28 悲しき想い
エルフの国防衛戦の前線司令部に設置された複数の簡易テントを、篝火の赤い明かりが控えめに照らしている。
本来は国内に立てこもり城壁の上から攻城側を攻撃するのが防衛戦なのだが、今回は敵が魔物の大軍勢ということもあり、人間では考えれらない程強力な個体――城壁そのものを破壊しかねない程強力な敵の存在を警戒しなければいけなかった。だからこそ、そんな個体を城門へと近づけさせない為に“矛”の役割を務める部隊が必要だった。
通常の戦争でも少数精鋭の奇襲・撹乱部隊を抜け道から城外へと出兵させることはあるのだが、今回の戦はあまりにも数に開きがある為に、敵群へと正面から突撃できるだけの戦力をその役割へ充てる必要があった。そんな彼らを収容する為、魔物群の進撃ルートから逸れるような形で小さな丘の上へと構えているこの駐屯地は、まるで大都市を彷彿とさせるとても巨大なものだ。
そんな駐屯地を、一人の男が我が物顔で歩いていた。帝国から派遣された一部隊の、戦場指揮の役目を与えられた人物だ。
銀色の金属板で全身を覆うのは、プレートアーマーと呼ばれる防御力に重点を置いた装備だ。現在は頭部を覆うヘルムだけが未装備であり、熟練を感じさせる精悍な顔立ちが外気へと晒されている。
「今戻った」
自らの部下が身体を休めているテントへと辿り着いた男は、外観とは裏腹に覇気のない声で帰りを告げた。
ガチャガチャと重厚な音を立てる鎧を鬱陶しく思いながらも、男はテント内の異常にすぐさま気が付いた。
「誰もいないのか?」
その問いかけに返事はない。
いつもなら軽い調子で出迎えてくれる部下たちなのだが、今回に限っては違った。男は不審に思い眉を顰めるが、特にあり得ないような話ではないと、思考を切り替えることにした。
実のところ、男には余計なことに注意を払えるだけの精神的余裕がなかった。
つい先ほどまで各国の各部隊長、戦場指揮者たちとの間で、緊急事態により略式の軍事会議を行っていたところなのだ。
議題は二つ。一つ目は、戦場の中央で孤立した部隊への対処について。
後続部隊の進軍が思うように進まなかった為に、戦場の中央で孤立無援の戦いを強いられている部隊がある。
原因は、その後続部隊の前へ強力な魔物の集団が現れたからというものだった。元々そのような強力な魔物を撃破するのが目的だったのだが、それが集団で現れるというのは彼らにとって予想外だった。
――いや、ただの思慮不足。
そんな言葉が頭を過った。突き詰めて考えれば、やはり自分たちの想定が甘かったとしか言えないだろう。その結果として先ほど下された決断は、その孤立した部隊を切り捨てるということだ。
無念だが仕方がない。足止めを喰らった後続部隊は無事にその集団を撃破することに成功したが、そこの指揮官は、今更助けに向かっても間違いなく間に合わずその部隊の二の舞を踏むだけだ、との判断を下した。
(冷静であり、正しい判断だ)
男はその事実に、深く溜め息をつく。
一応という形で軍事会議にかけられた案件であったが、その以前からこの決定は揺るがないものだった。だからこそ、彼らを悩ませたのは二つ目の議題。
――コーウェン、ディーア、ゼファーの安否について。
三人が加わっていた部隊は予定通りに帰還を果たしたが、そこに彼らの姿はなかった。それについてその部隊の者たちは、『行方を見失った。戦死の可能性あり』という趣旨の回答をしている。
予知による救世主がこのまま何もせずに戦死することは考えにくく、十二英傑が二人同時に命を落とすということも同様に考えにくい、そのような理由で、結果的には彼らについても処置なしとの決定が下った。正確には、出来ることが見つからないだけなのだが。
あの場に集まった者たちは、皆が己の無力さを嘆いているかのように苦渋の表情を浮かべていた。
その時のことを思い出し辟易としていた男は、ふと、外が先ほどまでとは違った喧噪に浮足立っているような気配を感じた。
「あ、帰ってたんですね!」
同時に、テントの第二入り口付近から声がかけられた。男にとってはわざわざ見なくともわかる、自らの部下のものだ。
「ああ、少し前にな」
男が適当に右手を振りながら答えると、部下がその手を取り軽く引いた。
「そんなことより、ちょっと来てください!」
「……?」
何の騒ぎか、そんな軽い気持ちで部下の先導に身を任せ外へ出た男は、そこで信じられない光景を目の当たりにする。
軍事会議から戻って来たルートとは逆方向、テント群によって死角となっていた戦場方面――
そこでは集まった人々が一様に遠くの戦場を見下ろし、とある光景に魅入っていた。
数十万を超すであろう魔物群を、背後から蹴散らす大規模な火魔法にだ。定期的に何発も放たれ、周囲を控えめに囲む木々ごとあり得ないほどの広範囲を燃やし尽くし、その度に大軍が明るく姿を現す。それは少しずつ、こちらへと近づいて来ている。
現れた方角やその他様々な情報から鑑みて、その正体は明らかだった。
「自力で……、戻って来たと言うのか……?」
自分たちが見捨てたその部隊の勇姿を見て、男は口元を覆った。
尊敬、驚愕、自らへの呵責――様々な感情が渦巻く中、男は隣に立つ部下へと声を荒げる。
「援軍を出すんだ! 他部隊から体力の余ってる奴を千五百人ほど掻き集めろ! 指揮は俺が――」
「――その必要はないかと!」
間に合うかはわからないが、そんな心境でありながらも素早く指示を出す男の声を、部下の男は片手を上げることによって遮った。
「それについて報告しようと思っていたんです。――止めておいた方が良いのでは? と……」
少しだけ申し訳なさそうな雰囲気を漂わせるその口調から、男は自らがどれだけ冷静ではなかったかを思い知った。
再度、戦場を見渡す。魔物の背を撃つその大炎は一撃ごとの規模が大きすぎて、もし援護にでも近づこうものなら、魔物もろとも消し屑にされかねないではないか。
――だが当然、理由はそれだけではなかった。
その魔法の規模から可能性が限られて来るからである。――あれは行方不明になっていた、十二英傑二人と救世主の子供によるものだ、と。経緯こそ不明だが、彼らこそが“援護”そのものなのだろう。
だからこそ、すべきことは援護ではなく、駐屯地までのルート上に立つ魔物を予め排除しておくことだ。
駐屯地入り口付近の戦場を見下ろす。今更だが、既にその作業が行われているということを男は確認する。今のところ何も心配要らない、が――
「いったい、あの魔法は……?」
解せない思いがあった。
人によって得意不得意な属性が違い、魔力の消費の仕方にも個人差が出るのが魔法なのだ。にもかかわらず此度の魔法には、一回一回の規模や威力、属性に至るまで変化が一切ない。つまりは、二人以上のローテーションによる魔法とは言い難いのだ。
――まさか、個人による魔法なのか。
そんな可能性が頭を過り、男は信じられない思いでいっぱいになる。常人には一撃ですら放てない規模の魔法なのだ。だからこそ、初見で、あれはコーウェンたちと行動を共にしていた十二英傑のものだと判断した。それを一人の人間がペースを乱すことなく、何発も連続で放ち続けられるわけがない。歴代の魔導師でも、そんな芸当が可能な人物は数えるほどしか存在しないだろう。
――ではいったい、誰による魔法なのだろうか。
ゼファー・トルークは大規模な魔法を苦手とする。彼が得意なのは、無詠唱の魔法を間髪を入れずに連射することである。
だとすれば考えられるのは、ディーア・シルエットによる魔法だということ。彼女の戦闘を直に見たことがあるが、同じ人間だとは到底思えないものだった。正真正銘の化け物、それが十二英傑筆頭の第一印象だった。
だが、ディーアが得意なのは水魔法だ。これほど高難易度な戦闘を繰り広げる際、わざわざ不得意な属性を使用するなど愚の骨頂だ。
いや、そもそも先に述べたとおり、魔導師レベルの魔法使いでも実現することは難しいのだ。ディーアでもあり得ない。それならばやはりディーアとゼファーが――もしかしたらコーウェンも――なぜか魔法を統一し、交互に放っていると考えた方が現実的である。
そんな男の疑問を知ってか知らずか、両隣りでは大勢が例の戦場へと目を凝らしている。だが彼らも、かの魔法が異常なまでの完成度だということは理解出来ているのだろう。興奮と歓喜を隠そうとする者はいない。
そんな彼らを見て、男は思考を放棄することにした。
(止めだ。今はただ、彼らの勇姿を讃え、生還を祈ろう)
結局は彼にとって、あれが誰による魔法かなどどうでも良いのだ。心の奥底にある本音は、惜しみのない感謝。自らの部下であり友である、あの部隊にはそんな人物だって多く所属しているのだ。間違いないのは、この感謝が偽りの感情ではないという確信である。
そんな部隊はゆっくりと、だが通常では考えられない速度で戦場を駆け、着実にこの駐屯地へと近づいて来ている。やがて彼らが背丈の判別が可能なまでに迫って来た頃、この駐屯地のボルテージは本日最高なまでに高まった。
隣に立つ部下が、信じられないとでも言いたそうに呼吸を荒くしているのを感じる。
これには指揮官の男も冷静ではいられなかった。手に滲み出る汗を、震える手足を、己の意思で制御することなど不可能だった。
先頭に立ち、魔法を放ち続けるその影はとても小さな――
「救世、主……」
その呟きは、怒号のような大歓声の前ではとても微々たるもの。ただ一つだけ男にも言えることがあるとすれば、それは後の英雄の幼き姿、自らが歴史の目撃者になったという静かな確信だけだった。
そして彼らが無事にこの場へと辿り着いた時、全ての戦場へと木霊した救世主の名――それは後に語られることとなる、コーウェン・ディスタートの伝説の幕開けであった。
◆◇
その華奢な背中に、自らよりも遥かに華奢な身体をしているコーウェンを背負いながら、ディーアは駐屯地を奥へと進む。
孤立した部隊を先導し無事に帰還を果たした直後、コーウェンは抱き付くようにディーアへと倒れこみ、そのまま眠りについた。あり得ない行動に思えるかもしれないが、ディーアはそれが至極真っ当なものだと理解している。
結論から言うと、コーウェンは魔力を消費しすぎた。
開戦前に徹夜で魔力を練る――などとは比べものにならない程の量を、戦争という一種の興奮状態を利用し誤魔化しつつ、限界を超えて練っていた。これには戦場を共に駈けていた冒険者たちはもちろん、ゼファーやディーアですら感服していた。
まだ明日がある。そのことを考えれば愚かな行為だ。
だがコーウェンは言っていた。
――『僕が頑張れば頑張るほど、犠牲者を減らすことが出来ます』
その言葉に違わぬよう、彼が放っていた魔法は全てが広範囲を焼き尽くすものであり、後に続く者たちが敵と刃を交える機会は限りなく少なかった。犠牲者ゼロと言われても信じてしまえそうな、それほどの――
「無理をさせて、済まない」
背中で眠っているコーウェンの頭へと片手を伸ばし、優しく撫でてやる。静かな寝息が聞こえて来た。
その姿は歳相応のものであり、幼くして力を持ちすぎているコーウェンが可愛そうに思えて来るほどだ。
この力がなかったら、長老の予知に名が出ることはなかっただろう。
この力があるからこそ、コーウェンは周りの者を護る側の立場であることを強要される。
――本当に、申し訳ない。
ディーア自身、その役を代わってやりたいという気持ちでいっぱいだった。だが、今回の戦争で思い知った。
――お前が立つ所は、あまりに高すぎる……。
そもそも、なぜこれほど魔力を消費するまでコーウェンに戦闘を任せたのか。単純に、代わってあげるための実力がディーアには備わっていなかった。それが酷くもどかしく、心を締め付ける。
無理矢理にでも交代するべきだったかも知れないが、そうすると確実に怪我人の数は増しただろう。結局のところ、成す術がなかったと言い訳することしか出来ない。
ディーアはやるせない思いを抱えながらも、目的の場所へと辿り着いた。そこは周りとは一線を画す、この駐屯地で唯一の木造簡易小屋だ。形は単純であり造りも然り、当然ながらサイズも小さいのだが、たった数日の内に作り上げられたものだと言われれば驚く出来であることは間違いない。
これは、コーウェンを戦場へ出すことに反対していたシルバを、(不本意ながら)ネイルの救出成功をネタに説き伏せた時、「せめて駐屯地では」と、彼が自らの部下に作らせたものだ。
ディーアは門番を務める衛兵に軽く会釈をすると、扉を開き中に入った。
全く特徴らしい特徴のない小屋なのだが、それでも周りの世界との隔絶を感じ、心が穏やかになる。
別に、先ほどからも周りの視線が気になっていたわけではない。帰還直後はあれだけ騒いでいたにもかかわらず、二人を――正確には背中のコーウェンを離れた位置から眺める者ばかりだったから。
「ふふっ、あれは確実に、お前の可愛らしさに度胆を抜かれていたな」
こんな冗談が言えるのも、隔絶の効果だろう。語り掛けられたコーウェンからは、案の定、寝息しか聞こえてこない。
ディーアはそんなコーウェンを簡易ベッドへと寝かせると、二人分の装備を外し、自らもその隣へと横になった。
「今日ぐらいは良いだろう?」
当然、返答はない。
ディーアは小さく微笑みながら、コーウェンを優しく抱き寄せた。
「ベッドが元々一人用だから、こうでもしないとずり落ちてしまうんだ」
眠っているコーウェンへと言い訳を紡ぐディーアだが、その心境は複雑なものだった。
コーウェンはおそらく、世界で二番目に強い魔法使いだ。この歳にして、上に立てる者は魔導師くらいしか存在しない。少なくとも、ディーアが過去に見聞きした者の中ではそうだ。
それが酷く悲しい。
才能あふれるコーウェンへの嫉妬や、先ほど述べたその存在意義、とても賢くとても心優しいからこそ、見ていられない。
おそらくそう遠くない未来で、コーウェンは傷付き、血を流すことだろう。強いからこそ、だ。
「うぅ……ぅ……」
ディーアの目尻から、一筋のしずくが頬を伝った。夜中ということもあり、少し感傷的になっているのを自覚する。
それでも、この悲しみは理屈によるものではなかった。
泣くなんて大袈裟だ、そう思うが、やはり理屈ではない。
ディーアはコーウェンの頭へと顎を乗せると、グレーの髪を優しく撫でつけた。
「私にはな、そんなウェンが、どうしても魅力的に映るんだ……」
ディーアは軽く涙を拭うと、目を閉じた。
「大好きだよ……」




