25 開戦の日
日は落ち、辺りはすっかりと暗闇に支配されている。
城壁外の前線司令部をとり囲むかのように篝火が焚かれており、隣に立っているディーアの顔が赤く染まっていた。
上空を見上げると、月明かりによって照らし出された曇天が今にも泣きだしそうに張り詰めている。そのまま視線を遥か後方へとスライドさせると、城壁の上に並び立つ弓兵・魔法兵たちの姿が見て取れた。彼らの眼光は一様に森の奥地へと向いている。
城壁の上にはこことは別の司令部が設置されている為に、同じような篝火に照らされており彼らの表情が一人ずつ見分けられる。
――ある者は恐怖に顔を歪め。
――ある者は憎悪に燃え。
――ある者は正義感に酔い。
――ある者は使命感に支えられ。
皆それぞれの思いがあるようだが、共通して見られるのは『強い覚悟』だ。
――“エルフの国防衛戦”開戦当日。
コーウェンは改めてその事実を意識した。
彼が今立っているこの場所は、正真正銘の最前線だ。当然ここから前方へと展開するわけだが、それよりも前には魔物と人間双方の死体が転がるだけとなる。
手を握りしめると、じっとりと汗をかいていることに気付く。
変えることのできない未来に対し自らも恐怖しているということを自覚すると、それを振り払うかのように身体の向きを変えた。
視界に入って来たのは――連合国軍。
エルフの国からは、一般志願兵の別部隊を合わせて十一万。王国からは五万。帝国からは六万。その他の小国を合計し五万。――話ではそう聞いていたが、それ以上――言ってしまえば、無限にいるのではないかと思ってしまうほどの大軍だ。
味方であるにもかかわらず、まるで四面楚歌のような錯覚に陥り背筋を冷たい汗が伝う。
それぞれ国別で陣を敷いており、当然それぞれの指揮官が彼らを率いて戦う。
エルフの国の兵士は軍を複数に分けており、その一つが先ほど城壁の上で見た彼らである。そして、そこの指揮兼、連合国軍総司令を務めるのが、かつてコーウェンが初めてこの国を訪れた際に出迎えてくれた『特群』の隊長――レイネイ・クラウジックだ。
なんだか余計に恐怖感を覚えたような気もしたコーウェンだったが、やはり友軍の大きさを確かめると安心の方が強かった。
コーウェンが加わっているこの集団は全員が冒険者だ。彼らは普段から集団戦闘の訓練を行っているわけではないので、それぞれが三から六人ほどのチームを組み、独立遊軍として戦闘に加わるというわけだ。
数こそ正規軍には遠く及ばないものの、一人ひとりの戦闘能力はそれらを凌駕することだろう。訓練ではない命がけの戦いを多く経験しているという差はやはり大きいものだ。
――と、誰ともなくその冒険者たちが一様に、さらに前方へと歩き出した。
見ると、城壁の上に設けられた大鐘の前へと一人の男性が陣取っていた。そして何かを確認するかのように隣の男性へと耳打ちをすると、突き棒に垂れる縄を握った。
瞬間、耳をつんざくけたたましい轟音が、これから戦場となるこの平原へと響き渡った。
ディーアに聞かされていた。――この鐘は、予知による戦闘開始時刻より一時間前のもの。
コーウェンはディーアの袖を掴むと、顔を覗き込んで来た彼女と頷き合う。
――平気だ。怖いけど、俺だって戦士だから。
コーウェンは自らの身体を覆う革製の軽装を、まるでそれが幻覚ではないかを確かめるように軽く小突いた。コールが手配してくれた一級品のプロテクター、アンクレット、レガース、――そして剣。
一見頼りないかに見えるその防御面積は、関節の動きを阻害したりスピードを殺す原因となったりするものを徹底的に排除した結果だ。寧ろ、もっとも最善の装備だと言える。
そして歩き出したコーウェンの隣を、ディーアが付いて来てくれる。百メートルほどの前進の末に、冒険者たちはまるで打ち合わせたかのように一様に横へと広がり出した。コーウェンも適当な位置を見つけ、真似をする。
やがて配置に就いたコーウェンは、ディーアの袖から手を離した。
――俺は大丈夫だ。戦える。自信を持てコーウェン!
もう何度目になるかわからない自分への言い聞かせを終えると、コーウェンは目を閉じた。
その時、ふと生温かい匂いが鼻を衝いたような気がした。それは嗅覚の上昇したコーウェンでも僅かに感じた程度だったが、それでも気のせいではないと確信できるものだった。
コーウェンは不思議に思い目を開けると、平原から見下ろせる最奥の森に複数の電飾のようなものを見た。当然そんなものはこの世界には存在しないが、赤に光る複数の輝きがどうしてもそう見えてしまう。
――あれは……松明の火? ……魔物か?
コーウェンがその正体に気付いた時、それは起こった。
眼前から眼下にかけて際限のない広がりを見せる森全体に、次々と同じ輝きが灯り出したのだ。初めはまばらに少しずつだったのが、段々とその速度を増して行く。それは止まるところを知らず、一瞬にして夜の帳が晴れたかのようだった。
とうとう雨が降り出したのと同時に、やがて視界を埋め尽くしたのは――
「嘘、だろ……」
――絶望を知らせる、赤い絨毯だった……。
◆◇
時は、開戦当日の早朝へと遡る――
早朝とは思えないほどの活気が、コーウェンを夢の世界から覚醒させた。
強制的に叩き起こされたことに対する苛立ちはほんの僅か、とうとう開戦当日を迎えたんだという実態のない事実が、瞬間的に心拍を跳ね上がらせた。
「おはよう。よく眠れたか?」
眠気を振り払いながら振り返ると、部屋の入り口に立っているディーアの姿を認識する。
「はい。これ以上ないほどに」
「ふふっ、それはよかった」
ディーアは組んでいた腕を解くとコーウェンの元へと優雅に歩み寄り、その小さな身体を抱き起こした。
突然の行動にコーウェンの頭を過ったのは恥ずかしさではない。――首を傾げながら、ただされるがままに身を委ねた。
「朝飯は後だ。今は人を待たせているからな」
ディーアはそれだけを言い切ると、状況を理解できていないままのコーウェンを家の外へと連れ出した。
その行動でようやく恥ずかしさを感じ始めたコーウェン。上昇した腕力でディーアを傷付けてしまわない程度に抵抗の意思を示すが、視界に飛び込んで来た光景に呆気にとられ、固まった。
玄関先には通りまでを埋め尽くし止まないほどの人、人、人の群れ。百人近くはいるだろうか。彼らは例外なく何らかの武器を所持しており、武人の雰囲気を感じさせる佇まいだ。
「あ、えーと、まずは降ろしてくれませんか? 恥ずかしい……」
ひたすら狼狽えながら出た言葉は若干震えており、その心情を如実に表しているものだった。
それに対し、ディーアの口元が意地悪く歪む。
「おいおい、今こそウェンの可愛らしさを世間へと発信するチャンスじゃないか」
「いやいや、そんなこと望んでませんって」
「じゃあなぜ己の力で振り払わない? 知っているぞ、ウェンは何だかんだ言いながらやっぱり可愛いんだ。最近はよく私に甘えてくれるからな」
――それ、理由になっていない。
二人の間で繰り広げられる漫談に、周囲の人間が口元を覆い小さく笑っている。コーウェンは恥ずかしさに耐え切れなくなると、ディーアが言っていた通り力づくで拘束から逃れた。
楽しそうにコーウェンをいじめるディーアだったが、ふと、今日の彼女はいつもに増して機嫌が良いように感じた。この集団が関係しているのだろうか。
「……あの、ところで彼らは?」
「ふふっ、良く聞けウェン。彼らは私たちと『集』を組みたいんだそうだ。言うなれば臨時パーティの候補だな」
「へえ……」
首だけを動かし彼らを見渡すと、同時に先ほどまでの安穏とした雰囲気は綺麗になくなった。
全員が真剣な眼差しでこちらを見つめて来る。それはまるで、眼力だけで己の強さを誇示するかのような、そんな鋭いものだ。
だが、いったいどうしてか。
確かにディーアからは、冒険者や一般志願兵は大集団での連携に慣れていない為に、少数で集を作り互いが互いの助けとなって戦うのだと教わった。
彼らもそれのメンバーを求めてこの家にやって来たのはわかるのだが、なぜ二人がその対象になっているのか、そして対象になるにしてもなぜ当日になって急に人が集まるのか、コーウェンにはわからなかった。
訝しげに黙り込むコーウェンを見て、ディーアが簡単に補足し始めた。
「今日の朝一に冒険者ギルドへと参戦登録を済ませて来たのだ。ほら、私たちの戦い方は私に一任することになっただろう? だから、冒険者の遊軍隊に加わることを選んだんだ」
ディーアは笑いながら「元々二人の集で登録したのだが」と、まんざらでもなさそうに口元を綻ばせた。
それで、状況の理解に至る。
コーウェンがエルフの国へやって来て初めの内は色々と動き回っていたが、それらが一段落してからはずっと部屋に引きこもって魔法の鍛錬に明け暮れていた。だから国民の感情に触れる機会は少なく、コーウェンの脳裏に残っているのは初日に失望の感情を向けられた時のことだけだ。
だからこそ、こうやって二人を頼ってくれる人がたくさんいて、ディーアは嬉しくてたまらないのだろう。
集まった彼らは、突然スイッチが入ったかのように二人を勧誘し始めた。
ひたすらに頭を下げる者や、己の成した業績を知らせて来る者、二人を賛辞する者、様々な方法で詰め寄って来る。
だが、ディーアは彼らを片手を上げることで制する。
「皆すまない! 気持ちはありがたいが、私たちはむやみに人数を増やすつもりはない!」
力強く堂々としたその発言を聞いて、彼らは渋々と二人との距離を広げる。
予めこうなることは予想していたのだろう、本気で残念がる様子は見受けられない。
だが、コーウェン自身二人きりの集に若干心許なさを感じざるを得なかった。確かに中途半端な実力者を迎えるのは、二人にとってもその本人にとっても良いこととは言えないだろうが。
コーウェンのそんな思いを知ってか知らずか、ディーアは集まった冒険者たちにお帰りを願っている。
次第に彼らは去り始め、数分もすれば二人を囲んでいた集団は綺麗さっぱりなくなってしまった。
少し残念な気持ちと、それでも自分たちの力を信用してくれている人物があれほどいたという事実に嬉しさを隠しきれないまま、コーウェンは家の中へと戻った。
寝起きだということを思い出した途端に突然眠気を感じたコーウェンは、背を反らし大きく伸びをする。
全身の筋肉が瞬時に弛緩するような気持ちの良い感覚を味わいながら、室内を見渡す。
部屋の中央は丸々何も置かれておらず、壁際に本棚や収納といったさして特徴のない家具が見えるだけ。相変わらず余計なものが置かれていない質素な部屋だが、コーウェンはそれはそれで好感を覚える。
コーウェンに続き家へと入って来たディーアは、リビングや食卓として使用している隣の部屋へと歩き出す。何気なく彼女に付いて行くと、食卓として利用しているテーブルの一席に一人の男性が座っているのに気付いた。
一瞬魔力を練りそうになったコーウェンの頭には、シルバから警告された『グリムガム』と、それに準ずる刺客のことが過ったのだろう。
当然そんな無礼を働くことはなく、当たり前のように男性の向かいの席へと腰を下ろしたディーアに、疑問の声を投げかける。
「あの、ディーアさん……?」
「ん、どうした? ウェンも早く座れ」
「あ、はい」
ディーアに諭され、コーウェンはディーアの隣へと座った。
「……で、彼はいったい……?」
「ああ、さっき言っただろう? 客を待たせているって」
「え……?」
一瞬意味がわからなかったが、すぐに起床直後の会話を思い出した。
「ああ、そうでしたね。ってか、客ってあの冒険者たちだと思ってました」
「それだとわざわざウェンを連れ出す意味はないだろう」
「ああ……、言われてみれば」
ディーアは納得したコーウェンの顔を満足そうに確かめると、向かいの男性へと向き直った。
「ほらウェン、ちゃんと挨拶しろ」
「はい――」
コーウェンも向き直る。
「――初めまして、コーウェン・ディスタートと言います」
「ああ、知ってるよ。ディーアもだが、君の父親には世話になったからな」
そう言った男性は、コールのくすんだものとは違う綺麗な金髪を逆立てており、一見厳つい印象を受けさせる外見をしている。怖い雰囲気もあるのだが、小さな所作や声の出し方からすぐに好感を抱いた自分に気が付いた。
「父さんと? それにディーアさん……?」
「ん、私たちは特に心配されるような関係じゃないから、嫉妬する必要はないぞ?」
横からボケをかましてくるディーアを適当にあしらいつつ、それでも彼らの関係は気になった。
確かに見た目年齢的にはこの二人が元恋人同士だとか言われてもおかしくはないのだが、最近見分けがつくようになったコーウェンには、彼がエルフであることがわかっていた。
おそらく昔からの馴染みなのだろう、と推測できる。
だが、この男性はディーアだけではなくコールとも知り合いだと言う。
「俺は現役の冒険者なんだが、昔は炎龍の討伐隊に参加していた」
「え、それって……?」
最早頭の中では答えに辿り着いているコーウェンだが、聞かずにはいられなかった。
男性は「そうだ」と頷き、誇らしげにすることもなく、威張ることもなく、静かに口を開いた。
「十二英傑“支援遊撃席”ゼファー・トルークと言う。この度は君たちの集に加えてもらうこととなった。よろしくな」
ゼファーと名乗った男性はさらっと自らの功績を述べると、大きな手を差しだして来た。
コーウェンが驚きを隠し切れないままに握手に応じると、それを見ていたディーアがなぜか誇らしげに胸を叩いた。
「ふふん、私は以前ウェンに『指を一本動かすのと、魔力を練るのとではどちらが難しいか』という趣旨の質問をしたことがあっただろう? あれは、この男の代名詞とも言えるようなものなんだぞ。まあ、自分で言ったことではないがな」
コーウェンは、ディーアの言いたいことの真意を掴めず、ゼファーへと視線を移した。
こちらの視線に気が付きこちらを見返して来た彼の目には、自らを十二英傑だと明かした時とは違って小さくない誇りを抱いているように見えた。
「『一本の指を動かすよりも楽に、魔力を練れる唯一の男』。彼はな、全ての魔法使いの中で、最も魔法の発動が速いと言われている男だ」
その発言を引き継ぐかのように、ゼファーは「少し大げさだがな」と呟いた。
コーウェンは唖然とした。
もちろん魔法を最速で発動できるからと言って、彼が世界最高の魔法使いだというわけではない。無詠唱で発動できる魔法の幅はコーウェンの方が広いだろうし、詠唱した時の威力の高さはディーアの方が上なのだろう。そして実際に世界最高の魔法使いとして、別の人物が『選定魔法導師』を名乗っているくらいだ。
だが、その中の誰にも負けない要素を持っているのだ。コーウェンにも真似できない要素を。
そして、これで彼らの“集”が完成したこととなる。
エルフの国最高の魔法使い、十二英傑“重火力席”――ディーア・シルエット。
世界最速の魔法使い、十二英傑“支援遊撃席”――ゼファー・トルーク。
そしてその中心には、予知による“絶対的救世主”――コーウェン・ディスタート。
コーウェンは、集まっていた冒険者たちへ放たれたディーアの言葉を思い出す。
彼女はむやみに人数を増やすつもりはないと言い、コーウェンも心の内ではその考えに賛成だった。
そしてその直後に知らされた、新たな加入者の存在。
コーウェンは、情けないことに、ここまでのお膳立てを経てようやく胸を張れる自分に気が付いた。
――俺たちは必ず、この国を護り抜くんだ、と。




