キスするぞ?
ぼんやりとして、夢と現実の境をさまよっているみたいだった。数時間前に起こった突拍子もない出来事を自分の中で上手く処理することはできた。
あの後ミズキくんと押さえつけていた百合について暑く語り合ってきたのだ、気力など欠片も残っていない。
自分の部屋でベッドに体を横にして、余韻に浸っていた。僕の心はミズキくんと趣味の話を満足するまで話したことによる充実感でいっぱいだった。
しかしメイクの力はすごい、ミズキちゃんに軽くメイクを施し近所の店に遊びに行ったりコーヒー飲んだりしてたが、誰も気づかなかった。
今まで味わってきた楽しい時間と、これから訪れるもっと楽しい時間で僕の頭はいっぱいになっていた。口元も自然と緩んでいる。
「和睦くん?」
僕を呼ぶ声が聞こえた気がした。だが夢うつつの僕に普通の人の言葉が耳に十分に届くわけがなかった。僕の耳に届いたのは僕の名前を呼ぶ声だった。
気力のない声が口から漏れた。声の主に対する誰か知りたくて目線を動かす。
次の瞬間、黒い影が僕の視界を遮った。狼のような丸く切れ上がった目が僕の目を見つめている。
思い当たる人は一人しかいない。その人の名を呼ぼうとした。
「キスするぞ?」
突拍子もない言葉が聞こえた。意識が現実に引き戻される。顔が僕に近づいてくる。それを避けるようにベッドから飛び起きる。
その動きを読んでいたかのように素早く上半身を動かし、その人は僕を避けた。こういうことをするのはあの人しかいない。
避けた方向を見る。予想は的中していた。
「……花蓮さん」
ため息混じりにその人の名を呼んだ。言われた当人は薄い唇を緩めて得意げな笑みを浮かべている。
傍から見れば、女子にしては背も高い方で、凛々しい顔付き、普通にカッコいい。
「誘ってただろう?」
だがこの言葉と行動ですべて台無しだ。見た目を相殺してマイナスになりかねない。
というか、どこをどう見たら僕が誘惑してると思えるのだろうか。
「何考えてるんですか?」
「冗談だよ。和睦くんが夢の国に行っていたから引き戻しただけだ」
花蓮さんの冗談は冗談に聞こえない。というか目は本気にしか見えない。
「同居する従弟を心配して何が悪い」
そう花蓮さんと僕は従兄弟同士、下手に血が継っている分、姉妹や幼馴染みよりたちが悪い。
姉妹ほど踏み込めないが、幼馴染ほど距離を保つのは余所余所しい。
しかも僕は微妙な距離を保ちたいが、花蓮さんは僕のことが心配なのか、常に気にしてくれている。非常にありがたいことだが少し重くも感じる。
「迷惑か?」
しかも非常に察しがいいので、僕の表情の変化などすぐに分かってしまう。
「気持ちはありがたいですけどね」
だから素直に返答するようにしている。僕なりの礼儀というか、感謝の気持の現れだ。
「そういうところ好きだぞ」
何の衒いもなくこういう事を言える。花蓮さんのいいところだが、僕としては照れくさい。
「おばさんがもうすぐ夕ごはんだと言っていた。降りてこい」