第十六話
「さすがナシーフ君だ。僕より先にこの村に着いていたか」
村の最も高い建物の屋根の上に一つの影がある。月明かりに照らされた殻が銀灰色に鈍く輝く。その球形で渦を巻いた殻から顔を出している軟体。伸びた触角はどう見てもカタツムリである。ただし、殻の大きさが大人の人間の身長に匹敵している。
「ふむ、どうやら元凶は地下なのかな? ナシーフ君たちが元凶を潰すのなら、僕は地上を掃除しようか」
カタツムリに声帯などあるはずもないのだが、実際にこのカタツムリは呟く。
音を置き去りにする程の速さで疾走したカタツムリは次々とゾンビを肉塊へと変えていった。
魔力との親和性が高いリッチのリークですら感知できなかったゾンビたちの小さな魔力をこのカタツムリは捕え、体当たりで潰していく。
村の中にいるゾンビを処理し、魔力の感知範囲を広げるカタツムリ。
そして、村の外にゾンビが散っていないことを確認すると、カタツムリは村を去っていった。
「できればナシーフ君たちに挨拶しておきたかったけど、領主の顔を潰すわけにはいかないからね」
そう呟き、カタツムリは月を見上げた。個の分を超えた力を持つこのカタツムリは、何かに属することはない。ただ、彼は人と魔の区別なく助ける。
「ナシーフ君とアロンザ君が一緒にいる僕の知らない暗き魔力を持つ者。彼はもしかしたら――」
カタツムリの呟きは月夜に吸い込まれていった。
―――
「お腹がいっぱいになったら眠くなってきたわ。後は二人に任せ――」
「ないでください」
アロンザさんは地面に手をつき、猫のように伸びをしながらうにゃーと呻き声を漏らしている。
「デカいのは私が相手をする。雑魚をアロンザとリークの二人で片付けてくれ」
「一人で大丈夫なのか?」
「そう思うんなら、雑魚をさっさと片付けるんだな」
ナシーフを心配するより、自分の心配をするべきか。ナシーフもアロンザさんも戦い慣れしている、無理ならきっと助けを求める。
一番の不安要素は、自分の能力や限界をわかっていない俺なのだろう。
「さあ、さくっと倒してさくっと帰るわよー」
「事後処理もあるからさくっと帰るわけにはいかんだろう」
「うう……一兵卒に戻りたい……」
とぼとぼと歩き出したアロンザさんに続き、ゆっくりと向かい始める。恐らくこの虫共のボスと呼べる存在の元へ。
一番最初にその虫を目視したのは俺だった。ナシーフはこの暗闇を見通すことはできないし、アロンザさんは温度でなんとなく位置を補足しているだけと言っていた。
その虫は巨大だ。3メートルという天井の高さは、どうやらこの虫が動き回るのに必要なギリギリの高さのようだ。天井まで届きそうな程の体の高さ。体長がどれほど長いのかはここからではわからない。
口元の牙、異常な質量を支える脚部。それらは金属製の甲冑ですら容易に引き裂くだろう。
虫の無機質な目が俺を見る。虫の目からは憎悪や殺意が感じられない。ただ、明確に侵入者である俺たちを排除する意思は感じる。
周りにいる雑魚は30匹くらいか。
「見えました」
「そうか」
「うしっ」
ナシーフが飛び出し、俺とアロンザさんが魔術を組み上げ、撃ち出す。
虫どもは叫び声をあげることもなく、静かに突撃してくる。
飛び出したナシーフの元へ、虫が大量に集まる。しかし、俺とアロンザさんが次々と撃ち出す魔術により、ナシーフには近づけさせない。
ナシーフは構えた盾とスピードを乗せた突進で虫たちを吹き飛ばし、あっという間にボスまで到達する。
巨大な前脚が持ち上げられ、ナシーフに対して振り下ろされる。回り込むようにして回避したナシーフは振り下ろされた脚を斬るが――甲高い音ともに刃が弾かれる。
「随分と硬いな」
呟き、盾を捨て得物を両手に持ち替える。どうせあの質量の攻撃をもらったら木製の盾などあってもなくても同じだろうという判断だ。
次々と振り下ろされる脚をかわしながら、脚部の関節を狙ってみるが刃は通らない。
ならば――と、巨大な虫の背後まで一足で飛び、腹を狙うが、その大きさとは裏腹に素早く振り返り脚を振り下ろしてくる。
「むぅ」
巨大な虫の攻撃をかわすのは容易いが、こちらの刃が通ることもない。刃が通りそうな腹部に回り込むことも難しそうだ。天井がなければまだ打つ手がありそうなものだが。
今は容易に避けられるこの攻撃も、疲労が蓄積すればどうなるかわからない。小さな判断ミスで命を落とすかもしれない。いくらナシーフの身体が鍛えられていると言っても、あの質量を受け止めることなどできない。
ナシーフは巨大な虫の顔を睨みつける。あの憎悪も殺意もない眼――あそこなら刃も通るか。
得物に大量の魔力を通し、巨大な虫に向かって得物を投擲する。全身の筋肉をバネとして投擲された得物は、巨大な虫の右眼に突き刺さる。そして、大量の魔力を通してあった得物からは膨大な熱量が発せられる。
「眼を奪われたというのに、叫び声一つもあげんとはな」
巨大な頭部の半分近くが焼けただれているが、それでもなお巨大な虫の攻撃の激しさは変わらなかった。虫からは怒りも感じられない。ただ機械的に脚を振り下ろしてくる。
右眼を潰したことにより、死角がうまれた。その死角にうまく入り込みながら攻撃をかわしていく。なんとか右眼に突き刺さった得物を抜き、左眼も潰してやりたいものだが。
そう思いながら攻撃をかわすナシーフ。後ろに跳んだとき、誤算が生まれた。
巨大な虫の右眼に突き刺さり、光炎を発する得物。得物が手元にないせいで、自分の足元が留守になっていた。虫の死骸に足をとられ、一瞬の隙ができてしまう。相手がこの巨大な虫でなければどうということはなかったが――。
隙を逃さず振り下ろされる巨大な脚。
「ちっ」
ナシーフの舌打ちが憎憎しげに響く。