55 失意の底で
その日はとても天気が良かった。
肌を刺激する紫外線の熱が発汗を促し、一筋の滴が首筋を伝う。気候は日本で言うところの四月くらいだろうか。あまりにも季節外れな気温の高さに堪らなくなり、およそ八日振りに王都へと帰って来たコーウェンは魔導師のローブを脱ぎ去ると、それを肩にかけ軽装のまま王都の町中を歩く。
そんな威厳のない魔導師の姿も、既にこの都市の住民からすれば見慣れたものだった。周囲からの、微笑ましいものを見るかのような視線がコーウェンに突き刺さる。
ふと、そんな視線の中に見知った者の姿を発見した。
「ディーア! もう帰って来てたんだね」
コーウェンは見つけた人物――ディーアの下へと歩み寄る。
長命種特有の時の経過を感じさせない彼女の笑顔は、出会った当初から何も変わらない慣れ親しんだものだ。外見的な変化も、最近になって本格的な冒険者活動を再開したために長かった髪をバッサリと切り落としたこと以外は、十四年前のあの日からあまり変わっていない。
そんなディーアは片手を上げることでコーウェンを出迎えた。
「ああ、今回の仕事は思っていたよりも早く片付いてな」
「そうだったんだ。お疲れさま」
「ありがとう。ウェンの方こそ、さっきリグルドから帰って来たばかりなんだろ? アイズに尋ねたらリグルドに行ったって言ってたよ。お疲れさま」
「うん、ありがとう」
そうやって互いを労いつつ、コーウェンは「そうだ」と続ける。
「これから一緒にご飯でも行こうか。中途半端な時間だけど、アイズとマイナも誘ってさ」
今は朝食にしては遅すぎ昼食にしては早すぎる時間だが、ディーアと食事を共にするのは久しぶりであるため、きっと楽しい時間を過ごせるだろう。
同じように考えたのであろうディーアも目を輝かせた。
「おお、いいじゃないか。喜んで一緒させてもらうよ」
「よかった。ディーアが一緒だとマイナも喜ぶよ」
「ははっ、あの子の視線は少し苦手だ……。不快とかではなく、気恥ずかしくてな」
「それだけディーアが好きなんだよ」
その言葉に、ディーアは苦々しくも満更ではなさそうに微笑んだ。
マイナはディーアの熱烈なファンだ。幼い頃から十二英傑である両親が彼女にとっての英雄でもあったことは間違いないのだろうが、そんな彼らの筆頭と呼ばれた女性が今も現役で活動をしているのだ。入れ込む気持ちも理解できる。コーウェンがマイナを弟子として招いた当初――二年以上前から二人は面識があるのだが、その頃からマイナはディーアに良く懐いていた。
あいつ喜ぶだろうな、などと考えながら、コーウェンは王城のある方角を目で示した。
「じゃあ、一緒にアイズたちを呼びに行こうか。俺が美味しい店を紹介するよ」
「ああ、よろしく頼む。……ふっ、こうしていると昔を思い出すな」
「そうだな。あの頃が一番楽しかった」
二人がエルフの国を守るために奔走していたのは遥か昔のことだ。
今ではすっかりと身長差が逆転してしまい、まだ幼かったコーウェンは世界最高の魔法使いにまで昇り詰めた。だが二人を繋ぐ絆の強さに変わりはない。いや、以前よりも強くなっているだろう。ファウリッドを自らの手で殺したコーウェンだったが、ディーアがそんな彼を恨むようなことはなかった。むしろファウリッドの暴走を止めたことに感謝されたくらいだ。
コーウェンはそんなディーアに心の中で礼を告げると、王城を目指し歩き出した。
◆◇
コーウェンが四人での食事処に選んだのは、マイナの姉であるメノイノが経営するお店――『剣の音色亭』だった。ここは夜は酒場として開かれているが、昼には一般的な飯屋として料理を提供しており、王城内の食事があまり舌に合わないコーウェンたちのお気に入りでもあった。
適当な席にコーウェンとアイズ、ディーアとマイナがそれぞれ隣り合って座る。そして全員が料理を注文したのを確認して、店主自ら注文を伺いに来たメノイノが店の奥へと引っ込んだ。
その様子を眺めていたディーアが口を開く。
「ここはいい店だな。隠れ家的な雰囲気が好きだ」
その言葉に目を輝かせたのはマイナだ。
「本当ですか!? ここ私のお姉ちゃんの店なんですよ!」
「ああ、知ってるよ。さっきウェンから聞いた。料理が楽しみだ」
「そうだったんですね。えへへ、料理だって美味しいんです」
隣に座るディーアの腕にしがみ付きながら頬を赤く染めるマイナに、その向かいに座るアイズが優しく笑った。その姿はコーウェンが子供の頃、エルフの国で出会った青年――本人は後にスパーダと名乗った――と全く同じもの。
かつて洞窟内で出会った時の彼とは大違いだ。コーウェンはそんな事実に嬉しくなり、同じように頬の弛みを自覚する。するとアイズが口を開いた。
「料理の味は僕も保証するよ。きっと気に入ると思う」
「うんうん、さすがはアイズ君、わかってるね!」
「わかった、わかったから。そろそろ手を放して欲しい」
目に見えて自らを慕ってくれるマイナが可愛いのだろう。ディーアはそう言いつつ腕を優しく振り払うも、解放された手でマイナの頭を小さく撫でた。するとその行為にマイナの目が潤み出した。まるで恋する乙女のような表情だ。
その様子に「どれだけ尊敬してるんだよ」と心の中でツッコミを入れつつ、コーウェンはアイズへと向き直った。
「今更だけど、俺がいない間に何か問題は起きなかったか?」
「大丈夫、見ての通りだよ。変わらずこの町は平和だ」
「そうか。ありがとう。長い間悪かったな」
「いやいや、君が気にすることでもないさ」
アイズはそう言いながら微笑んだ。
実はリグルドへと向かう以前から、コーウェンは王都を留守にしていた。
リグルドへ向けて出発する前夜でこそこの町で過ごしたが、それまではずっとエルフの国に滞在していたのだ。それにリグルドでの滞在期間を合わせると、コーウェンはおよそ二か月間も王都から離れていたことになる。そしてその間、アイズにはこの町の守護を任せていたという経緯があった。
そんな話で時間を潰していると、やがて完成した料理が順番に四人の前へと運ばれて来た。
肉の焼けた匂いが四人の間を漂い、口の中で涎が滲み出す。コーウェンはそれを嚥下すると、料理を運んで来た従業員へと誰が何を頼んだのかを示す。
やがてコーウェンの前には、ウサギの肉入りシチューと黒パン、淡水魚の焼き魚が。
アイズの前には、コーウェンと同じものに、デザートとして焼きリンゴが。
ディーアの前には、パテと呼ばれる牛肉を使ったかまぼこと、羊の塩漬け肉、そしてパセリ入りのコンソメスープが。
そしてマイナの前には、何かの木の実のサラダと肉団子、ウナギの蒲焼きに玄米がそれぞれ並んだ。
いい大人が揃いも揃って目の前の料理に表情を明るくする。それを確認したコーウェンは小さく笑いながら呟いた。
「さあ、食べようか」
◆◇
全員が全ての料理を平らげたのを確認して、コーウェンは国から貰ったお金で全員分の代金を支払った。美味しい料理に満足した四人はメノイノへと礼を告げ、店を出る。
時刻は丁度正午くらいだ。頂点へと達した太陽に触れるかの勢いで伸びをしたマイナは、軽快な仕草でディーアの左手を掴んだ。
「じゃあディーアさん、早速行きましょうか!」
そう言うマイナにディーアは頷く。
食事中に話していたことだが、ディーアは午後からも冒険者として依頼を受けるのだそうだ。そのために食事量も控えめに抑えたとか。
最近の彼女は活動スタイルを一般冒険者と同じようなものに変えてまで、多くの依頼をこなしている。これは彼女曰く、魔法使いの頂点に立ったコーウェンに触発され、冒険者としての頂点を目指すことにしたのだそうだ。
そしてマイナは、ディーアの午後からの仕事に付き添いたいと言い出した。マイナは現在、コーウェンの下で魔法使いとしての技量を磨いている最中なのだが、冒険者としての一面もあるため、そちらの勉強になるということでコーウェンとディーアも許可を出したのだ。
「ねえディーアさん、料理どうでした?」
「ああ、凄く美味しかったよ。王都にいる間は当分世話になるかもな」
「やった! じゃあまた一緒に来ましょう!」
「ああそうだな」
そんな微笑ましい会話を繰り広げる二人へと、コーウェンが口を開いた。
「じゃあ二人とも、気を付けて。俺たちは城に戻るよ」
「わかった。私たちも行ってくるよ。この子は今日中に帰らせるから心配するな」
「うん、任せた」
そして手を振り合うと、ディーアとマイナはコーウェンたちに背中を向けて歩き出した。コーウェンはその背中を黙って見送る。
その時、ふと二人が過去の自分たちの姿と重なった気がした。
優しく話しかけるディーアと、そんなディーアよりも少しだけ小さなマイナ。おそらく、かつて行動を共にしていたコーウェンとディーアの姿も、周囲の人たちにはこのように見えていたのだろう。そう考えた時、自然と声を張り上げる自分がいた。
「ディーアっ、ありがとう!」
その声に振り返ったディーアは、不思議な顔をしながらももう一度手を振ってくれた。
その様子に、隣からアイズの声がかかる。
「……彼女ともお別れか?」
「いや、どうだろう。もう少しだけやり残したことがあるから……そうだな、また会えるといいな」
自分に言い聞かせるようにそう言い、コーウェンはアイズへと向き直った。
やがて並んで歩き出した二人の間に、言い知れない重たい空気が漂う。
「なあコーウェン、聞かせて欲しい。結果はやっぱり……」
「ああ、思っていた通りだったよ」
二人が言うのは、コーウェンの身体を蝕む病魔についてだった。
始まりは五カ月ほど前のことだった。ある日、剣を握る手に力が入り辛くなったことに気が付いた。全身の筋力に目に見えての衰えは感じられなかったが、それでも少しずつ、確実に物を掴むという動作が困難に感じられたのだ。やがてコーウェンの脳裏に浮かんだのはとある病気だった。
――ALS(筋委縮性側索硬化症)。
これは随意筋と呼ばれる自らの意志で動かすことができる筋肉の神経――運動ニューロンに異常を来たす病気で、コーウェンが隼人として日本にいたころでは、当時の最新医療を以てしても根治は不可能と言われていた難病だ。基本的な知識しか持ち合わせていなかったコーウェンにはどのように病気が進行するのかは不明だが、放っておいたら死に至る病気である。
そして二か月前のコーウェンがたった一人でエルフの国を訪れたのもこれが原因だった。
当時の目的は、この症状が本当にALSのものなのか確かめることだった。だからこそ、エルフの国の長老が特殊魔法『予知』で未来を視るタイミングに合わせ、彼女を訪ねたのだ。もし魔導師である自分がそのような難病を患ったならば、きっと予知にも表れると考えた訳だ。そして結果は黒だった。
これは現在、アイズと長老しか知らないことである。
「最善策には期待できないというのも予想通りだった。長老の予知と言えど、所詮は彼女本人や彼女を取り巻く環境に対しての最善策だからな。俺の目線で最善策を導き出してくれることはなかったよ」
「やっぱ、そうだったんだ……」
この先二年間の未来を視るというその能力がコーウェンのものであったならば、それによって導き出される最善策は病気を治す方法であったり、治らないにしても自らの取るべき行動が示されたことだろう。だが残念ながら予知は長老の能力であり、彼女自身が望んだとしても、彼女にとって最も実益の出る最善策が出る結果となってしまった。コーウェンが参考にできるものではない。
「予知した結果については誰にも話さないと約束してくれたよ。……って、今更そんなのどうでもいいか」
そう言って引きつった笑顔を浮かべるコーウェンに、アイズの悲壮な視線が突き刺さる。
先ほどまでディーアたちと共に過ごしていた楽しい時間が嘘のようだ。もちろんコーウェン自身、リグルドへは大切な人たちとの永遠の別れを覚悟して赴いたし、ディーアと共に旅をするような日が来ることはもうないのだと自分に言い聞かせていた。だが楽しかったのは事実だ。その瞬間だけが辛いことを忘れさせてくれた。
コーウェンは悔しさから唇を噛み締めた。
「……一応話しておくとな、俺の寿命は残り一年と十カ月だそうだ。ここが日本だったらもっと長く生きられるのだろうけど。……およそ二年後、俺は呼吸ができなくなって死ぬ」
生暖かい空気が二人の間を吹き去った。
コーウェンの上昇した聴力が、アイズの息を飲む音を捉える。
「……それじゃあ、時間がないわけだ」
「ああ、そうだ」
――時間がない。
死んでしまうこと以上に、コーウェンにはこの事実が堪らなく耐え難かった。
コーウェンはアーヤが死んでからの十四年間、自らの特殊魔法『転移』に秘められた二つの能力を使用しての、アーヤを助け出す方法をずっと画策し続けていた。そして見つけた唯一の方法があった。
だが、それを成すには圧倒的な強さが必要なのだ。より具体的に言えば、古代の龍王を単独で撃破できるだけの力が。
コーウェンの脳裏に浮かぶのは、あの日洞窟内で見た誰かの血痕と魔力、そして殺されたドラゴンの生首だ。
断言できる。
あの大量の血痕は自分のものだ、と。あれは未来の自分――この時代のコーウェンが転移によって過去へと飛び、そこで古代の龍王と戦った際に流したものだ。
アーヤを救う方法を知った今のコーウェンにはわかる。
あの時の長老の予知――『コーウェン・ディスタートを連れて来る』というのには、『コーウェンを連れて来ることによって未来のコーウェンにドラゴンを倒してもらう』という意味が隠されていた。つまりは、子供のコーウェンをエルフの国へと連れ出すことによって、大人のコーウェンがドラゴンを倒さない限りエルフの国が滅ぶと同時に子供のコーウェンが死んでしまう、という状況を作り上げたのだ。
そしてあの血痕の主――今のコーウェンにとっての未来の自分は、あの日の洞窟で古代の龍王と共倒れになったのだろう。――だからこそ、アーヤを救うことができなかった。
それがわかった時に真っ先に疑問に思ったのが、何故ドラゴンをも倒せるくらいにまで強くなるのを待たなかったのか、ということだった。古代の龍王に殺されないくらいに強くなってから転移すればいい、そう考えたのだ。
だが、そんな疑問はとっくに晴れた。――『時間がない』という今の状況こそが答えなのだから。
未来の自分は、病気で動けなくなる前に行動を起こし、結果として失敗したのだ。
――そして今、コーウェンはその自分と全く同じ道を歩もうとしている。
「……時間さえあれば、古代の龍王を倒す力さえあれば、俺はアーヤを救ってやれるのに」
そんな呟きが虚空へと消え逝き、コーウェンはより強く唇を噛み締めた。




