イベント更新・異変
イベント開始から一週間が経ったある日。
島には異変が起きていた。
ぴしっ……。
虚空にヒビが入る。入った場所はあるプレイヤーの背後だった。
「ん?」
音に気づいて振り返ったその青年がヒビを目にして首を傾げる。
「なぁ……これなんだと思う?」
青年がヒビを指して一緒に歩いていた仲間達へ尋ねた。
「ん――は!? お、おい! 離れろ!」
「えっ――?」
彼の方を振り返った仲間が見たのは、ヒビが広がり割れて赤い中身が見えた瞬間だった。
そして一番近くの彼が振り返った時には彼の全身を覆えるほどに大きくなる。向こう側は赤い色彩の世界のようにも見えた。彼が危機感を覚え逃げ出すまでに裂け目から吸引が始まり瞬く間に呑まれていく。声を上げる暇もなかった。吸い込まれてすぐに裂け目が閉じると元の光景が広がっている。
「「「……」」」
唖然とする彼の仲間達は突然のことに声も出せず顔を見合わせる。そして仲間がどこかへ行ってしまったこととこれまでとは違う、イベントの更新が来たことを理解して逸早くトッププレイヤー達に知らせるべく走り出すのだった。どこかへ行ってしまった仲間を助けてもらうために。
――一方。どこかへ飛ばされた青年。
「は……?」
たった一人で赤い森の中に立っていた。裂け目はすぐに閉じてしまって戻る暇もない。混乱する頭で周囲を見渡しなんとか状況を整理しようとして、彼は気づいた。
「ここって……」
色彩が自分達の世界とは異なる幻想的な光景が広がっている。その景色を彼は以前に見たことがあった。
「げ、幻想世界なんじゃ!?」
そう。ここは幻想世界。人の手が入っていないモンスターの聖地。その土地全てがモンスターの縄張りで、延々と戦い続けることになる特殊フィールド。
ずん、ずん。
そしてここのモンスターは通常の世界よりも強いというのが通説である。
大きな足音を響かせて彼に近づいてきたのは、一体の巨大なモンスターだった。筋肉隆々の赤い肌に頭の頂点から生えた角。単眼であることからモノクロプスの亜種であることは間違いない。ただ腕は四本ありそれぞれに棍棒を握っている。
「あ……」
青年は現れたモンスターに怯え竦み上がる。そして名前とそのレベルを見てしまう。
――クイガスプス。レベル八十二。
青年は六十になったばかりなので、そのレベル差は大きい。しかも通常モンスターより高いレベルが何人かいて討伐するのがいいとされているくらいだ。
それが単独で、このレベル差なのだ。
「……い、嫌だっ!」
逃げようにも、足が竦んで逃げられない。
恰好の獲物を前にモンスターが棍棒を振り上げる。そして叩きつけた。
「がっ!」
痛みが軽減されているとはいえ息が詰まる。しかしHPの全てが削られたわけではなかったので、次が来る。その次もその次も、彼のHPがなくなるまで続く。HPが目に見えて減っていくのがカウントダウンになり、二割を切ってレッドゾーンに入ったことでより強く死を感じ取る。死にたくないという気持ちは湧き上がってくるが、どうしようもなかった。
最期の最期まで顔を恐怖に引き攣らせたまま、彼は死んだ。HPを全て失い身体をポリゴン体へと変えて虚空に消える。
突然の侵入者を排除したクイガスプスは興味を失ったように踵を返し去っていった。
元の世界では、トッププレイヤー達への報告を受けた後落ち着き連絡を取ろうとして、死亡していることに仲間達が気づいたという。
◇◆◇◆◇◆
「突然裂け目に吸い込まれて死亡した?」
俺はトップギルドへと集まっていく今回のイベントの情報を、アリシャ経由で聞いていた。
「……ん。これまでに何人もそうなってる」
不思議な話だ。イベントに変化があった、ってことではあるんだろうが。
「罠かなにかの類いなのか?」
「……わかんない。でも吸い込まれたプレイヤーは全員地下のイベントストーリーをクリアした中級プレイヤー。レベルが関係あるのかはわからないけど、ストーリークリアが条件になってる可能性は高い」
「なるほどなぁ。どうせなら俺も巻き込まれたいもんだな。まだ裂け目に吸い込まれた後の生存者がいないって話だし」
「……リューヤが無理なら、他の誰だって無理。一人でしか行けないのか、複数人一緒に行けるのかは微妙なところ」
「そうか……」
どうもよくわからない状態だな。ランダムにストーリーを前半までクリアしているプレイヤーを裂け目が吸い込んでるとしても、どうしても受け身になってしまう。さっさと吸い込まれて先を行きたいんだが。
「とりあえず適当に過ごしてれば自動的に連れていってくれる、ってことでいいんだな?」
「……ん。いつ行くかはわからないけど」
「そっか。じゃあ俺のやることは変わらないな」
「……ん」
これまで通りに無人島での生活を続けて、いつか裂け目に吸い込まれるまで待機する。無論他のプレイヤーが呑まれそうになっているのを運良く見かけたら代わりに向かう。そのプレイヤーが団体だったらの話だが。ソロで強いプレイヤーだった場合代わりにじゃなくて一緒に、の方がいいかもしれないが。
「もしアリシャが吸い込まれそうになったら一緒に行けばいいのか?」
「……ん。リューヤが吸い込まれそうになったら私も行く」
新たなフィールドかなにかが気になるのか、彼女も一緒に行けるなら行くようだ。
こうなったら基本は待ちの姿勢で、暇さえあれば大人数が待機している草原の方へ行って吸い込まれそうなヤツを見かけたら一緒に行ってしまおう。
そして異変が始まってから二日後に、ようやくその時が訪れた。
「……来た」
それはアリシャの頭の後ろに現れる。ぴしっ、というヒビの入るような音が聞こえたかと思うと虚空に亀裂が走っていた。音を聞いて振り返ったアリシャの表情は変わらない。というのも初日こそ混乱があったものだが、二日経った今となってはある程度心の余裕ができていた。まぁそうでなくともアリシャなら表情を一切変えなかっただろうが。
「よし、じゃあ行くか」
これでようやく俺も向こう側に行ける。
姉ちゃんやリィナのいるギルドはもう向こうへと行っていた。やはり人数が多いと導かれる確率も上がるんだろうな。俺はアリシャやたまに出会うベルセルクとツァーリくらいのモノだった。偶然見かけても吸い込まれた後で閉じる直前だったりして、全然割り込めなかった。
やはりというかレベル上位者向けの場所になっているようだ。行きたくない場合は裂け目から逃げてしまえば吸い込まれることなく逃げ出せるらしい。そういった検証は有志で行われる。
「……ん」
裂け目がどんどん広がってアリシャを吸い込まんとしてくるところで、俺も近寄りむしろ自分から裂け目に足を踏み入れた。裂け目に入っていくと景色が今までと一変する。
「……これは」
俺は向こう側の景色を見渡して目を見張った。
元の場所とは違う色彩が一面に広がっている。赤い草むらや緑の木、青い葉など。ないとは言わないが現実でも珍しい色合いの自然だ。この世界を俺は、知っている。
「……幻想世界、か?」
グランドクエストで行ったこともある、幻想世界の風景だ。朝と夜の切り替わりの瞬間を見られれば確定事項だとは思うんだが。
「……これが幻想世界の風景?」
「ああ、多分な」
そうか、アリシャは初めてだったか。そういえば幻想世界へ向かうグランドクエストの時にはついてこなかった。
「まずは地理の把握か。とりあえず向こう側――元々海岸があった方には海が見える。海岸沿いに歩いて前と同じ島なのか、それとも大陸なのかを把握してみたいな。どっかでイベントストーリーに遭遇したらそれはそれで」
「……ん。拠点も作る?」
「ああ。とりあえずここの状況を把握してからかな。ここが幻想世界だった場合は、必ず全ての場所がなにかしらのモンスターの縄張りになってるはずなんだ」
「……それは聞いたことがある。多分だけど、ちゃんと縄張りを奪った後に私達の縄張りにすれば拠点にできるはず。グランドクエストに参加してたプレイヤーに聞いた」
「へぇ、それは知らなかったな。じゃあ島を回りつつ素材集めと地理の把握をしてくか。レア素材があったら言ってくれれば足止めるからな」
「……ん。わかった」
こうして俺とアリシャ、常に外へ出しているアルティとシルヴァはイベントの裏面、と言っていいのかはわからないが幻想世界を歩き回ることになるのだった。
島を一日かけて回った結論としては、
「元の島と全く同じ地理だな」
ということになった。風景こそ違えど山の位置は森と草原など配置が全く一緒だった。ただしモンスターのレベルが高く最低でも七十は下らない。俺が見かけた最高は九十だったかな。とんでもない敵だ。ただ島を回った限りではイベントストーリーが開始されなかったので、また洞窟へ入っていくことで始まるのかもしれない。拠点を作ってからそっちも見に行ってみよう。
道中でリィナ達|《戦乙女》と出会ったが、今回は《ナイツ・オブ・マジック》と共同戦線を敷いて挑むようだ。流石に《戦乙女》の少数精鋭では厳しいということらしい。一番高い娘が九十ギリギリだそうなので、いい判断だと思う。
「……リューヤが作ってた地図のおかげで照らし合わせるのが凄い楽」
「ああ、そこは良かったな」
幻想世界でマッピングし作った地図と照らし合わせてもほぼ同じ造形だ。全く同じ形の幻想世界にある島に来た、ってことになるのか。……幻想世界と普段の世界を照らし合わせたら全く同じ形してる、って可能性はあるのか?
「……なぁ、アリシャ」
「……?」
「一回行ったとこのマップ見る機能って、確かあったよな」
「……ん。メニュー開いてマップを表示させてから、左に出てくるメニューの中から項目を選択できる。けどこのイベント中は島のマップが表示されない仕組みになってる」
「ああ、それはわかってる。ちょっと確認したいことがあってな」
俺はアリシャに尋ねつつメニュー画面を開いてマップを表示させる。開いた直後は現在地の地図が表示されるので、今は「NO IMAGE」と表示されてしまっていた。だが彼女の言う項目から世界地図を選択すると、普段俺達が暮らしている世界の全体図が見える。もうこのゲームも終盤に近いようなので、マップの全てが表示された。
この全体図を覚えておき、項目から幻想世界を選択し切り換える。
「……っ!」
そして、大陸の形がほとんど同じであることを確認した。
「……どうかした?」
メニュー画面は設定で変えないと他人には見えないようになっているからか、アリシャがきょとんとして聞いてくる。
「いや、大したことじゃないんだけどな」
そう言って俺は世界地図と幻想世界の地図を他人が見えるように設定しアリシャに見せた。
「……そっくり」
「ああ。俺達が普段いる世界の地図と、幻想世界の地図がほとんど同じなんだ。イベントとは関係ないことかもしれないけど、もしかしたらこの世界の根幹に関わってくる、のかもしれない」
「……ん。これはいい発見。開発側が全く別のフィールド外殻を作るの面倒だったとかじゃなければ、なにか意味がある」
「ははは……まぁこんなに作り込まれたゲームなんだからなにか意味があると思いたい、な」
確かに彼女の言う通り制作側の都合上そうなっている、という可能性も否定できなくはない。ただイベントストーリーを思い返すと世界を魔力で創造する、というところを見せているようにも見える。となるとそれがこの似通った世界があるという点に繋がる可能性もあるんじゃないだろうか。
「ま、それはこれから解明するところか。じゃあレベル八十くらいのヤツの縄張り奪って、拠点にしよう」
「……わかった」
とりあえずの方針を決め、俺達は島を回っている中で丁度良さそうな立地を見つけていたのでそこまで戻り、縄張りにしているモンスターを一掃し拠点にするのだった。




