47 絶対の誓い
リグルドの衛兵たちの間では、有事の際に町の守護を任されているコールへと迅速な報告を済ませるため、リグルド独自の行動マニュアルが作成されている。
そのためコーウェンが想像していたよりもずっと早い段階で大華炎の襲撃を察知していたコールは、現在リグルドの町中を全速力で駆けていた。
「ウェン、無事でいてくれよ……」
揺れる視界の中で、神に祈るかのように呟く。
報告では、現れた大華炎は二人とのこと。コーウェンは現在交戦中という情報だって入っている。これは非常に不味い。さすがのコーウェンと言えど、大華炎を二人も相手取るのは危険だ。
「くそっ……! 一体どういう状況なんだ……」
吐き捨てられるその言葉が、夕暮れの町中へと響き渡る。
そもそも、大華炎が町中で戦闘を繰り広げるなど前代未聞だ。どのような思惑があってそのような行動を起こしたのか、コールには到底理解できなかった。
だからこそ、考えるのを止める。
襲撃者がグリムガムの遣いだということは、本来ならレイジェルド家の人間の下へと駆けつける必要がある。だがシルバはこうなることをどこかで予測していたため、同じく十二英傑のゼファー・トルークを身近に置いており、ネイルについてはコールとシルバの手によって姿を隠すことに成功しているため、心配は要らない。
今はただ、コーウェンの下へと駆けつけることだけを意識すればいいのだ。
激しい息切れに伴い、大粒の汗が首筋を流れ落ちた。
やがて、止まることなく走り続けるコールの前方に、リグルド唯一の学校がその姿を現した。
――そろそろだ。
コールはようやくその場に足を止めると、膝に手を突き呼吸を整える。
そのまま目を閉じ、記憶を探る。この辺りの地理と衛兵からの報告とを照らし合わせ、導き出した地点へと意識を集中する。
やがて、目を開けたコールの視線が一つの方向を捉えた。
導き出した方角からは、案の定人の気配がした。そのことから目的地を確信したコールは、弾かれるように移動を再開する。
やがて、コールは目的地である裏路地へと辿り着いた。
普段から人通りの少ないその路地には、大勢の衛兵と、少数の野次馬の姿でごった返していた。
――嫌な予感がする。
衛兵たちに慌てた様子が見られないこと、少数とは言え一般人の野次馬がいることから、戦闘は終わったものだと推測できる。
コールの姿を確認しては頭を下げる者たちを無視し、押し退け、人だかりの中央へと急いだ。
コーウェンの無事を祈りつつ、いつでも戦えるように剣への意識も忘れず、コールは進んだ。そしてコールは、血溜まりの中央で蹲るコーウェンの姿を発見した。
集まった人たちは、必要以上にコーウェンに近づかないようにしているようだ。そこには、コールが割り込むのに十分すぎるほどの空間ができている。
眼前に広がる光景に、コールの心中を大きな不安が染め上げた。
「ウェン……」
その呟きに、蹲るコーウェンの背中がピクリと反応した。
とりあえずは生きているようだ。そのことに小さくない安心感を抱きつつ、コールはコーウェンの下へと駆け寄った。
そして――近付いてから、初めて気が付いた。
「あぁっ……まさか……」
そこでは、コーウェンの背中によって隠れていた血溜まりの主が、力なく四肢を投げ出していた。コーウェンと同じくらいの子供だ。見慣れた綺麗な髪が、束になって血溜まりの上に散っている。――そしてその身体には、頭部が見られない。
絶句するコールの声に反応し、コーウェンの背中が震えだした。やがて嗚咽を堪える悲痛な声が路地へと響き、集まっていた人たちに会話を止めさせる。
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。
やがて背後の父親を振り返ったコーウェンの目は、涙によって赤く腫れていた。そしてその胸には、アーヤ・メイルリーという女の子の頭部が大切そうに抱かれていた――。
◆◇
コーウェンは、ふと考えたことがあった。
――魔法はどこに消えるのだろう、と。
水魔法で石畳を濡らすと、その水はやがて蒸発する。
火魔法で本を燃やすと、その炎はやがて塵だけを残して消える。
だからこそ、新たな疑問が生まれた。
――発動された魔法はどこからやってくるのだろう、と。
水魔法で喉を潤すことは可能であり、やがて時間が経てば尿となり排泄される。これは、魔法で発動された水が消滅することはない、という証拠である。だがそれは、この星に存在する元々の水分量が増加することになるのではないか、という疑問を生み出した。
地球では、地球上に存在する水の絶対量は変わらず、それらは地球上を循環することによって保たれていると教わった。――その説が通用しないということになるのだ。
そこでコーウェンは、とある仮説を打ち立てた。
――魔法によって発動された水は、どこかから“転移してきた”ものなのではないか、と。
この世界のどこかから少しずつ掻き集められた水が、魔力へと投影され発動者の下へと現れる、という仮説だ。当然他の属性についても然り。
これならばどれだけ魔法を使おうと、この星に存在する水の絶対量に変化はなく、世界が炎で溢れかえることも、土で埋め尽くされることもない。
当然ながらこれは、コーウェンが一人で思いついただけの仮説に過ぎないため、その真偽について確信などはなかった。だがコーウェンの中では、無意識の内にその仮説が正しいもののように思えてしまっていた。謎について少しでも信憑性のある仮説が生まれたら、いつの間にかそれが正しく思えるという現象は特に珍しくもない。コーウェンもその程度の認識でしかなかった。
――時に魔法とは、発動者の精神や思考に大きな影響を受けるものである。
魔法についての印象を『精霊から借りる力のよう』と言ったネイルは、それに基づいた内容の詠唱が最も効果を感じられると発言しており、『生命エネルギーの活用のよう』と言ったディーアの魔力には、他人の体力を微量ながら回復する、という効果が見られる。
このように、その影響はとても大きなものなのだ。
だからこそ、それはコーウェンも例外ではなかった。
――コーウェン・ディスタートの特殊魔法は『転移』。
これがあの日、エルフの国にて理解することとなった、コーウェンの特殊魔法だ。魔法はどこかから転移してきたものなのではないか、という仮説に大きな影響を受けた結果、発現したものだった。
◆◇
「どうしてだっ! どうして発動しないっ!」
我を取り戻したコーウェンは、足下で絶命しているアーヤの姿を尻目に、必死に魔力を練っていた。
目的は特殊魔法の発動だ。
コーウェンの特殊魔法『転移』には、大きく分けて二つの能力が備わっている。一つは文字通りテレポートのように場所を移動することができるというもの。だがそれには、ただただ遠くへ移動できるというものだけでなく、更に強力な使い方があった。
――時間の転移。
コーウェンの圧倒的な魔法適正のおかげだろうか。この特殊魔法では、“時間を飛び越えての移動”が可能なのだ。当然ながら制限や消費魔力、発動までの時間と必要な集中力は、他よりも圧倒的に大きなものではあるが。
要はそれを使用して、過去へ飛ぼうとしているのだ。目的はもちろん、アーヤを助け出すこと。
だが――特殊魔法は発動しない。
「どうし、て……、どうしてなんだよッ!」
コーウェンは膝を突き、石畳へと拳を振り下ろした。何度も何度も、拳が血だらけになるまで振り下ろした。
だが、その悲痛さとは裏腹に、コーウェンは発動しない理由についてを理解できていた。
――たとえ特殊魔法であろうと、過去を大きく変えることはできない。
特殊魔法について理解するということは、その能力や制限、誓約、発動の仕方、その他諸々が全て頭へ入ってくるということだ。過去へ飛ぼうが未来について改変できないことなど、シルバの隠れ家にいた時から知っていた。
コーウェンに過去を変える意思が存在する限り、発動することは叶わないのだ。
「……くそ……ごめんな、アーヤ」
コーウェンは真っ赤に染まった拳を一瞥すると、ゆっくりとアーヤの死体へと視線を移した。
そこには、血溜まりの上で倒れている女の子の姿があった。それも首だけが綺麗に切断されて、だ。それは先ほど見た時と同じもの。何度見ても、彼女が起き上がることはない。
「ははっ、は……、綺麗に切断されると、あまり血が出ないって、嘘じゃないか……」
涙で滲む視界の先へと、石畳を這って移動する。
やがて、血溜まりの端へと両膝が接触した。
コーウェンは地面に着いた両手を血だらけにしつつ、アーヤの身体に触れてみる。
――温かい。
その事実が、更に涙を溢れさせる。決壊したダムのように、それは止まるところを知らない。
血の匂いには慣れたが、依然として吐き気は治まらない。コーウェンはこみ上げる不快さに耐えながら、アーヤの髪を優しく梳いた。だが、彼女が恥ずかしそうに頬を染めることはなかった。
「……アーヤ。ごめんな……本当に……」
コーウェンは力なく呟くと、アーヤの頭部を持ち上げた。
思いの外重たい。それを認識することによって、アーヤが死んだという事実が現実味を帯び始めた気がした。
コーウェンは堪らなくなって、アーヤの頭部を胸へと抱え込んだ。次第に涙だけに止まらず、嗚咽に喉が震えだした。
「うっ、うぅぅ……っ……」
コーウェンはアーヤの前で声を出して泣くのが嫌で、必死に嗚咽を堪え続けた。
「ウェン……」
心配そうに声をかけてくる大人たちを乱暴に突き返し続けて、どれくらいの時が経っただろうか。次第に近寄ってくる者たちがいなくなると、今度は自らの名を呼ぶ声が聞こえた。
父親の声だ。
コーウェンは突き返すことこそしなかったが、迎え入れることもしなかった。
足音から、コールが駆け寄ってきたことを理解する。
直後に、コールの悲痛な声が聞こえてきた。アーヤの死体に気付いたのだろう。やはり、コールの目から見ても、アーヤは確実に死んでいるようだった。
もしかしたら自分がおかしくなっているだけで、本当は誰も死んでいないのかも知れない、などという淡い期待でも抱いていたのだろうか。そんなのは幻想に過ぎないと知ると、途端に嗚咽が蘇ってきた。
また、嗚咽を抑えるのには時間がかかった。
やがてコールを振り返ったコーウェンは、アーヤの頭部を元の位置に戻し、その場に立ち上がった。
「ウェン、お前……」
こちらを見て、コールはもう一度悲痛な声を上げた。
コーウェンには、それが何に対しての声なのかがわからなかった。
切断された頭部を大切そうに抱え、血溜まりへと突っ伏し、全身をアーヤの血で真っ赤に染めたコーウェンの行動が如何に非常識で、如何に執着染みたものなのか、この時のコーウェンにはわからなかった。コールのその眼が、その声が、自らへと向けられたものだということにも、コーウェンは気付けなかった。
その後、コーウェンはコールと共に自宅へと帰った。
死体や事件への対応についてを説明されたような気もするが、記憶には残っていない。
コーウェンはただ、ずっと考えていた。
アーヤの首は、アクアスの最後の魔法によって切断された。首の皮一枚ですら残すところなく、完璧に斬られたのだ。だが、そのすぐ真後ろにいたコーウェンにダメージが及ぶことはなかった。
――どうしてだろうか?
冷静になって考えてみれば、答えは簡単に出た。
――アクアスが調整した。
あの時のアーヤは、完璧なタイミングでコーウェンの眼前へと躍り出た。アクアスが魔法を放とうとする瞬間だ。本来ならそこから魔法を調整するなど不可能だと思われるが、コーウェンの魔法を完璧に相殺するほどのアクアスには可能だったのだろう。実際に、アーヤの首だけを確実に落とし、真後ろのコーウェンに命中する寸前に魔法を消滅させたのだ。そういう力加減を、彼は敢えて行った。
――アーヤが割り込んだ瞬間、アクアスはコーウェンの目の前で彼女の首を落とすことにした。
咄嗟に、そう切り替えたのだ。
――何のために?
――何を思って?
どうでもいい。
理由など、どうでもいい。
コーウェンはただ、痛む心に誓ったのだ。
「グリムガム……。必ず、完膚なきまでに叩き潰してやる……ッ!」




