第三十三話
黒い煙に向かって真っ直ぐ飛んだ。
お父さん、お母さん、それに友達。
みんなのことが心配だ。
わたしの住む集落が見えるところまで着くと、原因がわかった。
わたしの住む集落を燃やしている原因が。
それは巨大なドラゴン。
大きな翼を持ち、灰色の鱗に覆われたドラゴン。
近くの山に棲み、何百年も友好的だったはずのドラゴンが大きな口を開けて、火を吐いていた。
みんなは、みんなは無事なのだろうか。
燃え盛る業火が、ドラゴンが怖くて集落に近づけない。
弱虫なわたしは、木に留まり震えていることしかできない。
逃げるわけでもなく、助けにいくこともできない。
「集落のハーピーたちは無事だ。君も早く逃げなさい」
そんなわたしに声をかけてきた誰か。
声の方を見ると、そこには大きなカタツムリがいた。
「あの竜は僕がなんとかするから。うまく逃げられたら、領主様のところに行ってこの事態を知らせてくれるとありがたいな」
そうわたしに言い残し、カタツムリさんはドラゴンに向かって行った。
そんなカタツムリさんを呆然と見送るわたし。
銀灰色の殻を背負った勇敢なカタツムリ。
彼の勇気を無駄にしてはいけない。
私は言われた通り領主様の館に向かって飛んだ。
できるかぎり早く。
領主様の館に向かう途中、道で何やら揉めているらしい人たちを見つけた。
もしかしたら彼らは私の集落の方へ行くのかもしれない。
そうなら彼らに警告しなくちゃならない。
ドラゴンが暴れていると。
わたしは彼らの元へ急降下した。
―――
空から降りてきたのはかわいらしい顔立ちをしたハーピーだった。
翼と鳥の下半身を持ち、顔から胴は人間のような外見をしている亜人。
「この先にあるハーピーの集落でドラゴンが暴れています。逃げてください!」
彼女は地面に着地すると、慌てた様子で言った。
ドラゴンが暴れている……?
安全だと聞いていたのに……、安全神話は崩壊するために存在するのか。
「私たちは領主の使いの者よ。ドラゴンが暴れているっていうのは本当なのね?」
「ハイ、この目で見ました」
「そう。それじゃあ貴女はそのまま魔王様のところへ行ってくれる? 空を飛べる貴女が行ってくれると助かるのだけれど」
「わ、わかりました。それと、ドラゴンにカタツムリさんが向かっていって、なんとかするって言ってたんですけど……」
「マイマイさんが来てるのね……。わかったわ、貴女は魔王城へ急いで」
「は、はい!」
アロンザさんとハーピーの少女の短いやり取りを黙って聞く俺たち。
話が終わったハーピーの少女は飛び立ち、魔王城の方へ飛び去った。
「さて、私はこれからドラゴンを倒しに行きます」
俺はアロンザさんの言葉に息を呑む。
ドラゴンと戦う。
ドラゴンがどれだけ強いのかはわからないが、最悪魔王様と同等という可能性さえある。
魔王様と同等であるならば、俺が何人いたところで勝ち目はない。
ナシーフやアロンザさんのような実力者がいるにも関わらず、今までドラゴンを討伐しようとしなかったという事実が俺に重くのしかかる。
「そういうワケだから、貴方たちは館に戻ってナシーフにこのことを伝えてちょうだい」
アロンザさんが口にした言葉に俺は安堵してしまった。
俺は戦わなくていいのか――と。
そんな自分に苛立つ。
「何を言っているんだアロンザ。当然私も行く。ドラゴンを倒すチャンスをこの私が見逃すと思っているのか」
ラーナが心外だという態度を隠さずに言い放つ。
「私も行きます。アロンザさんだけを危険な目には遭わせません」
ロージーが真っ直ぐアロンザさんを見つめて言う。
全くこの二人は。
ラーナが死んだら戦争になっちまうだろうが。
ロージーには危険なことはして欲しくない。
だったら俺が一緒に行って、この二人を守るしかないか。
「俺も行くよ。不死者の王なんだから簡単には死なないだろ」
努めて気楽を装う。
「そう。できればラーナには来て欲しくないんだけど、引き止める時間が惜しいわ。来たいならそれで良いけど、絶対に死なないでね」
「当たり前だ。ドラゴンの首を刎ねるのは、この私なんだからな!」
鼻息を荒くして言い切るラーナ。
あの自信、少しは見習わないといけないかな。
「それでニャン子、ワン子、ピョン子、バトー、頼みがあるわ」
「にゃ、にゃんですか!」
「ナシーフにこのことを伝えて」
こいつらそんな名前だったのか……。
でも、そんなことを頼んでしまっていいのだろうか。
逃げ出したりしないか。
「アロンザ様のことだから選択肢なんてはじめからないぴょん……」
「そのとーりよ。口をあけなさい」
言われたとおり口を開けた4人の獣人たち。
その口の中に小さなみっちーを放り込んでいくアロンザさん。
「“逃げよう”なんて思わないでね。もしそんなことを考えたら、内蔵を失ってもらうわ」
「わかってますのニャ……」
「うう……みっちーを飼う破目になるとは思わなかったわん……」
「仕方ないぴょん……変なこと考えずに早くいくっぴょん……」
「我々も同胞が死ぬことは望んでいない。言われたとおりにしよう」
4人の獣人たちは館へ向かって走っていった。
会話から想像すると、みっちーが“逃げようと考える”ことに反応して内臓を食い破るってことだろうか。
凄く怖いぞそれ。
「さて、それじゃあ行きましょうか。ロージー、その植木鉢に乗せてもらえる?」
「がってんしょうち! ぎゅうぎゅうに詰めれば乗れますね」
ロージーが場所をあけ、アロンザさんとラーナが植木鉢に乗り込む。
な、なんてことだ。
ロージーやアロンザさんと引っ付くチャンスか! 果たせなかったアロンザさんへのセクハラがこんなタイミングで可能になるとは!
これは死んでも思い残すことがないようにとの、神の配慮なのか。
ちなみにラーナは甲冑を着込んでいるのでセクハラ対象から除外。さすがに偶然を装ってまさぐるのは難しいだろう。
「あ、リークは植木鉢に触手で捕まってね。さすがに上に全員が乗るのは難しそうだし」
アロンザさんの言葉は無情だった。
っていうか高速で走る植木鉢に捕まるって凄く危なくないか。
車輪に触手くんが巻き込まれたら大変なことになるんじゃないか。
触手くんを植木鉢に巻きつけている最中、俺の頭を様々な危険がよぎる。
そんな俺の不安をよそに、ロージーは植木鉢を猛スピードで発進させた。
「アロンザ、先刻口にしていた“マイマイさん”とは何だ?」
ガタゴトと揺れる植木鉢でラーナが疑問を口にする。
俺は植木鉢にしがみつくので精一杯だ。
「災害が起こったときや、凶暴な魔物が現れたときにどこからともなく現れるカタツムリよ。私やナシーフも命を救われてるわ」
「実在したのか……。私の国でもカタツムリが人を救うという話を聞いたことがある……が、巷談の類だと思っていたよ」
「さっきのハーピーさんのお話だと、そのカタツムリのマイマイさんがお一人でドラゴンに向かっていったんですよね? それって無謀じゃないですか?」
高速で走る植木鉢に必死で捕まっている俺は話に入れない。
そんな俺を誰か心配して、気遣って。
「マイマイさんならたぶん大丈夫よ。恐ろしく強いから」
マイマイさんって名前はたしかゾンビ――虫騒ぎのときに聞いたな。
アロンザさん曰く「最強の生物」だっけか。
アレ? 魔王様とマイマイさんってどっちが強いんだ。
それに――。
「アロンザさん、ドラゴンと最強生物のマイマイさんが戦ってるんだったら、下手すると俺たち足手まといにならないか?」
俺はなんとか疑問を口にする。
この期に及んで怖気づいたわけじゃないぞ、断じて。
「マイマイさんはね、カタツムリだから空を飛べないのよ。跳躍することもできないの。それに外界に作用するような魔術も使えないって言ってたわ。魔力で自らの体を強化することしかできないらしいの」
さんざんマイマイさんが凄い生き物だっていう話を聞いたあとに……、この話はちょっと……。
「つまり俺たちの役目はドラゴンを地上に引きずり降ろすことってわけだな?」
「そうなるわね」
「成程な。アロンザ、リーク、ロージーで地上に降ろし、マイマイさんとやらがダメージを与え、私が首を落とせばいいんだな」
あくまでラーナはドラゴンを殺したい、否、止めを刺したいらしい。
「私の魔術じゃ空にいるドラゴンにダメージを与えるのは少し厳しいわ」
「そうなのか? 私の剣だって届く高さは限界があるぞ」
「そう、つまりキーマンはリークよ!」
突如重要人物指定された俺。
それなら俺も植木鉢の上に乗せてください、しがみついてるの怖いんです。
すぐ下の地面が矢のようなスピードで過ぎ去って行くんです。
「虫の時に撃った、あの魔法の矢ならドラゴンの鱗を恐らく貫けるわ。それに触手もドラゴンを拘束するのに使えるしね」
「ほう、そんな奥の手を持っていたのか」
「リークさんの魔力ならすごい魔術が撃てても不思議じゃないです」
遂に俺の実力を見せるときが来たか。ふっ。
カッコつけたい俺だったが、植木鉢にしがみつくのに一所懸命だったため、そんな余裕はなかった。
―――
ハーピーの集落が見えてきた。
煙が濛々と上がり、焦げくさい臭いが風に乗って漂ってきている。
そして何より、時折轟く咆哮と空を飛び回るその主。
「さすがに足がすくむな」
「私に足はないけど、同じ気分だわ」
顔を引きつらせるラーナとアロンザさん。
二人の顔に余裕はない。
一方いつも通りのほほんとしたロージー。
俺も恐怖などの感情はわかなかった。
「そろそろ降りましょうか。みんなまとめて炎を浴びて灰になるのはごめんだしね」
「そうだな」
地面に着地し、大地を両の足で踏みしめる。
ああ、やっぱり地面に自らの足で立つと安心する。
「じゃあリークは魔力を溜めはじめておいて。どうせあの大きさの魔力を溜めたら気づかれるでしょうけど、真正面から撃つよりマシだろうし」
「わかった」
俺は触手を6本展開し、その先に“破壊エネルギー”を溜めていく。
手には大鎌を持っておく。
この6発に俺のほとんどの魔力を込める。
1発に全ての魔力を込めてしまうとはずしたとき怖い。
「それじゃあ、ゆっくりドラゴンに近づくわよ」
全員が頷く。
ドラゴンは空を飛び回りながら、何かを追うようにして地面に火炎を吐きかけている。
こんなときになぜか俺はゴキブリめがけて殺虫剤を吹きかけている様が頭に浮かび、苦笑する。
燃え盛る家屋の影から、目測50メートル程までドラゴンに近づいた俺たち。
アロンザさんがこちらを見て、目で合図する。
触手くんを構え、慎重に狙いをつける。
俺が狙いをつけはじめると、ちょうどドラゴンは背中を晒し奥に向かって飛びはじめる。
左右に動かれると目標の未来位置を予測して撃たなければいけないので面倒だが、まっすぐ奥に行ってくれるのなら余り関係ない。
もしかしたら俺たちの存在に気づいたマイマイさんがアシストしているのかもしれない――そう思いながら俺は溜めた魔法の矢を一発放った。
一条の軌跡を描き、ドラゴンへ向けて放たれた魔法の矢。
しかし、ドラゴンは突如として旋回し回避する。
「気づいていないとでも思ったのか、愚か者どもめ」
くぐもった重厚な声がドラゴンから響く。
そして、旋回したドラゴンがこちらに向かってくる。
「そうなるわよねー。それじゃあ、各自自由に散開して、ドラゴンを地上に引きずり降ろすわよ」
作戦もチームプレイもない。
相手が空を飛び回る以上、特定の場所に誘導して罠にハメることは難しい。
となれば、一人一人が全力を尽くす以外に方法などない。
「くっくっく、そんな低空を飛んでいたら私の剣が届いてしまうじゃないか」
愉快そうに顔をゆがめるラーナ。
まだ火の手が届いていない建物の屋根に上がり、迎え討とうとする。
ロージーは両手でハンマーを構え、蔓で植木鉢の制御棒を握っている。
なにやら魔力を溜めているようだが何をするつもりだろうか。
そして気づけばアロンザさんは姿を消していた。
魔力の探知にも引っかからない。魔力を隠蔽させているようだ。
姿を隠し俺たちを援護、ドラゴンの不意を打つつもりだろう。
となれば俺はどうするべきか。
あいた触手くんは一本だけ。
俺は触手くんを使い、ラーナとは別の建物の屋根に上る。
「ほう、お前は……。自らの役目も果たさずのうのうと……」
俺を見たドラゴンが呟く。
自らの役目? どういうことだ?
「聞くな! 今は関係ない!」
ラーナが声を上げる。
なんだその口ぶりは? ラーナは何か知っているのか?
「そうだね、今は関係ない。まずはあのドラゴンを倒すのが先決だよ」
いつからそこにいたのか。
建物のすぐ下に、そのカタツムリはいた。
銀灰色に輝く殻を背負うカタツムリ。その殻は人間の大人の大きさに匹敵している。
「はじめまして、僕はマイマイ。そちらの彼女は人間の王女――ラーナさんだね。それに君たちは――」
「リークです」
「ロージーでーす」
「ありがとう。アロンザ君もいるみたいだね。僕は空にいるドラゴンを攻撃できない、だから君たちに協力を頼みたい」
「アロンザさんに聞いてます」
「それなら話がはやい。それじゃあ頑張ってあのドラゴンを倒そうか」
俺の言葉を聞き、説明は不要と判断したマイマイさん。
そのマイマイさんの体内で莫大な量の魔力を感じる。
俺めがけて飛んでくるドラゴンに、横からラーナが跳躍し、斬りかかる。
同時に爆発的な速度で疾走し、蔓をドラゴンに伸ばすロージー。
そのままドラゴンの翼爪に蔓を引っ掛け、勢いを衰えさせずにドラゴンめがけて突貫する。巨大な植木鉢が空を飛んでおる。
ドラゴンは俺目掛けて炎を吐く。
真っ直ぐ飛んできたドラゴンに対し、真正面から2本目の魔法の矢を放つ。
ギリギリ魔法の矢を回避されるが、ドラゴンが回避行動に移ったことで俺に吐きかけられた炎は少量で済んだ。
炎はあいている触手くんで防ぐ。――が、膨大な熱量に触手くんが大きな火傷を負う。
あまり触手くんでダメージを受けすぎると、機能しなくなるかもしれない。
魔法の矢を回避したドラゴンの首を狙い、ラーナが剣を振り下ろす。
ラーナが秘める大量の魔力が剣に通り、光輝く。
俺が受けたら間違いなく魂消失するであろう一撃。
だが、ラーナが予測していたドラゴンの機動とずれていたのだろう、その一撃は浅かった。
ドラゴンの首の鱗を数枚剥がしただけで終わる。
「ちぃ」
ラーナの舌打ちが聞こえるのとほぼ同時、ロージーがドラゴンの胴をハンマーで殴りつける。
しかし、ロージーの一撃はドラゴンの鱗を貫けない。
蔓が翼爪からはずれ、ロージーは地面に着地する。
「ふっ、その程度か」
ドラゴンが俺の上を通り過ぎ、こちらを振り返りながら勝ち誇ったように言い放つ。
そんなドラゴンの首にアロンザさんが飛び掛っていた。
さきほどラーナが鱗を剥がした箇所を狙って――。