名前がごっちゃになっているアイズへと心の中でツッコミを入れる。そうやって敢えて間違いを指摘せずに笑い過ごしてやろうと思ったコーウェンだったが、とある言葉を思い出してふと足を止めた。
――『……僕に言えるのは、母親の言うことには従っておくべき、ということだけだよ』
これは、十四年前にファウリッドを倒した直後、未来からやって来たアイズ――スパーダからかけられた言葉だ。重要な意味を孕んでいると思いつつも、ずっと意味がわからずに放置して来た言葉。
まさかという思いがコーウェンの心中に吹き荒れる。
「……アイズ、お前、俺の母親の名前を言ってみろ」
「え……? メリファさん、だよね?」
「違う。違うんだよアイズ。母さんの名前はアメリアだ。確かにメリファも母親のようなものだけど、正確にはディスタート家の使用人なんだよ。そしてもちろん、倒れたのはアメリアの方だ」
コーウェンの勘違いは、アイズが勘違いをしているということに気付いていないことだった。
あの時のスパーダの言葉は、『アメリアの言うことには従っておくべき』という意味ではなく、『メリファの言うことには従っておくべき』という意味だったのだ。
焦る気持ちが抑えきれずに、コーウェンは首を傾げるアイズの両肩を掴んだ。
「おいアイズ、教えてくれ。お前が俺の母親だと勘違いしていた女性――メリファが俺に言った言葉で、お前が知っているものは何だ!?」
コーウェンの必死さが伝わったのだろう。アイズは意識してその表情を神妙なものへと変える。
「あまり彼女と面識のない僕が知っているものなんて、たった一つしかないよ。何年か前に、君の義妹の身に何が起きたのかを語ってくれた時の話だ。その時の君の発言の一つにこんなものがあった。『メリファには人殺しを止めるように懇願された』と」
アイズのその言葉が、コーウェンの中で何かが崩れ去って行くような錯覚を起こさせた。そしてコーウェンは思い至った。
十四年前のあの日、スパーダがコーウェンに伝えようとしたこと。それは――『メリファの言う通り、ファウリッドは殺すべきではなかった』というもの。
そこまでわかれば、あとは簡単だった。
――何故、スパーダはファウリッドを殺すべきではなかったと言ったのか。
決まっている。
――ファウリッドは特殊魔法『再生』を持っているからだ。
これは、使用対象者の怪我や病気を完全に治してしまうという治癒魔法だ。そしておそらくは、コーウェンが患っているALSでさえも例外ではないだろう。ファウリッドさえ殺さなければ、コーウェンは病気を治し、古代の龍王を確実に倒せるだけの実力を蓄えてから転移できたかもしれないわけだ。
「そう、か……。俺はあそこで既に詰んでいたのか……」
その事実にはさすがのコーウェンも絶望せずにはいられなかった。
――今から過去へ転移して、生きているファウリッドにどうにかして治してもらう?
無理だ。たとえ治してもらえたとしても、エルフの国防衛戦が始まるまでにドラゴンを倒せるだけの力を身に付けることは不可能だからだ。最低でも八年間は必要だと考えている。
――ならば、防衛戦が始まる八年以上前に転移してファウリッドの治療を受ける?
これも無理だ。コーウェンの特殊魔法『転移』には、時間をも超越できるという凄まじい能力の代わりに多くの制限が定められている。そしてその内の一つに、違う時代には五年以上は滞在できない、というものがある。
そうやって気を落とすコーウェンに、アイズから声がかけられた。
「……まだだよ。まだ、絶望するのは早い。考えなけばいけないことが他にあるよね?」
「他に……? だが、考えたとこで意味なんて――」
「――意味ならあるはずだ」
アイズはコーウェンの目を見て、強くそう断言した。
「君が言ったことだよ。――アーヤを救い出す道は必ずある、と」
その言葉に、コーウェンは自らの考えを改めた。
――そうだ。不可能に思えても、必ず道はあるはずなんだ。隼人と葵がこの世界へと来たことこそが何よりの証拠なのだから。
アイズが続ける。
「これも君が言ったことだ。――転移で過去を大きく変えることはできないけど、小さな変化なら別だ。そしてその小さな変化を起こせるのは、転移の術者本人である俺と、転移によって過去へと飛ぶ予定のアイズだけだ、と」
「その通りだ……」
「そしてあるよね? その小さな変化――つまりは、未来の僕たちが意図的に起こした過去改変の証拠が」
そう言われて、コーウェンの脳裏に数々の疑問が浮かび上がった。それは今の自分たちと、転移して来た未来の自分たちとの違い――。
未来から来たアイズは、自らのことをアイズ・スパーダではなく、スパーダだと名乗った。
そして彼はこうも言った。自分の知っているコーウェンは左目に怪我なんて負っていなかった、と。
だからこそ導かれる、未来のコーウェンが敢えて行った過去改変――それは、過去の自分に大きな怪我を負わさせたということ。
そもそもコーウェンが左目を怪我したのは、アイズと出会った洞窟内に未来の自分の魔力が充満していたため、一時的に魔法を封じられたからという理由からだった。もし魔法を使えていたら、コーウェンは怪我をすることなくアイズとの戦闘に勝利していたことだろう。敢えてそのようなことを行ったということに、未来の自分から宛てられたメッセージがあるはずだ。
そこで考える。未来のコーウェンは過去の自分に何を伝えようとしたのか。
――その時、アイズがポツリと漏らした言葉に、コーウェンは頭の中を内側からハンマーで叩かれたかのような衝撃を受けた。
――「一番助かるのは、ファウリッドが今もどこかで生きていてくれた場合だよね」
「まああり得ない話なんだろうけど」と続けるアイズの言葉を、コーウェンは心の中で否定した。
――違う。
――そうじゃないぞアイズ。
コーウェンは全身の震えを自覚する。歓喜と興奮に打ちひしがれる身体を支配しようと、大きく深呼吸をすると、アイズの目を力強く見つめ返した。
「ありがとうアイズ。それとすまない。約束するよ。もう俺は絶望したりなんかしないと」
「ああ、それでこそコーウェンだ」
「そうじゃない、わかったんだよ! 未来の俺が俺に伝えようとしたメッセージが!」
「はあ……?」
突然過ぎて話に付いて来れないのだろう。アイズが素っ頓狂な声を出すが、とうとう興奮を抑えきれなくなったコーウェンは、そんなの関係ないとばかりに話し始めた。
「きっと未来の俺は、過去の自分を信頼していたんだ。たとえ魔法が使えなくてもアイズに殺されたりはしないと。彼は死に際にこう思ったのだろう。――『魔法を封じることによって、いい具合に大きな怪我を負ってほしいな』と。だからこそ、最後の力を振り絞って魔法の使えない環境を作り出したんだ」
「あ、ああ……」
「それは何故か。未来の俺は当時の俺に教えようとしたんだよ。ファウリッドの特殊魔法で病気を治せる、ということを。俺が大怪我を負ったらディーアが放っておくわけがない。彼女のことだから必ずファウリッドに頼んで治させようとするだろう。その行程を経て、特殊魔法『再生』の存在を俺に教えようとしたんだ。結果的に『再生』で治してもらうことはなかったが、それがなければ俺はファウリッドの特殊魔法が何かを現段階では知っていなかったと思う」
コーウェンはアーヤとは違い、行ってきた勉強と言えば歴史のことばかりだった。だからこそ、ファウリッドの特殊魔法がどんな能力なのかを知らなかった。
考えてみれば、コーウェンがファウリッドの特殊魔法が『再生』なのだと知ったのは、左目の怪我のおかげなのだ。
――左目を怪我したからこそ、洞窟から帰還後にディーアの魔力に回復効果があるのを知った。
――ディーアの魔力に回復効果があるのを知ったから、ある日彼女に『どうして回復効果があるの?』と尋ねた。
――そして彼女は答えた。『ファウリッドの特殊魔法が怪我や病気を治すもので、それに影響されたんだ』と。
おそらく、左目に怪我を負うことのなかった未来のコーウェンは、ファウリッドの特殊魔法のことを知らなかったのだろう。そして転移後何かの拍子に知ることとなり、死の間際にメッセージとして残した。
アイズにはコーウェンの過去のほとんどを教えているため、コーウェンと同じ考えに至ったのだろう。深く頷くと「でも」と続ける。
「だからって、解決策が見つかったわけではない。もうファウリッドはいない」
だがその言葉を、コーウェンは嬉しそうに否定した。
「違う。それが違うんだよアイズ。ファウリッドは確かに死んだ。だがそれは世間でそう言われているし、実際に姿が消えたから仕方なくそう認めているだけだ。俺はずっと疑問に感じていたんだ。当時の選定魔法導師が子供にあそこまであっけなく殺されるのか、と」
いくらコーウェンが強かったとは言え、子供一人に魔導師程の人物が跡形もなく消え去ったりするものだろうか?
いくら光魔法で視力を奪われたとは言え、あれほど戦闘慣れしていた人物が何の防御も施さずに攻撃を受けるだろうか?
それこそ、コーウェンの中ではあり得ないことだった。
そもそも特殊魔法『転移』で過去を変えられないというのも、正しくは、発動者であるコーウェンが認識している過去は変えられない、だ。
だからこそ、コーウェンの中でファウリッドの死があり得ないものだという前提がある今、コーウェンの特殊魔法でファウリッドの命を救うことができる。
アーヤが死んだとき、コーウェンはその瞬間を目撃し、死体を抱き上げた。――完璧に認識している“死”であるため、その過去は変えられない。
だがファウリッドが死んだとき、コーウェンがその瞬間を見ることはなく、死体も塵一つ残らなかった。ディーアがファウリッドの死を駆け付けた人たちに証言しなければ、そもそも彼が死んだということなど誰も信じなかっただろう。――それほど穴だらけの“死”だ。
これならば――。
コーウェンは再び深呼吸をすると、こう宣言した。
「――アイズ、俺はファウリッドをこの時代に転移させ、この病気を治してもらう」
――あの日、コーウェンの放った魔法に当たる寸前のファウリッドをここへ呼ぶのだ。
そう言い放ったコーウェンの目に、大粒の涙が滲み出した。きっと、死を覚悟して家族や大切な仲間に別れを告げた直後に見つけた大きな希望を前に、溜め込んでいた思いが決壊したのだろう。
病気が治ったら後はもう大丈夫だ。
必死に強さを追い求めよう。それにはディーアの特殊魔法も役に立つだろう。そうだ、マイナに本気の戦闘訓練をいくらでも見せてやれる。そして月日が経ち、古代の龍王を圧倒できるだけの力を携えてから計画を行動へと移すんだ。一度日本へと飛んで用事を済ませてから、過去へと飛ぶ。洞窟へ行く前に会っておきたい人物だっている。
――そう、病気さえ治ってくれれば、人生をかけたこの願いを叶えられる。
やがて滲み出した涙が、とうとう頬を伝い流れ落ちる。
そして人目を気にすることなく、コーウェンは小さく拳を握り込んだ。
「これで、あの子を救い出してやれる……!」
◆◇
――魔法使いとしての極致が見たい。
その男は、エルフの母親と人間の父親から生まれた。
両親は二人とも有名な魔法使いだった。二人の歳の差はおよそ百五十歳。そして魔法の腕前は拮抗している。
そこで、ある日ふと考えた。――二人の寿命が逆だったならその力関係はどうなっていただろうか、と。
父親は、百五十の年齢差がある母親と同等の魔法使い――つまりは、父親の方が母親よりも圧倒的に魔法使いとしての才能があったはずだ。
もし父が長命種で、これまでと同じように百五十年の月日を母のように積み重ねていたならば、ルビウス・ユーニヴァス亡き今、彼の次代に相応しい魔法使いとして魔導師の席に座していたのではないだろうか。
たらればの話をしても仕方がない。だが考えれば考えるほど、種族の違いだけで今の地位に甘んじることとなった父が不憫に思えた。
そして、次第にこう考えるようになった。
――偉大な魔法使いは死なないんだ、と。死ぬ時点で、または死を回避する機会に恵まれなかった時点で、その人物は偉大な魔法使いとは成り得ない。
そんな考えを根底に持ち、数年が過ぎたある日。男は人を生き永らえさせることが可能な特殊魔法――『再生』を手に入れた。そしてその数年後、ルビウスの後継に相応しいとされ、男は選定魔法導師の称号を得ることとなった。
――なんという巡り合わせか。
そんな男――ファウリッド・ミーレスの前には、彼を以てして最強だと確信した魔法使いが、更に成長した姿を見せている。そして特殊魔法『再生』を使い、自らの命を救ってほしい、とも。
――偉大な魔法使いは死なない。
その考えに確信を持つ。
圧倒的な魔力を携えるその男は、特殊魔法を使い過去のファウリッドを呼び出してまで――つまり、彼自身の魔法の力を以てして、自らの命を永らえようとしているのだ。
――ならば、その願いに応えてやるのもまた一興か。
魔法使いの極致を見れるかもしれないという好奇心の前では、その相手が先ほどまで戦っていた人物だということなど些細な問題だ。
ファウリッドは全身の魔力を練り上げると、不敵に笑みを浮かべた。




