43 不穏な思惑
コーウェンたちがリグルドへと帰還してから、今日で丁度一週間が経つこととなる。
そんな中、コールは領主邸を目指して町を歩いていた。シルバから直々に屋敷へと呼ばれたのだ。コールの腰には重々しい剣が差されており、まるで戦闘に向かうかのような居出立ちだ。
コールは流れ落ちる汗を不快そうに拭うと、空を見上げた。
時刻は正午を過ぎた頃で、太陽は少しずつ空の頂上からその身を下げ始めていた。意味もなくそんなことを確認したコールは、変わらずに歩き続ける。
やがて大した時間もかからずに、コールはシルバの住む屋敷――領主邸へと辿り着いた。
ただでさえ巨大なディスタート家よりも一層と大きなその屋敷には、使用人たちを含めて十人が居を構えていると聞いたことがある。内約は不明であり、その人数が妥当なのかどうかもコールにはわからないが、間違いなく人口密度はディスタート家よりも高いだろう。
コールは特に気負うこともなく、入り口を目指し歩を進める。
二年以上前に不審者の侵入を許し令嬢――ネイルが攫われるという事件が発生したために、それ以前よりも警備は頑丈になっている。おそらくその際に増えたのであろう複数の門番たちへと会釈しつつ、コールは扉の前へと辿り着いた。
コールが扉の前へと立つと、間髪を入れずに内側から扉が開かれた。
「お待ちしておりました。コール・ディスタート様」
頭を下げながらコールを出迎えたのは、この屋敷で長年働く執事長だった。コールもよく知る人物である。
「いえ、お出迎え、感謝いたします」
そう言って恭しく頭を下げたコールへと執事長は微笑むと、シルバの待つ部屋へと先導した。
コールは帯剣していても平気なのかと首を傾げたが、執事長は剣を取り上げる素振りを見せなかったため、黙っておくことにした。
やがて、コールが連れてこられた場所は応接間だった。
濃い赤絨毯が敷かれた部屋の中央には、単純でありながらも豪奢な印象を妨げない応接セットが設置されている。二人掛けのソファが向かい合って並べられており、その奥側にシルバが座っていた。
執事長はコールの入室を確認すると、頭を下げて部屋を後にする。
「お久しぶりです。レイジェルド卿」
「久しぶりだ。すまないね、急に呼び出したりして。どうぞ、座ってほしい」
「はい、ありがとうございます」
促され、コールはシルバと向かい合う形で腰を下ろした。
――二人きりで話すのか。
シルバから領主邸へと招かれた理由を、コールはある程度予想できていた。まず間違いなく、今回の戦争についての情報共有と、今後についての話し合いといったところだろう。ディスタート家からはコーウェンが参戦しているし、コール自身、シルバの治めるリグルドの守護を国から正式に任された身である。
だが、二人きりで話すのは想定外だった。
二人きりで話せば済むような軽いことなら、ディスタート家へと遣いでも寄越せば十分だ。ならば答えは、誰にも聞かせたくない内容か、だ。
シルバは口を開いた。
「この日を迎えるのがこれほど遅くなるとは、少し予想外だった」
「いえ、お気になさらずに」
それに対し、コールは小さく微笑みながら答えた。
シルバが戦後処理など、様々な業務で手が離せないのはわかっていた。そのせいで彼らの帰還から一週間も時間を空けて、コールが召喚されることとなった。
それは、本来ならば外でコールを出迎えるのが普通な執事長でさえ、今日は中からの出迎えになってしまったことからもわかる。おそらく、直前までシルバの仕事を手伝っていたのだろう。コールは予定よりも少しだけ早くここを訪れたため、出迎えが間に合わなかったのだろうと思われる。
「ところで……今日のご用件は?」
「ああ、それなのだが」
そこでシルバは言いにくそうに言葉を切ると、自らの手元へと視線を移した。
何から話すべきか迷っているのだろう、シルバは一瞬だけ逡巡すると、「まずは……」と続ける。
「一つ、私が対立していた貴族たちが、揃って今の地位を追われた」
「は……?」
――いったいどうして?
そんな思いから素っ頓狂な声を上げるコールだったが、寸でのところで口を噤んだ。シルバの話はまだ終わっていないのだ。
コールは改めて、耳を傾ける。
「理由は追々話そう。……二つ目に、私はコーウェン君に暗殺者が仕向けられると――」
「――ちょ、ちょっと待ってください」
コールはシルバの言葉を遮ると、その場で立ち上がった。
――あの子に暗殺者が?
さすがに、そのようなことを聞かされては平静ではいられなかった。
「それは、いったいどういうことでしょうか? 暗殺者? 私は、あの子からそのようなことは聞かされていません」
「ああ、結果的に暗殺は杞憂に終わったからな。コーウェン君も話す必要はないと思ったのだろう」
「杞憂……ですか」
その発言に心の鎮静を感じつつ、コールはおもむろに腰を下ろした。
「ああ、杞憂だった。私は暗殺者の存在を危惧しゼファー君を彼の護衛に付かせたのだが、結果的には何も起こらなかった。だが、その正体が正体だから、君にも知っておいてもらう必要があったのだ」
「……そう、でしたか。それで、その正体とは?」
発現を促されたシルバは、その表情をより一層神妙なものへと変えた。
「……我々が当初予想していたその組織は『グリムガム』だ」
「グリムガム……。そうか、だから貴族たちが……」
呟くように考え込むコールを見て、シルバは満足そうに頷いた。
「さすがだな、コール君。理解してくれたようだ」
「はい、貴族たちが地位を追われたということは……」
「ああ、そうだ。暗殺こそ杞憂に終わったが、グリムガムは確実に動いていた。その証拠に、ネイルがグリムガムの戦闘集団『大華炎』に攫われるという事件が起きた」
その事件については、コーウェンからも聞いていた。
貴族たちが地位を追われたということは、当然ながら彼らが何かしらの悪事を働いたということなのだが、まさかそんな形で事件に繋がるとは思ってもいなかった。
その後も、コールはシルバから様々な情報を受け取った。彼曰く、自分の知ることを全て話したとのことだ。
コールは頭の中で話を整理しつつ、全容を思い浮かべる。
おそらく、筋書きはこうだろう。
シルバと敵対する貴族たちが、グリムガムを動かしてコーウェン暗殺を目論んだ。これを予測したシルバは、どうしても参戦するというコーウェンに対してゼファーを護衛に付かせた。
だが、経緯や原因はわからないまま暗殺は杞憂に終わった。その代わりに、大華炎を名乗る者にネイルが攫われた。だが助け出したコーウェンとディーア曰く、誘拐犯はあっさりとネイルを手放したと言う。これについても、理由や目的は不明。
だが、その事件がきっかけとなり、貴族たちの暗躍が明らかとなった。そのことからも、やはり貴族たちがグリムガムを動かしていたのは確実だと思われるのだが――。
「貴族たちがわざわざグリムガムを使ってまで、ご令嬢を攫わせる理由がない」
そうなのだ。
貴族たちが、グリムガムへとコーウェン暗殺を依頼するのは理解できる。だが、そうはならなかった。実際にはネイルを攫うだけ攫って、助け出しにきたコーウェンたちへとあっさりと身柄を返却しただけだ。それも、自らの正体を敢えて『大華炎』だと宣言する、という愚行の果てに。
貴族たちがグリムガムにそのような依頼を出すことに、何かメリットがあるのだろうか?
答えは否だ。実際、それが原因で彼らはその地位を追われている。
だったら、考えられるのは一つだ。
コールの心中を悟ってか、それを答えたのはシルバだった。
「――『グリムガム』の独断行動、だな」
「はい、私もそうだと思います。少なくとも、その行動は貴族たちの意に反したものでしょう」
それも、貴族たちの依頼を受けてからの、だ。わざわざ依頼を受けてから、グリムガムは独断行動を起こしたことになる。
当然、依頼を受けてから独断行動をする必要が生じたのか、元々独断行動をするつもりで依頼を受けたのかはわからない。彼らがネイルの行動をどの段階で察知していたのか、それともネイルの行動自体が彼らに何かの影響を与えたのか、それについてが不明だからだ。
そして、もしグリムガムにとってその行動が予定通りのものなのだとしても、やはり目的は不明だ。
その行動の結果は、貴族たちが地位を失っただけであり、それ以上でもそれ以下でもない。グリムガムにとっては大切な顧客をまとめて失脚させたことになり、むしろデメリットしかないように思える。そのような現状がある今だからこそ、全てが謎に包まれているとしか言いようがなかった。
「まあ、それについては追々考えることにしよう。現状の調査状況では、どちらにしろ結論は出せないからな」
シルバはそう言うと、おもむろに体勢を整えた。
そして、「実はここからが本題なんだ」と続けた。
「今日私が君を呼んだのは、当然今の話をするためでもあるのだが……。悲しいことに、私の周りで信用できる者は多くないのだ」
「……どういう意味ですか?」
「……これはただの勘だが、この事件の調査には大きな危険が伴うことだろう。実際に動くのは衛兵たちだが、その矛先は我々に向く。やはり、ただの勘だがな」
シルバはそう言うと、覚悟を決めたかのように重々しく続けた。
――「ネイルを、秘密裏に匿っていてほしい」
その後、シルバの説明を受けたコールは、その願いを承諾することとなった。
シルバ曰く、彼の周りで信頼できるのは古くから彼に仕えてきた部下数名と、執事長しか存在しないらしい。これは究極まで慎重を期した場合の判断なのだが、シルバが今回の事件に感じている不穏さを、嫌というほどコールは思い知ることとなった。
――それほどの何かが、現在発生しているということなのか。
シルバは、それについてはただの勘だとしか言わなかった。
やがて、応接間の扉が外から開かれる。
そこには執事長に手を引かれたネイルが、黒いローブを着込み、悲しそうに立ち尽くしていた。
コールがそんなネイルを連れて外へと出た時には、門番を務めていた兵士たちが一人残らずいなくなっていた。おそらく、シルバの指示で執事長が人払いをしたのだろう。ネイルを秘密裏に匿うという言葉の意味を、コールはようやく理解できたような気がした。
――それほど、危険なんだ。
ネイルを巻き込みたくない、それだけの理由であり、なおかつそれほどの理由があって、シルバはコールを屋敷へと招いたのだ。どこに危険が潜んでいるのかわからないからこそ、帯剣ですら許された。
コールは、実体を持たない不穏な空気をようやく感じ取ることができた。
――我々の敵は、グリムガム。
世界で最も発展していると言われるアルトリコ王国の、裏社会を牛耳る正真正銘の大敵だ。
その戦力は測り知れない。
ただでさえ構成員不明の大組織にもかかわらず、全員が十二英傑と同等だと言われている大華炎が六人も存在するのだから。
それも、肩書だけで十二英傑として統一されている自分たちとは違う。十二英傑とは所詮、全体を見て十二人存在するというだけだ。一つの戦力として存在するのではなく、各々がバラバラに生活を送っている。だが大華炎は、一つの組織、一つの統率下に集っているのだ。
シルバは、グリムガムの矛先が既に我々を捉えているという可能性を示唆してきた。理由や目的はどうあれ、それはネイルを襲ったことからも想像に難くない。
そして、もう一つ。
グリムガムたちの眼には、コーウェン・ディスタートという幼き天才がどのように映っているかがわからない、という懸念がある。グリムガムがコーウェン暗殺に動き出すことはなかったため、少しは安心できるが、それが逆に不穏さを感じさせるのだ。
それらがあるからこそ、思考を止めるわけにはいかない、とシルバはそう言っていた。
――ならば、コーウェンにも全てを話すべきだ。
今まではどこか、彼を子ども扱いをしてきた節がある。事実子供なのだから仕方ないが、それでもコーウェンは最強の戦力と言えるほどの存在だ。
コールはそんな決意を胸に、家路を歩いた。
微かに震える、ネイルの掌を握りしめ。




