おやすみ、アンダーワールド(3)
――――リュウ、死なないで!!
かすんでいく視界の中、脳内に直接語りかけられたかのように、ナツミの声が聞こえた気がした。ゆっくりとした動作で目を動かしてはみてみるものの、彼女は声が届かないような遠い場所にいる。
リュウの視覚や聴覚がおかしくなったわけではない。
弱ってはいるが、まだこの世界を知覚するだけの意識はある。
(ついに幻聴まで聞くようになったのか……)
リュウは力なく笑った。
シャバーニが近づいてくる恐怖、死があの木の陰から見つめてくる恐怖。
何が原因かわからない。
ただリュウは、恐怖の念を抱いて想い人の幻をみたことに自嘲した。
俺はまだまだ弱い。
守らなくちゃいけない人に守られているようじゃ、生きる資格がない。
そうやっていつしか、死を受け入れるようになっていた。
ドスドスドス……っ。
地響きを伴いながら、獣人のシャバーニがリュウの目前にまでやってきた。
彼は、精気をなくした青年を見てため息をもらす。
「…………残念だ。お前にも期待していたんだがな」
「………………」
大男を見上げるリュウの目に、もはや色彩は失せていた。シャバーニが、ゴリラと化した猛々しい右腕を天にかざす。
月明かりに照らされたそれは逆光を帯び、リュウには真っ黒に見えた。
死神が振りかざす鎌のように。
「…………さようならだ」
ズォ――……っ!!
シャバーニの右腕が風を切る。
一撃必殺の拳が、リュウの首元を狙った。
――――リュウ……っ!!!
「……ハッ!!?」
「…………っ」
ドガオオオアアアッ!!
……パラパラ……っ
リュウの命を狙った拳が彼の後ろにある大木を粉砕する。
「……ハア、ハア……っ」
「…………避けた、だと?」
木っ端の付着する右の拳を見つめながら、シャバーニがそう呟いた。
「……聞こえた。確かに聞こえた! 幻聴なんかじゃなかった……!」
「…………何を言っている?」
シャバーニが顔をしかめるが、リュウはそれどころではなかった。
バッと、ナツミの方へ首を向ける。
しかし彼女は、こちらを見ていなかった。
なにやらシオンの肩に手を置いて、目をつむっている。
と、唐突に――
――――リュウ、キコエテルンデショ!! ムシシナイデヨ!!
「……うわッ!? いきなりなんだ!?」
「…………それはこちらのセリフだ……!」
敵の奇行に、シャバーニは怪訝な瞳を向ける。
リュウは、奇妙な現象に平静を失っていた。
にもかかわらず、ナツミの声が一方的に流れ込んでくる。
――――私は今、リュウの心に直接語りかけるの。シオンの忍術でね。
「……それを先に言え……ッ!!」
「…………おいどんは何も言っていないでごわすよ!!?」
ナツミの言葉に思わず声を出してツッコんでしまう。おかげでシャバーニが、イメージとはかけ離れた口調でびっくりしていた。
けれど、ナツミは構わずに話し続ける。
――――この術は一方的に声を伝えるだけらしいの。だから変なことを口にして作戦をバラさないでね!
作戦……?
リュウはナツミの言葉を反芻した。
突然何を言い出すのやらと考え込むが、ナツミはそれを待たない。
――――あのね、これはシオンくんが思いついた作戦なんだけど……。
そうして、作戦の内容がナツミから伝えられる。
――――そういうわけだから。うまくやってよね!
ブツリと、脳内につながっていた糸が切れる。
作戦の内容を吟味していると、シャバーニのまとっている雰囲気が唐突に変化した。闘いを楽しんでいた戦士が、王の命令に忠実な傭兵に戻ったかのようだ。
「…………もういい、任務に戻るとしよう。貴様らを確保する」
「……チ……ッ!」
襲い来るシャバーニに対して、リュウは炎の剣を握り直し、炎竜の鎧の力を発揮して切り裂いた。当然のように、シャバーニは攻撃をよける。
「…………ほぉ。少しは闘志が戻ったようだな」
「……ハァ。ハァ」
立ち上がったはいいものの、思ったより身体には相当なダメージが蓄積されているらしい。ひざが、弱い自身を嘲るようにカクカクと笑う。
だが、リュウの心には闘志という名の炎が燃え上っていた。
――――シオンの作戦ってやつを成功させて、王宮の内側から『革命軍』を潰してやる!!
「……覚悟しろよ、ゴリラ野郎……ッ!!」
口元をゆがめて、リュウは再び走り出す。