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 大股で歩いてきた影が、ノックもせずに職員室の扉を勝手に開ける。かなり興奮した様子の彼女は、そのまま、二年E組担任である白木のところへ直行した。真冬の母親だ。

 「先生、真冬はどこですか。真冬に会わせて下さい」

 「今の時間ならクラスにいると思いますが」

 「教室に行こうと思ったら、別の先生に止められたんです!」

 「まあそりゃあ、授業参観でもないし、三者面談の日でもないですからねえ」

 「もう一週間も帰ってないんですよ!一週間!友達の家って言っても、あの子の友達に全部電話してみましたが、全員知らないって言うし!そうだ、男です!男に騙されてるんです、馬鹿な男に!」

 「お母さん、一旦落ち着いて。お茶でも飲みますか」

 「私は落ち着いてっ、ちょ、ちょっと何ですか」

 体格のいい体育教師2人に、まあまあ、まあまあ、と彼女が別室に連れていかれている。ここ最近、毎日、こんなことが続いている。いい加減なんとかしなきゃなあ、白木は大きな欠伸をしながら、教室へと向かった。



 「しらきせんせー」

 「しらきーん」

 女子から手を振られ、白木が返すと、きゃあきゃあと可愛らしい声を上げながら、女子たちが騒いでいる。平和だなあ、白木はまた欠伸しながら廊下を歩いていった。

 私立女子中学、若い男の教師というだけで、人生のモテ期を使い果たしてる気がする。廊下を歩いていると、ふと、その噂の真冬がいた。級友と話してる。

 「ねえ、あんた、どこに泊まってんのよ。あんたのお母さんからの電話が怖いんですけど」

 「ごめん、着拒していいから。他校の友達んとこだよ」

 「喧嘩したの?もう一回帰った方がいいって。こういうの続くと、親、まじ、うざくなるよ」

 「あはは、まあ、そのうち」

 白木が注意深く真冬を見る。周りに馴染んでいるようで、彼女の笑顔は完全に作り物だと気付いた。目の前の女子たちを、友達と思っていない。それどころか、人として信用すらしていない目をときどきしている。年頃の女子たちの友情というのは男の想像を超越させる複雑さがあり、こういったケースは珍しくないのだが、真冬は特に酷いように見えた。少なくても、白木の知っている真冬は、ちょっと前までこんな笑顔ではなかった。

 気付かない回りも回りだよな、薄っぺらの友情お疲れ、白木が鼻で笑いながら真冬を手招きした。

 「おい、ちょっと」

 「げ」

 「いーな、いーな真冬」

 「じゃ、変わってよ」 

 真冬が駆け足でこちらに向かってくる。お、と白木が真冬の目を見る。少なくても、自分には偽笑いしない。この真顔の方が、いくらか子供らしくて目に馴染む。

 「どうしたんですか。またお母さんですか」

 「そう、またお母さん」

 「すいません」

 「俺に謝らなくていいからさ」

 てしてし、と出席簿で軽く頭を何度か叩く。こういった仕草だけで他の女子ならそれなりの反応を見せてくれるんだが、真冬は無反応だ。悲しいかな、これは真冬が嘘笑いする前からだ。

 「とにかく一旦帰れ。家族は一緒にいるもんだ」

 「やりたいことをさせてもらえない人間が家族ですか」

 「あのなあ。やりたいことって言うのは、余裕があって、始めて出来るものなんだよ。親に学校出してもらって、会社入って、落ち着いてから始めて出来るものなんだ。人の金でやりたいこと出来るほど人生甘くないです」

 「…っ、先生、ほんと、超現実的ですよね。子供に夢見させる気もない。私がぐれちゃったらどうするんですか」

 「大丈夫大丈夫。先生、もうすぐ先生じゃなくなるから」

 「え?」

 「親が体壊して実家に帰らないといけないんだ。夢叶って、親から離れた結果がこれだよ。どんなもんだい」

 絶句した真冬を見て、白木が手を振りながらその場を去った。若者の夢を壊すのは楽しいな、笑いをこらえながら白木が歩いている。何気なく後ろを見ると、真冬がグループに戻り、また偽笑顔を浮かべていた。少しくらい落ち込めよ。俺の発言もどうでもいいってか。

 真冬に一体何があったのか、白木に興味が湧いた。



 「あー、美味しい。風呂上がりのフルーツ牛乳最高」

 「ふふ、おじさんみたい」

 「むう」

 ふざけてぶつかりあいながら、真冬と真夏が大笑いしながら学校へと戻っていく。学校で寝泊まりすることは、自分でも信じられないくらいどうにかなかった。

 お風呂は学校近所の格安銭湯。着替えは保健室で常備されてるもの。食事は学校近くのコンビニ。真夏の中学生とは思えない財力に、真冬は頭が上がらなかった。親戚が多く、お年玉を全く使わないため、どんどん貯まるという。

 「あーあ、借金が膨らむなあ」

 「気にしなくていいって言ってるのに」

 「そういうのは気持ち悪いの…ほんとに真夏といるときが一番楽。クラスはどうしようもないにしても、休み時間も会いたいのに。たくさん話したいのに」 

 「それは、前に懲りたでしょう?」

 「それは…そうだけど…」

 真冬は悔しかった。偽物の友情でも離れるのが怖いことを、大好きな真夏に見抜かれたこと。級友たちのことはすっかり信じられなくなったが、それでも、一緒にいる方を選んだこと。結局自分も回りと一緒なのだと、思い知らされている気分だ。真夏とは違う。真夏とは全然違う。

 「ねえ、真夏」

 「どうしたの?」

 「ううん、何でもない」

 手を繋ぎ、身を寄せ合って、真冬と真夏は保健室の窓から外を見る。世界で2人だけのような錯覚を覚える。真夏と見ていると、校庭でさえ綺麗だ。

 本当は、真夏に聞きたいことがたくさんある。噂の真偽だ。自分はずっと携帯電話の電源を切りっぱなしだが、真夏はいつもつけて、天気予報を見たり、好きな洋楽を聞かせてくれたりしている。それにも関わらず、真夏の携帯は全く着信が来ている様子がない。家族は。親は。そしてどう見ても健康そうなのに、どうして数カ月も休んでいたのか。どうして保健室の合い鍵なんて持っているのか―

 駄目だ、真冬が首を横に振る。好奇心に負けて聞いたら、全てが終わってしまうような気がする。今はただ、真夏との関係を大事にしたい。

 「もう寝ましょう」

 「うん」

 ベッドに横になり、おやすみなさい、と言いあう。寝ようと目を閉じると、肘に携帯電話が当たり、電源がついてしまい、途端に着信が鳴った。両親だったら電源ごと切ろうと思ったが、珍しい、妹からだった。

 「もしもし?」

 『今、どこにいるの!お姉!!』

 やばい、機嫌悪さマックス。

 「友達の家だけど」

 『いい加減にしてよ!帰ってきてよ!もう、お父さんもお母さんも超うざい!家の中ずっとお葬式みたいだし!お母さん、私まで家出しないかって、毎日毎日迎えに来るの!毎日毎日毎日毎日毎日毎日!!友達の家にいたときも、十分に一回くらい電話あったんだよ!恥ずかしい!全部お姉のせいだから!』

 「あのね、私だって」

 『高校なんて何処でもいいじゃん!とりあえずお父さんとお母さんの言うこと聞いてりゃ、2人とも笑ってるんだから!ほんとに頭悪い!』

 「…っ、ああそう!私はあんたのそういう計算高いところが嫌い!」

 『私も大嫌い!ばーかばーか、クソビッチ!!』

 「あんたそれ意味分かって」

 電話切れた、ため息交じりに今度こそ電源を切り、真冬が寝返りをうつと、背中を向けた真夏が小刻みに震えているのが見えた。笑われてる。

 「ごめん、妹」

 「ふふ、仲良くて羨ましい」

 「どこが…真夏には兄弟いるの?」

 これくらいなら聞いてもいいだろうと思って聞いてみると、真夏は体をこちらに向け、首を横に振った。

 「いないわ。父と私だけ」

 「そっか」

 お母さんはどうしたの―お父さん心配しないの―聞きたいことは飲みこんで、真冬は無理やり寝た。頭の中がもやもやしているが、それでも、無理やり寝た。



 朝は、保健医が来る前に起きて、急いで身支度を整えて中庭に出て、学校が始まるまで時間を潰す。生徒たちが登校してきたのを見計らい、優等生の真夏は教室へ向かい、遅刻ぎりぎりのキャラクターが馴染んでいる真冬は、更に時間を潰してから教室に向かう。

 「おはよー」

 「おはよー」

 席につき、すぐにため息をつく。既に真夏が恋しくてたまらない。けど、いつまでもこんな生活を続けるわけにはいかないだろう。かといって今更家に帰るのは癪だ、どうしたものか、真冬はシャープペンをひっくり返したり戻したりしながら、ああでもない、こうでもない、と考えていると、最初の授業担当ではない白木が覗きこんできた。また自分を手招きしている。

 ひゅーひゅーじゃねえよ、真冬が空笑いしながら廊下へでていくと、白木の顔が少し真面目なものだった。

 「お母さんですか。会いませんよ」

 「いや、今日はお父さんだ」

 真冬はえっと声を上げた。まさか父が来るとは思わなかった。今日は平日だ。インフルエンザになっても、無理やり会社に行こうとするような父親なのに。

 「どうする。会社を休んでわざわざ来て下さったみたいだ」

 「…っ、私…」

 「君が全部しゃべるまで、怒鳴らないそうだ」

 言いたいことを見透かされてる、真冬は目に涙をいっぱいためて、白木の後ろをそのままついていった。



 進路指導室に入ると、本当に、父親がいた。絶対に母親が一緒だと思っていたが、父は1人だった。ますます信じられない。真冬が父の向かいに座る。父は黙って、こちらを見ていた。怒鳴らない、話しを聞いてくれる父親なんて、別人みたいだった。真冬は言いたいことを言うことにした。

 「私、お母さんが言う高校には行きたくない。付属大学とか、就職率とか、そんなの分かんない。私、別の高校に行きたい」

 「どうして」

 「…っ、だ、だって…制服可愛くないし…共学がいいもん…」

 「―っ」

 大笑い。父の大笑いなんて、久しぶりに見た。真冬は途端に恥ずかしくなり、首まで真っ赤になった。

 「わ、笑わなくてもいいじゃない」

 「はは、すまんすまん…お母さん、こうと決めるとそこしか見えないところがあるからな」

 「知ってる」

 「なら、どれだけ荒れてるか想像つくだろう。真冬。帰ってきなさい。母さんの涙なんて正直見慣れてるが、こうも毎日だと、父さんが泣きそうだ」

 「…お父さん」

 普段無口で、何かあれば出て行け、としか言わない父親が、ゆっくり、誠実に話してくれてる。感激しかけた心の中で、さっと壁が出来る。分かってる。お父さんだって、家を円満にしたいから、私が帰らないと困るだけだ。心配の気持ちなんて、それに比べたら小さいに決まってる。

 騙されない。騙されないけど。

 「…っ、うわあああああああ」

 「ああ、もう、中学生だろう。泣くな、泣くな」

 

 廊下でずっと立ち聞きしていた白木が、やれやれ、とその場を去っていく。ちょっと面白い生徒かと思っていたけど、しょせんどこにでもいる子供か。

 そのまま歩いて行くと、ふと、物音がした。もう終わったのか、面倒だが父親に挨拶しなければならない。


 「     」


 息を飲んだ。父親は白木がいる方向とは別に帰っていき挨拶する手間は省けたが、代わりに飛び込んできた真冬の顔。目を真っ赤にはらしながらも、瞬時に父親との壁を再度作り上げた。ついさっきまで、可愛い愛娘だったのに。

 面白い、どうにもこうにも面白い。白木が低く笑いながら、やっぱりまだまだ目が離せないねえ、とひとり言を呟いた。




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