女湯での死闘(1)
カポーンっ
日々の試練の連続で強張ってしまった心をほぐしてくれる、心地よい温泉独特の音色が響き渡る。
「はあ、はあ……。シオン、準備はいいか?」
「ああ、ばっちりだ……」
ごくりっと喉を鳴らし、緊張した身体をほぐすようにググッと伸びをする。
――――僕とシオンは今、女風呂の脱衣所にいる。
しかしそこには、むさくるしい男の姿はない。
黒髪ショートヘアーと銀髪ロングヘアーの美女が二人、、バスタオルを巻いた姿でいる。
そう、それこそが今の僕たちの姿なのだ。
「さあ、いくぞ!」
「おう!」
「「いざ、楽園へ!!」」
ガラッ
開けたドアから視界を埋め尽くすほどのたくさんの湯気が流れ込んできた。
*
さかのぼること三十分前。
ハナちゃんの『温泉に行きましょう』という提案に、僕たち一同は賛成した。だけど、いくつかの不安点というか、疑問点みたいなものがある。
「でも、どうやって忍び込むの? 前みたいに壁を越えてこっそり入るのはやだなあ。いつバレちゃうか心配でゆっくり入れないよ」
僕たちが持つ疑問をナツミちゃんが代弁してくれた。
ハナちゃんは誇らしげな顔で答える。
「もちろん考えています。今回は正面から入るつもりですわ!」
「でも、それじゃあ宿屋に泊まることになるんじゃ?」
「宿屋に泊まると、寝ているうちにエネルギーをとられるから、宿泊するなってライオネルが言ってたよ」
「それに関しては問題ありませんわ!」
これらの反応があるとわかっていたかのように、ハナちゃんは受け答えする。
「わたくしたちは宿泊客のように正面から入りますわ。それからすぐに温泉に向かいますの」
「温泉からあがった後はどうするつもりなの?」
「服を着た後、壁を乗り越えて脱出ですわ!」
「……そ、それってっ?」
「食い逃げならぬ、入り逃げですわ!」
「「「……ええ~?」」」
堂々と胸をはり、えっへんと鼻を高くするハナちゃん。僕たちは微妙についていけないのだった。
まあなにはともあれ、結局、以前行った白い街にある大きな温泉を目指して歩き始めた。
すると道中、シオンがふと僕に話しかけてきた。その表情は鼻水を垂らしたイタズラっ子のような、何か含みのあるものだ。
「……なあ、ウシオ。いいことを思いついたんだが」
「な、なにかな?」
思わず距離をとる僕。
たぶんこいつのことだから、覗きでもしないかと誘ってくるのだろう。
……はあ、仕方ないな、友達としてしょうがないから付き合ってやるか。
しょうがないから、ね。
僕はすべてを悟ったかのように、ふうっと息を吐いてシオンに言う。
「やれやれ、どうせ覗きでしょ? 不本意極まりないけど、親友として付き合って――――」
「オレと一緒に女湯に入らないか?」
「ーーッ!!」
こいつの考えていることは、僕の想像をはるかに絶していた。
覗くなんて甘ったるいものじゃなく、もう入っちゃえってことか。
ふっ、さすが相棒だぜ……。
とまあ、それは置いとくとして。
今一番大事なのは――――。
「おい、どうやって女湯に入る気なんだ。詳しく聞かせろ」
「合点承知の助」
僕の要求にシオンは快く承諾する。
「突然だがウシオ、オレたちは何者だ?」
ところがシオンは意味の分からない質問をしてきた。
僕たちが何者かだって?
「そんなことはどうでもいい! 僕はいち早く女湯に入らなければいけないんだ! 理想郷が僕を待っている!」
「まあ、まあ。いいから答えろよ」
「……ぬう」
僕たちが何者か、かあ。
……その質問、難しすぎじゃないっすか?
うーんと頭をひねった挙句、僕は思いついた簡単なことを口にした。
「僕たちは『忍者』かな?」
「うむ、そのとおりだ」
合ってんのかい。
まあ確かに、僕たちは忍者だけど。
「それがどうしたのさ? それと女湯に入ることは何にも関係ないじゃないか」
「いや、それがあるんだよ。オレはとんでもないことを思いついてしまった」
シオンの真剣な表情に、僕は思わずごくりっと喉を鳴らす。
「オレたちは忍者。つまり、変化の術ができるんだ!!」
「ッッッ!!!」
ゴロゴロピッシャアアアアアン!!
僕は雷に打たれたかのごとく、激しい衝撃をうけた。
そ、そうか、僕たちは忍者だから変化の術ができるんだ……。
それじゃあ……。
それじゃあ……ッ!
僕の心境を察したのか、シオンはうんうんと頷いている。
僕はこみあげてくる感情の渦を抑えることができず、ついに叫んでしまう。
「それじゃあ、僕は自分の胸をもみ放題じゃないかああああああッ!!」
「「「ッ!?」」」
僕の奇妙な言動に、シオンを含め前で歩いていたイっちゃんたちが振り返った。
し、しまったっ!
これじゃあ僕が、自分の胸をもんで喜ぶ変態みたいじゃないか!
案の定、みんながかわいそうな子を眺める目つきで見てくる。
「ど、どうしたんですかっ、コーくんっ?」
「さ、さすがに今のはひいちゃうかな~……」
「おにいちゃん……」
「わたくしはそんなコーさまも好きですわ~!」
「……ついにぶっこわれたか、このバカは」
違う!
僕は変化の術で女の子になった自分の胸をもむのがいいのであって、決して男の自分の胸をさわって喜ぶというわけじゃないんだ!!
「待ってみんな! 言い訳をさせて!!」
「「「……」」」
だけど、僕の懸命の弁明もむなしく、みんな前を見て再び歩き始めた。
「オワタ……」
「まあ、まあ」
泣き崩れる僕の肩を、慰めるようにシオンがたたく。
うう……。あとで自分を慰めることにしよう…………変化の術を使って。
「言っとくけど、変化の術は女体化した自分の胸をもむために使うんじゃないからな?」
「えっ!? 違うの!?」
「当たり前だろ。いくら女体化したからといって、何が悲しくて自分の胸をもまなくちゃならないんだ」
「あ、はは……」
ふつう、みんなそういうことしないのかな。もしかして、おかしいのって……僕だけ?
そ、それはともかく!
変化の術を他にどうやって使うんだろう?
察しのいいシオンは僕の疑問にまた気が付いたらしく丁寧に教えてくれる。
「ちゃんと説明しとくけど、変化の術は女体化するために使う」
「うんうん」
「それでそのまま、女湯に入る」
「あっ、なるほど」
シオンのシンプルな説明に、ポンと手のひらをたたく。
そっかそっか。
女体化したままなら、女湯に入ってもおかしくないもんね!
「具体的な作戦は?」
「そうだな……。ただ女の子と一緒に入っているだけで目的は達成だけど。強いて言うなら、ハナたちよりも先に女湯の脱衣所に入ることかな。見つからないうちに変化の術を使う」
「了解です、隊長殿!」
「みなさーん、そろそろ宿屋に到着です!」
「「ッ!!」」
どうやら話し込んでいるうちに、宿屋の近くまで来ていたらしい。
よし、ここからシオンとみんなよりも先に行こうかな。
僕とシオンは顔を近づけ、こそこそと話し合う。
「(ねえ、もうここからみんなよりも先に行かない?)」
「(そうだな……。よし、行くか!)」
「(うん!)」
僕たちは頷きあい、みんなに聞こえるようわざと大きな声を出す。
「よーし、僕が一番乗りだ!」
「待てよウシオ、オレが先だ!」
「負けないよ!」
「オレだって!」
「「わーー!」」
「「「……」」」
みんなの無言の視線が痛かったが、僕たちは列の後ろから抜けだし、宿屋に向かって走り出した。
到着したそのあと、僕たちは綺麗な女将さんに案内され部屋を紹介された。それから女将さんが姿を消した直後、僕たちは猛ダッシュで女湯を目指し、脱衣所で変化の術を使ったのだ。
そうこうして今に至る。
今の僕は黒髪のショートヘアにビッグなボインを強調したバスタオル姿である。隣に住む色気むんむんのお姉さんのようだ。
一方、シオンは銀髪のロングヘアーで胸はひかえめだ。しかし、透明感のある白い肌は美しい銀髪とマッチしている。それはさながら、空から舞い降りた輝かしい天使のようだった。
「お、お前。ほんとにウシオか……?」
「そっちこそほんとにシオンなの?」
お互いがお互いの姿に驚き、見惚れ合う。
こいつ、女体化したらすげえ綺麗なんだなあ……。
……はっ、いけない!
本来の目的を忘れるところだった!
パシッと自分のすべすべな頬をたたき、我に返る。
「シオン! 僕たちの目的は自分たちの姿をまじまじと眺めることじゃないよ! 僕たちは女湯に入らなきゃいけないんだ!」
「はっ! そ、そうだね……。よし、行こうか!」
僕たちは気合を入れ直し、浴槽に続く扉に手をかけた。
「い、いくよ?」
「あ、ああ……」
ごくりと生唾を飲み込み、天国に続く扉をガラッと開いた。
もくもくもくと白い湯気がドアから出てくる。
「「ああ……ッ!」」
その景色の向こうには……。
きゃっきゃっと笑い声をあげながらお湯をかけ合い、楽しんでいる裸体の女の子たちがいた。
――――わけがなかった。
僕たちの視界に入ってきたのは、それはそれは広い露天風呂だった。
湯気がもくもくと立ち上る。ここはどうやら露天風呂を主体とした温泉らしい。僕たちがいる入り口あたりに身体を洗うシャワーがずらりを並んでいた。
そこにも女の子はいない。
「はあ、誰もいないのかあ……。期待外れだね、シオン」
「……」
「まあ、後からイッちゃんたちが来るし、いっか!」
「……」
「シオン? ……はっ!!」
応答のないシオンを不審に思って見てみると、彼は顔を真っ赤にして、全身をぴくぴくさせていた。
まずい……っ!
これは鼻血をだす前兆だ!!
「落ち着け我が戦友!(ガスッ)」
「ぐふっ!」
僕がシオンの首元にチョップを入れると、シオンはハッと我を取り戻した。
「ふう、助かったぜウシオ」
「いいよ。それよりどうして鼻血が出そうだったのさ?」
「聞いて驚くなよ? 奥のほうの浴槽に女の子がいる」
「……ッ!(ピクピク)」
「危ない!(ガスッ)」
「がはっ!」
うおお、ギリギリだったあ……っ!
まさか女の子がいたとは、まったく気が付かなかった。危うく僕までも鼻血を出すところだったよ。
僕は目を凝らして見てみたが、その姿ははっきりとは見えなかった。
すごい湯気で隠れている。
くっ、忌々しい湯気め!
漫画やアニメだけではなく、ここにきてまでも邪魔をするか!
ぐぬぬっと歯ぎしりする僕の肩に、シオンが手をポンッと置いてくる。その手つきは気のせいか、いつもよりぎこちない。
「まあ、いいじゃんか。はやく身体を洗ってあの子の近くに行こうぜ」
「そ、そうだね。はやく洗っちゃお!」
僕たちはいったん落ち着きを取り戻し、シャワー前で座り込んだ。
シャアアアアっと勢いよく、シャワーからお湯が出てくる。
この世界では汚れることはない。
だけど、やっぱりお風呂に入らない生活は考えられない。
なんだか気持ち悪いもんね。
髪の毛を洗い終え、次は身体を洗う。
(うっ……)
僕は女体化した自分の姿を眺め、すぐに目を離した。
これは想像してたよりも刺激が強い。
いくら自分の身体とは言え、女の子の身体を洗うのは……。
輸血用のパックがいくらあったとしても足りない気がする。
そういえば、シオンはどうしてるんだろ?
「ねえ、シオン。自分の身体どうやって洗って――――」
「ブツブツブツブツ……」
僕の隣には、念仏を唱えている僧がいた。
ダメだこいつ、使えない。
僕は再び悩み始めた果てに、一度変化の術を解いて男の身体に戻そうと決めた。まだイッちゃんたちも来ないだろうから、大丈夫でしょ。
そう思い、ポンッと術を解除し、男の姿で身体を洗い始める。
うーん、やっぱり男の身体は洗いやすいなあ。
僕は身体の隅から隅まで丁寧に泡を立てた。
さっきの火事騒動で、すごい汚れた気がしたからね。
隅々まで洗わないと気持ち悪いよ。
最後の仕上げを終え全身が泡まみれになり、いざ洗い流そうというところで、
「あれ!? あの大きなおっぱい、無くなってませんか!?」
「ッ!?」
後ろから女の子の声が聞こえてきた。
僕はとっさに変化の術を繰り出し、女体化した。
そのあと後ろを振り返ってみると、バスタオルをつけた小柄な女の子が立っていた。
「あれ、おっきなおっぱいに戻ってる!」
「あ、あはは……」
ふうっ、危うく男の姿を見られるところだったよ!
僕は安堵し、ゆっくりと息を吐いた。
それにしてもこの子は誰なんだろう?
もしかして、さっき奥のほうで温泉に浸かっていた女の子かな?
「あの、君は誰?」
「あっ、いきなりすみません! 私はアミって言います!」
と、元気そうな女の子は自己紹介した。
へえ、アミちゃんっていうのか。
小柄で釣り目の可愛らしい女の子で、長い黒髪はいつもツインテールでもしているのかな? すこし型がついているように見える。
「アミちゃんだね。ぼ……私はウシ、コっていうの」
「ウシコさんですか。よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくね」
無邪気で素敵な笑顔を咲かす女の子だなあ。
すごくいい子のようだ。
いや、でも気になることがある。
「ところで……さっきおっぱいがどうとか」
「ひゃっ、すみません! 実は私、胸に自信がなくて……。大きな胸を見るとつい……」
「な、なるほどね……」
「あの、さっき胸がいきなり大きくなってませんでしたか?」
「き、気のせいだよ! うん、気のせい!」
「そうですか……」
なんだかしょんぼりするアミちゃん。きっとおっぱいを大きくする方法が見つかったと思い込んでいたのだろう。
ごめん。これは、偽物のパイオツなんだよ……。
しかし、落ち込んでいたアミちゃんはすぐに元気を取り戻し、笑顔で僕に話しかけてくる。
「あの、もしよければ温泉に浸かりながらお話しませんか? 私、これまで一人ぼっちだったもので」
「……ぜひ、お話しましょ!」
「ありがとうございます! さ、行きましょう!」
「ええ!」
僕は身体中の泡を流した後、アミちゃんの手に引っ張られてついていく。
「あっ、となりで念仏を唱えていた綺麗な銀髪の方はお知り合いでしたか? よかったら呼びに戻りますけど」
「いや、いいわよ。放っておきましょ」
悟りを開きそうなバカは放置し、僕とアミちゃんは浴槽に浸かり、語らい始めた。
*
「へえ、アミちゃんって私と同じ冒険者なんだ!」
「はい、そうなんです!」
にこにこと笑顔を浮かべるアミちゃん。
なんだか子供っぽくて無邪気だなあ。
「私、ある人を探しているんです」
だけど時々、会話の中でふと影を見せる時があった。
どこかさみしく、孤独なにおいが漂う。
「女の子に食べられる前、私はその探している人のことが好きだったんです。それでこの前、ふとその人に似た雰囲気の人を見かけたんです」
「でも、前世と今の見た目って違うでしょ? 私は前世がお米だったけど、今の姿とは全く違うよ」
「はい、わかってます。でも、なんだか特別な人は感じるんです!」
とんとんっと薄い胸をたたくアミちゃん。うっ、いくら湯気がすごいとはいえ、裸の女の子がいると思うと、油断したら鼻血が出ちゃうな。
特別な人は感じるかあ。
ハナちゃんと僕みたいな関係かなあ。ハナちゃんは面識がない僕のことを知っている様子だったし。
なんだかその恋、応援したくなってきたなあ。
僕にできることなら、協力しよう!
「ねえ、その人の特徴を教えてくれないかな? 私にできることなら協力するからさ!」
「本当ですか!? ありがとうございます! その人はクールで優しくて余裕があって……」
「うんうん」
なんだか僕の特徴に当てはまってない?
クールで優しくて、そしてなんといっても大人の余裕がある!
ま、まさかね……。
「そ、その人の外見の特徴は……?」
「えっと、そんなにはっきりとは覚えていないんですけど……。確か身長が高くて」
「うんうん」
「片目が前髪で隠れてて」
「うんう…ん?」
なんだか身に覚えがあるような……。
いやいや……っ!
あいつがクールで優しくて余裕があるはずがないよ!
僕が心の中でひたすら否定していると、
「それに囚人服を着てました!」
「……」
確定だわ、こりゃ。
そんな!
こんなにいい子がリュウに恋してるだなんて!
あいつといるとろくでもないことになるって説得しなきゃ!
……それに、あいつにはナツミちゃんがいるからね。
僕はアミちゃんにリュウを諦めてもらうため、身を乗り出して説得し始めた。
「いやあ、そんな人見たことないかなあ。きっと見間違いじゃない?」
「そんなことないですよ! 私、ちゃんと見ましたもん!」
「それでも、その人はアミちゃんの想い人じゃないかもしれないよ?」
「いえ、きっと彼に違いありません! ビビッときましたもん!」
うぬう。この子、すごい惚れ込んでるんだなあ。
ハナちゃんに近いものを感じる。
……これはもう、本当のことを話したほうがいいのかもしれない。
彼には好きな人がいるんだと。
「あのね、アミちゃん。実は――――」
その時だった。
「こんにちわっ! わたしたちもお話に混ぜてもらえませんかっ?」
聞き覚えのある声に思わずバッと振り返る。
そこには、バスタオルを巻いたイッちゃんたちがいた。その中に、ハナちゃんのバスタオル姿に釘付けな、女体化したシオンの姿もある。このやろう、悟りを開いたんじゃなかったのか!
僕が忌々しい視線をシオンに送る一方で、隣のアミちゃんがイッちゃんの質問に答える。
「もちろんです! 楽しくおしゃべりしましょう!」
「――――ッ!」
まずい、ナツミちゃんがいる前ではさっきの話はできないよ!
しかし、そうこうお構いなしに、無邪気な少女たちはお湯に身を沈める。
ああ、やばいよ!
このままじゃまずいことになる!
「さて、ガールズトークを始めますわよー!」
ハナちゃんの掛け声とともに、甘酸っぱいガールズトークが幕を開けた。
((いろいろ、大変すぎる……っ!!))
女の子に紛れた男の子たちは、それぞれの異なる意味をこめて、心の中で叫ぶのだった。




