16 修得への道
綺麗に片づけられた意匠机の隣に設置されている、仕事用の書斎には多量の本や巻物が乱雑に散らばっている。
そんな机に向き合い座っているシルバ・レイジェルドは、体内のストレスを吐き出すかのように深い溜め息をついた。
リグルドの領主を務めるシルバの仕事は多岐に渡る。
この世界での戦争は魔物という第三勢力の憂いがあるために、武力衝突ではなく政略に重きが置かれている。それは、十二年前に炎龍が王国を襲撃した事件からもわかるように、人間同士で血を流し合うのは得策ではないと考えられている為である。
だが、それでも戦争は存在するのだ。
そんな状況下に置いて、他国出身のシルバに与えられる役割はとても大きなものがある。二年ほど前にリグルドから始まり、王国の一部では今も語り続けられている『風の子騒動』には政略戦争上世話になった。
だがその反面、娘を護ってくれたコーウェンを望んでではないとは言え利用しているということに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのも事実だ。彼は自らの危険を顧みず、助ける対象の身分に興味があったわけでもなく、純粋に一人の人間を救おうと行動してくれたのだというのに。
十二英傑の息子という特殊な地位を授かって生まれてきたコーウェン。このリグルドを守護してくれているコールとは当然ながら交流があり、コーウェンが生まれた時はその身体を抱きかかえたことだってあった。
彼には思い入れがある。
昔から知っている相手だというのももちろん、シルバ自身かなり特殊な家柄に生まれた元平民階級の人間だという事実が、彼への共感を生んでいるというのもある。
そしてそんなコーウェンに、娘は間違いなく惚れている。
ここまでして思い入れがないわけがない。
だからこそ、シルバはやるせない思いでいっぱいなのだ。
(まさかディスタートの人間は、彼を戦地へと送り出したりはしないだろうな)
ことの発端は、先日届いた『コーウェン・ディスタートをエルフの国へ連れて来る』という、母国の危機を知らせると同時に長老の予知によって導き出されたその最善策にあった。
当然、エルフの国が危ないというのならば、王国の一貴族として、一人のエルフとして、一人の人間として、全力で手を差し出したいとは思っている。
だがそれはないだろう。八歳の子供を戦地へ送り出すなど正気の沙汰ではない。長老の予知については理解している。彼女がそう言ったのであれば、コーウェンは十分な戦果を上げてくれるだろう。彼が鍵となるならば、その身の安全も固いものだと言える。
だが絶対ではない。長老の予知では、予知した未来がその後どうなるのかまではわからないからだ。
「はぁぁ……」
シルバは再び溜め息をついた。
このままでは埒が明かないと、シルバは気分転換に部屋を退出しようと立ち上がる。すると、それを見計らったかのように扉が開いた。
「ねえ、お父さん……やっぱり私も連れて行って?」
入ってきたのは娘のネイルだった。
彼女が部屋を見渡しながら言ったそのセリフは、エルフの国のことを説明したことによるものだ。
「ダメだ。前にも言ったが、あそこは危険な戦場になる」
「危険だからこそ、お父さんだけで向かわせるなんてできないよ」
ネイルの言う通り、シルバはエルフの国へと直接赴くことを考えている。それが良いこととは言えないが、コーウェンに頼るしか方法は見つかっていない現状、少しでも現地で様子を見ておきたかった。それに仕事の方も、一時的なものなら信頼のできる執事に任せておけば大丈夫だ。それで事足りるように、重要なものやシルバ本人が処理しなければ犯罪になるようなものは先ほどまでで全て終わらせてある。
「それに、私だって魔法使えるし、戦えるよ!」
「ネイル、いい加減にしなさい。お前は戦争の恐ろしさを理解できていない。今回はコーウェン君は助けてくれないのだぞ?」
ネイルには長老の予知については伏せてある。だから、ディスタートの人間が血迷いでもすれば、もしかしたらコーウェンが駆けつけて来るかもしれない、ということは知らない。
「そ、そんなのわかってるよ。それに、ウェン君がいなくても戦えるように努力してきたんだよ!?」
「……それでも、お前は戦士としても人間としても、まだまだ未熟だ」
シルバは聞く耳を持たず、その場から立ち去った。
一人で部屋へと取り残されたネイルは、その場に座り、膝を抱え込むように蹲った。
ネイルももう十四歳だ。シルバが言っていることは、自分の身を心配してくれてのことだということは理解している。だが、それでも自分の父親がそんな危険な地へと向かうと言うのに、「はいそうですか」と送り出せるはずがなかった。
ネイルの耳に残っているのは、『コーウェン君は助けてくれない』という言葉。
「お父さんのバカ……」
確かにコーウェンは助けてくれないだろう。
本当は、ネイルはコーウェンに限りなく惚れ込んでおり、助けてもらいたいという本音だってあった。だが、自分の方が六つも年上なのだ。好きだとは言え、正直コーウェンはまだまだ子供。ネイルの中では、やはりコーウェンは護ってあげる側の人間なのだ。
だから魔法の練習だって手を抜かず、彼の前ではできるだけ大人でいようと努力してきた。それをシルバはわかっていない。
それに、助けてもらえないなんていう脅しで、自分が父親への同行を諦めるなんて思っていること自体が失礼だというものだ。
ネイルがシルバを思う気持ちは、そんなに小さなものではない。
ネイルは、抱え込んだ膝に力を入れ、強く頭を押し付けた。
(私、絶対に着いて行くから……!)
◆◇
「ウェンは魔法の上質化を継続して行ってきたが、魔力の上質化には手を出していないんだよな?」
「はい、そもそも、魔力の上質化なんて存在自体知りませんでした」
「ふふ、そうか。だがそれでいい。本来、魔力の上質化は無視してもいいくらいだからな」
魔法の上質化と、魔力の上質化。
魔法には大きく分けてこれら二つの訓練方法があるらしい。言葉としてはとても似通っているが、その性質や得られる効果は大きく異なる。
ディーアが言うには、『魔法の上質化』が魔法の練度を上げるのに最も適しており、全ての魔法使いがこれに特化して訓練を行っているとのこと。実際にそれはコーウェンも例外ではなく、メリファからもこの方法しか教えてもらわなかった。
対して『魔力の上質化』とは、言葉通り魔力の練度を上げるという目的の元に行われる。
魔法の練度と、魔力そのものの練度――具体的な効果の違いとしては、前者が効率が良く、後者が効率が悪いということだ。その差はとても著しく、正直に言って『魔力の上質化』などに励むだけ時間の無駄であり、一般的な魔法使いからすれば蚊帳の外も外、意識にすら含まれていないほどの存在だ。
そもそも魔力の練度が高かろうと、具現化と投影の手順さえ踏んでしまえば魔法に与える影響など微少なものだ。それならば初めから魔法自体の質を上げていろよ、という話なのである。
――ではなぜ、『魔力の上質化』なんてものが存在するのか。
その答えは単純だった。
『魔力の上質化』を極めることこそが、特殊魔法修得への唯一の道だからだ。
そもそも特殊魔法とは、具現化や投影を介さない唯一の魔法であり、個人によって能力の異なるものだ。歴史上でも未だに能力が被ったなんて話はないらしい。だからこそ、発動者本人の魔力の練度が高くなければいけないのだ。
これを最初に発見した人物は、前選定魔法導師の“ルビウス・ユーニヴァス”という三百年前に亡くなったエルフだ。彼がこの理論を唱えたのはおおよそ四百年前で、どうやって突き止めたのかは不明だが、それ以来特殊魔法の修得に成功した人物の数がそれまでの数十倍にまで上ったそうだ。もちろんそれでも全世界で数人、現在は公表されている人物で三人だけで、それ以前の人数が極端に少なかっただけなのだが。
「そして、もうわかっているとは思うが、魔法を諦めたお前の父親はずっとこの『魔力の上質化』に励んできたというわけだな」
「はい……、凄くもどかしかったと思います」
ふと、コーウェンは思い至った。
「そう、か……、父さんの特殊魔法は言ってみればただの魔力なんだから、あれは普通は見えないのか」
あの時の黒い陽炎。とても禍々しくとても神々しい空気の揺らめき。思い出せば思い出すほど、あれは黒く色付いただけの魔力なんだと言えた。
いくらコーウェンが魔力を視認できるとは言え、それは一つの物体として見えるというわけではない。空気の動きが一部だけバグをおこしているような、空気に溶け込むことを拒絶している空気のような、そんな曖昧なものであり、それに色が付いているなどということはとてもおかしなことだ。おそらく付与されたダメージの概念を黒い奔流として感じ取っていたのだろう。
となると、コールの特殊魔法は不可視の攻撃だ。
ただでさえ巨大で避けるのが困難な上、近接戦闘の最中に突如発動される。はっきり言って、避けられる人間など存在しないだろう。
「ん? 当然だろう? だからそれを咄嗟に防いだウェンはコールに勝ったと言えるんだ」
コーウェンを諭しながら、ディーアはハッと表情を改めた。
「……どうして気付かなかったのだろう。全く、自分の鈍感さに嫌気が差すよ」
ディーアは座ったまま立てた膝に肘を乗せ、その手を額に当てて頭を支えた。そして、残った反対の手をコーウェンの頬へと妖艶にあてがった。
「ウェンは、魔力を視認できるのだな……」
「はい……」
コーウェンはドキドキしながら答える。
既にディーアが変態だという情報は掴んでいる。そして、外見に出さない程度には全力で引いている。二日前に彼女がこの家を訪れた際に、コールがとっていた態度の意味だって理解した。
だがそれでも、ディーアの美しさは本物なのだ。
「あの……、首、触らないでもらえます?」
「照れているのか?」
「引いているんです……よね?」
「ふふっ、私に聞くな」
――と言いつつ、なぜかそのまま制止するディーア。
コーウェンはその手を優しく払いのけると、親指以外の四本の指先で控えめに頬へと触れた。
あの程度の触れ合いにもかかわらず顔に熱が集まっているのを感じる。正直恥ずかしいのだが、このまま顔を背けてしまうのは避けたく思い、ディーアの顔を正面から見据えた。
「えと……ディーアさんには、魔力が見えないんですか? 以前に聞いた話では、世界でも数人は見えるとかどうとか……」
「むぅ、私には見えないぞ。それとその話、間違っている。 正直に言って魔力を視認できる人物は特殊魔法の使い手よりも少ない。一般的には数人存在すると知られているが、そこそこの腕を持った魔法使いが適当に吹いているだけだ」
その言葉が本当ならメリファの情報が間違っているということになるが、特殊魔法を使える十二英傑の一人が見えないと言うのなら、おそらくそれが本当なのだろう。
ディーアは顎に手をやり、「そうだな……」と呟く。
「私もかなり生きて、色々旅をしてきたのだが……。うん、私が知る限りでは本当に視認できるのはウェンを除いて一人、私の師匠だけだな」
ディーアは誇らしげに微笑んだ。
十二英傑の一人にして特殊魔法の使い手にして変態、そんなディーアの師匠にして、彼女曰くコーウェン以外に唯一知る魔力を視認できる人物――興味を抱かないはずがなかった。
コーウェンは身を乗り出し、ディーアに詰め寄った。
「ディーアさんの師匠ですか!? よかったらその人について教えてくれませんか?」
「なんだ、意外と大胆なんだな。鼻息が荒いぞ? ……場所が場所だが、そういうのも悪くないか。いいぞ、好きにしろ」
――あ、なんだか冷めた。
言葉の通じないディーアに対し、コーウェンは途端に無表情になり――心の中で引きまくりながら――元のポジションへと巻き戻し再生が如く戻った。
「やっぱりいいです。さあ、そろそろ実際に『魔力の上質化』に取り掛かりましょう」
「……さすがに冗談だから気にするなよ?」
「あ、そうですか」
「あ、ああ、そうだ。――そうだな、早速取り掛かるか」
「はい、あまり自信はないですが……」
「心配するな。正直ウェンの才能は私よりも遥かに上だと理解したからな」
ディーアが「自信を持て化け物君」と続ける。
「化け物、ですか……」
正直、コーウェンにはそこまで言われるほどの自信がなかった。コールの例もあるように、特殊魔法と魔法適正の高さにあまり関連性はない。あるとすれば、魔法適正が高い者は魔力の質も高かったりする、という人物が多数だという事実だけだ。
そんなコーウェンの呟きをどう受け取ったのか、ディーアは突然慌て始めた。
「あ、いや、化け物というのはその才能の話であってだな、決してウェンのことを侮辱した言葉ではないのだぞ?」
地べたに座っていたディーアは膝立ちになり、身振り手振りで必死に弁解を図っている。
偶に出る冗談が過激すぎるところがあるが、ディーア自身は普通の女性なのだ。その変わった性癖も決して変質者のそれではなく、ただ恋愛対象がコーウェンのような人物だというだけなのだろう。
なんだか急に、そんな彼女が微笑ましく思えてきた。
見た目的には母親くらいだろうか? ディーアを見ていると家族を思い出す。コールにアメリア、メリファはもちろん、前世での父親である進に、アーヤも例外ではない。
さすがにまだ家族と同等とまではいかないが、なんだかんだ言ってコーウェンはディーアのような人物が好きなのだ。
「――それに、私はウェンのことを性的な意味で愛しているからな!」
もちろんコーウェンがディーアに抱いている感情は、この変態とは違い性的な要素は皆無なのだが。




