第四話
声が響くと同時に、爆発的になにかが膨らむ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚のいずれでも感知できないなにかが。
理屈ではわからないが本能が理解する。それは力だ。圧倒的な力だ。俺のことを容易に消し去るであろう力が二つ。
このような大きな力の持ち主なら、俺を見ても……近づいても平気なのであろうか。
コミュニケーションを取れる可能性と、この世から消し去られる危険性を孕んだ存在。
選択肢など一つしかないだろう。
「待った! 敵意はない!」
対話である。
「ではなぜ隠れている。やましいことがないのであれば姿をさらせ」
「なぜかは知らねえが俺を見るとみんな泡を吹いて倒れちまうんだよ!」
一呼吸置き、女の声が「成程ね」とつぶやく。
「我々は問題ない。出てきて姿を晒せ」
あっけなく言い切った。彼らは俺が求めている答えを持っているのか。
俺は両手の平を見せるように挙げ、ゆっくりと遺跡から出た。
遺跡から出た俺の前にいたのは蜥蜴の顔を持った亜人と、下半身が蛇の女だった。
蜥蜴の顔を持った亜人は左手に持った木製縦長の盾を前面に出し、油断無くこちらを見据えている。右手に持った得物は剣にしては柄が長く、槍にしては刃渡りが長い。刃に文様が刻まれているが、その文様からも力を感じる。彼の正しく鍛え抜かれたであろう肉体は、距離があるというのに俺を圧迫している。そして、真っ直ぐと俺を射抜くその眼光は、油断の一切無い―まさしく戦士のそれであった。
蛇の下半身を持つ女は右手に逆手で短剣を持ち、左手には透明な液体でできた蛇をまとわせている。液体が形を留めている様はなんとも違和感を感じさせる。彼女の肉体は女性的であり、戦場にはふさわしくないように見えるが、抱く印象は全く逆である。恐らく長い時を戦いに費やしたであろう彼女の目は、戦いの経験がない俺を戦慄させるには十分であった。
両者共、俺が少しでも怪しい言動をすれば攻撃に出るだろう。慎重に言葉を選ばなくては。
「なぜエダズ村を襲った?」
「エダズ村とはここから1日、2日離れた豚の顔を持つ者たちの村か?」
「そうだ」
「襲うつもりじゃなかったんだ。俺には記憶がない。だからここがどこで、俺が何なのかを知りたかったんだ」
話しながら少し泣きそうになる。感情が溢れてくる。今まで押し殺してきた不安の波に溺れそうになる。
「お前にそのつもりがなくても、多くの被害が出た。その報いは受けなければならない」
言い終わらない内に蜥蜴の顔を持つ亜人の得物が紅蓮の炎を纏う。彼の目に躊躇いなどない。
蜥蜴の顔を持つ亜人の言っていることは間違っていない。「殺すつもりはなかった」などという言い分が通る世界など俺は知らない。
「覚悟はできたか」
そんなものできるはずがない。知らない土地で、知らない相手に、自分が何者かも知らない内に殺される覚悟など。
俺の返事を待たずに蜥蜴の顔を持つ亜人は駆けた。はじめから俺との距離などなかったと思わせるほど速く俺を得物の刃圏に捉える。
駆けた勢いが得物に乗る。蜥蜴の顔を持つ亜人の練達された動作を阻むことなど俺にはできなかった。反応すらできなかったのだから。
蜥蜴の顔を持つ亜人は右上腕に得物を突き刺し、えぐった。炎が俺の腕を焦がした。
俺の口から苦悶の喘ぎが漏れ、焼け爛れた肉の臭いが鼻をくすぐる。
「……なぜ、……腕……?」
なんとか苦痛に耐えながら、疑問を口にする。
なぜ腕なのか。殺すなら頭か胴を狙うべきだ。
蜥蜴の顔を持つ亜人は意図を察したのか、答えた。
「簡単なことだ、お前は殺される程のことをしていない」
得物が引き抜かれ、炎が鎮む。
「エダズ村に死者は出ていない。本当に敵意がないか試しただけだ」
死者が出なかったことによる安堵か、それとも殺意がないとわかったことによる安堵か、俺の膝が勝手に折れる。
緊迫した空気が弛緩して行く。
「私たちはエダズ村からの報告を受けて貴方を探しにきたの」
「魔力を垂れ流しながらうろうろしているリッチがいると聞いてな。とりあえず俺たちに着いてきてもらおう」
ようやく会えた。知りたいことを教えてくれるであろう人たちに。
「その前にだらしなく垂れ流している魔力を止められるようになってもらうけどね」
女が悪戯っぽく笑いながら言う。
「それにしても素っ裸とはな。不死者の王たる者が全く威厳のない」
笑いを堪えるように蜥蜴の顔の亜人が言う。
彼らには聞くこと、教わることが沢山ありそうだ。
腕を貫かれ焼かれたことを少しだけ根に持ちながらも、彼らの言うとおりにしようと決める。