24 コーウェンの判断
窓から差し込む光が顔を覆ったことで、既に朝になっていることに気付いた。
特殊魔法の修得と、長老から教わった新魔法の練習、今のコーウェンにはやるべきことが多すぎた。
生活習慣の悪化は修練の効率を妨げるとは知りながら、それでも朝まで魔力を練り続けることが最近の日課になってしまっている。
「はぁ、はぁ、はぁ――」
コーウェンは額に滲む汗を拭いながら、苦悶に顔を顰めた。込み上がって来る苛立ちに耐えかねぬように髪の毛を鷲掴みにすると、乱れた前髪が視界の端に入り込む。
少し青味がかったグレーの髪色は、まるで白黒はっきりとしない今の心境を表しているかのようで気分が悪かった。
「もういい加減に休め。ほら――」
板張りの床に壁、無駄なものは何一つ置かれていない質素な、よく言えばストイックなこの家の主であるディーアが、優しく諭しながら手を差しだした。
コーウェンは渋々その手をとると、その小さな身体をディーアへと預けた。
「すみません、ずっと起きていてくれたんですね」
「ああ、何度も声をかけていたのに、ウェンが反応しなかっただけってのもあるがな」
「……本当、すみません」
「いいんだ」
ディーアは持っていた布でコーウェンの汗を拭うと――
「とりあえず、今からでも眠るか?」
――と聞いた。コーウェンは首を横に振る。
「汗だけ流して、その後はもう一度訓練を続けます」
「……身体、壊すぞ?」
「……時間がありません」
そうだ、時間がない。
ネイルを森の中から救い出したあの日から、早くも十五日が過ぎたことになる。そしてそれは、開戦まで残り五日を切ったことになる。
にもかかわらず、コーウェンはまだ特殊魔法の修得に成功していないのだ。さすがに以前のようにふざけ合っている余裕などはない。
コーウェンは自分の力を過信しない。
世界最高の魔法使いである選定魔法導師よりも自分の方が下であると理解しているし、自らの力を持ってすれば国を滅ぼすほどの大軍勢を打ち破れるとも思っていない。
だからこそ、コーウェンがここに呼ばれた理由に、開戦までの期間に特殊魔法を覚えるという条件があってのことだろうと推測している。
だが、ほぼ不眠で魔力の上質化に取り組み、コーウェンの莫大な魔力量を消費し尽くすほどに時間を割いても、特殊魔法までの最後の一押しが上手くいかないのだ。
九割がたは完成したと言ってもいいだろう。だが、実際にディーアと長老に魔力を見せてもらった時に、自分のものとは大きく質が違うことを思い知らされた。
二人の魔力はとても静かで、それでいて力強く、まるで“音も飛沫も上がらない滝”のように感じた。
コーウェンの魔力はそこまでのレベルに達していない。
なまじ魔力量が多すぎるせいか、なまじ魔力が視認できるせいか、理由はわからないが、コーウェンには自分自身の魔力がはっきりと理解できないのだ。魔力の存在自体は鋭敏に感じ取れるというのに、最早笑うしかない。
生まれ変わって初めて己の才能に向き合わなければいけない。そんな、とても大きな一押しが最後の壁として立ちはだかっているのだ。
「ウェン、一緒に寝よう。言っただろ? 長老の予知を信じろ。間違いなくお前はこの国を救うんだ」
「……でも、僕を連れて来ることが最善策ってだけであって、既に国の未来は護られた、ってわけではないんですよね?」
的を射たその言葉に、ディーアはそれでもかぶりを振った。
「戦うのは何も、ウェンだけではない。私だっている。安心しろ」
「……はい」
頭を撫でて来るその優しい手に心の鎮静を感じつつ、コーウェンはふと窓から外を見やる。
現在、町は以前とは比べものにならないくらい慌ただしく騒いでいる。
エルフの国は、王国と、魔物の住処と言われている大きな森との中間に位置している。その為、魔物が攻めて来る方角と言うのはほぼ完ぺきに把握できており、王国や帝国から派遣された軍隊は既に本陣を敷いている。
世界三大国であるエルフの国が滅ぶと、困るのは帝国だそうだ。
自らが侵略するのならともかく、それが第三者の手によるものだということは、間違いなく亡国は領土の面している王国へと吸収されるからである。
そもそも、王国と帝国では持っている武力が全然違う。戦争になれば勝てないことは必至であろう。
参加するかどうかはともかく、王国は十二人の十二英傑の内、実に七人を有しており、それに対して帝国からはたった二人しか輩出されていない。
他にも、特殊魔法の使い手という問題もある。
現在確認されている三人の内、十二英傑コール・ディスタートと、選定魔法導師ファウリッド・ミーレスは、いずれも王国出身の魔法使い――コールは異常だが――だ。
魔導師が戦争に参加するということは規約に反しており世界中から反感を買うことは間違いないが、それを諌めるだけの力を持つ国は限られている。当然エルフの国と帝国が滅べば、王国の一人天下だろう。
だからこそ、現在の三つ巴の体勢を帝国は崩すわけにはいかないのだ。
そして帝国が軍隊を派遣したということは、王国も軍隊を派遣しないわけにはいかなくなる。
――あの日、長老から聞いた話だ。
だから、ディーアの言うことは間違っていないのだが。
「僕とディーアさんが出会って、どれくらい経ちましたっけ?」
窓の外から視線を戻したコーウェンは、唐突に聞いた。
ディーアは首を傾げながらも、顎先に指を添えて思考を巡らす。
「そうだな……、と……、大体五か月半に満たないくらいだな」
「……ですね。ええ、そうです」
ディーアはその体勢のまま、ひたすら訝しげな表情を向けて来る。
そんなコーウェンの頭に浮かぶのは、彼女との思い出と、ある言葉だった。
長老の家を訪れた次の日にネイルがこの国へ帰って来たという報せが届き、二人で話を聞きに行った時のこと。その時はネイルと会話を交わそうと思っていただけだったのだが、シルバからコーウェン個人へ話があるということで、急遽個別対談が始まった。
まずは、コーウェンの命を狙う『グリムガム』という組織と、それにまつわる貴族たちとの騙し合い。
そして、もしかしたら『大華炎』などという、シルバが予想していたよりも遥かに恐ろしい連中が刺客として潜んでいるかもしれないということ。
理由は不明だが、その『大華炎』の一人がネイルを狙ったということ。
どれも刺激的で信じがたいほどにドロドロとしたものばかりだったが、経緯と共に聞かされた最後の言葉が、
――ディーア・シルエットに気を付けろ。
「ねえ、ディーアさん。僕はあなたのことを信じていますよ。だから、安心してもいいんですよね?」
「あ、ああ……! 当然だ!」
「一緒に戦ってくれるんですよね?」
「その通りだ!」
「ディーアさんは、僕がこの国を救えるって、本気でそう信じてくれてますか?」
「……ふふっ、だから、ずっとそう言ってるじゃないか。ウェンは間違いなく、この国を救う」
「……ディーアさんは、僕のことをどう思っていますか?」
「ん、大好きだぞ?」
「では、ディーアさんは――」
一瞬口ごもるが、脳裏を支配する彼女との思い出が後押しをする。
「――僕を、殺したりしませんか?」
一瞬、時が止まったかのような錯覚に囚われた。
(さすがに唐突過ぎたか? ってか、その前に意味がわからないか?)
二人の間を沈黙が漂い、ついコーウェンは己の発言に自信を持てなくなる。すなわち、否定されることへの恐怖を感じたのだ。
だが、ディーアのとった行動は予想外の――いや、当然のものだった。
「んー、今日のウェンは変だな。熱でもあるのか?」
言いながら、額に手を当てて来る。
「熱はないようだが……。この前みたいに冗談ってわけではないよな? やはり、もう寝た方が良いぞ?」
額を露出させる時に上げた前髪を押さえるように、ディーアは頭を撫でて来る。
優しい手つきによって視界を埋める前髪の向こうには、この五か月半で何度も見た彼女の笑顔がある。
瞬間、バカらしくなった。
「そうですね。すみません、なんか……。わかりました、一度眠ります」
「そうか、それで良い。服は洗濯しといてやるから、さっさと脱げ」
「あ、いえ……。今はいいので、とりあえず一緒に眠りませんか?」
少し躊躇いがちに言うコーウェンに対し、ディーアは間抜けな顔を浮かべる。
「やはり、今日のウェンは少し変だ」
「もうわかりましたから。どうします?」
「……そうだな。私も寝ていないから、そうするよ」
「ベッドで待っているからな」と、これ以上ないほどに普通だが、客観的に見ればこれ以上ないほどに勘違いをしてしまいそうなことをセリフを言い残すと、ディーアは寝室へと向かった。
コーウェンは庭と言うには少し狭すぎる軒下のスペースで上半身だけ裸になると、魔法で生み出した水を頭からかぶり、簡易的なシャワーを済ませる。
季節は春の中ごろから終わりにかけて。時間帯によっては少し肌寒い季節だが、魔力のほとんどを消費している今のコーウェンでも簡単な温度調節はできる。
寒さに震えることなく全身の水気を拭き取ると、室内で全身の着替えを済ませ、寝室へと続く。
ほんの五分ほどの誤差だが既に小さな寝息を立てているディーアに、徹夜に付き合わせた罪悪感を覚えながら、設けられた隣のスペースへと身体を潜り込ませた。
――ああ、温かいな。
旅の途中でも隣り合って寝ていたが、当然同じベッドで並んで眠るのなんて初めてだ。思い返せば、リグルドに残して来た三人の家族ともこんな経験はなかった。
――こんな温かい人に、いったい何を気を付けろと言うんだ。
先ほどの自分にあの時のシルバ、そして最初に疑問を感じたと言う側近の男性を思い出し、コーウェンはまるで嘲笑するかのように小さく微笑んだ。
◆◇
「そうか……」
二つの辺だけが極端に長く、様々な燭台が染み一つない真っ白なクロスの上に置かれた長方形のテーブル。そこへ並べられた多数の席の一つへと座っていたエルフの国の王は、報告に上がった部下に対してそれだけを呟くと、そのまま下がらせた。
王宮に集まった世界三大国、そしてそれ以外の小国たち、それぞれ派遣された軍隊の指揮を司る者たちが堂々たる風格を身に纏い自分たちの席へと就いている。
だが、彼らの顔に浮かぶのは疑問と納得の、相反する二つの感情だけだ。
「して、まだ魔物たちに動きはないとのことですか……」
「もう開戦は五日後にまで迫っているのにか」
「だとすれば、予想していた最悪の事態が、もしかしたら訪れると言うことですか」
一人の男が言い放ったその言葉に、この場の全員の顔が神妙なものへと変化して行く。
最悪の事態とは、より多くの魔物が襲来し、より強い魔物が背後に控えているという状況のことである。
当然だと言えば当然なのだが、当初この戦争は大軍を率いた一種の魔物が気まぐれで侵攻を開始することによるものだと考えられていたのだ。気まぐれなどと聞くとおかしく感じるが、知能の低い魔物の場合にはこの可能性も皆無ではないのだ。
だが、開戦間近になろうとも魔物たちには何も動きが見られないと、そう報告があったのだ。
つまり、ここである仮説が成立する。
――とびぬけて強大な個体が、付近の魔物たちの生態系を荒らした場合。
もし今回の侵攻が、そのような存在から逃げようとするためのものならば、という仮説である。
エルフの国は王国と、魔物が多数生息する地点との境目に、まるで通せんぼをするかのように築かれている。だから魔物たちがその存在から逃げるためには、この国の領土を一部跨ぐ必要があるのだ。
この仮説が成立する時、先に言った最悪の事態が現実味を増してくる。
――もしもその存在が、付近では類を見ないほど強大なものだったら。
――もしもその存在が、この国への攻撃に参加して来たら。
長老からの報告には、こうあった。
――この国を覆う森の、全ての魔物が侵攻して来ると考えても良いほどの数、と。
現状と条件と予知、全てが都合良く噛み合っているではないか。
「ですが、どうかご安心を。救世主であるコーウェン・ディスタートも、既にこの地へと足を運んでおる」
「しかし……」
堂々と言い放つ王に対し、小国の男が苦言を述べようとした。
だが、皆わかっている。長老の予知はあくまでも最善策を知る為のものであって、その通りに動いた結果がどうなるのかはわからないのだ。
男は口を閉ざすと、それきり黙り込んでしまった。
きっと、皆も同じことを考えているだろう。
人類には十二英傑や魔導師なる者たちが存在する。だから、究極的に考えれば世界三大国の内の一つが滅びるなんてことはない、と。
果たして思惑通りにことが運ぶかは疑問だが、やがて彼らは開戦を迎えることとなる――




