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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

競演シリーズ

【競演】ある年末の出来事

作者: 足利義光

 しんしんと降るのは白い粉雪パウダースノー

 僕も彼女も昔から雪が好きだった。

 こんな小さな綿みたいな物が、静かに、でも確実に全ての景色を白く染め上げていく。

 そう、僕達が好きなのは雪化粧をしたこの一面の銀世界。

 僕は祈る。

「もっと、もっと降れ。たくさん積もって――全部真っ白になってしまえ」

 大好きだった彼女と一緒に見たここの景色を眺めながら。この世界にかけがえのない彼女との邂逅を祈りながら。

 その為だけに無数の命を踏み躙ったのだから。


 ◆◆◆


「うはっ………………」

 そう呻きつつ目を覚ました男。朝が苦手な男にとってこの時間はたまらなく気だるい。ノソノソとベッドから起き上がると、よたよたと歩きながら、目覚まし代わりにシャワーを浴びに浴室へと消える。


 彼は一見すると平凡そうな容姿の男だった。

 身長は一七〇センチ、体重は大体六十キロ弱。髪の色はやや茶色がかった黒。

 正直言って、街で見かけてもその容姿では雑踏の中に紛れてしまう事だろう。

 だからなのか、その分を着ている服装が地味な印象を払拭していた。

 それは、一言でいえば”和”だった。

 襦袢に袴と足袋の出で立ちはここが如何に”京都”でも寺や神社ならともかく、京都駅付近ではハッキリ言って目立つ。

 夏ならこれにプラスして、足元は草鞋ばきだったりするので、より一層和のテイストが濃くなる。これに着流しでも纏えば、まるで時代劇にでも出ていそうな何処かの商屋の若旦那のようにも見える事だろう。

 とは言え、流石にもう秋以降は寒いので、足元はゴツめのブーツ履きになるが。

 それにプラスして、革ジャンを着込むのはちょっとした遊び心らしく、クロークには無数の革ジャンがハンガーにかけられている。

 後は色付きのサングラスを着ければ、彼なりの平装となる。


 ゴツゴツ、ゴツゴツ。

 アスファルトの上を頑丈なブーツのゴツい靴音が響く。

 彼を見る人は二種類いる。

 一つは、近辺住民。彼らは男と目が会えば「おはよう」と挨拶したり、子供達からは後ろから思いっきり体当たりをかまされたりする。どうやら、見た目よりも取っ付きやすい人柄らしい。

 もう一つは、観光客。彼らは男を目にすると、一瞬固まったり、写真を撮ろうと試みたりと、こぞって寄ってきたりする。かれらからすると、男はコスプレイヤーか何かにでも見えるのかも知れない。 観光客からすればまるでアニメのキャラクターの様な青年が京都駅の近辺をこうして闊歩しているのだから嫌でも注目を集めてしまうらしい。

 もう、慣れた事なので男は構うこと無く裏通りに入っていく。

 駅の近辺とは言え、裏通りは閑静な住宅街。ここには観光客はまず来ない。しばらく散歩するように一人歩いていくと、お目当ての店が見えてきた。


 カララーン。

 心地いい鈴の音を響かせて男が入ったのは、行きつけの喫茶店である”はんなり喫茶”。

「おこしやす」

 その店名同様に上品な若女将さんが来店した男にそう声をかける。

 男もペコリと頭を下げると、すっかり定位置と化したカウンターの一席に座った。

「ご注文は何になされます?」

 若女将の笑顔が眩しい。彼がここに座るのは彼女の笑顔を最前列で見れるからでもある。

「いつもので」

 その一言で、若女将は理解したのかニコリと笑うと厨房に入っていく。こじんまりしたこの店内には席はカウンター三席。それからテーブル席は二つで最大十人前後だ。この喫茶店は若女将一人で切り盛りしているのでこれくらいの人数で手一杯なのだ。

 それでも、若女将の人柄と、容姿。それに出される料理の味もあって常連客は多く、繁盛しているそうだ。

 店内に流れる音楽は彼女の趣味もあるのか、ジャズやブルースが多い。以前はそんなに好きでも無かったが、こうした音楽も今では心地いい。目を瞑り、暫しの時間音楽に耳を傾けていると……。

「お待ちどうさま」

 若女将注文した”いつも”のを運んできた。

 メニューは何て事のない、極々ありふれた物だ。

 味噌汁と卵焼きに漬け物、あとは白米という和食。

「ゆっくり食べておくんなまし」

 ニッコリ笑いながらそう言うと若女将は厨房の奥に引っ込んだ。

 男は手を合わせて「いただきます」と言うとその朝食に箸を伸ばす。味噌汁は日によって味噌が変わるのも楽しみの一つで、今日はどうやら豆味噌らしい。赤みがかった色の汁を口にすると、何とも言えない濃厚な味噌の味わいに外で冷えた身体が温まる。

 具は豆腐と刻んだネギに、ワカメ。シンプルだからこそ味をハッキリと確認できる一品だ。

 次に箸を付けたのは、卵焼き。こちらも出汁の味が入っていて、口に運ぶとその香りと豊かな味に口元が綻ぶ。

 あっという間に卵焼きを平らげると、口直しに漬け物を一口。

 シャキシャキとした小気味良い沢庵の食感を味わいつつ、白米を口に運ぶ。釜炊きのご飯は米粒一つ一つにしっかりとした甘みがついていて飽きる事が無い。

 こうしてシンプルながらも味わい深い朝食を堪能し、最後に宇治茶を飲み干し――手を合わせる。

「あらあら、今日もいい食べっぷり。嬉しくなるわぁ」

 そう言いながら若女将は食器を片付けていく。

 それからしばらくは音楽を聞きながら余韻を楽しむ。

 コーン、コーン。

 備え付けの年代物な柱時計が九時を知らせる。

「じゃあ、お代はここに。ご馳走さま」

 男はカウンターに朝食代を置いていくとカララーン、と音を響かせて出ていく。

「また来ておくれやす」

 出ていく彼の背中にはんなりとした声が届いた。



 男の仕事は昼からだ。

 午前中は、仕事はしないと言うのが彼なりのこだわりで、昼までは京都駅周辺を散策するのが彼の日課だ。

 もうすぐで新年を迎えようとする京都には心無しか、普段よりも多くの人が往来している。

 時折吹き付ける風が寒い。

 マフラーでも巻けばよかったか、とか思いながら東寺にまで足を運んでみると、いつも以上に大勢の観光客でごった返していた。

 境内を何の気なしに歩いていると、すっかり顔見知りとなった野良猫達が寄ってくるので遊んでいるうちにもう昼になっていた。

 名残惜しかったが、猫達に別れを告げ、自身の住処兼事務職である駅近辺にある雑居ビルに戻る事にした。


「待ってましたよー、【真名しんな】さん」

 そう言いながら男――真名に駆け寄るのは、ビルの管理人の少女【史華ふみか】だ。一応、高校生なのだが、その童顔とジャージ姿のせいかもっと子供にも見える。

 彼女は管理人でもあり、真名の仕事の助手でもある。

 早速、史華がボスに手渡したのは一枚の封筒。

 それを見た真名は、思わずため息をついた。封筒にはズッシリした重みがあり、明らかに札束が入っているのがすぐに分かった。

「史華君、いつも言っていますが――」

「はいはい、大金が絡む仕事は受けないで下さい、ですよね?」

「分かってるなら……」

「……じゃあ家賃。先月分から貰ってな――」

「――あ、受けます」

「じゃあ、依頼人に」

 どうぞ、と手で事務所に誘導し、してやったりと笑う年下の少女にあしらわれた屈辱を噛み締めつつ、真名は事務所に入った。


 ◆◆◆


 深夜の寺の敷地内。

 一面の雪にそこは真っ白だった。

 静寂に包まれた敷地内を彼は歩いていく。

 キュ、キュという小気味いい音を立てながら玉砂利を踏みしめていくと、周囲には”何か”が立ち並んでいる。

 その何かは、どうやら”人形”の様だった。

 無数の人形は、あちこちに無秩序にそこにあった。

 人形は様々な姿勢を取っている。彼のすぐ傍にあるのは今にも走りだそうとしていた。その横には彼に視線を向けている人形。

 他にも腰を抜かした物や、倒れ伏している物など実に様々だった。

 さらに人形には細かい表情までつけられており、それがまたあまりにも精巧。

 その顔に刻まれているのは”恐怖”や”驚愕”の表情がありありと見て取れる。

「つまらない、満たされない」

 誰に言うでもなくそう小さく呟きながら、彼は力無く暗闇に消えていった。


 数時間後。

「こりゃあ、酷いな」

 真名はそこにいた。大晦日の早朝から山あいにある寺まで足を運んだのは、昨日受けた”依頼”の為だ。

 彼の目の前にあるのは、無数の人形ならぬ生きた人々。

 そのどれもが一見すると無傷であり、病院で診察しても原因を読み解くことは出来ないだろう。せいぜいが”集団昏睡”とでも言うのが関の山に違いない。彼らはいずれも死んではいない。

 ただ”中身せいしん”が抜き取られたからだ。

 人数はざっと数えただけで、三十人は下らないだろうか。

 奇妙なのは、これだけの事件にも関わらず、この現場に警察等の姿が全く見えない事。無論、これには理由がある。

 それはこの事件が、普通の世界に関わりのないものだからだ。



 この世界には表と裏がある。

 陳腐な言い方にはなるが、実際そうだった。

 普段は表と裏に世界は交わる事無く、ただ並走している。

 何故なら、そこには厳然とした”違い”が存在するからだ。


 真名は本来であれば裏の世界の住人として、表の世界に関わる事無く生涯を閉じたはずの男だった。

 彼の実家は代々、裏で跋扈する住人たちを狩るのが使命。

 その為の教育を受け、訓練も行われ、使命を継ぐはずだった。

 だが。

 真名は、ある事件に関わった事で、表の世界に自身の存在を知られてしまった。そして掟に背き、目撃者を殺す事無く見逃した咎を責められた結果、一族から放逐。流れ流れて辿り着いた場所が”京都ここ”だった。

 彼はここで二つの世界の境界線を守る為の集団――通称”防人さきもり”の一員となった。

 防人とは、太古から日本各地に点在する言わば”異能”の集団。



 古都京都。ここには長い歴史の積み重ねがある。

 千年以上もの歴史を持つかつての首都には様々な時代を潜り抜けた建物があり、脈々と受け継がれる様々な知恵や業も多い。

 得てしてそう言った土地には”想い”が宿る。

 その中でも強い想いは、人の心に影響する。

 想いの中には、人の邪な心が反映される事がある。

 そうした邪な心は、同じく心に邪な物を抱える人間に”取り憑く”。

 取り憑かれた人は徐々に正気を失い、常軌を逸した行動に走る。

 そうして、さらにその邪な願望を膨れ上がらせた者が最終的に行き着く先、それが――”鬼”だ。

 鬼と化した者は、膨れ上がらせた願望を叶えるべく”力”を蓄えようとする。その為に人を”喰う”。正確には人の”魂”を、だ。

 真名が狩るのは、そうした鬼だ。他の防人の大多数は鬼になる前に務めを果たすが、彼だけは鬼”限定”で”仕事”として動く。

 それは、同じ防人からも彼が疎まれる要因でもあった。


 気が付くと史華がすぐ側にいた。

「真名さん、どう?」

 そう興味深そうに尋ねてくる。

「どう、と言われましてもねぇ。鬼の仕業なんですから……」

 真名は頭を掻きながら困惑していた。この女子高生に、ここの話はしていない、にも関わらず彼女はここにいるからだ。もっとも、いつもの事なので気にはしないが。

「だからぁ、鬼は強そうなのってコトよ?」

「そうですねぇ、この鬼が喰らった魂を見る限りでは、かなり強くなっているかなぁ」

 そう言いながらよいしょ、と言って立ち上がる。

 その仕草がおかしかったのか、史華がクスッ、と笑う。

「まだ二十代半ばなのに、おじさんくさい」

「否定はしませんよ、十代半ばの若者から見たら立派なおじさんでしょうし……さて」

 真名は一人で寺の中を歩き始める。別に事件に関係のある事ではない。これは彼個人の言わば趣味。

 彼は京都という場所が好きだった。ここにある様々な古からの物に想いを馳せ、歴史の息吹を感じるのが。

 史華も、真名のこの趣味の時間には邪魔をしない。彼女なりの気遣いが、今は嬉しい。


 歩きながら事件を整理してみると、こうなる。

 ここで鬼と戦ったのは、所謂”退魔師”。平たく言えば陰陽師。

 この寺に鬼が来ると見越していたのだろう、結界の跡が残されている。それもかなり強い結界だ。或いは、彼らがここに鬼を呼び寄せたのかも知れない、一般人に被害を加えない様に。

 だが、鬼は結界をものともせずに待ち受けていた退魔師達から魂を喰らった。

 この鬼は今や、相当に強くなっているだろう。

 喰らった魂は一般人のそれではないのだから。

(だとすると、この鬼になった人が何を果たしたいのか、だな)

 足を止め、そう結論を出すと、真名は走り出した。

 勿論、史華には見つからぬ様にこっそりと裏門から出ていった事は言うまでもない。またすぐに見つかるのは分かっていても。



 ◆◆◆



(待っててくれ。もうすぐ、だ)

 彼には叶えたい”想い”があった。

 それは、望んでも決して叶わない事。

 でも、諦めきれず、ずっと心に引っ掛かっていた”想い”。


 彼がこうなったキッカケ、それは彼女との約束。

 彼女は可憐な花であった。

 触れれば容易に折れてしまいそうな儚げな印象を漂わせ、誰もが彼女を大事に、大切にしていた。


 そんな彼女と、彼は幼馴染みであった。

 彼もまた、彼女と同様に周囲に祝福され生きてきた。

 何一つ不自由する事も無く、望んだことは叶えて貰い、人生に於いて挫折した事などついぞ無かった。

 そんな彼が初めて挫折し、手に入らぬ物が世の中にはある、そう知ったのが彼女だった。


(もうすぐ……もうすぐだよ)


 最早、人ですら無くなった鬼の中で、残された微かな、最後の想いに哀れな鬼は突き動かされていた。

 暗い暗い、深い闇の中で僅かに見える彼にとっての”救い”の光を求めて。



 ◆◆◆



「やれやれです。もうこんな時間、ですか」

 真名は夜の京都を駆ける。鬼となった”誰か”を調べその正体を知り、彼が何に”囚われた”のかを知った。

 だが、時間はあまり残されてはいない。

 彼の目的を知った以上、急ぐ必要があった。

「はぁ、はぁ」

 懐中時計の針は刻々とその刻限を刻む。

 しんしんと雪が積もり、足を進めるのも困難だ。

 雪深い山道を抜けていく。何度となく足を深い雪にとられ、転びそうになりながらも真名は懸命に走る。

 吐く息は真っ白で、色付き眼鏡は曇り、水滴で視界は最悪だ。

 着ている革ジャンも溶けた雪が染み込み、襦袢や袴も既にビショビショ、まるでこの寒い中で行水でもしている様な錯覚すら覚える。それでも真名はその足を決して止めない。

 全てが手遅れになる前に、何としても鬼が自身の願いを叶える前に止めなくてはいけないのだから。



 ゴーーーン。

 あちこちの寺の鐘がなり始めた。百八あるとされる煩悩を払い、新たな年を迎える為に――”除夜の鐘”が厳かに。

 彼は約束を果たすべく、ここに訪れた。

 間もなく旧年が終わり、新年が始まる。

 鐘がなる度に想いは高まる。

 ”煩悩解説の響き”ともいわれるこの鐘の音は古来より、人の悩みや欲望を祓い、清める。

 この煩悩こそが、鬼となった彼が求めたもの。

 退魔師の魂を喰らったものの、まだ足りない。

 いや、どれだけたくさんの魂を喰らった所で足りない。

 だからこそ、この時を待っていた。

 無数の人々の中に眠る煩悩という名の想い。この全てを喰らいさえすれば、きっと願いは叶う。そう考えて。


「お、おおオオォォ…………」

 鬼は低い唸り声をあげる。それはおどろおどろしくも、何処か儚く哀しげな心の叫び。彼の中に残る人としての最後の心の発露。


 いつの間にか雪が止んでいた。月明かりが幻想的な淡い光を真っ白な銀世界をぼう、と照らす。

 鬼は気付いた。

 いつからそこにいたのだろうか?

 その和装の青年は、小さく息を吐いている。

 濡れた身体は脈動し、今にも倒れそうに見える。

 であるにも関わらず、彼は真っ直ぐに向かってくる。

 ザシュ、ザシュ。という雪を踏み締める音。

 その歩みに一切の迷いは感じられない。


 鬼は退け、と言いながら右手を繰り出す。その三メートルはあろう巨躯から繰り出す素振りはブオン、と音を立て風圧で雪が抉れていく。青年――真名は歩みを止める事なく進み。その直撃をまともに受けた。

 バアン、まるでちょっとした爆発の様な炸裂音と雪が舞い落ちる。

 その様を見た鬼は、愚かしや、と呟いた。

 何のつもりかは分からないが、鬼であるこの身に只の人が何を出来るというのか?

 願いを叶えるのにはまだまだ力は足りぬが、退魔師達の魂をも取り込んだ今、人間如きに遅れはとらぬ。

 だが――。

 真名はその場に立っていた。それも平然とした様子で、だ。

 鬼は俄に表情を少し歪めた。

 貧弱な人間風情が、自らに抗おうとするその姿に不快感を抱く。

 もう一度、その丸太の様な豪腕を振り抜く。

 ブオッッ、という風切り、というより殴る様な音。

 足元の雪も抉れていく、というよりは吹き飛ばされていく。

 さっきと比しても段違いのその威力は掠っただけでも容易に身体を引き千切る事だろう。


 だが、真名はそれを目の当たりにしても動じない。何を思ったか、左手を懐に入れ、一つの扇を取り出し、広げる。

 その扇をまるで舞いでも見せるように扇ぐ。

 そこへ、鬼の放った一撃が直撃した。

 激しい音を立て、雪が吹雪の如く舞い踊る。

 間違いなく、その五体はバラバラになったはず、視界が戻る中で鬼はそう確信していた。


 にも関わらず、そこに青年――真名は立っている。扇を優雅に舞わせながら、そこに悠然と。

「お前は……ナンダ?」

 鬼は問いかける。今や、魂すら喰い尽くし、我が物としたこの身体の持ち主である陰陽師の知識とは違う、何か”別の物”をあの貧相な男から感じる。

 真名は逆に問いただす。

「知っていますか? 扇には邪気を【祓う】力があるんです。

 ……扇だけじゃないです、我々人が身近に使う道具には様々な【使い方】があるのだと云うことを?」

「何だ、オマエハ?」

 真名はその問いかけに答えない。ただ悠々と舞い躍りながら相対する者に近付いていく――ザシュ、ザシャ、と雪を踏み締めながら一歩、また一歩と。

 鬼は力押しを諦め、自身の持ちゆる”禁術”を解放した。


「◆◎〇%¥+≠>≦≧∞」


 それはこの世の物とは理を異とする言語による呪詛。

 命ある者から精神だけを抜き取り、生きながらに屍へと誘う死神の鎌に等しき外法。

 鬼が取り込んだこの身体の持ち主が持つ知識を基にしたこの外法こそ、鬼が退魔師達を一蹴した秘術。

 声さえ届けば、どんな結界であろうが関係無い。

 文字通り”精神なかみ”を奪うのだ。


 しかし、それでも真名の歩みは止まらない。魂が抜き取れない。

 鬼は恐怖を感じた。いや、鬼ではなく、その中に潜む身体の持ち主が恐怖を覚えたのだ。

 彼は、鬼に喰われたのではない……鬼にその身を喰わせたのだ。

 全ては、彼女にもう一度出会う為に。

 その為に鬼を招き、その力を元手に強い魂を集めた。

 そうして、この除夜の鐘と共に祓われる無数の煩悩すら喰らう事で、失われた魂を取り戻そうと試みたのだ。


「無駄ですよ、私には【魂喰らい】は通じません」

 真名は歌う様に言葉を紡ぎ、右手を見せる。

 指先から何かが伸びているのが見えた。

「糸ダト?」

 鬼は唸る。かようにか細い糸がどうしたと言うのだ?

「【糸】には魂が抜け出るのを防ぐ【呪力】があるんだよ」

 鬼が声に反応。振り向くとそこに少女――史華が立っていた。

 彼女は言葉を、糸を紡ぐ。

「【魂結び】、それが糸に秘められた【使い方】です」

 真名はいつの間にか、敵の懐に入っていた。

 グオウウウウウウ、という咆哮を入れながら鬼が迎え撃とうと試みる。巨大な拳を振り下ろそうと試みる。

 まるで岩の塊の様な拳が直撃する直前。フワリとした感触に微かな風を感じた。

 それはあの扇であると認識した瞬間――鬼の身体は爆ぜた。


(き、キエル。キエテ……いく)

 鬼となってまで欲した彼女の笑顔。それだけを見たかった、その為だけに全てを捨てたと言うのに――失われていく。祓われ、浄化されていく。


 そこに残されたのは、己を見失い、道を外れた退魔師の青年。

「ば、馬鹿な」

 彼は自身の行いに絶句する。己が心の間隙に邪な想いが入り込み、鬼と化し、あまつさえ危うくこの世の理まで捻じ曲げようと試みたのだから。

「ぼ、僕は何て事を……」

「正気を取り戻した様ですね」

 真名が手を差し伸べる。

「あなたは、一体何者なのです?」

 青年には、鬼だった自身の記憶も残されていた。だからこそ問いかける。自分を喰らい尽くそうとしていたモノを討ち祓った力。

 あれは一体何だったのだ?


「【起源】だよね? 真名さん」

 応えたのは史華。真名はやれやれ、とばかりに肩を竦める。

「史華さん、おいそれと言わないで下さい。これは一応……」

「……ハイハイ、真名さんの一族の秘術なんだよねぇ」

 きゃはは、と屈託ない笑顔を浮かべる少女は、青年に笑いかける。

「詳しくは言えませんが、私は、万物に宿る【意味きげん】を理解し、その力を行使出来るんです。……一種の言霊使いでしょうかね。端的に言うなら貴殿方の考える【異能者バケモノ】とでも思っていただければ間違いないです」


「何で僕を助けたんですか? 退魔師なかまの魂を奪い、更に危うく大勢の人を殺しかけたと言うのに――」

「ああ、それなら大丈夫ですよ」

 真名は扇を翻し、舞い始める。それはまるで空に浮かぶ月に向けた舞いにも見える。


 不思議な事が起こる。

 真名が扇を振る度に、いくつもの光輝く魂が浮かび出した。

 青年は気付く。それらは、自分が奪った退魔師達の魂であると。それらがフワリと宙に舞い始める。

 そうして扇の動きに合わせてクルクルと回り始めると、やがて飛び去っていく。

 それは、まるで小さな流れ星にも見える幻想的な風景だった。


「大丈夫よ、皆の魂は元に戻っていくから」

 そう言うのは史華。彼女は糸をくるくる巻く仕草をしつつ笑う。

「ああ見えて、真名さんはきちんとしてるから。

【糸】には魂を【繋ぐ】使い方があるんだからね」

「これで皆さん大丈夫です」

 しれっとした表情で笑う真名の全身から湯気が上がる。どうやら今の舞いでかなり消耗したのか、ふらついている。

 思わず青年が言葉をかける。

「何でここまでするんですか?」

「依頼が来たからですよ、防人わたしにね」

「だからって、殺せたはずです。あなた程の異能者なら、もっと簡単に……何で…………?」

 膝をつき、雪の中に身を沈める青年に、史華は持ってきたポッドからコーヒーを注ぎ、勧める。

 その一杯は冷えきった心も身体も温める。

「少しだけ、話をしましょうかね」

 起き上がり、コーヒーを飲み干した真名は、そう言うと話を始めた。


「私は、一族の禁忌を破った。表の世界の人間を、死にかけていた少女を見殺しに出来ず、命を【繋いだ】。何て言えばいいか、嫌じゃないですか――人が死ぬのって」

 青年ははっとした。

 そう言えば、真名はともかく、一般人としか思えない史華に紡がれた糸を。その視線に史華は頷き、肯定する。

「そうだよ、私は本当ならとっくに死んでたんだ。真名さんが自分の命の一部を【繋いで】くれなかったら、ここにはいなかった。

 今の私は、史華わたしであり、一部は真名さんでもあるって事」


 ゴーーーン。鐘が間もなく百八回を数えようとしていた。

「ここに来れたのは、【彼女】のおかげです」

 真名が取り出したのは、青年が彼女に手渡したかんざし

「ここに残っていた【想い】。それが私をここに導いたんです」


 そう、青年にとってこの”大文字山”は特別な場所だった。

 京都を一望出来るこの場所で、彼女と迎えた年越しと新春。

 そうだった、あの時もこうして真っ白の山頂からこうして白銀の京都を見ていた。

「だから、礼は彼女に伝えて下さい。今ならまだ話せますから」

 それは奇跡だった。そこに見えたのは間違いなく彼女の姿。

 もう二度と取り戻せない、彼女の魂。

「ああ、本当に会えたんだね」

 青年は泣きじゃくりながら彼女に話しかける。


「真名さん、いいの? これってバレたらまずいんじゃ」

「いいんですよ、これは彼女の想いに、たくさんの想いが重なって出来た奇跡なんだから」

「それにしても、キレイ」

「ええ、本当に――いい景色ですね」

 大文字山から一望する千年以上の歴史を持つ都。

 ここにはたくさんの想いが溢れ、強き想いに時に人は惑う。


 そして除夜の鐘が鳴り終え、新たな年が訪れる。

「あけましておめでとう。真名さん」

「あけましておめでとうございます、史華さん」

 二人は顔を見合せて言う。

「「今年も宜しくお願いします」」


 これからも、この不思議な都にはたくさんの想いが生まれる事だろう。

 その中には、人の心に付け入る邪な物もあるのだろう。

 だが、想いを紡ぐ者がいる限り、その邪念は叶わぬだろう。

 ここにいる彼らとまたいずれ現れるだろう、想いという名の糸を紡ぐ者がいる限りこの都は守られる事だろう。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 切ない物語ながら、大きな物語の一部とすることでこの物語もどこか次へと繋がる良さがありますね^^ [気になる点] >「何で僕を助けたんですか? 危うく大勢の一人を殺しかけたと言うのに」 上…
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