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プロミネンス・ストーリー  作者: 秋保 あかさ
6章 覚醒のアリスブルー
54/67

53 時が経ち

 前選定魔法導師ファウリッド・ミーレスの悪事が暴かれ、王国裏組織のグリムガムが解体されてから十四年の月日が過ぎたこの日、十二英傑二人を両親に持つマイナ・クラノスは、アルトリコ王国の王都アルトリコにある、冒険者が多く集まる酒場――『剣の音色亭』にて一人で夜酒にふけっていた。

 一人酒とは言っても店主であるメノイノ・クラノスとは姉妹の仲であるため、話し相手には困っていない。そんなマイナは姉であるメノイノにおかわりを頼み、空になったジョッキを差し出した。


「もう、あんまり飲んだら明日がしんどくなるわよ?」


 かれこれもう二時間はこうして酒を飲んでいた。そんなマイナを心配するメノイノだったが、酔っ払いとは得てして他人の忠告に耳を貸さないものであることは、酒場を経営する彼女にはよく理解できていた。

 案の定黙ってジョッキを差し出し続けるマイナは、機嫌が悪そうに口を尖らした。


「だってしょうがないじゃない! あんなに楽しみにしてたのに……。メイお姉ちゃんに私の気持ちがわかってたまるかぁー!」


 マイナはそう叫ぶと、ドンッと空いた手でテーブルを叩いた。そんな様子に周囲から好奇の視線が集まる。

 マイナとメノイノは三つ差の姉妹で、二人とも綺麗な赤髪が特徴的な美人だ。冒険者として生計を立てているマイナが比較的短く、メノイノが長い。そんな姉妹が仲良く話している光景は他の冒険者たちにとっても心安らぐものであり、関心を引いていた。

 周囲の視線を自覚しない酔っ払いの妹を、メノイノがカウンター越しになだめる。


「気持ちはわからないけど、それってそんなに落ち込むことかしら?」

「だぁからぁ! わからないなら口出ししないでよぉ!」


 とうとう泣き出したマイナに、メノイノは「口出ししてほしくないのならここで飲まないでほしいわ」とぼやく。


「それに、私からしたらあなたが羨ましくて仕方ないの。次の機会もすぐ訪れるよ、きっと」

「うぅー……」


 マイナは両腕に顔を埋めたまま、目だけで正面の姉を見上げた。

 羨ましいなどと言われても、その気持ちがマイナには理解できなかった。だがそれが本心だということくらいは酔っぱらっていても判断できる。渋々泣き止んだマイナは、黙って差し出された水に口を付ける。

 そうやって時間を潰していたその時、背後で酒場のドアを開ける音がした。周囲の客の反応から、久しぶりながらも誰が来たのかがすぐにわかった。

 先代の魔導師であるファウリッドがこの世を去ってから空白の十一年と数カ月を経て、二年前、弱冠二十歳にしてその名を歴史に刻んだ人物――“選定魔法導師(・・・・・・)”コーウェン・ディスタートだ。

 そして――マイナの魔法の師匠である。


「あら魔導師様、お久しぶりです。妹を連れ戻しに参られたのですか?」


 そんな姉の一言に、周囲が微笑に沸いた。

 ふとメノイノの顔を見やると、照れ臭そうに頬を染める乙女がそこにいた。いい年をして年下にそんな表情を向ける姉に嫌気が差し、すぐに目を背ける。

 この日、マイナが落ち込んでいた理由が彼にあった。

 コーウェンは魔導師である傍ら、今でも活動を続ける一冒険者でもある。そんな彼が珍しく、マイナを連れ出して長期の冒険計画を立てると言い出した。コーウェンは基本的に身内の人間だけを伴って旅をするのだが、今まではそこにマイナの名が連なることはなかった。だからこそ、とうとう自分の番が来たのだと喜んでいたマイナだったが、あろうことか、今日になって突然その旅を取り止めると言い出したのだ。

 マイナほどではないが少しは魔法が使えるメノイノからすれば、彼の弟子として迎え入れられたマイナが羨ましいのだと言う。だがマイナにはわかっていた。メノイノは魔法を教われるから羨ましいのではなく、コーウェンと一緒にいられるから羨ましいと言っているのだ。

 誰にも明かしたことはないが、同性愛の気があるマイナからすれば全くもって理解できない。その胸中はただ、普段では決して見られない魔導師の戦闘を見逃すことになったと、残念極まる思いだけである。

 不貞腐れるマイナの背後から、コーウェンが返事をした。


「いえ、今日は少し飲みたい気分でして」


 そう言いつつ、マイナから席二つ分の距離を空け、カウンター席に腰かけた。

 この世界で最高の魔法使いを名乗っておきながら、一般人相手に丁寧な言葉遣いをしたり、護衛も付けずにこんな酒場へと足を運んだりするコーウェンに対し理不尽にイラついたマイナは、鋭い眼光を隣へと投げかけた。

 青味がかったグレーの髪が、無駄に整った横顔へと控えめにかかっている。女性人気を得ているのにも納得なその人物が身に纏うのは、魔導師専用の高級ローブだ。背面では“万物”を象った黄金の刺繍が目を見張る。

 自分と同い年のコーウェンだが、魔導師と、両親のコネで弟子に採用されたマイナとでは、決定的なまでの実力差がある。そんな事実に舌打ちをすると、手に持ったグラスをコーウェン目がけ勢いよく傾けた。だが――


「おい、このローブ一回濡れたら乾きにくいんだって」


 ――彼が手を翳しただけで、その水は一瞬の内に凍り付いてしまう。

 そして氷となったそれを受け止めると、周囲から「おおー」と歓声が上がり、マイナは再度そっぽを向いた。


「濡れないことがわかっててやったんですぅー。あなたが化け物級の魔法バカだってことくらい百も承知なのでっ!」

「そう怒るなよ」

「ごめんなさいね。何だかんだ言って、あなたに一番憧れているのはあの子ですから」


 そんなことを言いながら、メノイノはコーウェンへと最高級の酒を手渡した。

 コーウェンはそれを「ありがとうございます」と受け取ると、再度こちらへと顔を向ける。


「……マイナ。お前は俺の戦闘が見たいのか、それとも一緒に旅をしたいのか、どっちだ?」

「なっ、そんなの戦闘を見たいの方に決まってるでしょ!」

「だったらまた今度見せてやるよ。とっておきの本気バトルだ」


 予想していなかったそんな発言に、マイナは途端に酔いが醒め行くのを感じた。

「本当に!?」と立ち上がり問うマイナに、コーウェンは首を縦に振った。


「だから機嫌を直せ」

「うん直す! 直します! んーやったー!」


 単純な子だ、と小さく笑いながらコーウェンはグラスを仰ぐ。そして、鼻に抜けるアルコールの刺激を感じつつ、小さな溜め息を吐いた。

 コーウェンはそんな自分を嘲る。

 この十四年間で様々な名声を手にして来た。グリムガム解体の立役者として功績を上げ、九歳の時には既に次代の魔導師としてその立場を約束され、二十歳を迎えた日に正式に任命された。世間は彼をこう呼ぶ。――『史上最強の魔法使い』と。

 だが、コーウェンが追い求めていたのはこんなものではなかった。

 その時、震える右手から持っていたジョッキが滑り落ちた。ジョッキ自体は木製のため割れるようなことはなかったが、中に入っていた高級な酒は無事では済まなかった。


「あーあー、もぉー、魔導師様はおっちょこちょいなんだからー」


 そんなふうに調子の良いことを言いながらこぼれた酒の処理を手伝ってくれるマイナへと礼を告げながらも、足下へとしゃがみ込んだコーウェンの顔に苦悶の影が差す。

 ――くそっ……。

 そんな小さな呟きは誰の耳に入ることもなく、虚空へと溶け込んだ。




 ◆◇




 酔いつぶれたマイナをメノイノと共に介抱した日から四日が経ったこの日、コーウェンは一人で馬車に乗り、リグルドを目指していた。今日で旅も三日目なため、そろそろ到着する頃合いだろう。周囲の景色も懐かしいものへと変わって来ていた。

 アーヤが死に、コーウェンが初めて人を殺したあの日からの十四年で、コーウェンを取り巻く環境も大きく変化した。

 魔導師となり王城内へと住処を移したことや、単純に魔法を極めるための訓練しかしていなかった以前とは違い、魔法を使用した戦闘術や護身術の訓練なんかをエルフの国の特群に混ざり教わったりもした。より小さな変化を挙げればきりがない。こうやって馬車を操れるようになったのだってそうだ。

 周りの人間にも変化があった。

 今から八年前――コーウェンが十五歳になる年に、当時三十六歳だったアメリアが病床に伏せた。幸い大した病気ではなかったそうで、今ではすっかりと元気を取り戻している。

 そしてそれと同じ年、すっかりと人間らしく成長したアイズがディスタート家を訪ねて来た。髪色の変化は予想していたために驚かなかったが、その時に聞いた、リグルドへと辿り着くまでの苦難には驚くと同時に感動もした。それと、太陽光を浴びたために彼の吸血鬼としての部分は消え失せ、備え持った筋力はそのままだったが、寿命の長さや傷の再生力は人間と変わらなくなったそうだ。その後は自立のためだと言い、王都へと拠点を移した。今はコーウェンの補佐として共に王城内に住んでいる。

 ディーアとネイルについてはそれほど変わりがない。

 ディーアは今も冒険者として活動をしており、ネイルはコーウェンと共に少しの冒険者生活を経て、今ではシルバと二人でレイジェルド家を守っている。二人とも未婚だが、人間より長命な彼女たちに変な焦りはないようだ。

 そしてマイナの存在だが、ファウリッドの例を考慮して、次の魔導師として可能性のある人物を身内――信頼の置ける人間で固めておきたいという理由があり、弟子として迎え入れた。ディーアとネイル、そして保険にもう一人ほど候補に相応しい人間が欲しいという考えで、コーウェンの下で魔法の英才教育を受けさせている。彼女自身両親のコネで受け入れられたと思い込んでいるようだが、コーウェンがその才能に惚れこんだというのが実際のところだった。


 そうやって周囲の変化を懐かしみながら馬車を進めていると、遠くにリグルドの西門が小さくその姿を現した。

 かつてファウリッドと戦った地点を越え、コーウェンは二年ぶりのリグルドへと帰還する。




 ◆◇




 何の便りもなしに突然帰省したコーウェンを、ディスタート家の人間は快く受け入れてくれた。何年経っても変わらない家族の温かさに涙すら出そうになる。

 そんなことを考えながらメリファに連れられ食堂の一角に腰かけると、向かい合うようにコール、アメリア、メリファの三人が座り、口々にコーウェンとの再会を喜んだ。


「それにしても本当によく帰って来てくれたわ。……だけど、突然どうしたの?」

「まあ、特にどうってわけでもないんだけどさ。ちょっと長めの旅に出ようと思うから、その前にみんなの顔を見ておこうと思ってね」

「そっか。結婚の報告にでも来たのかと思ったわ。少し残念ね」


 そんな冗談を言い上品に笑うアメリアへと、コーウェンは「まだ俺には早いよ」と微笑み返す。


「そうかしら? 私がウェンを生んだの、今のあなたと同じ二十二歳の時よ?」

「……そうだね。メリファが結婚したら俺も結婚するよ」

「え、私ですか?」


 突然話を振られたメリファが自分を指差し狼狽える。


「わ、私には……結婚の予定はありません。もうおばさんですし……」

「いやいや、綺麗だから大丈夫だって」


 メリファは現在四十一歳、今年で四十二歳を迎える。だが相変わらずの美形で見た目年齢も若く、公の場に出れば言い寄る男も多いだろう。年齢を理由に恋愛を諦めるのは、少しもったいなく感じられた。

 だがそんなコーウェンの発言が皮肉に聞こえたようで、メリファは可愛らしく口を尖らせた。


「もう……。そもそも、コーウェン様を間近で見て来た私を振り向かせるなんて、並大抵の男性には不可能です」

「あはは、そっか。普通に嬉しいよ。ありがとう」

「はいっ。私はディスタート家の皆様と共に生きられたらそれで幸せですので」


 そう言い懐かしのニコニコ顔を浮かべるメリファに、コーウェンは小さくない罪悪感を自覚する。

 ――ごめんね、みんな。

 実は、コーウェンが突然こうやって家族に会いに来たのには、別れを惜しむ意味合いもあった。より具体的に言えば、今度の旅を最後に生きて帰ってくることはない、ということだ。

 コーウェンはのしかかる暗澹なる思いを努めて振り払うと、再度みんなへ笑顔を向けた。


「……とにかく、みんな元気そうでよかった。安心して旅立てるよ」


 そう言うコーウェンに対し、口を開いたのはコールだった。


「なんだ、そんなに長期の予定なのか?」

「うん、まあね」

「そうか……。寂しくなるが、まあ、お前なら大丈夫だろう。それで? いつ出発するんだ?」

「旅立つのはもう少し先だけど、色々と準備が必要だし、明日にはリグルドを発つよ」

「えー、せっかく帰って来たのに、もう行っちゃうの? 偉くなると忙しいのね」


「少しは父親を見習ったらどう?」と続けるアメリアに、コーウェンとメリファが思わず吹き出した。確かに、コールは昔から年がら年中暇を持て余していた男だ。


「おい、俺が暇なのは血の滲むような努力があってこそだぞ。お前こそやってることと言えば、メリファの家事の三十パーセントほどを手伝うだけじゃないか」

「あら、私が自由を謳歌していられるのも、必死の努力があってこそよ? あなたを振り向かせるのにどれだけ苦労したと思ってるの?」

「何を言う。あんなのは最初から出来レースだっただろ? 俺は最初からお前のことをだな――」

「――待って、聞きたくないって」


 話の流れで親の馴れ初め話を聞かされそうになったコーウェンは、微笑ましい表情を浮かべつつも二人の会話を遮った。喧嘩になるよりはこうやっていつまでも仲良くしていてもらう方が良いが――まあ、あまり聞きたい話ではない。

 そんな思いからコーウェンは話題を変える。


「そうだメリファ。実は昼食がまだでさ、久しぶりに手料理食べさせてくれない?」

「あ、はいっ、喜んで!」

「あ、じゃあ私も手伝うわ」


 そうやって席を立ち厨房へと向かう二人の背中を、コーウェンは視線で追った。

 コーウェンが冒険者としてリグルドを離れたのが九歳の時。アーヤを失ったショックからようやく立ち直ったコーウェンが、気持ちを新たにするために自ずと選んだ道だった。それからも当然ながら、幾度となくこの家へと帰って来てはいたが、やはり実家を離れたために、家族全員が同じ屋根の下で生活を送る光景がコーウェンにとっては過去のものとなってしまっている。

 だからこそ、コーウェンはこの幸せを噛み締める。全てを動画として覚え込むかのように、徹底的に脳へと刻み込むのだ。

 そうやって、独眼となってしまったカメラレンズを精一杯に機能させながら、彼は目の前の懐かしき温かみを記録し続けた。

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