ロマンチックに憧れて
公園に咲いている桜で待ち合わせとは言ったものの、これは一体全体どういった状況なのだろうか。
「やあ」
彼はひきつった笑顔で両手を広げて挨拶すると、木にしがみつくように両手を抱え直した。いや、実際木にしがみついているんだけども。
「おはようござい、ます」
私はかなり引き気味に挨拶を返す。数歩下がり彼の様子を窺ってみると、彼は情けない声を出してきた。
「ちょちょっと、なんで離れるのさ」
「いや、だって、ねえ」
こんなことならさっさと帰りたい。私と彼が知り合いだと心底思われたくない。彼は私を引き止めるように片手を伸ばすも、すぐにしがみ直す。
いや、だからさあ。思わず本音をこぼしてしまった。
「あの、早速ですが帰っていいですか? 関わりたくないんですけど」
「そんなこと言わないでくれよ。折角のデートなんだ」
「いや、だったらさあ」
うつむき、ため息を吐く。デートならもっとちゃんとしろやとか思いつつ、私は彼を見上げてこう言った。
「だったらさっさと下りてこいこのバカ!」
つまるところ彼は、桜の木に登っていたのだった。
一分経過。相変わらず木の幹にしがみついたまま動こうとしない彼。ああもう服が汚れるだろうに。そして変なものでも見るかのような通行人の視線が辛いってのに、そんなこと気にせず彼は笑って答えやがった。
「いやさ、下りたいのはやまやまなんだけどさ」
言葉の続きが予想ついた。つい舌打ちを鳴らす。
「怖くて降りられないんだよ」
投げ落としたい気分だが怪我されても困るので断念。横髪をくるくる指で回しながら、呆れるように私は返答した。
「待っててあげますから、ゆっくり下りてきなさい」
「いやだから怖」
言い終わる前に言い返す。怖い? 知るか。あんたが勝手に登ったことでしょうに。
「右足、左足、右手、左手と部分毎に動いていけば落ちないから。三点支持っていうんです」
「うーんでもなあ」
なんでこいつ登ったんだ。苛立ちを乗せた声で私は叫んでしまった。
「いいから早く下りろボケ!」
叫んだあとで自己嫌悪。なんでこうも私は言葉づかいが悪いのだろう。ただでさえ人の目が恥ずかしいってのに、いまの大声で道行く多くの人が私を見ている。ご年配の方と散歩中の子犬がやたら吠えてるし。ああもうごめんね怒らないで。
「おーけーおーけー。いまからその三点支持ってので下りるから待っててね」
なんでやれやれ仕方ないなーみたいな表情なんだよ。彼は私に言われた通り慎重に体をずらしていく。はあ、やっとこの羞恥プレイから解放される。
「がんばってください。まあ、待ってますから」
桜舞い散る木の下でデートの待ち合わせ。そのあとのんびり桜並木を通ってみようと言われたときはなんてロマンチックで素敵なのだろうと思っていたのに、なにが悲しくて木登りして下りられなくなったドジをその下で待たなきゃならないのだろうか。
本当、私と彼の間にはロマンの欠片もない。映画を見たときはキッズアニメでポップコーンむしゃむしゃ食べてるし、遊園地へ誘われたときは乗り物酔いでお互い気持ち悪くなってしまったし、カラオケで歌うときはいつも二人して演歌か民謡でこぶしぶるぶる利かせてるし、一般的なカップル像とはどこか変な具合にかけ離れている気がする。
……しかし彼も彼だが私も私か。映画も遊園地もカラオケも、どんなときでも彼は私を愉快にしてくれる。私もそんな彼と一緒にいるのが楽しくて、気が楽で、落ち着く。
だから今日はいつもと違う予定に驚いたのだが、たまにはそういうお洒落でカップルらしい一日も悪くない。むしろ女心としてはとっても嬉しいと思っていたらこれかよ。出鼻を挫かれてしまった。
あれこれ考えているうちに彼は無事下りていた。Vサインが腹立たしい。
「はいお待たせー! 先に待ってたのにお待たせってのもおかしいな」
「なんでこんなことしたんですか」
相変わらず彼はにこにこして答える。私より一つ上なのに、子どもみたいに微笑んでいる。
ああもう、その笑顔が落ち着くんだよ。
「いやーなんか桜に囲まれたかったんだよ。辺り一面ピンク色で新鮮だった! あ、けしていやらしい意味でなくて」
「もういいです黙れ」
深いため息をつく。本当にもう、この人は……
服は土色を帯びてしまい、頭やら足やらあちこちに桜の花びらが付着していた。私がそれを払おうとするも彼は徹底的に拒み、どうしてと聞くとまた、赤ん坊のような緩い笑みでこう答えた。
「これなら俺自身が桜の木みたいじゃん?」
なんだそりゃ。つられて私も笑ってしまった。
「そんな格好じゃ、隣にいる私が恥ずかしいんですよ」
「俺は恥ずかしくない!」
そう言って手を繋いできた。ああもう若干べたっとしてるし桜もついてるし。今日も相変わらずロマンのロの字もない。怒りたいのに笑うことしかできない。
でも一応、桜の木の下で待つというロマンチックなことはできた、のかな?