23 帰還
コーウェンとディーアがエルフの国へと到着したころには、既に朝日が石畳を優しく照らし出していた。
徹夜明けで言い知れない疲労感を訴え続ける眼球に、白い太陽光を浴びることによって気持ちの良い痛みが走る。
――開戦まで、残り二十日。
コーウェンは静かに瞼を閉じると、息を吐いた。
「ディーアさん、僕に長老を紹介してくれませんか?」
二人がネイルの目覚めを待たずに帰って来た理由は、単純に開戦までの時間的猶予がなかったからだ。
救世主という存在に希望を見出し、自らの危険を承知でこの国に残ることを決意した者の狂気を、数日前に目の当たりにしたばかりだ。その時はコーウェンの姿を見てあからさまに落胆を見せた男性も、後に冒険者ギルドで開かれていた、独立遊撃隊としての作戦会議に顔を出しているのをディーアが見たと言っていた。
そんな彼らの期待に応えたい。――それも当然なのだが、やはりこの国で数日過ごしてみて、日本人としての記憶を持つことが影響しているのかはわからないが、誰にも死んでほしくないと思った。
だから、一人でも多く特殊魔法の使い手に接触し、少しでも魔法使いとしての力を蓄えられればと思ったのだ。
そんな思いを察したのか、ディーアは優しく微笑んだ。
「ああ、承った。ところで、今日はもう寝ないのか?」
「ええ、馬車の中で少し寝ようとしたのですが、どうしても気分が昂ぶって」
「そうか。まあ、ウェンがいつも何かを考えているのを私は知っているからな。私も付き合うよ」
その言葉に申し訳ない思いに駆られるが、それ以上にディーアの思いがコーウェンには嬉しかった。
ネイルを無事に見つけ出せたという幸せに加え、おそらく徹夜明けの変なテンションにも影響を受けたのだろう、コーウェンは「ありがとう」と小さく呟くと、ディーアへと満面の笑みで応えた。
「なんだ? 私を悶え死にさせたいのか?」
「……もしそんな攻撃が成立するのなら、魔物退治も楽なんでしょうね」
「おいおい、信じていないな? 私はウェンの笑顔でなら本当に悶え死にできるぞ? なんなら証拠を見せよう」
「一応言っておきますが、やめてくださいね? それで死なれても、あまり罪悪感を覚える自信が僕にはないですから」
顔を真っ直ぐに近付けながら本当に悶え死のうとしているディーアに対し、コーウェンは辟易とする。
(ああ……、下手に綺麗なのが余計に堪える。初めはもっと凛々しくて格好良い女性だと思ってたのにな……)
コーウェンは、ディーアがディスタート家を初めて訪れた日のことを思い出した。だが間もなく、ディーアの本性を知った日のことも自然と思い出されて再び辟易とする。
「ディーアさんは綺麗なんですから、もっと普通に恋愛する気はないんですか?」
――と聞いてから、コーウェンの頭を過ったのは『後悔』の二文字だった。
ディーアは驚いたかのようにコーウェンの顔を見つめると、突然その小さな身体を抱き寄せた。当然ながらも籠を引く馬は止まらず、まるで周囲へと見せつけるかのような体になってしまった。
吹き込む風が彼女の髪を揺らし、良い匂いが漂って来る。
「ああ、ウェンが私のことを綺麗だと思っていてくれたなんて……。いや、自分でも自分が綺麗なのはわかっていたが! 大人な雰囲気を醸し出す美人だとは理解していたが! ああ――やはり嬉しい」
「…………はい、そうですね」
狭い馬車の中で身体を密着させながらも大仰に両手を広げ、まるでミュージカル俳優のようにセリフを紡いでいくディーアは、それはそれで綺麗だと言わざるを得ないものだった。
(なんだかんだ言って、ディーアさんも徹夜のテンション貫いてるな……)
コーウェンは誤って変なところへと触れてしまわないように慎重にディーアの身体を押し退けると、まるで普段の彼女を呼び戻す為のカウンセリングのように語りかける。
「いいですか、ディーアさん? 今のあなたは変です。僕も変だと自覚していますが、今のあなたは自覚していない分余計に性質が悪いです」
「そうか……。今は二人共変なのか。では、この勢いのままに結婚でもしないか?」
「なあ、あんた酔ってるだろ?」
とうとう頭に来始めたコーウェンは、つい不躾な口調を表に出してしまう。
だがディーアがそれを気にする様子はない。
「強いて言えば……私のことを綺麗だと言ってくれたウェンに酔ってるな」
「初耳ですよ、この世界にもそんな言い回しがあったなんて……」
「この世界? まあいい。だが、私たちは結構お似合いの夫婦になれると思うぞ?」
身体を離したディーアは、「えっへん」とでも言うかのように両手を腰に当て胸を張る。
コーウェンの視線が胸に向いているのを感じたディーアは勝利を確信した。だが、肝心の彼から発せられた言葉をまるで派生魔法のようで――
「でも、ディーアさんって百歳超えてますよね? 歳の差凄いですよね? 到底お似合いだとは思いませんよ?」
――魔力を一切必要としない氷魔法は、ディーアの身体を凍り付かせるのに十分すぎるほどの威力を秘めていた。
「あ、あのなウェン……、このタイミングで天然とか必要ないからな?」
その言葉に、コーウェンは小さく笑った。
そして、ディーアも小さく笑った。
なんだかんだで冗談を言い合っていただけの二人はその場を後にし、やがて目的地である長老――テール・ティークスの家へと辿り着いた。
全人類で最も長寿という理由だけで長老などと呼ばれているらしい彼女の家は、特殊魔法の使い手ということ以外地位は一般人と変わらない為か、外見にこれと言った特徴は見当たらない。
唯一違和感を覚える要素である門番へと頭を下げると、コーウェンはそのままディーアに続き中に入った。
「よく来たね二人共。お前さんがコーウェン君じゃろう?」
外見に違うことなく同じような造りの室内を行くと、二人の老人が出迎えてくれた。
いくらディーアが先導してくれているからと言っても、他人の家へと無断で上がり込んでいたコーウェンだ、当然罪悪感や不安などはあったのだが、家の主である二人の老人はとても温かく迎えてくれた。
コーウェンは促されるままに自己紹介を終えると、自らがここへやって来た理由を簡潔に伝える――
――コーウェンの話を聞いた長老は、少し何かを考え込むような仕草を見せると、改めるように姿勢を正す。
「あいわかった。ところで、少し魔力を感じさせてくれないかい?」
「ええ、もちろんです」
コーウェンが長老に魔法使いとしての助言を頼んだことに対して、返って来たのはそんな言葉だった。
当然何も不都合がないコーウェンはそれを二つ返事で了承すると、長老と向かい合って座ったまま、静かに魔力を練り始める。
以前ディーアに、“指を動かすのと比べても難易度に違いはない”ということを気付かされただけあって、その行程には一切無駄がない。
一瞬で魔力を練り終わったコーウェンは、迷うことなくそれらを放出する。
瞬発力を意識して放出された魔力は、以前コールにぶつけたものとは違って、“放出”以外には一分の無駄すら許さない、正真正銘の全力だ。
――空気が変わった。
張本人のコーウェンですら、それを感じ取った。
視界を覆う陽炎の向こうではハロルドが膝を付き、向かいの長老が額に汗を浮かべている。
風は一切発生していないのにもかかわらず、眼前に出された紅茶の水面に波状の模様が浮かび上がっている。
コーウェンは一瞬の内に放出しようとしたのだが、魔力量が多すぎてそれが叶わず、仕方なく魔力を引っ込めた。
とは言え、この短時間でここまで魔力を消耗したのは初めてだ。コーウェンは肩で息をしながら、長老へと向き直る。
「終わり、ました……」
「……ああ、わかっておる」
気付けば、長老とハロルドもコーウェンと同様、肩で息をし始めた。
部屋の隅に立っていたディーアも、最も遠いところにいたにもかかわらず苦しそうに眉根を寄せている。
長老は無理矢理呼吸を整えるかのように息を吐くと、紅茶の入ったカップへと口を付け、再び小さく息を吐いた。
「……先代の魔導師、ルビウス・ユーニヴァスを知っているか?」
「……?」
突然の質問に、コーウェンは首を横に振る。ルビウスという魔導師の存在は知っているが、質問の意図が掴めなかったからだ。
「わしはそやつと知り合いじゃった――」
長老は、まるで昔を懐かしむかのように天を仰ぐと、静かに何かを呟いた。そしてコーウェンに向き直る。
「――そやつが使っておった魔法を教えよう。おそらく、お前さんの背中を押してくれるはずじゃ」
◆◇
こんな創作物語がある。
かつて、勇者が仲間の魔法使いと共に魔王を討ち滅ぼしたという話だ。
ある日、魔物たちを統べる王が現れたことから物語は始まる。
残虐非道の限りを尽くす魔王は、おおよそ人の形を保ちながらも、その身を覆う禍々しいオーラはどんな魔物よりも濃かった。
そんな存在を倒すために立ち上がったのが、名前すら知られていない小国の一兵士だ。
彼には、世界最強と噂されている魔法使いとの面識があった。
勇者はその魔法使いと手を組み、決戦場へとたった二人で乗り込んだ。
どんな屈強な魔物であろうと一刀で斬り伏せた最強の剣士である勇者と、複数の敵を同時に炎上させることができた最強の魔法使い、彼らの手により、やがて世界に平穏が舞い降りた。
その後勇者は祖国の姫と結婚し、幸せな余生を送った。
それに対して、仲間の魔法使いの行方を知る者は、勇者を含め誰も存在しない――
ディスタート家に住み込みで働く使用人――メリファ・フィラントは、今以上に幼かったころのコーウェンに読み聞かせていた思い出の本を閉じると、読書によって失ってしまった時間を取り戻すかのように、掃除用具を求め部屋を出た。
――コーウェン様、どうかご無事で。
願い、祈る。だが、メリファはそんな思考を振り払う。
本来コーウェンは自らを雇っている側の人間なのだが、その両親とは昔からの付き合いでもあり、元々は主従のような姿勢はとらなくても良いと二人に言われていたところ、示しが付かないという理由で自ら今の立場を演出したくらいだ。
アメリアから言われたこともあるくらい、メリファはコーウェンのことを本当の息子のように愛している。
自らの危険すらも顧みずに他国の人間の力になりたいからと、まだ子供にもかかわらず圧倒的な強さを携えて家を出たコーウェンが、メリファにとって何よりの誇りだった。
だが同時に、そんなコーウェンに対して何もしてあげられない自分が恥ずかしくもあった。だからか、メリファはコーウェンのことを極力考えないようにしていた。
――私には、心配してあげるだけの資格がないのかもしれない。
コーウェンの思いを知らないメリファは、ついそんな的外れな考えを抱いてしまうのだ。
できるだけ他のことを考えようと思い至ったメリファの頭に浮かんで来たのは、先ほど少し仕事をさぼってまで読んでいたあの本のことだった。
コーウェンのことは考えないと言いながらも、コーウェンとの思い出を引き出すかのように本を読んでいた自分の意思の弱さにメリファは呆れる。
そんな思いもあり、余計に物語の情景をリアルに思い描く。
残虐非道の魔王と戦っているのは、剣を持った勇者と、杖を持った魔法使いだ。
その魔法使いにコーウェンの姿を投影しそうなメリファだが、その実そんなことはなかった。
理由は簡単――この魔法使いには、実際にモデルとなった人物がいるから。
メリファ自身見たことはないが、他の存在がいるという事実がある為に、その人物の想像の姿をキャラへと投影させているのだ。
あくまでフィクションである為にモデル止まりなのだが、これは実際に起こった事件を参考にしているとも言われている。
――いったい、誰でしたっけ?
メリファ自身も聞いたことはあるしとても有名な人物なのだが、なにせその事件は四百年近く前のものだ。彼女にとっては歴史上の話であり、あまり関心が持てないのも無理はなかった。
やがて掃除用具庫へと辿り着いたメリファが掃除へと取り掛かるころには、そんな人物のことなど頭から抜け落ちていた。




