54 最後の故郷
リグルドで家族と共に夜を明かしたコーウェンは自室にて手早く荷物をまとめると、起こしに来てくれたメリファと共に一階を目指し階段を下りる。
次の目的地はレイジェルド邸だ。
家を発つことは既に家族に伝えてあるため、階段を下りる音を聞きつけた両親が玄関先へと集まって来た。コーウェンはそれぞれの顔を見渡し口を開く。
「昨日はありがとう。久しぶりに楽しい時間が過ごせたよ」
「お礼なんて要らないわ。ここはあなたの家なんだから、またいつでも帰って来なさい」
「そうだぞ。たまには一緒に酒でも飲もうぜ」
「うん、ありがとう」
そう温かい言葉をかけてくれる両親へと改めて礼を告げると、コーウェンは二人の隣に控えていたメリファの小さな身体をそっと抱き寄せた。
彼女は驚きに身体を硬直させつつも、控えめに腕を背中へと回してくれる。
「じゃあメリファ。身体に気を付けて。それと、二人をよろしくね」
「はい、お任せください。……コーウェン様こそ、お身体に気を付けて」
「うん、わかってるよ」
そう言葉を交わして身体を離すと、次に「私にもー」と両手を広げるアメリアの身体を抱き寄せる。
「母さんも身体には気を付けて。もう倒れたとか、そういうの聞きたくないから」
「はーい、わかってますよ」
「本当にわかってる? ちゃんと長生きしなよ?」
冗談交じりにそう微笑みながら、コーウェンはアメリアの額に口付けをした。日本にいたころではなかなかできないであろう行動だったが、この世界ではそれほど変わった行為ではないため、既に日本にいた頃よりもコーウェンとしての人生が長い彼に不自然さはない。
当のアメリアは驚きつつも、とびっきりの笑顔を返して来る。
「もう、そんなことされたら百歳まで生きれちゃうわ」
「はは、それでいいんだよ」
最後にそう笑い合うと、コーウェンはコールへと身体を向けた。
「父さん、今更だけど、みんなのことは任せた」
「ああ、こっちの心配はかけさせねーよ」
そして二人は握手を交わし合い、身を抱き寄せ互いの背中を叩き合った。魔導師の分厚いローブ越しでも十分に衝撃を届ける衰え知らずのその力に、コーウェンは思わず破顔する。
――剣だけで戦ったら今でも互角なんだろうな。
そんなことを思い、強く安心した。これで何も心配せずに旅立てる。
「じゃあ……さようなら、みんな」
だがそう告げた直後、コーウェンの目尻から一粒の涙が流れ落ちた。
それを見て三人が不思議そうに首を傾げた。
「あれ……なんだろ、変だな」
家族に向ける最後の言葉。そんなつもりで発した別れの挨拶に、ずっと堪えていた涙がとうとう流れ出したのだろう。
――全てを話してしまいたい。
自分が今何を思い何と戦っているのか、次の旅を最後に命を落とすことや、旅立たなくても命が長くないことなど。全てを話して、思いっきり泣いて、そして優しくしてくれる家族にずっと甘えていたい。そんな思いがコーウェンの覚悟に容赦なく襲い掛かる。
――だが。
それでもコーウェンは唇を噛み締めると、涙を拭って笑顔を浮かべた。
「ごめんね、なんか寂しくなっちゃってさ。……じゃあ、今度こそ行ってくる」
「あ、ああ。元気でな」
コーウェンの様子に何かを感じ取ったのだろう。コールは少し不思議そうな顔をしながらも息子の旅立ちを見送った。それにアメリアとメリファが倣うのを見届けてから、コーウェンは彼らに背を向けた。
無駄に広い庭を横切り、ディスタート家の敷地から一歩を踏み出す。同時に、自らの背中と屋敷が何かで繋ぎ留められているような奇妙な感覚を覚えた。これが未練という名の鎖だろうか? 振り切って歩こうとすると物理的な負荷すら感じてしまう。
コーウェンはその場に立ち止まり鞘から剣を抜くと、それを振り返ることなく背中越しに振るった。
――俺の希望は未来にあるんだ。背後じゃない。
そんな儀式で未練を断ち切り、コーウェンは再び歩き出す。その足取りに最早迷いはなかった。
◆◇
レイジェルド家を訪れたコーウェンは、その報せを受けた執事長によって厳粛に迎えられ屋敷の中へと通された。
子供の頃は顔パスで勝手にネイルの部屋へと上がり込んでいたが、魔導師となった今ではそういうわけにはいかない。そんな説明を顔馴染みの執事長にされながら、コーウェンは客室にてネイルの入室を待っていた。ちなみにだが、彼女の部屋に直接向かわないのには、コーウェンの来訪を知らされたネイル本人が断ったからという理由がある。彼女も今では大人の女性だ。
そんなことを考えながら淹れられた紅茶に舌鼓を打っていると、待ち人の女性が客室に姿を現した。その姿を確認し、控えていた執事長とメイドが恭しく部屋を去って行く。
コーウェンと二人きりになったのを確認し、ネイルが申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんね。ちょっと身だしなみを整えてて……」
そう言うネイルの目の下には隈ができていた。きっと仕事が忙しいのだろう。よくよく見ると、不自然にならない程度に化粧を施してあるのが見て取れるが、それでも疲れは隠し切れていない。
だがそれでも、およそ二年ぶりに見る彼女は綺麗だと言えた。
ネイルは現在二十八歳だが、ハーフエルフなため見た目は二十歳の頃からほとんど変わらない。公の場では貴族らしく髪を盛っているようだが、今は長く伸ばされた真っ直ぐな黒髪が本来の彼女らしい純朴さをよく表しておりとても似合っている。
コーウェンはそんなネイルへと「気にするな」と微笑んだ。
「それより、俺の方こそごめん。きっと今も忙しかったんだろ?」
「ううん、仕事なんかいつでもできるし、ウェン君の方こそ気にしなくていいよ」
そう言いながらコーウェンの下へと歩み寄って来たネイルは、飛び込むようにコーウェンの胸へと顔を埋めた。
「……本当に久しぶりだね」
「ああ、そうだな」
二人が最後に会ったのは、コーウェンが魔導師となった際に開かれた祝賀パーティでのことだった。それは数日の差とは言え、コーウェンにとっては家族よりも久しぶりに会うことを意味している。
ネイルは埋めていた顔を上げると、コーウェンを見上げた。
「魔導師様と貴族ってなかなか会えないんだね」
そう言ったネイルは、「あれ?」と首を傾げた。
「ウェン君、さっきまで泣いてたでしょ」
「なんだ、よくわかったな」
「うん、だって好きなんだもん。……えへへ」
ネイルはそう言うと照れ臭そうに笑い、コーウェンの頭へと手を伸ばした。
何をされるのか、と頭の位置を少し低くすると、ネイルはコーウェンの頭を優しく撫で始めた。
「辛いことがあるのならいつでも甘えなさいよ。君は勘違いしてるようだけど、私の方が六歳もお姉さんなんだからさ」
「うん……ありがとう」
ネイルが努めて大人らしい口調と声色を真似ているのがコーウェンにはわかった。だが少しもぎこちなさを感じないのは、彼女が日頃から年上としての振る舞いを心掛けているからだろうか。
コーウェンはそんなことを考えながらネイルの身体を離した。
「そうだ。私の部屋行く? 考えてみれば、ウェン君だったら何も恥ずかしがることなかったよね。なんなら泊まっていきなよ。部屋くらい用意させるよ?」
「いや、それは遠慮しておく。できるだけ早く王都へ帰らないと。今日だって久しぶりに会いに来ただけなんだ」
「そうなんだ……残念」
「ああ、ごめんな。……そうだ、今シルバさんは?」
「お父様は今も仕事中よ。会っていく?」
「いや、それなら止めておく。あまり迷惑かけたくないし」
そう言い、コーウェンは先ほどのお返しとばかりにネイルの頭を撫でた。自分の方がお姉さんだ、などと言っておきながら、ネイルは嬉しそうに表情を和らげた。
くすぐったそうに身を預けるネイルに満足したコーウェンは、テーブルに置いてある飲みかけの紅茶へと手を伸ばした。やがて立ったままそれを飲み干すと、それを見ていたネイルが小さく笑った。
「ふふっ、カップの持ち方変だよ」
そう言うネイルの視線は、カップの取っ手を握り込むコーウェンの右手に注がれている。
確かに変に見えるだろう。コーウェンはカップに付いている小さな取っ手に人差し指を差し込むと、そのまま拳を握るように保持しているのだから。
だが当のコーウェンはそれを笑ってやり過ごした。
カップをテーブルに置くと、再びネイルの身体を抱き寄せた。
「え……!? ちょっと……」
そして狼狽えるネイルを強引に抱き締めた。
「少しだけ、我慢して」
「んっ……、はい……」
ネイルの身体に回されたコーウェンの両腕に力が入る。
決して狭くはないこの客室の空気を沈黙が支配する。
それから五分ほどが経ち、ようやくコーウェンはネイルの身体を解放した。恋人でもない女性に対しての行為に今更ながら顔を赤く染めたコーウェンは、それを誤魔化すように口を開いた。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「うん、今日は会いに来てくれてありがとう。今度は私の方から会いに行くね」
「……うん、楽しみに待ってる」
コーウェンは名残惜しそうに微笑むネイルの頭をポンポンと優しく叩くと、ソファに立てかけておいた剣を手にし部屋から出る。
そして少し離れた先の廊下でコーウェンを待っていた執事長に礼を告げると、ネイルに見送られながらレイジェルドの屋敷を後にした。
リグルドの町中を歩きながら、コーウェンは考える。
(家族への別れは済ませたし、最後にネイルの笑顔も見れた。もう悔いはない。あとは王都に帰ってディーアと話し、アイズと最終チェックを済ませたら出発だ。……っと、そうだ、マイナに戦闘を見せる約束をしたんだったか)
マイナにはアイズとの戦闘訓練でも見せれば十分だろう。
魔導師の戦闘訓練を人目に付く場所で行えば騒ぎになるため今までは冒険者としての旅先で行ってきたが、良い機会なため王都にある魔法闘技場でも貸りて客にお披露目するのも悪くない。
そう結論付けたコーウェンは、それを脳内の『旅立ち前のやっておくことリスト』に追加する。
そしてそれらが終われば、ついに旅立ちの日を迎える。
コーウェンの覚悟は決まっている。
例え旅先――過去の世界で命を落とすことになろうとも、それがコーウェン・ディスタートの使命であることに疑いはないのだから。
――ニワトリが先か、卵が先か……。
コーウェンはポツリとそう呟くと、振り返ることなく自らの故郷を後にした。




