飛び出せ、新生活(4)
カポーンっ…………
湯気の立ち込める大浴場に、肩の力が抜ける心地の良い音が響き渡る。
「コーくんっ! お湯加減はどうですかっ?」
「…………ウン、サイコー」
「コーさま! わたくしが作った大浴場はいかがですか?」
「…………ウン、サイコー」
むにむにっ。
僕の両腕に母性溢れる柔らかいものがあたる。
――――幸福の極みッッ!!
*
迫りくるライバルたちとの死闘を乗り越えた僕は、無事、男湯にたどり着き、覗きを働こうと思ったのだが……。そこで事件が起きた。
男女の垣根をさえぎる壁にポッカリと穴があき、そこから女の子たちが姿を現したのだ。
「ささ、立ち話もなんですからお湯に浸かってゆっくりしましょう!」
「え、…………え?」
「コーくん、早くっ!」
「ちょ……っ!」
イッちゃんに腕をひかれ、なされるがまま僕は男湯に身を沈めた。
もちろん、ハナちゃんやナツミちゃん、リコちゃんも一緒である。
「あったかいねっ」
「気持ちがいいですわぁ」
「………………」
二人の女の子に挟まれながら、僕は全神経を精神に集中させていた。なぜこの状況を楽しもうとしないかって?
そんなの、みなぎってくるエネルギーの塊を抑えるために決まってるじゃないか。
息子さんがいきり勃っ――――もとい、立ったらどうするんのさ。
悟りを開くがごとく、僕は仏像のように邪念を振り払っていた。
バシャバシャッ!
すると突然、誰かにお湯をかけられた。
「おにいちゃん! 私と一緒に遊ぼうです!」
「リコちゃん」
「です!」
バスタオルも何も身に付けないまま、無邪気にはしゃぐリコちゃん。
イッちゃんたちにされたら鼻血ブシャアアアアアアアアアアアッッだけど、リコちゃんなら全然大丈夫! 小学生の妹と一緒にお風呂に入るようなもんだ!
「よーしっ! それじゃあ僕と遊ぼうか!」
「です! それっ!(パシャアっ)」
「うわっ!」
すばしっこい動きに、思わず不意をつかれてしまった。
「やったなー!」
僕は手を丸めて、手中にお湯が入るようにした。それからグッと握りしめ、親指と人差し指の間からお湯が一気に飛び出す。
ビュッ!
パシャっ
「ひゃっ!」
見事、リコちゃんの顔面に命中。
「えへへ~! お返しだよ~!」
「うぅ……」
悔しそうにあごに梅干しをつくるリコちゃん。
その表情がまたたまらなくて、僕のテンションが上がってしまう。
「ふっふっふー! まだまだいくぞ~!」
今度は両手を使って、左右両方から同時に、連続でお湯を発射した。
ビュッビュビュビュッ!
「うひゃあぁっ!」
リコちゃんは目をバッテンにして、湯船の中に沈み込んでしまった。数秒後、ブクブクと水面に泡が出てきて、バシャアっとリコちゃんの顔が現れる。
リコちゃんの瞳は、まるでコーカサスオオカブトを見せられた子供のように、キラキラ輝いていた。
興奮気味の口調で、
「おにいちゃんすごいです! 今のはどうやったですかっ!?」
ふんすふんすと鼻息を荒げて、尋ねてくる。
かわいいなぁ……。
僕は幸せなお兄ちゃんの気持ちになって、教えてあげる。
「えっとね、まずは指を丸めて……」
「はいです!」
「それから、手の中のお湯を一気に吐き出すように握るの」
「……こうですか?」
ぴゅっ。
「そうそう! 上手いよ、リコちゃん!」
「でも、お兄ちゃんみたいにいっぱい出ないです……」
「うーん……」
リコちゃんの手が小さいからかなぁ?
だとしたら、違う方法で……。
「リコちゃん。お願いごとをするときみたいに手を組んでみて?」
「これでいいです?」
「そう! それで手の中に空洞ができるようにして、さっきみたいにぎゅっとしてやると」
ビュッ!
「できたです!!」
「やったね、リコちゃん!」
「ありがとです!」
まじりっけのない純粋な笑顔で、見上げられた。
とんでもなく可愛いんですけど……?
「ここからは応用編なんだけど、こうやって人差し指だけまっすぐ伸ばしてやると……」
「わあぁっ!! てっぽうみたいです!!」
「でしょ?」
バンバンと効果音を口ずさみながら、リコちゃんはガンマンになりきっていた。
「おにいちゃん!」
「ん?」
「これで警官のおねえちゃんを撃ってくるです!」
「逮捕されないように気をつけるんだよ?」
「もちろんです!」
とびっきりの笑顔で答えて、リコちゃんはナツミちゃんのところに戻っていった。
「くらえです!」「やったな~! 逮捕だ~、ルゥゥパァンっ!」「きゃ~!」なんて楽し気な声が聞こえてくる。
ここは黒き怪盗、キッズ様の出番かな?
やれやれだぜ……。
なんて思ったところで、ガッと腕をつかまれた。
…………エ?
ギギギッと、さびたロボットのような動作で後ろを振り返ると、
「コーくん……」
「コーさま……」
「「恋バナ、しよっ(しましょう)?」」
理解不能な状況が、勃発しようとしていた。
*
「コーさまの好きな人は誰なんですの?」
「…………」
マジキチな質問だった。
ちょっと待って。
状況を整理させてほしい。
まず僕は、覗きをするために野郎どもと戦って生き残った。だけど、人類100年の歴史を誇る、高さ50m(精神的な意味で)の壁が、ぶち壊されて。ついさっきまでは、妹のような子と仲良く遊んでて。
そして今。
頭にタオルをのっけた女の子二人に、僕の好きな人を開示しろなんて要求されている、……と。
…………。
どうしてこうなった。
「コーくんっ! 答えてくださいっ!」
「ぐぉ…………っ!?」
むにむにっ。
右腕に、大きなマシュマロを押し付けられ、息子が暴れ出そうともがいている。
「こーさまっ! わたくしたち、本気なんですの!」
「あはん…………っ!?」
ぽよんぽよんっ。
左腕に、柔らかいマカロンの感触を覚え、僕の二つのシュークリームからクリームがもれかける。
ま、まずい…………っ!
このままじゃ、もってイかれる……っ!
「さぁ、こーくん!」
「コーさま!」
「誰が好きなの(ですの)!?」
――――その時。
男湯の扉が開いて。
子孫繁栄の危機を脱したシオンが姿を現した。
「シオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンッッ!!!」
「……は?」
突然名前を呼ばれて、シオンはあっけにとられる。
でも助かったっ! ここでシオンに話題をふれば、きっと状況が一変する!ハナちゃんがシオンをボコってるうちに、この場から脱出するしかない……ッ!!
そう判断したのだが…………。
「シオンくんのことが…………」
「好きなんですの…………?」
とんでもない誤解が生まれてしまった。
うわあああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!
「ち、違うよ二人ともッ!? さっきのはなんというか、誤解というか……ッッ!!」
「「………………」」
必死こいて弁明するが、二人の瞳からは光彩が消え失せていた。
やばすぎる……ッッ!!
「僕が叫んだのはシオンが目に入ったからで……ッ!! 決してシオンのことが好きだからじゃないんダヨッ!? むしろ好きなのは二人のおっぱいでッ! さっきからずっと触れてたからうひょおおおおおおおおおおっ僕の息子がエクスカリバー……って何言ってんの僕……ゥッッ!!?」
あまりに焦りすぎて意味わからないことまで口走っちゃったッ!!
絶対ひいたよね……?
「「…………(にこっ)」」
…………え?
なぜに笑顔…………?
奇妙な笑顔を張り付けたまま、イッちゃんとハナちゃんがシオンのもとへと歩み寄っていく。
「……え? え?」
ワケのわからない行動に、思考回路が追いつかない。
「ふ、二人とも……?」
「…………コーくん」
「…………コーさま」
彼女たちは、シオンの身体にピタリと密着するのを見せつけるようにして、
「わたしたちが好きなのは、シオンくん(さま)だから」
…………………………ん?
まるで時が止まったかのように、僕を構成しているすべてのものが動きを止めた。
固まる僕をよそに、時は進んでいく。
ガラッと、シオンの背後の扉から、鼻血まみれのリュウが現れた。それに気づいたナツミちゃんとリコちゃんは、遊ぶのを即座にやめ、
「「リュウ(おにいちゃん)だ~いすきッッ!!」」
リュウのもとへと駆け寄り、両側からはさむようにして抱き着いた。
…………………………お?
理解するのに、何秒、何分かかったのか分からない。
不意に、僕の時が動き出し、硬直していたすべてのものが動き出す。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!!!!?????」
もうマジで、人生最大の驚きだった。
開いた口が塞がらない。
「チョッ!! マジでッ!!? イッちゃんってシオンのことが好きだったのッ!? っていうか、ハナちゃんは僕のことが…………えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッ!!!?」
驚きの暴走列車やでッッ!!
「ナツミちゃんがリュウのことを好きだったのは知ってたけど、リコちゃんまでなんてッ!! それに、いつの間にそんな大胆に………ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!?」
なんかもう吐きそう。
げほげほげほっ!!!
けれど、銀田一少年の事件簿はそんなところでは終わらなかった。
両手に花の状態だったリュウとシオンが、おもむろに女の子たちからのアプローチをふり払い、僕のもとへと一歩一歩近寄ってきたのだ。
な、なんすか…………?
顔をうつむいたまま近寄らないでもらえます?表情が見えないと怖すぎるので。
彼らは、僕の両側で立ち止まる。
…………おいおい、まさか………………ッ!?
次の瞬間ッ!!
「「オレたちはウシオくんのことが大好きなんだぜ…………ッッッッッ!!!!!」」
ムギュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッ!!!
ヤツらが、その鍛えあげられたムチムチの筋肉を僕の身体にムッチリと密着させるように、両側から抱きしめてきたッッ!!!!
「ギェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッ!!!!」
あ、あつぐるじイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!! 男くせエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッ!!!
噴き出る汗をすり込ますように、二人が僕に身体をこすりつけてくるッッ!!
グラグラと揺れ始める視界の中で、女の子たちが笑顔で遠ざかっていくように見えた。
「そ、そんな……………………っ」
グルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグル。
歪んでいく意識の中、僕は二度とNOZOKIなんかするもんかと、誓ったのだった。
*
「…………ハッッッッ!!!!」
意 識を取り戻した僕の目の前に広がっていたのは、見慣れた改築前の天井だった。
………………夢?
「夢オチだったら何でもしていいってワケじゃねえんだよ、クソ作者ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
自分でも理解できない言葉だったが、思わずそう叫んでしまった。
お風呂上がりのように汗だくな状態で目覚めた、そんなある日のお話。




