17 二人の少女
いつもの家族にディーアを加えたメンバーでとの朝食を済ませ、コーウェンは昨日のコールとの試合を思い出す。
世界でもトップクラスの実力を持つと言われている十二英傑の一人なだけあって、その強さはかなりのものだった。上昇した視力や動体視力、反応速度に、脚力に対する体重の軽さのおかげで実現するスピード、その他諸々でコーウェンは勝っていたのだが、剣術の練度、筋力、戦闘センスでは遥かに劣っていたのだ。
ディーアとコールが、あれはコーウェンの勝ちだと言っていた。
確かにコールの身体について心配する必要がなかったのなら、命をとってもよかったのなら、コーウェンはおそらく本当の意味での無傷で勝利していたことだろう。
そういう意味では勝っていたと思うのだが、この強さは所詮まがいものでしかないのだ。
もし身体能力や魔法適正を引き継いでいなかったら。それは、コールの遺伝子を引き継いだ優秀な子供、その程度の人間でしかいられなかっただろう。間違っても今の段階では、十二英傑の上を行く戦士になどなれるはずもなかった。
だから慢心はない。
最初は強さへの好奇心に、この世界を旅する際に自らの身体を護れるようにと、そんな気持ちで歩み始めた魔法剣士としての人生。だが、今は強くなるための明確な理由がある。強くならなければいけない理由がある。
だから、自分の都合に合わせて作られたかのようなこの身体、せっかく授かったこの身体を、今はただ全力で利用するだけだ。
◆◇
銀色に輝く髪の毛が、覗き込んだ茶色い水面に映っている。カップの取っ手を握っている手を動かすと、水面に小さな波が立ち、甘いりんごの香りが湯気と共に顔面を包み込んだ。
全体的に落ち着いた様相でありながら、所々の煌びやかな装飾が映えるこの部屋。アーヤにとってこの二年間で何度も訪れたネイルの自室だ。
アーヤは、コーウェンよりも頻繁にネイルと会っていた。
そんなアーヤだからか、今日のネイルに元気がないことはすぐにわかった。それにいつもは歳の差を忘れてじゃれ合ったりするのだが、今日は二人でお菓子を食べながら少し言葉を交わしただけだ。
アーヤは手に持ったカップから、ネイルの顔へと視線を移す。
すると、その視線に気づいたネイルがこちらを見返し、優しく微笑んだ。
確かに元気がない。だが落ち込んでいるだとか、機嫌が悪いという意味ではなかった。どこか落ち着いているというか、大人に見えるというか、そのようなポジティブな印象を抱かせるものだ。
「ネイルちゃん、何かあった?」
頻繁に会っているとは言え、出会った当初のように毎日一緒にいるというわけではない。最後に会ったのは四日前だ。だが、今日の彼女はやはりどこか四日前のネイルとは違っている。この三日間で何かあったのだろうか。
そんな思いでつい口を出た言葉だったが、当のネイルは首をかしげているだけだ。
「何もないのならいいんだけど……。今日のネイルちゃんっていつもと違うから」
「そうかな……? あまりウェン君に会ってないから元気が出ないのかも。うん、会いたいなー」
「ふーん、本当に? 本当だったら今すぐ会いに行こう! デレデレのネイルちゃんをウェンの元へと引きずり出してやる!」
「ふふっ……冗談だよ」
ふっと、冷静になった。アーヤは立ち上がろうと中腰になっていた姿勢を、そのままゆっくりと下ろした。
いつもならばヒートアップしていたようなやり取りだ。だが、今日は違った。
再び訪れた沈黙。ネイルが紅茶を啜る音が聞こえた。
元気がないとは、悪い意味ではなかった。それなのにアーヤには、この静けさの中にネイルを溶け込ませるのはいけないことのように思えた。
そうだ、どうしてさっきはネイルのことを『元気がない』と思ったのだろうか。落ち着いていて大人びていて、そんなポジティブな意味での静けさは、そもそも『元気がない』なんて定義はしない。
おそらく、気付いていたんだ。ネイルは本当に“元気がない”ということに。
「ネイルちゃん、ダメだよ。今日のネイルちゃんはおかしい。友達の目は誤魔化せないよ?」
「う~ん、そうかな? へへ、でも嬉しいな。友達って言ってもらえて」
「……本当にどうしたの?」
「……ごめんね。心配かけちゃって」
ネイルは顔を伏せた後、もう一度こちらへと微笑みかけた。
「でも、ウェン君に会えないからってのは冗談だよ? 会いたいのは本当だけど」
「うん、わかった。何があったのか知らないけど、ネイルちゃんが元気になるにはウェンに会う必要があるってのはわかった」
「もう……。でもその通りかも。ちょっとね、ウェン君に魔法を教えてもらいたいとも思ってたし」
「よし! そうと決まれば早速行こう。どうせウェンのことだから、アメリアさんかメリファさんに絶賛甘え中だよ!」
「えと……、ウェン君ってそんなキャラだっけ?」
「違った気もするけど、そういうことにしておこう!」
「もう……」
今度こそ立ち上がりそう言ったアーヤを見て、ネイルは上品に笑った。
少しは元気が出ただろうか。後はコーウェンに任せよう。
全く、世話のかかる妹だ。
ディスタート家へと辿り着いた二人は、メリファに連れられてコーウェンの自室前にやってきた。
相変わらず大きな家に、相変わらず綺麗なメイドさん。少しだけやるせない思いを抱きながらアーヤは扉を二度ノックした。
――だが、返事がない。
アーヤとネイルが顔を見合わせていると、事情を知っているのであろうメリファは小さく微笑みながら、今度は自分でノックをする。
――また、返事はなかった。
「やっぱり、ですね。コーウェン様はただいま、魔法の練習中であられます。要は集中のしすぎで気付いておられないのです。正直驚くほどの集中力ですが、さすがに直接お声をかけてくだされば気付かれますので。どうぞ――」
メリファの「こんな時は入室しても良いと、許可をいただいております」という言葉を聞いたアーヤは、少々呆れながらもゆっくりと扉を開いていく。
家の大きさに比べると少々普通すぎる扉を開き切ると、部屋の中央に座り込んでいるコーウェンの姿が見えた。椅子などは使わずに、直接床へとあぐらをかいている。
その時に知覚した光景――
ふと、隣のネイルへと目をやると、両手で自分の身体を抱きながら目を見開いていた。魔力というものでも感じているのだろうか。生憎、全く魔法適正のないアーヤにはその感覚は理解できないものだった。
だから、それよりも先に気になったものがある。
その懐かしい光景に、コーウェンの右手へと注がれた視線が現実の直視を拒んでいる。
一瞬心臓が止まったかと思うと、突然破裂しそうな勢いで鼓動を再開した。
大動脈からこめかみ、身体中の太い血管からは、触ることなく血液の流れを感じられるほどだ。
あの時の、前世での思い出に重なるものがあった。
ずっと片思いで、ずっと会いたかったあの人――考えてみれば、二人は歳が同じで、住んでいた町も同じだった。当然性別も同じで、漂ってくる温かさも同じ……。
「お兄ちゃん……」
メリファは既に去って行ったが、隣にはネイルがいる。だが、呟いたその声に迷いはなかった。
どうして、右手の人差し指でリズムをとっているの? どうして、あの人と同じ仕草をしているの?
集中していた……そんな時に思わずとってしまう癖――全く同じだ。
「お兄ちゃん……」
もう一度呟くが、コーウェンはまだ気付かない。それがどうももどかしい。
「お兄ちゃん……!」
語気を強めて声のボリュームを上げると、やっとこちらの存在に気付いたかのようにコーウェンは振り返る。――その姿が、大好きな彼と重なった。
「ん、ああ、来てたのか。ごめんな、気付かなかった」
「ううん……。ねえ、その手って癖なの?」
アーヤはコーウェンの右手を指差す。
「ああさっきのか? うん、癖だけど?」
「いや……珍しいなって思って」
「ははっ、まあな」
そう言い、立ち上がるコーウェンの動きがゆっくりに見えた。
お兄ちゃんと呼んだからだろうか、隣のネイルが不思議そうに二人を見ている。
「お兄ちゃんは、中学生だった時に公園で本を読んでたこと、あるよね……」
「ん? んー……、まあ、うん」
曖昧だが肯定するその返事に、心臓がさらに早鐘を打つ。
自分が興奮しているのがわかる。だから、隠さずにコーウェンへと駆け寄った。
「お兄ちゃんは、『赤いハンモック』って本を知ってるよね? その公園で女の子に譲ったよね!?」
「どうしたんだアーヤ……?」
「いいから答えてよ! 私はあれからずっと好きだったんだよ!? あの本がずっと宝物だったんだよ!?」
狂ったかのように次々と言葉が紡がれる。コーウェンへの迷惑や、ネイルの視線なんか気にしている場合ではない。前世でずっと好きだった人物、もう会えないと思っていた人物――そんな彼が自分の兄として存在している。唯一地球でのことを共有できる人物として目の前に立っていてくれている。
「『赤いハンモック』か……」
コーウェンは顎に手を置きながら考える。
期待、不安、悲哀、情愛、様々な感情がアーヤの心を埋め尽くす。
もう待てない。これ以上焦らさないでほしい。そんな思いを感じ取ったかのように、コーウェンが口を開いた。だが――
「ごめん、聞いたことないや……」
――呟かれた言葉は、心に渦巻いた感情を簡単に蹂躙していった。
◆◇
「そう、なんだ……。そうだよね」
「うん、悪いけど、忘れているわけでもないと思う」
「そっか……。ごめんね? 少し夢見ちゃった」
アーヤは気の抜けた顔を浮かべ、床の一点を見つめている。
話の雰囲気から察するに、彼女が話していたのは自分の前世で大切な思い出なんだろう。
「さっきの、リズムをとるような癖が、好きな人と同じだったんだ。顔を知らなくてもしかしてって思ったんだけど……。あとね、『赤いハンモック』って本をもらってね。少し不思議な本で……まあ、色々と」
「……そっか」
必死に平静を保とうとしているアーヤの声に、コーウェンは罪悪感を覚えた。
だが、コーウェンには心当たりがなかった。『赤いハンモック』なんて本は知らないし、確かに公園で本を読んでいたことはあったのだが、それは留守の自宅へと入るための鍵を学校へ持っていくのを忘れていただとか、そのような非常時に時間つぶしをしていたなど、その程度でしかない。回数だってかなり少ないし、それに、中学生になって女の子に本を譲ったりしたとなると、さすがに忘れたりはしないだろう。
「ごめんね? 本当はこんな話をするために来たわけじゃないんだ。ね、ネイルちゃん?」
「え、うん、そうだけど……」
突然話を振られたネイルは、狼狽えながらも口を開く。
「本当はウェン君に魔法を教えてもらいたくて」
ネイルはアーヤを心配そうに見つめる。
アーヤの言っていた『お兄ちゃん』という言葉が気にならないわけではないだろう。だが、ネイルはそれについて触れようとはしない。
だから、コーウェンもネイルに合わせることにした。
「いいけど……。どうして?」
「えと、いざって時に役に立つ魔法がほしくて」
「そっか。いいよ。ネイルは才能あるし、結構色々できると思う」
「ありがとう……」
コーウェンに褒められたネイルは、少し嬉しそうに頬を染めた。
そんな彼女をアーヤは微笑ましげに見ている。少しだけぎこちないが、二年前にコーウェンの胸の中で大泣きした日からアーヤはどこか吹っ切れたような雰囲気をしていたから、あまり心配はいらないだろう。その表情は心からのものだと理解できる。
コーウェンはそんなアーヤへと「また、いつでも話してくれ」と声をかけると、ネイルに教える魔法へと思考を切り替えた。




