光くんから聞いたけど、知っちゃった?
「どうした、動きが悪いぞ、もう一回」
ミットを構えたままで花蓮さんが指示を出す。身にまとったラッシュガードに汗がにじむ。ボクシンググローブを付けた両手を高めに構えた。
「よしワンツー」
僕がミットにジャブ、ストレートと叩きこむ。フック気味に左のミットを花蓮さんは放つ。
後方に体を反らして避ける。だが花蓮さんのほうが早かった。ミットは僕の頬をかすめる。
同時にミット打ち終了を告げるタイマー音が鳴り響く。最悪だ。心が乱れているため体のキレも悪い。
ジムの床にはマットが引かれ、FM放送が流れていた。白い蛍光灯が照らしだされている。スポーツバックの中から、スポーツドリンクを取り出す。
ジムの片隅に腰を降ろすと一気に喉に流し込む。体が思う通りに動かなかった。決して体調が悪いわけではない、ただ反応が遅くなっている。
「どうした、和睦くんらしくもない。おかしいぞ」
花蓮さんは僕の不調に気づいている。まあ、ここまでミット打ちのキレがなかったら誰でも気がつくだろう。
「どうも集中できないんで」
昼間にあんなことがあったのだ。集中なんか出来るわけもない。体を動かせば楽になると思い練習に参加した。
「だろうな、和睦くん様子おかしいぞ」
「わかります?」
「パートナーの体調くらいスパーすればわかる。今日はこれくらいにしよう」
花蓮さんはラッシュガードにキックのトランクスと言う格好だ。鍛えられていて、脂肪が少ない。男女というハンデがあってもスパーでの戦績は五分五分だ。
おまけに気持ちが乱れているため、腕十字に膝十字、チョークスリーパー、アンクルホールドと極められまくりである。
いつも組んでいるため花蓮さんには僕の状態がまるわかりなのだろう。だから寝技のスパーを早めに切り上げて打撃練習に移行してくれた。
「松永のことだろう? 気にするな」
花蓮さんは昼休みの口論のことを気にしていると思っているのだろう。問題はその後のカミングアウトだ。
光とミズキが同一人物、そんなことを数時間くらいで処理して納得できることなどできない。
「何かあったら私がなんとかする。あいつは気に食わない」
その言葉は何かあったら、武力介入すると言うのと同じである。花蓮さんも格闘技をしている人間だ。安易に喧嘩するほど愚かではない。
「トラブルじゃないんで」
だけどこのまま放っておけば、スパーの名を借りた真剣勝負が始まりかねない。
花蓮さんの名誉のために言っておくと、そこら辺のヤンキーと違って無闇な暴力は嫌う性格だ。
だが本気で切れた場合は僕もどうなるかわからない。そしてどちらも無事で終わるはずがない。悩みが僕の心のなかで渦巻いていた。
そんな中、バックの中に入れた携帯がなる。着信相手を見ると今すぐ話をしなければならない人間だ。
「光くんから聞いたけど、知っちゃった?」
「ええ何から何まで」
気まずそうなさくらさんの声を聞くと僕も気まずくなる。
「私から付け加えたいことあるから来てくれる?」
「いいですよ、今からフリーの練習ですから」
とりあえず話をしないといけない。これからの対策も含めてだ。