20 前途多難
城門の脇に立っている衛兵に挨拶をしながら、コーウェンとディーアは王城から出てきた。
小高い丘の上に構えている城の前からは、活気溢れる町の様子が見て取れた。
少し薄暗くなり始めた時間帯。それでも眼下に広がる喧騒は止まるところを知らないように、大勢の人たちが行き交っている。
そんな彼らを包み込む空気には、ネオン街のような鮮やかな色彩を含んだ様子はない。まるで幻想の世界のようだ、と今更ながらに思う。地球でもこんな光景は珍しくないのだが、高いところから見下ろすとなると話は別だ。ランプのような温かい光しか存在しない都会、それが妙に趣深く思える。
隣へと目を向けると、そんな優しい光に照らされたディーアの姿があった。
「行きましょうか」
「ああ」
短い言葉を交わし、二人は歩き出す。
エルフ魔法練兵特殊作戦群、通称『特群』――コーウェンを出迎えに来た彼らの正式名称を、日本語に訳すとこんなところか。彼らと少しの間とは言え行動を共にし、コーウェンが抱いた印象はまさしく“練兵”だった。町中を並んで歩くだけでもまるで行軍のようで、率いられていた二人が悪目立ちしていた。
そんな彼らに連れられてやって来た王城では、手厚くもてなされ、挨拶を兼ねた食事会に付き合わされただけだった。
戦争についての話し合いなども特になく、予知によって招聘されたコーウェンに対して行動を制限するようなことはしたくないらしい。それら全ては両者同意の元、ディーアに一任するということになった。
「ディーアさん、具体的に、戦争中はどう行動するんですか?」
「敵の規模に予測がつかないからな……。長老は、ここを囲んでいる森の全ての魔物が押し寄せて来るくらい、と言っていた。だが正直わからないだろう?」
「はい、全く」
「ふふっ、だがまあ、案外好きに行動する余地はあると思う。いや、好きに行動した方が良いだろう。訓練を施されていないウェンが他と連携などとれないだろうしな。だからウェンと私は『矛』だな。戦場に放たれた『矢』とも言えるか。――まあ、冒険者たちと同じだな」
「駆け回れ……と」
ディーアが楽しそうな顔をした。
「わかってるじゃないか。さすがは私のウェンだ」
「ん? 誰が誰の何ですって?」
「なんだ、もう一回言ってほしいのか? よし言ってやろう。さすがは私の為に生まれて来た私のことが大好きで堪らないウェンだなっ!」
そう言いながら、上からコーウェンの顎へと手を回すような形で小さく抱き付いて来た。
「凄い盛ってるし、そもそも違うし、人見てるし!」
コーウェンは、人形を愛でる女の子のように頭を撫でて来るディーアを振り払うと、周囲へと注意を向けた。話している内に、先ほど城門前から見下ろしていた大通りへとやって来ていた。
こちらを奇怪そうに眺める親子連れ、笑いながら商品を売っている露店商人、談笑しながら歩き回っている二人一組の衛兵。
だが、彼らを取り巻く雰囲気は朝にここを通った時とは少し違うように感じた。上手くは説明できないし、直接行動に表れているわけではない。それでもやはり違う。
「特群がウェンを直接迎えたことによって、現実的になったんだよ。――戦争が」
今日初めてこの国を訪れたコーウェンですら覚えた違和感、やはりディーアも感じ取ったのだろう。その顔は、先ほどまでのふざけていた時とは違った。
王城でディーアに聞かされた。
特群が戦いや訓練以外で町中を行進するなど、発足して以来初めてのことなのだ、と。それを一人の子供を出迎える為に行ったなど、危機感を与えられて当然だ。
皆、長老の予知は知っているだろう。それでも残ったのだから、相応の覚悟もあるのだろう。だが、やはり国が滅びるなど現実的ではなかった。その覚悟の内には、そんな甘い考えから生まれる小さな希望もあったはずだ。予知は気のせいだと、心のどこかで望んでいたはずだ。
それが、特群の行動によって打ち消された。
だが、おそらく彼らの行動はそれを狙ってのこともあったのだろう。危機感によって煽られるのは恐怖だけではないのだから。
だからこそ、コーウェンの覚悟も固まった。
経緯と意味は違うが、コーウェンが煽られたのは本当の覚悟だ。
ディーアの家に着いたら早速魔法の訓練をしようと、そう決めた時――
「信じられるか!? なあ!?」
――そんな大きな声が通りに響いた。
活気で満ち喧騒の止まないこの場所だが、よほど腹から声を出したのか、その声ははっきりと聞こえた。周りの人間も例外なく気付いている。
見れば、一人の男性がこちらを見て立っている。背中に剣を差し、装備から衛兵ではないと推測できるにもかかわらず、町中でごつい鎧を着ていることから、おそらく冒険者かそれに近い存在だろう。
彼にその場から動く気配はないが、その視線ははっきりとコーウェンを捉えていた。
「救世主のコーウェン・ディスタート様が、こんな子供だなんて何かの間違いだよな!?」
その言葉に、ぞっとする。
そうだ。彼らの異様な雰囲気は、戦争が現実的になったばかりではない。
十二英傑のディーアが連れ帰った人物を、特群の連中が出迎えた――間違いなく噂の救世主だとわかる。だがどうだ? その中心にいた人物、救世主とやらはどんな人物だった?
コーウェンは失念していた。
自らの存在が彼らにとってどれだけ大きなものなのか、全く理解できていなかったのだ。
「なあ、何とか言ってくれよ。言ってくださいよ! こっちは命を懸けてるんだ!」
言葉とは裏腹にまるで縋るような、それでいて無茶苦茶な言い分だった。
そもそもこっちだって命を懸けている、そう言いかけたが、男に同意し始めた周囲の人間を見て言葉に詰まる。
気付けば、コーウェンとディーアを囲むかのように人だかりができていた。皆こちらを気にしているのか、その態度は余所余所しいものだ。それでも二人に対し、またはコーウェン個人に対しての不満はあるのだろう。
何かがおかしかった。こんな騒ぎ、多少の野次馬ができることはあるものの、気にせず通り過ぎて行く人がほとんどのはずだ。
命を懸けた者の狂気を感じずにはいられなかった。
上昇した聴力など関係なく、「確かに、子供だという話も聞いたことはあったが」、「あの男の言う通りだ。私たちはこの国の為にここへ残ったというのに」などと囁く声が鼓膜を震わせる。
「お前ら、いい加減にしろ! 命を懸けているのはこの子も同じだ! この子の強さに疑問があるのなら、剣を抜いて一歩を踏み出してみろ!」
言いながらディーアは剣を抜き、コーウェンの前へと立ちはだかった。
先ほどまで談笑していた二人の衛兵がオロオロしているが、ディーア自身気付いている様子はない。
そもそも、「この子の強さに疑問があるのなら」なんて言っておきながら、ディーアが前へ出るとはどういう了見だ。
それでは誰も前へ出れないだろう。と言うよりも、コーウェンの姿に強さなど見出せる者など存在しないだろう。
コーウェンは、そんな彼女の言動に思わず笑った。
「くっ、何がおかしい! 笑うな!」
そう叫ぶ男性は人間だろうか、エルフだろうか、遠くて良くわからない。
「ディーアさん、帰りましょう」
「だが……」
「家はどっちですか?」
「いや、今はそれどころでは」
コーウェンはディーアの手を握った。
「帰りましょうよ。――二人の愛の巣に」
「よし! こっちだ、ついて来い!」
その手を引いて、ディーアはゆっくりと駆けだした。
それに合わせ、人だかりも左右に割れていく。彼らも自分の言っていることがお門違いだとわかっているのだろう、二人が去ることに不満はなさそうだ。
しばらく走り後ろ手に人だかりを確認すると、彼らの姿はそこになかった。だが、コーウェンの上昇した視力が、最初に声を上げた男を捉える。
こちらを見ていた。
何かを言いたげなその瞳に居心地が悪くなったコーウェンは、手を握りしめるディーアへと視線を戻した。
◆◇
「――くそッ!」
言い知れない歯がゆさに、握っていた拳を机へと振り下ろす。
怒りなのか不安なのか、それとも恐怖なのか、胸の内を容赦なくかき乱すその感情に、叫ばずにはいられなかった。
予知による開戦日まで、残りはおおよそ二十六日。この日、エルフの国へと潜伏していたシルバ・レイジェルドの耳に、彼にとっては悲報としか言えない報告が届いた。
あろうことか、コーウェン・ディスタートがこの国を訪れたというものだ。特群の連中が直々に出迎えたと、部下から伝えられた。
これには一瞬、コールへの怒りを覚えずにはいられなかった。
自分の息子――それもまだ八歳の子供をこんな戦場へと送り出すなど、いったい何を考えているのか。コールの性格は知っている。だからコーウェンがやって来たということは、それほどの何かを見出したということだろう。
だが、それ以上の問題があるのだ。
コールは知らない。自らの息子に迫る暗殺の影を。
コーウェンはコールの庇護の元、戦争の騒ぎに乗じて暗殺されるなんて未来は辿らないはずだった。そしてエルフの国は、救世主の存在に頼らずに意地でも魔物たちを退ける。多少強引だが、それが理想だったのだ。
コーウェンとはネイルの一件もあり、親しく接して来た。だから彼が苦しむ姿など見たくもないし、そうさせたくもなかった。
自らがエルフの国へ赴くということを隠さずに、貴族たちの計画自体を最初から破棄させる為の抑止力にしようと考えたこともあった。だがそれをしなかったのは、自らがエルフの国へと赴いているということをディスタート家の人間に知られたくなかったからだ。知ればおそらく、コーウェンはこの地へと赴くことを決意することだろう。
――だが、それでも来てしまったのだ。
思い返してみれば、自らの考えには穴がたくさんあった。本当に笑えない。
とは言え、今からコーウェンを直接説得すれば、彼をリグルドへと送り返せるかもしれない。
部下にコーウェンを連れてこさせよう、そう思い立ち、部屋を出た――その時、シルバの潜伏場所である民家のドアが、乱暴に開かれた。
何事かと思い目をやると、扉から差し込んでくる眩しい光をバックに、連れてきた数少ない部下の一人が慌てた様子で駈け込んで来たところだった。
「レイジェルド卿! 大変です! ネイルお嬢様が家を出てこちらに向かったと、執事長のルーク様から連絡が届きました」
「なんだと!? それはいつの話だ!」
「はい、今から十五日前の話だそうです! 早馬が急いで追いかけたそうですが、途中で追いつくなんてことはなかったと。入国者名簿を確認しましたが、確認できず……」
その報告に、シルバの胸の内を絶望が染め上げた。
早馬が追いつけずに、入国もしていない。それではネイルはどこにいるのか。
ここへのルートは一本道だ。となると、すれ違いの可能性も考えられない。執事長がこちらへと向かったと言ったならば、その情報に偽りはないのだろう。きっと何か根拠があったはずだ。
おそらく、冒険者を護衛に雇った。
それならば、執事長が依頼履歴からその情報を得たと推測できる。だがそれはシルバとは違い、自らの外出を貴族たちや『グリムガム』にも知られてしまう。
「ネイルは……、くそッ!」
ネイルの旅立ちを知った貴族――いや、ここまで察知が早いとなると『グリムガム』が動いたのだろう。
では彼らの目的は? 動機は? そもそもネイルは今どうしている!?
考えるべきことはたくさんある。だが、さすがのシルバでも、こんな混乱状態の中で頭は正しく機能しない。
そんな自分に煩わしくなったシルバは、潜伏中の身にもかかわらず家を飛び出した。三人の部下が一斉に制止しようとするが間に合わない。
狭い小道を抜けると、大通りへと出た。
大勢の人が行き交っており、走り抜けるにも手間がかかりそうだ。
だが、今のシルバにそんなことは関係なかった。
人の波を駆け抜けるかのように、王城を目指し走り出す。城に構える人間もシルバの存在は知らないはずだが、事情を話せば力を貸してくれるだろう。
(いや……、既に部下が衛兵を動かしているか)
今更そんなことに思い至った自分に嫌気が差す。だが、それでもシルバの足は止まらなかった。
様々な人とすれ違い、偶に肩をぶつけ文句を言われたりしながら、それでも走る。
どれくらい走っただろうか。王城はすぐ前方上にはっきりと見えている。
――とそこで、意外な人物が視界に入って来て、無意識に足が止まった。
その人物は女性に手を引かれながらゆっくりと駆けていた。そして、こちらに気付き足を止める。
「シルバ……さん?」
「コーウェン君……」
全力で走っていたからか、それとも思わぬ人物と再会したからか、呟いたシルバの鼓動は何かを急かすように脈打ち続けていた。
それはまるで、眼前の二人に対し希望を見出したかのように。




