銀色の咆哮(3)
ある年の冬のこと。
――――それはやってきた。
白い街の商店街まで俺は足を運んでいた。
目的は書店。何としても手に入れなきゃいけない一冊があるのだ。
扉をくぐりぬけ独特の香りに陶酔しながら棚を見上げる。作者順に並べられた本たちを一人一人選別していく。あれでもない。これでもない。
目線はとうとう底をついた。
「……次の段」
数歩動いて別の棚に移る。
そろそろあるはずなんだが……。
「っ、あった!」
少し日焼けした本を手に取り、パラパラとページをめくる。
破れや劣化はみられない。この状態ならプレゼントできる。
俺がわざわざ商店街まで足を運んでこの本を探したのには理由があった。
これは俺のための物語じゃない。
マルデラさんのためのものだ。
実を言うと、今日はマルデラさんの誕生日だった。
日頃からお世話になっている彼にはぜひとも特別な一冊を送りたい。
そう。父親とも呼べる、彼には。
*
帰りしなの足取りは今までにないほど軽やかだった。
時たま、スキップなんかが織り交じるほどに。
「……ははっ。俺なんかでもスキップするんだな」
自分の新たな一面に驚きと喜びを感じながらシャルラの家に向かう。
この数年間、マルデラさんには色々なことを教わった。
男としてのたしなみ。大人としてのたしなみ。俺と同じように本を愛していて。世界がめいっぱいに広がった。
ここまで成長できたのはマルデラさんのおかげだ。俺は彼を、父親として、師匠として尊敬している。
そのすべての気持ちを込めたのが、腕の中にあるこの一冊。
早く帰って届けたい。
そればっかりで、頭上の太陽なんか気にならなかった。
――――ズドンンンッ!!!
「うぉっ!?」
大地の揺れと共に、遠くの方から轟音が飛んできた。
よく見れば黒煙までもがあがっている。
「なになにっ!?」
「地震かっ!?」
「それにしては一瞬だったような……」
商店街の群衆にざわめきが生まれる。
けれど、彼らの騒音は俺の耳に入らなかった。
「……あの方向は……まさか……っ!」
黒煙の直下。
あの辺りはシャルラの暮らす家がある。
数年間の思い出のつまった場所。
嫌な予感がしていた。
夢中になって駆けだしていた。
「はあっ、はあ……っ」
胸が苦しい。息がはずむ。
途中で逃げ惑う人とぶつかることもあった。
歯を食いしばって走り続ける。
ここまで踏ん張れたのは毎日外に連れ出してくれたシャルラのおかげかもしれない。
「はぁ、はぁ……っ!」
事件の中心はシャルラの家のすぐそばだった。
何があるのか分からない。
そもそも飛び込んだところで俺に何ができるのか。
だけど、立ち止まることなんてできなかった。
通路を抜け、大通りへと飛び出す。
「…………ッ!!」
…………一言で表すなら、地獄。
三人の人物がその世界の主役だった。
――――まず一人目。
噂には聞いていた。人型でゴムのような肌。クジラに似たその怪人はいわゆる獣人と呼ばれている存在だろう。一度も遭遇したことは無かったが、そういった噂は何度も聞いている。
その獣人が胸に風穴をあけて仰向けに倒れていた。
きっともう、死んでいる。
――――二人目。
獣人のそばで黒ずくめのマントを着た男が佇んでいた。フードをかぶっているため顔をうかがえないが、どうにも胸のうちで葛藤しているような雰囲気だ。
何かに葛藤しているようだが、俺には皆目見当もつかない。
――――そうして、三人目。
彼女こそが、言葉を失ってしまった理由。
「うっ……うっ…………あぐっ」
涙でボロボロになったシャルラが獣人のそばで泣きじゃくっていた。
初めてだった。
シャルラが涙を流す姿を見るのは。
いつも笑顔を絶やさないシャルラ。
それが、今、大粒の涙をこぼしている。
地面は水がたまるほどしめってた。
「シャ、シャルラ……」
「…………カール?」
名前を呼ぶだけで一息使ってしまったが、俺の声は届いたらしく、こちらに振り返ったシャルラが胸の中に飛び込んできた。
「かぁーるぅ……っ!! ひぐっ、ひぐっ……」
「ど、どうしたんだよシャルラ。お前が泣くなんて」
尋ねたところで、返答はなかった。
ずっとずっと嗚咽を繰り返している。
「……っ」
視界の隅で影が動いた。
黒ずくめのマントがいつのまにか去っていったらしい。
あいつはいったい何者だ……? 獣人が死んでいるのを察するにあいつが倒してくれたんだろうが。そうなると、あいつがシャルラを救ってくれたことになるのか。
思考がようやく働き始めたのでからまった謎を一つ一つ紐解いていく。
そうこうしていると獣人の死体が光に包まれ始めた。
「………………」
獣人が死ぬとこうなるんだな。
月の淡い光に似ていて、不謹慎だけど、綺麗だ。
――――と。
「ダメっ!! ダメダメダメダメっ!!」
「おいっ、シャルラ!?」
腕の中のシャルラが青ざめた顔で消えかかる死体に飛びついた。
雪のように舞っていく光を一つ残さずかき集めようとするが、
「あぁ……っ! ああああっ!!」
すべては無に返り、何事もなかったかのように霧散していった。
「…………」
生気を失ったシャルラ。
彼女はひたすら虚空を見つめる。
「何があったんだシャルラ。教えてくれ」
「…………」
シャルラは答えない。
消えていった光の残像を求め続ける。
……このままでは埒があかない。
「とにかく家に帰ろう。マルデラさんと一緒に聞いてやるからさ」
「――――パパなの」
「……え?」
「パパなんだよ!!」
パパ?
どうしてマルデラさんの名前が…………、
「――――うそだろ」
つじつまが合ってしまった。
考えたくない。認めたくもない。
どうにも非現実的だ。
あり得ない。実現しない可能性のほうが十分だ。
なのに。
認めてしまった自分がいる。
「さっきの獣人がマルデラさんなのか……?」
言葉はなかった。
ただその沈黙が、俺に冷たい現実を突きつけた。




