第十七話
ナシーフならこのままうまく時間を稼ぐだろう。雑魚を一掃したアロンザはそう思っていた。
ならば自分がやるべきことは、あの巨大な虫に致命傷を与えられる魔術を組み上げること。ナシーフと手を組んで長いアロンザは、幾度も同じような状況を経験してきた。
強敵を前にナシーフがダメージを蓄積させつつ時間を稼ぎ、アロンザが止めを刺す。
狙うは腹部。
他の部位は硬く、致命傷になり辛い。頭部を狙うのもいいがナシーフを巻き込む恐れがある。
冷静に術式を組み上げていく。度重なる連戦で魔力も残り少ない。この一撃に全ての魔力を乗せることになるだろう。地上のゾンビたちのことは後で考える。今を乗り切らねば、“後”など来ないのだから。
ナシーフが虫の右眼を潰した。できた死角をうまく利用しつつ、敵をひきつけている。いつも通りの危なげない戦い。
この様子なら魔術が組みあがるまで持つ。いつも通りだ。
しかし、ナシーフはらしくないミスをする。
死骸に足をとられバランスを崩す。
その隙を虫に狙われる。
振り上げられた脚。
良くて重体、順当にいって即死だろうとアロンザは予測する。すぐに術式は組みあがる。ナシーフが命をかけて稼いだ時間だ。確実にあてなくてはならない。失敗すれば、自分とリークも死ぬ公算が高い。
そして、脚が振り下ろされる。
雑魚どもを駆除し終わり、アロンザさんの方を見てみると既に何かの魔術を組み上げている最中だった。組みあがる魔力から大規模な魔術だと感じさせられる。天井が崩落したりしないか少し不安になる。
先ほどからチラチラとナシーフの戦いを見ていたが、どうやら生半可な攻撃ではあの甲殻を貫けないらしい。腹部は柔らかそうだが、正面から狙うのは少し厳しい。
ならばあの甲殻を貫ける威力のある魔法の矢を構築するしかない。俺にできる魔術は魔法の矢だけだし、甲殻を貫けない威力の魔法の矢を連発しても牽制にもならないだろう。下手に注意を引いて引き裂かれるのもごめんだ。
単純に魔力自体を破壊エネルギーへと変換する。破壊エネルギーってなんだ?などという疑問を明後日の方へ投げ捨て、ただひたすらに物質を崩壊させるエネルギーをイメージする。
魔力で成形炸薬弾を組み上げることも考えてみたが、どうにも原理がわからなくて挫折した。モンローだのノイマンだのさっぱりわからん。だから俺は今回も理屈で考えることを諦めた。
破壊するんだから破壊するエネルギー。ひたすらそれをイメージし、増幅させる。中途半端にやってナシーフが作り上げた時間を無駄にするわけにはいかない。
ってあれ、ナシーフもしかしてピンチじゃないか?脚を振り上げられてるのに回避運動に入ってない。どう見てもやばそう。
俺は右腕を前に出し、左手を右腕に添える。そして、蓄えられた“破壊エネルギー”を放出する。
狙うは振り上げられた脚。ナシーフの舌打ちが聞こえる。
放出した莫大なエネルギーに、俺の右腕が耐えられずに一瞬で塵になる。
黒い稲妻を纏いながら発射されたエネルギーは、振り下ろされはじめていた脚を一瞬で無に返した。そのまま胴体の一部を喰らい、突き抜けていく。
状況が変わったことを一瞬で理解したナシーフとアロンザさんは即座に対応した。
ナシーフは右眼に刺さっていた得物に飛びつく。同時にアロンザさんは腹部を巨大な水球で包む。
腹部を包んだ水球。その水を瞬間的に蒸発させる。瞬間的に蒸発した水は爆発的現象を引き起こす。更にアロンザさんは魔力で結界を作り、爆圧を内部で反響させる。密閉され、逃げ場のない爆圧は虫の身体に致命的な損害を与えた。
得物を掴んだナシーフは、残った己の魔力を全て投じ、熱を発生させる。普段はある程度魔力を抑えることにより、自分の肉体がダメージを負わないようにしているが、今は違った。この虫の頭部を蒸発させるつもりで魔力を注ぎ込む。
己が身を炎熱にさらしながら、それでもナシーフは魔力を注ぎ込む。虫の頭部が燃え上がり、体液が沸騰し弾ける。ナシーフが着ていた皮の防具類が燃え始め、ナシーフ自身の皮膚が焼けただれてもなお得物を奥へと進ませる。
虫の脚が折れる。脚に支えられていた胴体が地に伏する。そして虫がピクリとも動かなくなったとき、ようやくナシーフは得物を引き抜いた。
「死んだかと思ったわ」
掠れた声を搾り出すようにアロンザさんが漏らす。
「私もだ」
ナシーフはあっさりと言い放つ。
「お、おれは死なせる気なんてなかったし!」
状況についていけてなかった俺は声が震える。
「リーク、助かった。有難う」
「べ、べ、べつにあんなん大したことじゃないし! それより、生き残ったんだから俺の名前の意味を教えろよ!」
なぜか挙動がおかしくなった俺を見てアロンザさんが噴出す。
「お前の名前は『死体』という意味だ。どうだ、ピッタリだろう」
これは酷い。lich(死体)の名前がlík(死体)っていくらなんでも酷い。致命的すぎるネーミングセンスだ。だが、なぜかナシーフの顔は凄く自慢げだ。
まあ、それでもナシーフは一生懸命考えてくれたんだろうし、このままでいいか。ピッタリと言えば確かにピッタリだしな。
「ああ、いい名前だよ」
俺はそう返し、腰を降ろした。
「で、上のアレはどうするの? 今の私らじゃ駆除できないわよ」
「まずは一休みして、体力を回復させよう。それから大掃除だ」
ナシーフの言葉に俺とアロンザさんは頷く。
「ナシーフとアロンザさんは寝てくれ。見張りは俺がやる。身体の疲れとは無縁だからな」
「ありがたい、そうさせてもらう」
「ほんとに便利ねー」
ナシーフは腰を降ろし、目を閉じる。アロンザさんは地面に転がり、尻尾を抱きしめるようにして眠る。
俺は油断なく、魔力による感知と目視による警戒を続けた――。