第二十九話
玉座に座っていたのは少女であった。いや、幼女と言うべきかもしれない。
輝く銀髪はショートカットで、瞳はルビーのように紅い。ぷにぷにと柔らかそうなほっぺたには不思議な文様が浮かんでいる。
身に纏うマントは漆黒に染め抜かれており、ほっぺたに浮かぶ文様と似たものが銀糸で描かれている。
彼女が魔王なのであろうか。見た目だけだと人間の子供のように見える。だが、体内に秘める魔力の量は底が知れない。
「ハッ、ナシーフ、ここに参上いたしました」
頭を下げ、慣れない様子のナシーフ。
どうして良いかわからない俺。
「よいよい、楽にしろ。礼儀とか余もよくわからん。テキトーでよい」
「ハッ、ではそのように……」
返事はするが緊張は全く解けていないナシーフを見て、俺は吹き出しそうになる。
魔王様は尊大ではあるが、礼儀などは特に気にしないらしい。この世界の礼儀に疎い俺にはありがたい。
「それで、そこの野良リッチ、名をなんと言う?」
「リ、リークです!」
急に話がこっちにきたため、声が上ずってしまう。
聞かれる前に自己紹介するべきだったか?いやでも、勝手に口を開くと「誰が口を開いて良いと言った?」とか言われて殺されそうで怖い。
「名をつけたのはナシーフかの。相変わらずのセンスじゃな。さて、ここにお前たちを呼んだのは他でもない。例の虫どもの件じゃ」
どうやら気分を害することはなかったらしい。
もしかしてナシーフが大げさに言っていただけなんじゃないのか。
チラリと横にいるナシーフを見てみると、尋常じゃない量の汗をかいていた。リザードマンって汗かくのか。
「調査隊の報告や、お前たちの出した報告書を見る限り不審な点がいくつかある。リークよ、わかるか?」
「虫が何を食べてあそこまで増え、成長したのか。幼虫と思われる小さな虫が人間を操り何をしようとしていたのか。巣外の活動を幼虫に任せ、全ての成虫が巣の中にいたのはなぜか――とかですかね」
「うむ、その通りじゃリーク」
ずっと抱いていた疑問を口にしていた。
俺は虫の生態に詳しいわけではない。この世界の虫と記憶にある世界の虫が全く同じ生態をしているというわけではないだろうが、あの虫たちは明らかにおかしい。
例外はあるだろうが、ほとんどの生物は繁殖するという目的の為に行動する。
成虫が獣人を幼虫の苗床にするために捕まえていたのなら、ゾンビが巣の外をうろついているのはおかしい。
また、巣から外に出るための穴は俺たちが使ったあの穴だけだった。あの虫はどこから来たのか。
そして、獣人の村が襲われてから俺たちが村に到着するまで2日経っていない。その短い時間で増えたのか、それともあの膨大な数がどこからかやってきたのか。
そもそも獣人たちを操る理由がわからない。一部の寄生虫は、宿主を変えるために宿主の行動を操るケースはあった……気がするが、あのゾンビたちはそういう類のものなのだろうか。
「ですがその先はさっぱりです。俺にわかることは、『あの虫がおかしい』ってことだけです」
「それだけわかっておれば良い」
「どういうことですか?」
「そうじゃな……。強大な力を持った愉快犯が、この世界で色々と問題を起こしておる……とでも言おうかの。そしてこれはあくまでも余の個人的な考えじゃが、リーク、お前もそやつと関係があるのかもしれん」
遺跡に突如現れた俺と巣の中に突如現れた虫。
何の前ぶれもなしに現れた存在という共通項を魔王様は指摘しているのだろう。
もしかしたら俺も虫と同じように魔物に仇なす存在ではないかと疑っているのかもしれない。
「そうですか。ですが、誓って俺は魔物たちに危害を加える気はありません」
「そんなことはわかっておる。虫のときもナシーフを救ったんじゃろ。その功績に報いてやろうと思って呼びつけたのじゃ。何か欲しい物はあるか?」
明るい笑顔を見せた魔王様。
思わず頬ずりしたくなる笑顔だったが、もちろんそんなことはしない。
ナシーフから聞いていた話と全然違う。魔王様はとっても良い人じゃないか。
「かっちょいい武器が欲しいです!」
俺は子供のように目をキラキラと輝かせたつもりで言った。実際には俺の眼孔はほの暗いままだろう。
「ほう、なかなか良い注文じゃな。よろしい、余の秘蔵のコレクションから気に入った物を持っていくが良い。ナシーフ、お主はもう下がってよいぞ。今夜は泊まっていくが良い」
「ハッ!」
そういえばずっと横にいたナシーフから安堵したような返事が聞こえる。
やっぱり緊張で汗だくである。こんなに人当たりの良い人を前にして緊張するとは、ナシーフは意外と肝が小さいのかもしれない。
「リーク、お前はついてこい。余のコレクションルームに連れて行ってやる」
「ありがとうございます!」
俺は魔王様のあとを追い、魔王様のコレクションルームへと向かった。
―――
「どうじゃ?」
コレクションルームに連れてこられた俺に、魔王様が自慢気に聞く。
部屋中に飾られた武器、防具の類は凄まじい数であった。呪われていそうな禍々しい物から、王侯貴族が用いる儀礼的な装飾がされた物、果てはどう見ても農具のような物まで様々だ。
「凄いです。かっちょいいのばっかりで迷います! 本当にこの中から好きなものを選んでいいんですか!?」
「もちろんじゃ。魔王に二言はない!!」
力強く言い放つ魔王様。
なんという大きな器の持ち主だ。収集家という者は、集めた物を手放すことを良しとしないはずなのだが。
「でも俺は武器とか振るったことがなくて、どれを選んだらいいか……。初心者向けとか、アンデッド向きな武器ってありますか?」
「フッ……簡単なことじゃよリーク。この中でお主が一番かっちょいいと思った物を手に取るが良い。扱い方など後から覚えれば良い」
「成程、魔王様がそうおっしゃるなら……」
この部屋に入った瞬間、俺の心を鷲掴みにした武器へと進む。
壁にかけられた大きな鎌。
禍々しい魔力を放つその大鎌は、どう見ても俺にぴったりだ。
「うむ、お主はよくわかっておるな! この禍々しさはお主にぴったりじゃ! そのローブとこの大鎌が合わされば、どこからどう見ても不死者の王じゃ!」
「ありがとうございます! 魔王様もそのマント、どこからどう見ても魔王様っぽくてとっても似合ってますよ!」
「そ、そうかの? あまり褒められたことがないからのー」
「漆黒の生地にその銀色の文様が凄く映えてますよ! その文様、きっと凄く壮大な意味があるんじゃないですか? 魔王様のご尊顔にも同じような文様が浮かんでますし!」
「そう思うじゃろ? 実はな、この文様には何の意味もないのじゃ!」
「な、なんだってー!? いやあ、すっかり騙されちゃいましたよ。俺はてっきりその文様が魔王様の奥の手の鍵になるかと思ってました」
「ふっふっふ、余には奥の手などない。なにせ余は最強じゃからの」
たしかに最強である魔王様に奥の手など必要ないだろう。なにせ最強なのだから追い詰められることがない。
「ところでそのマントの裏地、紅いですけど……もしかして魔王様のそのルビーのような瞳の色と合わせてます?」
「バレたー! 余のオシャレワンポイントがバレたー!」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら叫ぶ魔王様。ワタワタと手を動かしている様が小動物のようでかわいい。
「いやー、魔王様にとっても似合ってて良い感じですよ!」
「じゃが、そう言うリークだってそのローブの裾のボロボロ感……。それはアンデッド流のお洒落じゃろ!? 余の目はごまかされんぞ!」
さすが魔王様。俺のローブのオシャレポイントに気づいていたらしい。
気づかれないと寂しいが、指摘されるとなんだか恥ずかしい。
「くぬぅ、さすが魔王様ですね。魔力でひらひらさせると、このボロボロの裾がかっこいいんですよ」
「ほほう、その大鎌を持ってひらひらさせてる所を見せてみるのじゃ!」
「わかりました!」
俺は言われたとおり壁にかけてあった大鎌を手に取った。
不思議とその大鎌は俺の手に馴染んだ。まるで腕の延長であるかのように、手にした感覚が自然だ。
両手で大鎌を構え、魔力でローブをひらひらとはためかせる。
更に、全身から黒いモヤ(無害)を発生させてみる。
「ムムム……」
魔王様はそんな俺を見て唸っている。
もしかして俺が思っているほどかっこよくなかったのだろうか。
「ど、どうですか?」
恐る恐る聞いてみる。
魔王様はこの世界でも数少ないファッションのわかるお方だ。その魔王様が気に入らないなら、色々と考え直す必要があるだろう。
「すごくかっちょいいぞ……。想像以上じゃ……。その黒いもやもやがズルイ。似合いすぎじゃ……」
どうやらお気に召したらしい。
魔王様程のカリスマファッションリーダーに認められたのなら、この世界のどこを歩いても恥をかくことはあるまい。
「なかなか良いものを見せてもらったお礼に、少し魔術について教えてやろうかの」
「本当ですか!? やったー!」
こんな禍々しくて素敵なプレゼントをくださった上に、魔術まで教えてくれるなんて……。
さすがに住民が親切なら、その住民を統べる魔王様もとっても良い人だ。
「ここはちと狭いし、大事なコレクションが滅茶苦茶になっても困る。移動するぞ」
「どこまでも着いてきます!」
そして魔王様に連れられ、今度は屋上へと向かった。
―――
「さてリーク。お主は魔術をアロンザに習ったのかの?」
屋上に着くと、魔王様が俺に問いかけてきた。
「はい。魔力を漏出させてエダズ村の方々に迷惑をかけてしまって……。魔力の操り方をアロンザさんに習いました」
「ふむ、アロンザのことじゃから『感じて操るのよ!』とかそんな説明しか受けてないんじゃろ?」
魔王様はあの場にいたのだろうか。
確かにアロンザさんからはそんな説明しか受けなかった気がする。
「もしかしてその説明は何かおかしかったんですか?」
「おかしいことはないがのー。余やお主のように種族的に魔術の適正が高い者、アロンザのような先天的な才能を持っている者はそれで良い。しかし、ナシーフや人間共のように種族的に魔術の適正が低い者や、才能のない者はそうはいかん」
「他に魔術を扱う方法が?」
「二つある。ナシーフやアロンザが使っている武器は魔力を通すだけで魔術と同じ現象を引き起こせる。お主に渡した大鎌もそうじゃな。このように魔力を通すだけで魔術と同じような現象を引き起こせる道具を魔具と言う」
何度もナシーフやアロンザさんが使用しているのを見ていたため、魔具の存在についてはなんとなく理解していた。
そして密かに羨ましいとも思っていた。でも高価な物のようだったのでおねだりできなかったのだ。
「それでもう一つは?」
「呪文を詠唱し、発現させる方法じゃ。呪文に必要な量の魔力をのせることさえできれば誰にでもできる方法じゃな。じゃが、この方法では規模や威力などの調整ができん。同じ呪文を詠唱すれば、常に同じ現象しか起きん。長ったらしい呪文を覚えて唱えなければならない面倒くさいことこの上ない方法じゃな」
この方法は俺が想像していた魔術や魔法に近い気がする。
俺の記憶にも「黄昏よりもうんちゃらかんちゃら」とか「ザーザード・ザーザードなんたら」などという呪文が何となくある。細部を覚えていればこれらの魔術も行使できたのかもしれない。
「なるほど。ではその方法で魔術を行使する者と相対した場合、呪文を唱えさせなければ魔術を発動できないわけですね」
「その通りじゃな。不死者や魔物は人間どもに命を狙われることもあるから覚えておいて損はない。最も、今は人間どもとは休戦中じゃがな」
「それで、魔王様はどんな魔術を教えてくれるんですか?」
「教えることは以上じゃ。お主の場合は魔術は教わるものではなく、自ら開発するものじゃからな。基本的なことを知らんとそういったこともうまくいかないじゃろうと思って教えたのじゃ」
「そうですか……」
最強の魔王様が教えてくれる魔術なら、きっと物凄いものだろうとわくわくしていた俺は落胆した。
「じゃがプレゼントがある。余が作成した魔法生物をやろう」
そう言いながら魔王様は空中に出現した黒い穴に手を突っ込む。その穴からは奇妙な囁きや冒涜的な呻き声が漏れてきている。
「えーっと、たしかこの変に……あったあった」
口調が少しだけ少女らしいものに戻っている。
もしかしたら魔王様は口調までも意図して魔王らしく振舞っているのかもしれない。
ファッションや立ち振る舞いを魔王らしくし、下々の者への威厳を保とうとする少女の姿に、俺はほっこりする。
しかし、ほっこりしていた俺に差し出されたモノはとてもグロテスクな肉塊であった。
「この子の名前は触手くんじゃ!」
脈動する心臓にも似たその肉塊を差し出し、天真爛漫な笑顔を向ける魔王様。
「ま、魔王様……。どう見ても触手には見えないのですが……」
「クックック、そうじゃろうそうじゃろう。触手くんは寄生した宿主から魔力を受けて触手を伸ばす。本数、長さ、太さ、力の強さは宿主の思いのままじゃ! 更に修練を重ねれば触手の先から魔術を放つことも可能じゃ!」
なんということだ……。
武器の扱いに不慣れな俺のために、魔王様は魔力で操れる魔法生物まで用意してくれたということか。
俺は普段から体を魔力で動かしている。ということは、この触手くんを操ることも難しくはないだろう。
俺は魔王様の思いやりと深い考えに感動した。
「ありがたく頂戴します!」
「うむ。触手くんをうまく操れるようになるまで、この城からは出さんぞ!」
「ハイ! 必ずや魔王様の期待に応えてみせます!!」
俺の返事に満足したような表情を見せる魔王様。
そしてそのまま手に持った触手くんを俺の胸の中に押し込んだ。
俺の胸に拳二個分ほどの大きさの穴が開き、そこに触手くんが寄生する。触手くんが俺の肉体と一体化する間、ジワジワとした痛みが胸を侵食していった。
胸に開けられた穴+触手くんの侵食による痛みは、この世界での歴代1位の痛み、苦しみだった。
苦しがる俺を見て、魔王様は「アンデッドにも痛みってあったの? ごめんなさい! てっきり……」などと言っていた。
完全にキャラが崩壊している魔王様を見ていると、この痛みにも耐えられる気がした。
どらくらいの時間がたったのかはわからないが、気がつくと痛みは消えていた。胸の中に触手くんがいることもわかる。
魔王様は俺が痛みでのたうちまわっている間、ずっと傍にいて何か呼びかけていたようだ。
「魔王様、どうやら触手くんは無事、俺に寄生できたようです」
「う、うむ。不死者の王なら当然じゃな。さあ、触手くんを操るが良い」
赤く目を腫らした魔王様が答え、俺に命令する。努めて尊大に振舞おうとしているように見える。
俺は触手くんに魔力を送り、俺の意図を伝える。腕を伸ばすように、自然に。
すると胸から触手が伸びていった。
同じように背中側から触手を伸ばすように意図し魔力を送ると、背中から触手が伸びていった。
手足を動かすかのように当たり前に触手くんを操れた。
「さすが魔王様の作成した魔法生物です! 本当に素晴らしい生物をいただきました!」
「そうじゃろうそうじゃろう」
涙の残る目元が、笑顔で歪んだ。