子犬の少女(4)
「ガルルルッ!!」
「あぐっ!?」
後ろに振り向いた瞬間、ヒナタちゃんに飛びつかれてしまった。
鋭い牙をむきだし僕の首元に突きつける。
ガキィ……っ
しかし、僕の肉が食いちぎられることは無かった。獣人となりかけていた僕の首が固いウロコに覆われていたからだ。
顔をしかめる彼女の虚をつき、適当な距離をおく。
「ハアハア、助かった……。獣人じゃなきゃ死んでたかも」
ウロコの首をさすりながら息を整える。
さて、今度こそヒナタちゃんを抑えなければならない。
方法としては、何の痛みもなく意識を奪うのが一番だ。
または一瞬にして相手の自由をうばうしかない。
「こんなとき、ハナちゃんやナツミちゃんがいればなぁ……」
ハナちゃんは周りの植物をあやつって催眠効果のあるガスを出せるだろうし。ナツミちゃんなら堅固な檻をまたたく間に作れるはずだ。
「そう思うと僕なんか相手を傷つけるような術しか持ってないじゃん」
パキッ
何はともあれ、今は僕一人しかいないんだ。
僕だけの力でヒナタちゃんを抑えるしかない。
「アオォォォォンッ!!」
「ヒナタちゃん……」
月に向かって吠えるヒナタちゃんの姿はどこか悲しげだった。
毛むくじゃらになった小柄な体に原型をとどめていないイヌの顔。頭から生える獣の耳がピクピクと動くのを見て、完全な獣人になってしまったんだと悔やむ。
もしかするともう、元通りの人間の姿にならないかもしれない。
――――だけど。
「ヒナタちゃんはまだ生きてるんだ。生きてる限り、無限の可能性がある」
弱々しくなる心を鼓舞し、奮起させる。
呼吸を整え、僕は腹を決めた。
「いくか……ッ!!」
シュババババババッ
残像が生まれるほどの速さで印を組む。
「水鉄砲の術、からの~吹雪の術!」
突き出した手から水の塊が発射され続くようにして吹雪が発生する。ヒナタちゃんの身体に付着した水分が一気に凍結し薄い氷の膜ができあがった。美術館に展示されている像のように彼女は動かない。
しかし、次第に亀裂が生じ始め、
パキイインっ
「ガルゥ……ッ!」
膜となっていた氷が粉々にはじけとんだ。
反撃を行おうと、彼女は目の前の僕の姿をとらえようとするが。
すでに僕の姿は消えている。
「大丈夫。作戦通りだから」
きっとイヌだから聴力には自信があったのだろう。
音もなく後ろから現れた僕に、彼女は大きく目を見開いた。
反撃の暇を与えることなく術を唱える。
「水浸の術」
地に手をあてそこから徐々にぬかるんでいく。
と、地面は急激に侵食され一秒足らずして底なし沼と化した。
「バウっ!?」
「これでもう身動きがとれないよね」
沈んでいく彼女を見下ろしながらそう口にする。
「この術は濡れている地面でしか使えないんだけどね、さっきの吹雪があったでしょ? あれのおかげで発動できたんだよ。一番最初のは陽動かな」
余裕の生まれた僕はついついペラペラと口走ってしまった。
というのも、ヒナタちゃんの心に届けとばかりに願ってのことだけど。
「……あれ? ヒナタちゃん?」
沼に浸かりきってしまった彼女の様子がおかしい。
妙におとなしすぎるのだ。
普通底なし沼にはまってしまったら、誰でも本能的にもがくはずなのに。
訝しみ、僕がかがみこんだ瞬間、
「ワオォォオォォオォォオォオォンンン…………ッ!!!」
反応のなかったヒナタちゃんが突然動き出し、鼓膜がやぶれるほどの咆哮が轟いた。
「ぐうゥォ……っ!?」
耳をふさがないと意識を持っていかれてしまう。
ビリビリと空気が強張り、大地が揺れる。
底なし沼も小刻みに振動している。
――そうして、身動きの取れないはずのヒナタちゃんが底なし沼から脱出した。