33 吸血鬼
レベルは額に汗を浮かべながら、コーウェンの指示に従い来た道を必死に引き返していた。
その背中では、肩に担がれる形で抱えられたディーアが、その拘束から逃れようと必死に身じろぎをしている。コーウェンの助けに入ろうとするディーアを、レベルが無理矢理に連れ出したのだ。
「ふざけるな、私を放せ! あの子を置いて逃げるなど正気の沙汰じゃない!」
自由に動く両腕で、レベルの身体を出鱈目に殴り続けるディーア。訴え続けるその強気な物言いは、取り乱した女性によく見られる甲高いヒステリック染みたものだ。
レベルは痛みに顔を顰めながら、それでもディーアを放そうとはしなかった。
「仕方ないでしょう!? あいつは普通じゃないんだ!」
「だったら尚更置いて行けるか! ウェンに何かあったら……、何かあったらどう責任を取るつもりだ!」
「責任なんて知りませんよ! ただ、あなたが戻ったところで足手まといになるだけでしょう!」
レベルは言い捨て歯を噛み締めると、少年の初動を思い出し恐怖に身を震わせた。
そうだ。ディーアが戻ったところで、コーウェンの足を引っ張るだけなのは目に見えている。
あの時、自らへと迫る少年の姿がレベルには見えなかった。一瞬の内に視界から外れると、眼球運動を遥かに凌ぐ速度でレベルの死角である真横へと移動していたのだ。
コーウェンが反応していなかったら、間違いなく何が起こったのかを理解できぬまま絶命していたことだろう。そして、それはディーアの様子から彼女自身も同じだったということがすぐに理解できた。反応できたのは――見ることができたのはコーウェンだけだ。
あの時、最も左側にレベルが陣取り、次いでコーウェン、ディーアの順に並んでいた。少年が入り込んできたのは、レベルとコーウェンの間に空けられた僅かなスペースだった。人ひとり分の僅かな空間――そこを通路として、レベルの命を刈り取ると同時に残る二人の背後へと抜けようとしたのだろう。だが、コーウェンとの距離であるそのスペースが狭かったからこそ、自分は助かることができた。――レベルはそう確信していた。
もしこれが――。
もし狙われたのがレベルではなく、ディーアだったなら――。
レベルとコーウェンとの距離とは違い、その反対側であるコーウェンとディーアとの距離は、もう少しだけ広かった。言うなれば人ふたり分――もっと具体的に言うと、コーウェンの助けが間に合わなかったであろう距離だ。
今ディーアが生きていられるのは、あの少年の気まぐれでしかない。それを彼女ははっきりと受け入れられていない。たとえ十二英傑であろうと、どれだけの魔法使いであろうと、少年の速さに付いて行けないのなら勝ち目はないのだ。
それを理解していてなのかどうなのか、それでもディーアは諦めようとはしない。
「……おい、私にとって、あの子の命とお前の命……平等だと思うなよ?」
そんな、表面だけを取り繕った冷静な声が、レベルの耳へと届いた。
魔法で突き飛ばすのつもりなのか、それとも腰に差した剣でレベルの腕でも切りつけるつもりなのか、要は力づくで拘束から逃れるぞ、という脅しなのだろう。
レベルは仕方ないとばかりに、ディーアの腹部をめがけ肘をかち上げた。
「がぁッ……ぁ……」
ディーアはその衝撃で地面へと落下し、望まざる形でレベルの拘束から解放された。だが、いくらレベルの戦闘能力が高くないとは言え、それでも男性冒険者なのだ。一般人はおろかディーアよりも腕力は強いため、涎を垂らしながら必死に喘ぐのが彼女には限界だった。
レベルはそんなディーアの背後へと回り込むと、自らの知り得る限りの最善の方法でその意識を奪い去る。
「すみません、ディーアさん。今は彼の健闘を祈りましょう」
◆◇
僅かに太陽光が入ってきているだけで薄暗さを拭いきれていない洞窟の大空間で、二人の子供が目にも止まらぬ速度で戦闘を繰り広げていた。
視界や互いの距離から鑑みれば、常人には捉えきれないであろう速度で敵を奔放する謎の少年。そして、それらを全て苦しいながらも回避するコーウェン。武器を所持しており、動体視力や反射速度、戦闘術で上回るコーウェンの方が有利に思えるが、少年の身体にはその差を補うだけの圧倒的な身体能力が宿っており、戦況は膠着していた。
圧倒的な腕力を持つ少年と、剣を振るうコーウェン。互いに一撃ごとが致命傷となるだけの攻撃力を秘めているのだが、二人とも攻撃を当てる能力よりも避ける能力の方が優れている為に実現する珍しい状況だった。
そんな激しい戦いの中、コーウェンの頭の中では、『僕は吸血鬼だ』という少年の言葉が渦巻いていた。
吸血鬼――その存在について、コーウェンはリグルドを出る前に学んだことがあった。要は人型の魔物なのだが、その魔物を日本語の中で“吸血鬼”という言葉に当てはめた理由として、地球で知られている吸血鬼と似通った要素があったから、というものが挙げられる。
その要素の一つ目は、生物の生き血を啜るからというもの。二つ目は、不老不死だということ。三つ目は、人間を遥かに凌ぐ戦闘力を持つということ。そして四つ目に、太陽光が苦手だということ。
二つ目に挙げた“不老不死”という言葉の捉え方は様々だが、今回の場合は“老い方が長命種以上に緩慢”“傷口の再生速度が速い”という意味である。実際に、コーウェンが斬りつけたはずの頬の傷は跡形もなく消えてしまっている。
戦闘中に雑念でしかないとはわかっていても、コーウェンにはそれについての思考を止める余裕がなかった。と言うのも、コーウェンには心当たりがあったから。少年の正体に心当たりがあったからだ。
◆◇
こんな実話物語がある。
エルフの国出身のエルフであり、世界最高の魔法使いだけが名乗ることを許される称号――『選定魔法導師』の名を欲しいままにした、“歴代最強の魔導師”ルビウス・ユーニヴァス。ネイルの祖父であり、シルバの父だ。
そんな彼には、世界最強の剣士だと噂される友があった。
ルビウスが魔導師になる前のとある日、小国の王が何者かに暗殺され、そのまま一国が滅びるという事件が起きた。ルビウスの友はその暗殺事件にかかわったとされ、同時に一つの疑惑が浮上する原因となった。
――彼は、本当に人間なのか?
二人一組の冒険者パーティとして、ルビウスと共に未開拓地の探索に勤しんでいた彼の身体能力は、おおよそ人間に実現できるものではなかった。筋力が高ければ、運動神経が高ければ、魔法の補助があれば――そんな次元のものではなかったのだ。根本的に人間を超える何かがあった。
そして、彼は吸血鬼だという事実が広まることとなった。
その話は時間が経つに連れて現実味を帯び始め、やがて人類は彼に対して恐怖を抱き始めた。
――「吸血鬼って、伝説に出てくる魔物だよね」「うん、生き血を啜るらしいよ」
――「そいつって強いの?」「バカ言うな。最強の剣士だよ」
――「この前滅びたナントカって国、そいつが堕としたらしいぞ」
そして後に、彼はこう呼ばれた――『国堕としの魔王』と。
それからのことは誰にもわからない。誰も知らない。ただ確かなのは、その魔王を討伐した人物がルビウスだということ。彼が魔導師となるきっかけであり、彼が英雄となりえた事件であったということだけだ。
そしてルビウスが魔導師となった日、彼はそのことについて一言だけ残している。
――『私の友は、兵士の道ではなく、私と共に冒険者となる道を選んだ。人殺しを嫌ったからだ』
その発言をきっかけに、“ルビウスの友は魔王などではなく、濡れ衣だ”と言う人物と、“変わらず魔王だ”と言い張る人物が現れた。
これは後に、創作物語のモデルとなったと言われている。コーウェンが幼い頃に読んでもらっていた、勇者と仲間の魔法使いが魔王を討ち倒す、という物語だ。
これはただの噂であり、真相は作者にしかわからないことなのだが、多くの人がそれを照らし合わせた。
――魔法使いのモデルはルビウスではないのか。
――勇者のモデルは、濡れ衣を着せられた例の吸血鬼だ。
――では魔王のモデルは、濡れ衣ではなかった場合の吸血鬼像に違いない。
それは薄らと、真相すら定かではないが、知る人ぞ知る小さな逸話だ。
◆◇
コーウェンはメリファから受ける教育とは別に、様々な知識を独学で吸収していた。
ルビウスのことはメリファから教えてもらった歴史上の出来事なのだが、それが物語のモデルとなったという逸話は、独学の際に偶然知ったものだった。
そしてコーウェンの言う“少年についての心当たり”とは、エルフの国へと辿り着いてから知った話から導かれるものだった。
それは、攫われたネイルを助けた後に長老の家を訪れた時、自らをルビウスの知り合いだと言った長老から、その彼の魔法を教えてもらうと共に聞いた話――
長老も詳しいことは知らないらしかったが、それでもある程度の真相は得ていた。
結論から言えば、その吸血鬼は例の暗殺事件にはかかわっていない。だがルビウスが彼を殺したというのは事実。そして、魔王と言われた彼には子供がいた。ルビウスからチラっと聞いただけでやはり詳しいことは知らなかったが、曰く人間との間に生まれた子だ。
ルビウスは長老に語っていたらしい。
――『父親譲りの、とても綺麗な赤髪をした子だよ』と。
コーウェンはその時の話を思い出しながら、少年の猛攻を防いでいた。
積極的にコーウェンの命を奪い去ろうと奮闘する少年の攻撃に対し、コーウェンは剣を翳す。少年は武器を持っていないために、それだけでかなりの防御となり得るのだ。
だが、やはり接近戦はコーウェンに不利だった。
少しずつ対応に苦しさが増してくると同時に、魔法を放つための時間が欲しくなってくる。魔力を練るだけならば一瞬で可能なのだが、さすがに具現化と投影の手順を踏もうと思えばそれなりの猶予が必要だ。
コーウェンは、剣術を魔法発動の詠唱動作に当てはめるという技術を、ディーアと出会ってからリグルドを離れるまでの間にコールから教わっていた。そして、圧倒的な魔法適正を有するコーウェンはそれを習得することに成功したのだが、それでもコール以外には不可能な技だったという事実は伊達ではなく、目の前の少年相手に使用できる余裕などなかった。
コーウェンは唇を噛み締めると、苦々しく口を開いた。
「お前、ルビウス・ユーニヴァスを知っているか?」
突然発せられたその言葉に、少年は攻撃を中断した。
コーウェンはゆっくりと少年から距離を取りつつ、続ける。
「お前はさっき、自分のことを吸血鬼だと言っていた。それはどういう意味だ?」
少年は怪訝な思いを隠そうとはしないまま一拍置くと、言葉を選ぶように口を開いた。
「……そのままの、意味だ。僕は……普通じゃない。ルビウスは、ただの知り合い」
「そうか――」
コーウェンは、戦闘中にもかかわらず思いのほか意志の疎通に成功していることに驚きつつ、続ける。
「お前、昔に魔王と恐れられた男の子供だろ?」
「……僕の、両親は、人間だ」
嘘をついているのか、少年には認識がないだけなのか、その言葉が間違っているということをコーウェンは理解する。さすがに親が二人とも人間だということはないだろう。可能性として高いのは、彼が物心ついた時には既にルビウスの手によって父親を殺されていたというものだ。そして、彼が両親だと思い込んでいる人物――もしくは父親だけが、別の人物だということ。
元は魔法発動の時間稼ぎのために切り出した会話だったが、思っていたよりもずっと時間ができた。つまりとっくに魔法を放つ準備を整え終えているコーウェンなのだが、その胸中には迷いが生じていた。
――果たして、この少年は殺すべきなのだろうか。
思いのほか時間を稼げたということは、予想以上に会話が可能だったということに他ならない。
外見は人間の子供と全く変わらないために、日本人として十七年の時を過ごしたコーウェンには殺しは躊躇われた。だからさすがに『絶対に殺してやる!』などとは最初から考えなかったのだが、それでも命の危険があるこの状況では、結果的に死んでしまうくらいの致命傷を与えることは覚悟の内だった。
だが、和解の可能性が出てきた今、どうしてもその覚悟が揺らいでしまう。
そしてもう一つ。――吸血鬼の少年と出会ったのが、この場所だという事実。
そもそもコーウェンたちがこの場所を訪れたのは、エルフの国で出会った不思議な青年から『訪れないと後悔する』と言われたからに他ならない。
不思議と説得力のあるその言葉に従った結果、魔王と恐れられた吸血鬼の、一人息子であろう少年と出会った。これがただの偶然だと考えるほどコーウェンの頭は弱くない。
それらの状況から少し迷った後に、コーウェンは少年を殺さず拘束する意志を決めた。
コーウェンは息を吐くと、少年に掌を翳す。
「――君を拘束する」
その言葉を聞いた少年は、弾かれるように移動を開始した。
だが意表を突いたことに加え、あれだけの時間的猶予を与えられたコーウェンの魔法発動速度は、少年のスピードを遥かに凌ぐものだ。
だが――
――魔法が発動しない。
練られた魔力、具現化されたイメージ、残るは投影を完成されるだけ。今まで何度も、毎日欠かさずに行ってきた手順だ。何も不備はないし、何も間違いはない。
だが、本能が理解する。――これは失敗する、と。
それも、発動したらコーウェンの身体がただでは済まない類のものだ。体内の魔力を何かに吸い取られるような、発動したら最後、コーウェンの身体を中心に魔法が暴発するような、そんな感覚。
コーウェンの本能は、反射的に魔法の発動を中止した。
――だが当然、少年は止まらない。
「なッ――」
コーウェンは慌てて回避行動を取ろうとするが間に合うはずもなく、右腕を掴まれた。同時に、形容し難い恐怖が右腕から脳へと駆け昇ってくる。
――握りつぶされる。
そう理解したコーウェンは、慌てて少年の腕へと剣を走らせる。だが、少年にもその行動は容易に予測できたのだろう。それよりも早くコーウェンの身体を持ち上げると、全力で投擲する。
右肩に走る脱臼寸前の痛みと共に、コーウェンの身体を浮遊感が襲う。
(バカな! そんなことが――)
右腕を支点にコーウェンの身体が持ち上がると、投げられたその身体は無慈悲な放物線を描いた。その軌道は十メートル以上離れた壁へと届いている、とてつもないものだ。
激しく視界が回ったかと思うと、壁へと打ち付けられた背面に強烈な衝撃が走る。
「ぐッ……っ……」
子供の身体とは言え人間を投げ飛ばしたその腕力に改めて驚愕しつつも、コーウェンは激痛に喘ぐので精いっぱいだった。
コーウェンは薄れ行く意識の中、どうして魔法が発動しなかったのかを考える。そして辿り着いた答えが、この洞窟に充満する魔力のようなものが作用したということだった。
(いや、そもそもこれは魔力のようなものなんかではなく、正真正銘の――)
そこまで考えてから、コーウェンは苦しそうに咳をした。
口内に広がる血の味と同時に、歩み寄ってくる少年の気配を感じ取ったコーウェンは、瞬時に我に返る。
――どうでもいい。
――魔法のことは、今考えるべきことじゃない。
そんな当たり前のことにようやく気付くが、それ以上にこの状況で魔法が使えないということがどれだけの危機なのかを理解し、コーウェンの身体を経験したことのないほどの恐怖が染め上げた。
突然震え出した身体を叱咤するが、ダメージが大きいのか、それとも精神的なものなのか、下半身に力が入らなかった。
少年は変わらず、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「ぁ、ぃ……っ」
叫ぼうとするが、上手く言葉が紡げない。
それでも必死に壁際から身体をずらす。ここで動かなければ死んでしまうのだ。文字通り、死ぬ気の行動である。
だがそんな抵抗が目の前の敵に通用するわけがない。少年はコーウェンの前へと辿り着くと、右腕を振りかぶった。そして、躊躇うことなくコーウェンの頭へと振るう。
コーウェンは恐怖に目を見開きながら、最後の力を振り絞って首をのけ反らせる。
精神が肉体を凌駕したのか、それとも元々肉体へのダメージは小さかったのか、その回避行動の機敏さは少年にとって予想外だったらしく、止めとはなり得なかった。
コーウェンはとりあえず死なずに済んだ。だが――
「ぐぁああああぁぁぁぁぁぁッッッ――!!」
その指先は、非情にもコーウェンの左目へと届いていた。




