40 確かな絆
コーウェンは小さな身体を布団に包めて、縮まるように眠っていた。
馬車の中からこちらを見ていたコーウェンに気付いた次の日、アーヤは朝早くにディスタート家を訪れていた。
コーウェンだけではなく、どういうわけかネイルまでもがエルフの国へ赴いたと聞いて、暇を持て余していたアーヤはよくメリファに会いにここを訪れていた。だが、今日を合わせると三日連続でやってきたことになり、さすがにそれは初めてのことだった。メリファはアーヤにとって精神的な年齢が最も近い身近な女性であったため、親しみやすさを感じていた。だがメリファには仕事があるため、あまり迷惑をかけないようにしていたのだ。
だからこそ、この日はディスタート家を訪れるのは遠慮するつもりだったのだが、コーウェンが帰ってきたとなれば話は別だった。
「やっぱり疲れてるのかな……?」
メリファにコーウェンの自室前へと通されたアーヤは、室内を覗き込みながらそう呟いた。
聞けば、エルフの国とやらはここからかなり遠い地にあり、片道で約半月もかかる距離だと言う。前世から様々な身体能力を引き継いだコーウェンとは言え、帰宅の翌日となればさすがに怠さも残っているだろう。
昨夜見たコーウェンは、頭に布のようなものを巻いていた。おそらくは、どこかを怪我したのだろう。それについての心配だってある。
「アーヤ様……? 入らないのですか?」
問いかけてきたのは、部屋の前へとアーヤを案内したメリファだ。ディスタート家の中はおおよそ把握しているアーヤだが、それに関係なくメリファは来訪者へと付き従うらしい。
「うん……。やっぱり、今は止めとこうかな……」
その返答には、少しよそよそしさが含まれていた。
たった二カ月ほどとは言え、ずっと会っていなかったのだ。そんな相手が疲れている中、睡眠の邪魔をしてまで部屋へと上がり込むのは、少しばかり厚かましいように思える。
せめて起きるのを待っていよう、と心に決めたアーヤは、小さく開かれていた扉をゆっくりと閉めた。
そのままメリファを振り返り、部屋を後にする。
「――メリファ? 誰かいるの?」
だが直後に、部屋の中からそんな声が聞こえてきた。
少し眠気を孕んだ、間延びした声だ。そして同時に、アーヤのよく知るコーウェンの声でもあった。
途端に、アーヤの表情へと明るみが差した。
「はい、メリファでございます。ただ今お開けますね」
コーウェンへとそう返答したメリファは、アーヤへと微笑んだ。
アーヤも、メリファへと微笑み返す。
メリファにとっての一番はコーウェンだ。だったら、二番はアーヤだろう。そう思わせるほど可愛らしいその笑顔に、しかしメリファは不安を覚える。アーヤには、コーウェンの左目のことを伝えていない。昨夜の自分たちと同じように、悲痛な表情を浮かべることは目に見えているからだ。
対応は、コーウェンに任せるしかない。
彼はとても賢く、優しい人間だ。だからこそ任せられるし、任せるしかないのだ。
メリファはいつも通りに木製の扉を開き、中へと入った。
「おはようございます、コーウェン様」
「うん、おはようメリファ」
布団を被ったままではあるが、先ほどとは違いコーウェンは上体を起こしていた。
久しぶりに繰り広げられたいつも通りのやり取りに、コーウェンの表情は和らいだようにも見える。
そうやって挨拶を返したコーウェンの視線は、ふとメリファの斜め後ろにくっ付いていたアーヤへと向けられた。
「何だ、来てたのか」
「うん……。久しぶり、だね」
「ああ、久しぶり。会いたかった」
「……うん、私も」
やはり、二人の間にはよそよそしさがあった。だがそれは、先ほどまでアーヤが抱いていた不安から来るものではなく、単純な照れによるものだった。
そんな微笑ましい二人に安心しながら、メリファはコーウェンへと歩み寄った。
「布……交換いたしますね」
「うん、お願い」
メリファは、アーヤとコーウェンとの間に座り込み、背中でアーヤの視線を遮った。
昨夜、シルバたち一行と別れる間際に最後の布交換を行ったと聞いたため、メリファがそれを外すのは初めてだ。だが、食堂での会話の流れで中身は見せてもらっていたため、左目がどうなっているのかは知っている。
あれは……アーヤには見せられない。
「左目、怪我してるの?」
「まあな。だけど、アーヤが心配することはない」
「そっか……。でも、大きな怪我じゃないよね?」
その質問に、コーウェンは答えなかった。
それについてはアーヤも追及することはなかったが、メリファは背中越しに、彼女の不安をひしひしと感じ取っていた。
少し、沈黙が訪れる。
やがて清潔な布へと交換し終えたメリファは、立ち上がった。
「ではアーヤ様、ごゆっくりどうぞ」
「うん、ありがと……」
メリファは「何かございましたら、遠慮なくお申し付けください」と言い残すと、二人へと頭を下げて部屋を出て行った。
メリファの退室を確認したコーウェンは、口を開いた。
「アーヤ、どこかに座ったらどうだ?」
「うん、そうするね」
コーウェンに促され、アーヤはキョロキョロと視線を彷徨わせた。近くの椅子やコーウェンのベッドを行き来しているようだ。
――座る場所を探しているのか?
コーウェンの自室には、多くはないまでもしっかりと椅子は存在する。だったら、どれに座るか迷っているのだろうか。彼女はなかなか座ろうとはしない。
やがてアーヤは、決心したかのように眉を寄せると、コーウェンと隣り合うような形でベッドへと座り込んだ。
「……何してんだ?」
「……何が?」
たまらず、コーウェンは問いかけた。
だが当のアーヤは、その行動が当たり前のことだと言わんばかりに、首を傾げた。
無理をしているのは一目瞭然だった。彼女の強がりは全てが不自然であり、ぎこちない。にもかかわらず無理矢理平常を装っているその姿に、コーウェンは小さく吹き出した。
「あっ! 何笑ってるのっ」
「ははっ、ごめん。お前ってそんなに子供だったっけ?」
「もうっ、私たちはまだ子供でしょ!」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
自らの行動に指摘を受けたアーヤは、恥ずかしそうに取り乱した。そんな姿が余計に可愛らしく思え、コーウェンはなおも肩を震わせる。
「もう……。笑うなぁ」
アーヤは最後にそう言うと、耐えきれないかのように布団へと顔を埋めた。顔を押し付けられたことにより布団がたわみ、アーヤが隣にいるんだという実感が強くなった気がした。
少しの間、そのまま無言の時間が流れる。
やがて落ち着きだしたのか、アーヤは布団から顔を離した。見ると、その顔は少し神妙なものへと変わっていた。
「ねえお兄ちゃん。本当に、大した怪我じゃないの……?」
突然、アーヤはそんなことを聞いてきた。
アーヤが言っているのは左目のことだろう。コーウェンは少し迷った後、頷いた。
「……もちろん」
「そっか。お兄ちゃんが嘘を吐くってことは、やっぱり大きな怪我なんだね」
アーヤは全てを悟ったように、そう断言した。
どれだけの怪我を想定しているのかは不明だが、その顔はやはりやるせない思いを抱いているように見えた。
コーウェンはそれを否定することはなく、虚空へと視線を彷徨えた。
やがて、口を開く。
「なあアーヤ。世界には不思議がいっぱいだな」
「ん……?」
突然変わった話に、アーヤは怪訝な表情を浮かべた。
だが、コーウェンはそんなアーヤには構わず、話を続ける。
「日本で育った俺たちが、死んでからこの世界で生まれ変わった。……いや、悪い。アーヤは死んでないんだったな。まあ、それはいいや。……それで、俺たちは向こうで出会うはずだったけど、結果的にはこっちで出会った」
「うん……だね」
「ああ。それに、この世界には魔法や魔物、エルフやダークエルフなんてものも存在する。まるでファンタジー世界だ。だけど、太陽や月もあり、基本的な部分は地球と変わらない」
「……確かに、考えてみれば凄いよね。色々と混乱とかあって、そんな風に考えたのは初めてかも」
どうやら、アーヤも素直に話に加わることを選んだようだ。
顎に人差し指を添えながら、可愛らしく首を捻っている。
「……突然だけどさ、俺はかつて、宇宙人説には反対だったんだ。宇宙人の存在を示唆して、SFチックな内容を楽しむのは自由だけど、本当に存在するか? と問われたら、存在しないと答えていただろう」
「……私は存在する派だった。宇宙は広いんだから、どこかに存在するかも知れないって」
「いや、俺もそれは否定しないけどさ。テレビで見るイカのような宇宙人とか、楕円形の頭をした短足のやつとか、あんなのはいないと思うよ」
「え、どうして……?」
「だって、他の星に生物が存在するとしても、そこは地球とは何もかも条件が違うだろ? 気候や大気、太陽までの距離に磁場の条件とか、諸々と。だからさ、もし生物が存在するとしても、地球のものとは全く別の進化を遂げているはずだ。人型とかまず考えられない。もっと言えば、地球人がそれを『生物』と認識することでさえ不可能かもしれない。ガス状だとか液状だとか、もしくは光を吸収・反射しない存在で、目にすることだってできるとは限らない」
「ああ……」
アーヤは神妙に、頻りに頷いている。
本当に理解しているのかコーウェンにはわからなかったが、構わず続ける。
「まあ、そんなこんなで、俺は宇宙人の存在にはあまり賛成できなかった。だけど――」
コーウェンは言葉を止めると、アーヤの顔を見た。
視線に気付いたアーヤは、照れ臭そうに微笑んだ。
「うん、わかるよ。――だけどこんな世界が存在した……でしょ?」
「ああ、そうだ」
宇宙人は存在しないと思っていた。そんなコーウェンが、今や異世界人として生活を送っているのだ。それも魔法を行使し、魔物と戦うという経験さえした。その姿こそ普通の人間として、だ。
「俺はこの世界へやって来て、ことごとく常識を覆されたよ。アーヤにもわかると思うけれど、凄く混乱した。帰りたいと思ったし、大好きな家族に囲まれていても、時々孤独を感じたりすることだってあった。……時間が経つに連れ、地球で過ごした時間は、全てが夢だったのではないかとさえ思うようになった。だってそうだろ? 地球を、日本を、秋谷隼人を知る人物は、この世界には存在しない。存在した痕跡すらないんだ」
「うん……全く同じ。私もそうだった」
現実離れな現象を体験すればするほど、孤独感や虚無感、そして以前までの自分を見失うという喪失感は大きくなる。それはアーヤも経験し、そして知ったことだった。
それを現実主義のコーウェンが体験したのだ。心の葛藤がいかに大きなものだったのかは、想像に難くない。
当然ながら今も葛藤はあるだろう。だが、同じ体験をしたアーヤにはわかった。
――あの日、救われることとなった。
アーヤは日本人としての存在を肯定してくれる人物を知り、そして救われたのだ。心が物理的に軽くなったような、何かの呪縛から解き放たれたかのような、形容し難い喜びに包み込まれた。
そしてそれは、コーウェンも同じだ。
「……だけど、アーヤがいてくれた」
「うん……」
アーヤには、コーウェンの言おうとしていることが理解できた。
その頃には、二人の間にはよそよそしさなど存在しなかった。アーヤは自然に、隣り合うコーウェンの肩へと頭を預けた。
最初に伝わってきたのは、コーウェンの温かさだった。そして呼吸音はおろか、聴力の上昇したアーヤには心拍音だって聞こえてくる。ドクドク、と一定間隔に刻まれるのは、コーウェンの生きている証だ。
アーヤはその音を聞きながら、コーウェンの言葉を待った
「……なあアーヤ。一緒にいてくれてありがとう。お前のおかげで、俺は自己を失わないで済むんだ」
それはやはり、アーヤも同じだった。
だからアーヤは、満面の笑みで答えることにした。
「――どういたしまして。それと、私からもありがとう」
前世で二人は家族となるはずだった。だが、その瞬間が訪れることはなかった。
二人はお互いの前世を知らないが、関係なかった。今この場に存在する者同士、時間を共有することで人となりは把握できる。そしてそれ以上に、地球という異世界についてを共有できる。なぜなら、それに必要な条件は既に整っているのだから。
――二人の前世は、日本人だ。
それがコーウェンとアーヤとの間を、これ以上ないほどに強く繋ぎ留めている。
そしてそこには、確かな『絆』があった。
◆◇
気持ちの良い微睡みの中、視界が明るく照らされていることに気付いた。
――おそらく太陽光だろう。
眩しい光を広げた掌で遮りながら、目を覚ましたディーアはそのまま布団の中で小さく伸びをした。
久しぶりにベッドで寝たからか、身体の調子は良い。そんなことを確認しながら、ベッドから身体を這い出した。
まだ完全には覚醒し切っていない頭で、旅の支度を始める。
ディーアは今日の早朝には、リグルドを出るつもりでいた。
決まった土地に長時間滞在していると、次に旅を始めるには少しばかりの覚悟ときっかけが必要になってくる。このままゆっくりとしていたい、という精神的な部分からくる弱音なのだが、これが中々に厄介なのはディーアも理解している。少し慌ただしいくらいの方が良いだろう。
簡単に寝癖を直し、服を着替えたディーアは、昨日から床に置きっ放しの荷物を肩へと担ぎ、家主を目指し部屋を出た。
「あら、もう出て行かれるのですか?」
廊下へと出たところで、ふいにそんな声がかけられた。
声の主はメリファだ。おそらく掃除でもしていたのだろう。その両手は、掃除用具一式で飽和状態になっている。
朝早くから仕事をこなすメリファに感心しつつ、ディーアは口を開いた。
「ああ、色々と事情があってな」
「そうですか……それは残念です。コーウェン様へのご挨拶はお済みですか?」
「いや――」
ディーアは否定しつつ、苦笑いを浮かべた。
「あの子には黙って出て行くつもりだ」
精神的な弱音が旅立ちを邪魔するというのは、コーウェンと話すことでも起こり得ることだ。半年以上も共に行動してきたのだから尚更だ。
できるだけ短時間でリグルドへと帰ってくるつもりだから、黙って出て行こうが問題はないだろう。彼へと告げたい想いや感謝は、昨日までに十分すぎるくらい伝えておいた。
そんな気持ちを察してくれたのだろう、メリファは複雑そうに微笑んだ。
「わかりました。では、食堂にいらしてください。コール様とアメリア様がおられます」
「ああ、了解した。ありがとう」
ディーアの感謝の言葉を聞き届けたメリファは、頭を下げてその場を去った。
残されたディーアは、メリファの言葉に従い食堂を目指した。
やがて食堂へと辿り着いた彼女は、そこで談笑していたコールとアメリアへと挨拶を済ませ、ディスタート家を後にする。
玄関を出たディーアは、おもむろに背後を振り返った。そこには当然、来た時と同様に巨大な屋敷が堂々と居を構えている。
――ウェンの部屋はどの辺りだったか。
特に理由もなく、ディーアはおもむろにコーウェンの部屋へと通じる窓を探し始めた。
コーウェンの部屋には二方向に窓があり、片方はこちら側へと設置されていると記憶している。だから当然、視界には入っているはずなのだが――
「ダメだ。わからない」
そう呟いたディーアの視線の先には、複数の窓が並んでいた。
本物の屋敷と比べると若干小さめなのは否めないが、それでもディスタート家が巨大なのは間違いなく、ここの住人ではないディーアにはどれがコーウェンの部屋へと通じる窓なのかがわからなかった。
(まあいいか。いつまでも感傷に浸っていては意味がない)
そうだ。黙って出て行くと決めたのは、他ならぬディーア自身だ。
ディーアは自らの弱さを胸の内で嘲笑しながら、前へと向き直った。
そして一歩を踏み出そうとしたその時――
「ディーアさんっ!」
――そんな、自らを呼ぶ声が背後から届けられた。
弾かれるように背後を振り返ると、二階の中央からやや東側に設置された窓から、声の主――コーウェンが顔を覗かせていた。
コーウェンはディーアが振り返ると同時に、手を大きく振り出した。
不意なできごとに面喰いながら、ディーアも控えめに手を振り返す。
それを確認したコーウェンは、満足したように微笑むと、顔を引っ込めた。
そこで、ふとディーアは自らの誤りに気付いた。
――コーウェンと話せば、心が弱くなる?
違った。
全くの逆だった。
ディーアは、心の中に新鮮な空気が入り込んでくるのを感じた。錯覚だと言われると否定はできないが、今の彼女には関係のないことだ。
「よし、行くか!」
全身に満ち行く不思議なエネルギーを感じつつ、今度こそディーアは一歩を踏み出した。




