38 最終日
どれくらいの時間が経っただろうか。
ディーアが部屋から去り一人きりになったコーウェンは、レベルの言葉に従いゆっくりと身体を休めていた。
とは言え、コーウェンは体調不良を患っているわけではなく、怪我をしているのだ。安静にしておいた方がいいと言うのは理解できるが、無理さえしなければ動くにも支障がないように思える。
そうやって心の内で言い訳をしつつ、暇を持て余していたコーウェンは立ち上がった。左目を気遣いながら、そのまま部屋を出る。
特に変哲のない短い廊下を歩くと、やがてリビングとして設計されたのであろう部屋へと辿り着いた。以前にコーウェンが訪ねた時に、真っ直ぐ誘われた部屋でもある。
決して広くはないその部屋の中央では、レベルとシルバ、そして彼の部下に当たるのであろう人物とが、合計六人で円卓を囲み話し合いをしていた。彼らとは一線を画すように、護衛の兵士も立っている。
――なんだ、ネイルはいないのか。
などと少し落胆しつつも、コーウェンは部屋の奥へと視線をやる。そこにはもう一つ扉が設置されており、その先に彼女はいるのだろうと推測できた。
その部屋は、コーウェンがシルバと二人きりで話し合った時に使用した部屋でもある。
「お、コーウェン君。すまないね、暇だっただろう」
部屋を見渡すコーウェンにいち早く気付いたシルバが、そう声をかけてきた。
それに合わせ、他の男性たちもこちらへと向き直り、頭を下げ始める。
「いえ、おかげでゆっくりと休めました」
「ははっ、そうか。もうしつこいくらいに言われてるだろうが、あまり無理はしないことだ」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
コーウェンは恭しく頭を下げた。
コーウェンの耳に、男性たちの感心する声が届く。
「……すみません、ところで、娘さんは……」
「ああ、ネイルなら奥の部屋で寝ているよ。……君の怪我を聞かせると、あの子は看病を申し出た。だが私から止めさせたんだ」
シルバはそう言うと、小さく眉を寄せた。
「そうだったんですね……」
シルバがネイルを近づけなかった理由を、コーウェンはすぐに悟った。
コーウェンは、同じ左目に二撃もの攻撃を受けた。治療後のために現在は布らしきものを巻かれているが、それを取ろうが左目が光を取り戻すことはないであろうと、本能が理解している。
痛みのショックで意識を失うほどの怪我は、あどけない少女に見せるにはあまりにも残酷なものだったのだろう。
「ああ、しばらくはあの子も根気強く粘っていたのだがね、やがて眠ってしまったよ」
「いえ……。あの子の前では強がっていたいので、うなされてるところを見られなくてよかったです」
冗談交じりのその言葉に、シルバは小さく笑った。
周りの男性たちも、微笑ましいものを見るかのように笑っている。
どうやら、彼らには冗談に聞こえなかったらしい。コーウェンの見た目が子供なので仕方がない。確かに、小さな男の子が、年上の女の子に対して強がる光景というのは微笑ましいものではある。
コーウェンにただの子供という評価は下さない、という趣旨の発言をしたシルバの真意は、はっきりとはわからなかった。
「では……、彼女が目を覚ましたら、その時にゆっくりと話します」
その場の雰囲気に気恥ずかしさを感じたコーウェンは、そう言い残すと民家を出た。
出入り口の扉を躊躇なく開け放ったコーウェンの目を、暖かい太陽光が刺激する。左目にも布越しに同様の痛みが走るが、不思議と不快ではなかった。
――朝か……。
起きた時から夜ではないことはわかっていたが、どうやら日が昇ってまだあまり時間が経っていないらしい。
木漏れ日に照らされ、朝霞に舞う細かい埃が光の中で輝いている。
その向こうでは、大勢の兵士たちが民家を取り囲むような形で立っている。動かずに立ち尽くすチームと、付近を巡回するチームとで分かれているようだった。
その異様な光景に気圧されるのを感じつつも、コーウェンは勢いよく伸びをする。
早朝独特の清々しい空気が、病み上がりの身体に染みわたる。コーウェンはそれを思い切り吸い込むと、体内の毒素を排出するかのように、少しずつ息を吐いた。
「おはようございます。気持ち良さそうですね」
「はい、おはようございます」
声をかけてきたのは、白のラインが入った赤いロングコートのような服に、褐色の肌を包み込んだ一人の男性だった。
外見は三十歳くらいに思えるが、若干尖っている両耳がその判断を誤らせる。
――特群のダークエルフ。
まだ若すぎる気もするが、特群の約半数は未だ訓練兵期間を終えていないのだとディーアから聞いたことがある。訓練兵のカリキュラムをこなしつつ任務に当たる、優秀な者は積極的にこのような雇用形態を与えられるのだ。そして、訓練兵と言えど一般兵よりも戦闘力が高く、なおかつ軍内での立場としても上である。
彼もそうなのだろうと、コーウェンは当たりを付けた。
男性はコーウェンの挨拶に微笑みかけると、民家の裏手に続く通路を指差した。
「お探しの人物ならあちらにいますよ」
「あ……、ありがとうございます」
コーウェンは、レベルが雇ったらしい十二英傑の二人に挨拶をしようと民家を出てきたのだが、男性はそれを察してくれたようだ。
素直に頭を下げると、示された道を行く。
歩いていると当然ながら警護中の兵士たちとすれ違うのだが、皆が一様に頭を下げてくるのがコーウェンにはむず痒かった。非武装の子供に武装した大人たちが恭しい態度を取るというのは、客観的に見ても異様な光景だろう。
コーウェンの性格上、頭を下げられたら自らも頭を下げ返さないと気がすまないので、その歩みは遅々としたものだった。
やがて目的地に辿り着いたコーウェンは、四人の男女が固まって話しているのを発見した。
そこは、コーウェンが先ほどまで身体を休めていた部屋のすぐ傍であり、裏手に当たる場所でもある。
「ディーアさん!」
四人の男女の一人――ディーアへと手を振りつつ、コーウェンは彼らへと歩み寄る。
「おお、もう起きてきたのか?」
「はい。と言うか、ディーアさんのせいで眠れませんでした」
「ははっ、それはすまなかったな」
ディーアは笑いながら、コーウェンの頭をポンポンと二度撫でるように叩いた。
そんな彼女の様子に、ディーアといつも通り接することができたコーウェンは安心感を抱いた。
そして、続けざまにディーアの奥にいた人物へと頭を下げる。
「ゼファーさん、お久しぶり……ですね」
「ふっ、微妙なところだがな。……君ほどの人物が正面から敗れたと聞いた時は、とても驚かされた」
「……はい、申し訳ないです」
「いや、無事で何よりだ」
ゼファーもこの場にいる、との予想は正しかったようだ。
一応は勝ったのですが、とは言わないことにしたコーウェンは、知り合い二人への挨拶はそこそこに、残った二人へと向き直った。
まず間違いなく、十二英傑の二人だろう。
「初めまして、コーウェン・ディスタートです。十二英傑の方ですよね?」
「ええ、初めまして。ラミア・クラノスと申します。“範囲火力席”を任されておりました」
ラミアと名乗った女性は、思わず惚れ惚れするほど丁寧な所作で、ゆっくりと頭を下げた。
艶やかな赤髪が風に踊り、香水の爽やかな匂いが鼻腔をくすぐる。他の人物と変わらず武装はしているが、本当に冒険者なのかと疑ってしまうほど、彼女の放つ雰囲気は高貴な貴族を彷彿とさせる。
大人の色気を放つ彼女は、おそらく四十歳くらいだろうと予想できた。
「……“遠隔騎士席”レギオ・クラノスだ」
対して、レギオと名乗った男性は、筋骨隆々でいかにもな外観をしている。
綺麗に整えられた茶髪と顎髭は、確かに爽やかさを纏ってはいるが、全体的な印象としてはガサツさを彷彿とさせた。
彼もラミアと同じくらいの年齢だと推測でき、二人共が人間だ。そして彼の背中には、珍しく“戟”と呼ばれる巨大な武器が背負われている。
レギオは値踏みをするかのようにコーウェンの顔を覗き込むと、納得いかないようにうねりだした。
「ほぅ、むぅ。……実に、弱そうだ」
そんな突然下された評価に、ディーアが不機嫌さを顕わにした。
「おい、この子はお前よりも強いぞ」
「……んー、にわかには信じ難いな。だが、さっきの発言は見た目の話だ。ややこしい言い方をして悪かったな」
「ん、だったら構わない」
まるで茶番だったかのように、二人の会話は終了した。
だが、やはり誰から見てもコーウェンが強いなどとは思わないだろう。そもそもコーウェンの方が強いと言い切ったディーアだが、試したわけでもないため、コーウェンは胸を張れないでいた。ちなみに、腕相撲をしたら確実に負ける自信がある。
「……失礼かも知れませんが、あまり似ていらっしゃらないのですね」
そう言ったのはラミアだ。
おそらく、コールと比較してのことだろう。
「はい、よく母親似だと言われます。髪色も母からの遺伝ですし」
そのコーウェンの返答に同調するかのように、今度はレギオが口を開いた。
「コールはハンサムだったが、コーウェンは愛嬌のある顔だ。……ますます、見た目では強さを測れんなぁ」
「ああ……、確かにそうかも知れませんね。父は男らしい顔で、少し羨ましいです」
コーウェンはそう言うと、ずっと気になっていたことを質問することにした。
「あの……。失礼にならなければいいのですが、お二人はご家族ですか?」
二人とも、家名が“クラノス”だ。
その質問には、ラミアが答えた。
「ええ、そうですよ。炎龍の事件よりずっと前から、私たちは夫婦です」
「娘が三人いる。末っ子がコーウェンと同い年だが、だからこそ我々よりも強いというのが信じられん。家の子なんて、女の子のくせにやんちゃ盛りだぞ」
「あはは……、何て答えれば良いのか……」
その返答に、印象通りレギオは豪快に、ラミアは上品に笑った。
その後、コーウェンは二人から様々な話を聞いた。
その末っ子が最も魔法の才能を持っていることや、冒険者になりたいと発言していることなど。
コーウェンも冒険者として活動するならと、様々な知識を授かった。まだまだ将来の進路など気にしたこともないコーウェンだったが、さすがは十二英傑と言ったところか、ためになるであろう知識ばかりだった。
そしていかに現在の警備が厳重かを話していた時、気になる言葉がコーウェンの意識を傾かせた。
「十二英傑最強……?」
それは、誰ならばこの警備を突破できるかという話をしていた時のことだ。
たとえ魔導師であろうと単独での突破は無理だというディーアとレギオの発言に、ラミアが『魔導師と、あとは彼が手を組んだら……』との反応を示したのだ。
そして、その“彼”というのが十二英傑で最強だった人物のことらしい。
ラミアが口を開く。
「ええ、十二英傑で最も強いと言われた人物です」
「それって、ディーアさんではないのですか?」
「私はあくまでも“筆頭”だ。最強と言われたことはないな……」
「ああ、間違いない。ディーア相手なら俺でも勝てる」
「それはないっ」
レギオの発言に、ディーアは眉を顰めた。
だがその反応とは異なり、見るからに楽しそうにしている。かつての戦友とは、固い絆で結ばれるものなんだろう。
「……あの、だったら誰なんでしょうか」
「……ルードと名乗っていたが、正体については私たちにもわからないんだ。謎の多い人物だった。顔を晒すのも嫌っていたようで、よくフードを被っていたな」
「ええ。彼は“守護戦士席”に座していました」
ラミアはそう言うと、十二英傑についての説明を始めた。
冒険者とは国家間の隔たりなく機能する組合であり、十二英傑たちも出身国はバラバラだった。だが、いくら一冒険者と言えど彼らほどの実力者になると、それは一国の財産としても考えられるために、犠牲者を出してしまえば依頼主であるアルトリコ王国に多くの非難が向けられることとなる。
そんな諍いを冒険者ギルドは嫌ったために、十二英傑では、攻撃を務める人物よりも守備を務める人物の方が多く、なおかつ重要だと考えられていた。
そんな中で、その男性――ルードは最も頼りになる盾だったそうだ。
そして、その恩恵を最も多く受けていたのは、唯一近接攻撃を任せられていたコールだったそうだ。世間ではコールの実力は十二英傑で最下位だと言われていたが、戦闘センスや戦闘方法、そして特殊魔法を組み合わせた剣術は、他の十二英傑から見ても圧巻だったらしい。
そんなコールでも、やはりルードなくしては、生きては帰れなかったと断言できるとのこと。
「凄い人がいるんですね……。いつかは会いたいです」
「ああ、そうだな。一応は彼も冒険者だから、リグルドを訪れることだってあるかも知れないぞ」
ディーアはそう言うと、「そろそろか……」と呟いた。
「ん? どうしたんですか?」
「いや、そろそろネイルが目覚める時間かと思ってな」
「ああ、確かにそうかも」
空を見上げると、太陽が先ほどよりも若干高い位置にあった。おそらく一時間くらいは話し込んでいたのだろう。確かに、そろそろネイルが起きだしてもおかしくはない。
自らを心配してくれたネイルへとお礼を言いたかったコーウェンは、中に戻る意思を伝えると、三人へと頭を下げた。
そして、コーウェンは来た道を引き返す。ディーアも一緒だ。
やがて玄関扉へと辿り着いたコーウェンは、ふと口を開いた。
「彼ら……仕事サボってますよね?」
冒険者なので決められた護衛箇所というのは存在しないのだが、一か所にかつての戦友たちで集まっているところを見せられては、さすがのコーウェンでも疑ってしまう。
とは言え、いくらでも説明のしようはある。
あそこはコーウェンが眠っていた部屋の裏手であり、スペースが少ないために多くの兵士が入り込めず、警備の手が薄くなる場所だ。そして、裏通りから表通りへと抜けるための最短ルートとなり得、離れた場所で襲撃があってもすぐに駆けつけることのできる場所でもあった。
十二英傑が四人も固まる必要があるかはわからないが、そうやって説明してくれればコーウェンも納得できた。
だが――
「ああ」
――ディーアは肯定した。
◆◇
「ウェン君……!」
民家の中へと戻ると、ディーアの予想通りネイルが目を覚ましていた。
ネイルはコーウェンを見つけると、悲壮な顔を浮かべ、小さな身体を優しく抱き寄せた。
子供における六歳差とはとても大きなもので、客観的に見れば歳の離れた仲の良い姉弟に見えるだろう。
だが、ネイルは嗚咽を堪えながら泣いていた。
やはり、コーウェンのような小さな子供が、出先で片目を潰して帰ってくるというのは身を引き裂かれる思いなのだろう。
リグルドへ帰ってからが大変だな、とコーウェンは思った。
「ネイル、ありがとうな。だけど俺はもう大丈夫だよ」
「ウェン君が大丈夫でも、私が大丈夫じゃない」
ネイルはそう言うと、相変わらず嗚咽を堪えたまま、宣言した。
「私も絶対に強くなるから。ウェン君と対等になれるくらい、強く……!」
その言葉にコーウェンは、微笑ましいものを見るように、頬を緩めた。
それを見ていたシルバも、円卓を囲っていた椅子から立ち上がると、ネイルの頭を優しく撫でた。
「リグルドへ帰ろう。そこから、お前も魔法使いとしてのスタートを切りなさい」
それは当初の予定通り、リグルドへの帰還が決定した直後のことだった。
最終的に下された判断は、アイズへの討伐隊は組まれることなく、洞窟の捜査隊だけが組まれるということだった。
リグルドへは、コーウェンとシルバ、そしてネイルが帰還する。
護衛を務めるのは、エルフの国から貸し出された兵士たちとゼファー、そしてディーアだ。レベルやクラノス夫妻とはここで別れることとなる。
そして一夜が明け、彼らはエルフの国を出発する。
それはコーウェンがこの国を訪れてから、丁度四十日が経過した朝だった――。




