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プロミネンス・ストーリー  作者: 秋保 あかさ
4章 金の烏と玉の兎
35/67

34 本当の化け物

 火箸を押し当てられたような、無数の極細針に刺され続けるかのような、容赦のない痛みが熱を伴いコーウェンを襲う。

 コーウェンはそんな痛みにひとしきり叫んだかと思うと、嗤う膝を叱咤しながら立ち上がった。出鱈目だが、鋭く隙間なく振り回される剣によって少年は近づけない。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ――」


 左目を覆う左手には、垂れるように血液が伝っている。決して小さくない痛みに鬼のような形相を浮かべ耐え続けているコーウェンは、振り回す剣を止めると、少年を見据えながら必死に息を整えようと奮闘している。だが、過呼吸を思わせるほどに激しいそれは、噛み締めた歯の隙間からすり抜けるだけで止まる気配がない。


「ぐっ……ぅぅ……」


 悶え、額に大粒の汗が浮かぶ。

 永遠に続くかのようなその鋭い痛みに、コーウェンの胸の内を黒い感情が染め上げる。

 ――今、どれくらいの怪我を負っているのか。果たして左目は無事なのか。もしかすると、自分で想定しているよりもずっと重症なのかもしれない。

 様々な思いと、逃げ出したいという欲求。全身の脱力を誘う激しい痛みと不安。負傷具合の大きさに関係なく、患部が眼球だということから湧き上がる必要以上の恐怖――どれだけ屈強な大人であろうと、その場に蹲り、取り乱さないように努めるのが精々限界だろう。

 ――だが、コーウェンの両腕はしっかりと剣を握っていた。

 自らの命と、未だ洞窟を抜け切れていないであろうディーアとレベルの命――その小さな背中には不釣り合いなほど、背負っているものの大きさは測り知れない。そんなコーウェンの戦意をこの程度の痛みで消失させようなど、到底できることではなかった。


「治らないのに、立つのか」


 そんなコーウェンに対し、傍観を決め込んでいた少年が呟いた。

 その言葉は敬服ではなく、“理解できない”というようなニュアンスを感じさせるものだった。

 コーウェンは返事をせず、最後に大きく息を吐き出した。覚悟を決めたように腰を落とすと、剣の切っ先を持ち上げる。

 ――“一心流の構え”。

 翠伝流を捨て、コーウェンが選んだのは一心流だった。それは魔法ではなく、剣術で目の前の敵を打ち倒すという覚悟の表れに他ならない。

 体重の軽さと、背中全体が壁に接触したのであろう事実から、先ほど投げられた時のダメージはそれほどでもない。それを感覚だけで確認したコーウェンは、視界の先に立つ少年をめがけ、全力で身体を弾けさせた。


「負けられないんだよッ!」


 叫びと同時に、コーウェンは少年へと接近。そして剣を連続で走らせる。

 その剣は、何かの枷が外れたかのような――“覚醒した”とも表現できるほどの鋭さと速度を誇っていた。

 前世では器用貧乏をコンプレックスとしていたにもかかわらず、たった数年の訓練だけで剣術と魔法を併用していたコーウェン。どちらとも極め切れておらず、父親ほど戦闘センスがあるわけでもない。そんな彼が、今までは剣を振るいながら魔法のことを考えていた、または、魔法発動の手順をなぞりながら剣を振るっていたのだ。

 “枷”の正体である魔法を制限されている今――それは正真正銘、コーウェン最速の剣だった。


「ぐっ……!」


 少年はそれすらも回避し続けるが、苦しさを隠し切れていなかった。

 当然だ。ただでさえコーウェンの剣撃は凄まじいものだというのに、武器を持たない少年はそれを受け止めることができないのだから。

 少年は全力で身を翻しつつ、射程から逃れるように動き続けるしかない。だが、後ろ向きに移動するしかない少年に対して、コーウェンは正面を向いて迫りくる。

 そんな状況では、たとえ少年の速度と言えど、反撃の体勢を整えるほどに余裕を持つことは不可能だった。


 そんな少年に対して、コーウェンは尚も攻撃の手を緩めようとはしない。


(片目が使えない今、もし攻撃権を譲ってしまおうものなら――)


 その先は容易に想像できた。

 失明の有無は不明だが、左目は現在機能を失ってしまっているのだ。先ほどまでのような状況に陥ってしまえば、少年の動きになど付いて行けるわけがない。

 ――コーウェンにとっても、余裕を持つことなど不可能だった。


「はぁ、はぁ、はぁ――」


 だが、コーウェンのスタミナは無限ではない。次第に剣先の速度が落ち始める。

 左目の痛みはもちろん、壁に叩きつけられた時のダメージも決してゼロではないのだ。そんな中で剣を振り続けていれば、さすがのコーウェンと言えど三分と保たない。


(――くそッ! なぜ当たらない!)


 そんなコーウェンは、焦りから心の中でそう吐き捨てた。

 確かに、少年の回避には苦しさが見える。だが、それでも縦横無尽に繰り出す攻撃を全て避けられているのだ。身体を沈める動きにしても、どうやっているのか、重力にだけ頼っていても実現できる速度ではなかった。その上こちらとは違い、その動きに衰える様子はない。

 ――これが、吸血鬼(ヴァンパイア)の力……!

 元々、勝機はあった。

 手勢を緩めることなく、忍耐強く動きを見極め、ここぞというタイミングで剣を合わせれば、少年の身体に傷を付けることは可能だ。それさえできれば、二撃目、三撃目も立て続けに命中することだろう。確実に即死させてしまわない限り、生きて拘束するという目的も達成できると踏んでいた。

 だが、コーウェンは認識してしまった。


 ――“あまりにも強すぎる”。


 その動揺ともとれる事実が、少年に一瞬の隙を与えることとなった。

 コーウェンの攻撃を回避しつつ、おおよそ円形のこの空間を回るように後方へと逃れ続けていた少年。コーウェンの追撃に鈍りを見つけた彼の足元には、レベルが捨て置いた、例の折れた剣が転がっていた。

 追撃が鈍ったとは言え、そんなのは本当に一瞬のことでしかなかった。常人同士の戦闘ならば、ほとんどあってないようなもの。

 だが、少年にとっては貴重な一瞬だった。


「――この人間がッ!」


 超人的な速度で少年がそれを拾い上げたタイミングと、コーウェンが追撃に訪れたタイミングは、ほぼ同時だった。

 そして、コーウェンの剣と交差する形で突き付けられる、その剣――。

 虚を突かれたコーウェンだったが、折れたことによってリーチが短くなっていたこともあり、首を大きく捻ることによってなんとか直撃は避けていた。

 だが、外れたわけではない。どこまでも非情に――少年の狙いは的確だった。


「っ……ぁぁ……――」


 叫ぶことすらなく、ただ静かに呻きながら、コーウェンは背後へと倒れ込んだ。

 仰向けのまま動きを止めたコーウェンの左目は、今度こそ、完全に機能を停止していた。




 ◆◇




 気が付いたら、光に包まれるような形で、明るい空間に仰向けで倒れていた。全方位に果ては感じられず、方向の感覚もなかった。だから正確には、自らが仰向けに倒れていると確信しているわけではない。むしろ、感覚的には浮いていると言った方が適切か。

 コーウェンは重たい身体を動かして、左目へと恐る恐る手を添えた。

 怪我が治っていないことは明らかだったが、痛みは感じられない。

 不思議な空間。夢か現かも定かではない現状に、しかしコーウェンが違和感を抱くことはなかった。一つだけわかることと言えば、ここは死後の世界ではないということだけだ。死んだらきっと、赤い背景を見ることになるのだろうから。


「……吸血鬼(ヴァンパイア)って、反則だろ」


 コーウェンはそう呟いた。すると、そのセリフを第三者的な立場で聞き届ける自分に気付いた。

 左目から血を流し仰向けに倒れている自分を、幽体離脱のように上から眺めているのだ。


「そうだな。化け物だ」


 コーウェンは、血だらけの自分を見下ろしながら、そう答えた。

 横たわる自分と、それを眺める自分が会話を交わしているということに、微塵の違和感もない。


「そもそも、どうして俺たちが襲われなくちゃいけないんだ? 彼とは、さっき出会ったばかりだ」

「それを聞くなよ。お前が知らないことは、俺だって知らない」


 横たわるコーウェンは悔しそうに顔を顰めると、再び口を開く。


「なあ、吸血鬼(ヴァンパイア)って何だ……?」

「――きっと、エルフやダークエルフと同じなんだよ」


 続けざまに放たれた疑問に、コーウェンは即答した。


「数が少なく、異常な身体能力と生命力を持っているだけで、本質は変わらないんだ。もっと大勢存在し、しっかりとコミュニティを築いていれば、エルフたちと同じような扱いを受けていたはずだ」

「……そう、だな」

「ああ。そもそも、魔物と、魔物じゃない存在に明確な線引きなんてないじゃないか。所詮はこの世界に生まれ、この世界で育った者。普通の存在だよ」

「何が……言いたいんだ?」


 横たわる自分を見下ろすコーウェンは、小さく息を吐くと、何を言っているんだとばかりに微笑を浮かべた。


「――転生者である俺たちの方が、ずっと化け物じゃないか」




 ◆◇




 コーウェンが倒れたのを確認した少年は、手にした剣を投げ捨てると、背後へ尻餅を付いた。

 疲労や負傷ではなく、精神的な危機感がそんな行動をとらせたのだ。

 ――隙ができなければ、やばかった。

 その事実を噛み締めると、少年は仰向けに倒れるコーウェンへと視線を移す。

 負傷した左目への追い討ちは、相当な痛みを伴ったのだろう。ふらふら、と倒れ込んだ彼が、既に意識を失っているのは一目瞭然だった。


「止め……刺しておかないと」


 少年は、そんなコーウェンを目指し立ち上がった。その足取りは、外傷の一切ない身体には不釣り合いな怠さを伴っているかのように、重たそうなものだ。

 やがてコーウェンの側に辿り着いた少年は、足下に横たわる子供を眺め、眉根を寄せた。

 ――普通の子供じゃないか。

 認識していなかったわけではない。ただ、その力量の凄まじさが、その事実に靄をかけていた。自らと同じくらいの背丈に幼さ、そしてその強さ。左目の傷が回復しないことを確認するまでは、同じ吸血鬼なのではないかとさえ思ったほどだ。

 少年はその場に片膝を付き、目を閉じた。

 その命を奪うことに、大きな意味はない。人間と遭遇したら殺すと、あらかじめそう決めていた為、それに従うだけだ。最早、洞窟を去った二人の大人――レベルとディーアを追いかけるつもりも少年にはなかった。

 ――目の前の子供を殺したら、この場を離れよう。

 そう心に決めた少年は、静かに目を開いた。

 だが同時に、予想外な光景が視界に入った。


「お前……!?」


 両の目を開けていた。

 意識を失ったはずの子供が、怪我など関係ないとばかりに、両目でこちらを見据えていた。

 背筋に言い知れない寒気が走る。

 怖い、怖い。――それは恐怖だった。

 間違いなく傷口は閉じていない。おそらく無理矢理開かれているのであろうその左目は、見るも無残な様相を呈している。

 それは、精神力や気合で片付けられる行動ではなかった。その姿に畏れを抱く。それが恐怖心から来るものだと自覚した時、少年は初めて逃げ出したい衝動に駆られた。


「ぐッ……!」


 体勢を変えることなく振るわれたコーウェンの剣が、少年の顎先を掠めた。

 ようやくその身の硬直に気付いた少年は、後方へと大きく飛びずさり、素早く体勢を整える。

 自らの油断の所為でもう一度戦闘になることを少年は悟りながらも、心の内では学習のしようがなかったと言い訳する。痛みのショックで意識を失った人間がほんの一分程で目を覚まし、なおかつ戦意を保っているなど、常識外れにも限度がある。

 少年は、既に喪失されていた緊張感を心身に漲らせながら、唇を舐めた。

 ――大丈夫、相手は重傷だ。

 と自らに言い聞かせつつも、先ほど抱いた恐怖心は衰えを知らず、一歩目がなかなか踏み出せずにいた。

 そんな少年に対して、コーウェンはゆっくりとその場で立ち上がった。その動きはダメージの大きさを露呈する緩慢なものだったが、痛みを感じているのかどうかは見た目ではわからない。ただ、左目は閉じられていた。

 三度対峙する両者。

 少年の顎先にできた小さな切り傷が治るのと同時に、その均衡は破られた。


「……ッ!」


 短い気合と共に、先に動いたのはコーウェンだった。

 コーウェンは右手に剣を握ったまま、接近戦を試みる。その動きは立ち上がった時とは違い、俊敏なものだ。


「どこに……そんな力が!」


 そんなコーウェンに対し、少年は愚痴を言うかのように吐き捨てた。そして自らも応戦する。

 だが、少年にはわかっていた。

 ――おそらく、投げ飛ばした時のダメージは大したことなかったのだろう。ならば、致命的な傷は左目へと与えた二撃だけだ、と。

 目への攻撃は、たとえ弱い攻撃であろうとも激痛を伴うため、戦闘においてはとても有効だと言える。実際に、少年の放った攻撃が目ではなく他の場所に命中していたとすれば、それは大したダメージとなり得なかっただろう。目であったから致命傷と呼べるのだ。

 だが、それは逆に言えば、目に命中しただけの小さな傷(・・・・)だ。

 視野が狭まり激痛を伴うが、それにさえ目を瞑れば、全身を動かすための障害になるとは言い難い。

 少年にはわかっていた。

 ――だからこそ、目の前の子供はまだ動けるのだろう、と。

 だが、やはり精神力や気合で説明できるものではない。本質的な理解には程遠い。


「僕は……お前が、怖い」


 もう一度背後へと飛び退いた少年は、絞り出すかのように言った。

 コーウェンはそれに応えない。まるで意志を失った人形のようだ。

 そんなコーウェンは、先ほどまでの攻防と同じように、少年との距離を詰める。だが同じことを何度も繰り返すつもりなど、コーウェンには毛頭なかった。

 先の轍を踏まず、敵を倒す方法――。

 剣を振るうコーウェンと、素手の少年。当然ながら、コーウェンの方がリーチは長い。

 だが、それでも当たらなければ意味がない。コーウェンはリーチの差というハンディを無視し、そこからさらに少年へと接近する。

 両者の距離は接触する寸前にまで縮まる。

 ここまで迫れば、最早有利なのは少年の方だ。だが同時に、さすがの吸血鬼と言えど、コーウェンの剣を回避する余裕などない距離でもある。

 コーウェンは距離が縮まるにつれ、剣の動きをコンパクトに、そしてより速いものへと変えていく。

 少年はそれに対し、回避をやめた。

 驚くことに、少年はコーウェンの剣を受け流し始めたのだ。

 振るわれる剣の側面へと手を添え、身体の範囲外へと攻撃を流す。両腕を使い、間髪入れずに振るわれる剣を全て捌いていく。

 確かに、少年には回避する余裕などない。この近距離で振るわれる剣よりも速く、身体を移動させることなど不可能だからだ。だが、両腕を振るうだけならば可能だ。そして同時に距離が近いということは、コーウェンの攻撃が最速に達する前に、その剣へと手が届くということでもある。

 ずっと距離を縮めたかったのは少年の方だ。先ほどまでは許されなかったが、コーウェン自身がそれを選択したということは、少年にとっては朗報でしかなかった。

 ――さっきまでの攻防を繰り返されたら、次はいつまで避け続けられたかわからない。

 それが少年の本音だった。

 やがて、その時は訪れた――


「はぁッッ!」


 怒号ともとれる声と共に、コーウェンから放たれた突き。

 線ではなく点の攻撃であるために、視認の難しい攻撃だ。だがそれは、引き戻す際に一瞬だけ剣が止まる唯一の攻撃でもあった。

 少年はそれを逃さない。

 他の攻撃と同じように手を添え受け流すと、止まった瞬間にタイミングを合わせ、腕を振り抜いた。目標はコーウェン自身ではなく、確実に命中するであろうその剣だ。

 キィィン、という硬質な音が空間に響いた。少年の攻撃によってコーウェンの手から離れた剣は、二人の遥か後方へと飛んで行った。

 少年が勝利を確信したその瞬間――だが、コーウェンは動きを止めなかった。


 ――剣は折れることなく、持ち主の手から離れた。

 ――この子供の握力ならば、飛ばされるよりも先に折れたはずだ。


 そこでようやく少年は悟った。――自分の負けだ、と。




 コーウェンは突きの瞬間、剣を握る手を緩めた。同時に、少年が剣ではなくこちらを攻撃して来た時のために、左腕を捨ててでも急所を護る準備に入った。

 そんなコーウェンの胸中には気付かず、少年は狙い通り剣の側面を勢いよく薙ぎ払った。

 手から離れる剣の感触と同時に、ようやく作り出した少年の隙――。

 両者の距離は、この日で最も近い位置にあった。

 コーウェンが狙うのは致命傷ではない。たとえ致命傷を与えようと、出鱈目にでも腕を振るわれたらそれを避けられないのはこちらも同じだからだ。

 よって、曝け出された心臓や両目には目もくれず、コーウェンは少年の動きを止めにかかる。

 上腕二頭筋・三頭筋の隙間――腕の内側にある筋肉の狭間――腕馴(わんじゅん)を全力で突き、腕を動かせなくする。

 そして手を緩めることなく、太ももの急所――大腿直筋と外側広筋の狭間――伏兎(ふくと)を破壊。

 両手足の動きを封じ込めたコーウェンは、バラ手で人中を、手刀の反対側――背刀で頸中を強打。最後に、腕の側面で頸動脈を強く擦り付けた。

 乾いた布を叩きつけたかのような鋭い音が、この空間内に七回響く。

 それは身体へのダメージと言うより、組織を動かす器官へのダメージだ。コーウェンが受けた目の傷とは違い、構造的に動作を不可能とする。

 打たれた少年は両手足を力なく垂らしながら、ゆらゆらと揺れる。

 そしてそのまま、操り手を失った操り人形のように、その場へと膝を付いた。


「……お前は……何なんだ」


 少年は地面へと顔を向けたまま、呟くようにそう問いかけた。その両目は焦点が合っておらず、ダメージの大きさを物語っている。


「残念だったな。俺はお前以上に、普通じゃないんだ」


 コーウェンはそれだけ答えると、止めとばかりに少年の身体を蹴り上げた。

 抵抗できずに飛ばされた少年が行き着いたのは、太陽光が降り注ぐ、この空間の中心部だった。



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