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Infinite Abilities Online   作者: 星長晶人
煮えたぎる溶岩編

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123/165

奪還

久々ですみません


今回はあとUCOの更新になります。


来週から孤独で蠱毒も更新再開できるかなと言ったところですが。

 フィオナがナッシュに連れ去られようとしている時、向かう先にある扉が開き始めた。


 ナッシュが自動で開くようにしたのかと思ったが、外から射し込む光が違うと告げてくる。


 射し込む光の中に、立っている人影があったのだ。


 最初は黒い影にしか見えなかったが、扉が大きく開かれるにつれて容姿が実際の色で見えるようになっていく。


 白髪に黒いコートを着込んだ青年だった。端整な顔に浮かべた表情は硬く、扉を挟んだ向こうで涙を浮かべるフィオナを真っ直ぐに見据える。

 普段の様子からは想像もできないほど弱り切った姉を見て、弟がなにを思うかなど簡単なことだった。


 ――怒り。


 それは姉を守れなかった自分に対するモノであり、姉をそこまで追い詰めた相手へのモノでもある。


「……【風見取(かざみどり)】」


 彼が静かに呟いて腰を低く落とすと、風となってフィオナへ向かって駆け抜けた。彼女の手を掴んでいたナッシュの手を弾き、さらに後方で停止する。両腕でフィオナを抱えた状態なので、一気に形勢が逆転した形となった。


「遅くなって悪かった」


 乱入してきたリューヤは腕の中にいるフィオナへと笑いかける。


「……リュー、ヤ」


 救われたことを実感し、ぽろぽろ両の瞳から涙を零した。


「もう大丈夫だからな」


 リューヤは穏やかに苦笑しながら指先で涙を拭う。


「……っ、い、いいところで邪魔をしやがってぇ! あと少し、あと少しのところだったんだぞ!? なんで邪魔が入る!? 大体この部屋はもう俺達以外入れないはずじゃなかったのかよ!? ふざけてる!」


 ナッシュは取り乱したのか今までとは打って変わって余裕のない絶叫を上げた。余裕ぶったキャラの皮も剥がれて素が顔を出している。


「……アルティ。シルヴァ。フレイ。リヴァア。クリスタ」


 リューヤの静かな声に応じて彼の信頼するテイムモンスター達が姿を現す。しかし彼らはナッシュを見ていない。復活したボスへと視線を向けていた。


「そいつの相手は任せた」


 ボスをテイムモンスターだけに任せるなど普通ならしないが、リューヤには仲間達がそれだけの強さを持っているという自負があった。


「……リューヤ?」


 フィオナが彼の顔を見上げて怪訝そうな声を上げる。リューヤはなにも言わずに床へフィオナを下ろした。


「ここで待っててくれ。すぐに終わらせる」


 リューヤはフィオナの顔を見ることなく言うと、後ろにいるナッシュへと振り返る。


「『ウエポンチェンジ』」


 一言呟くと、無手だったリューヤの両手にそれぞれ武器が出現した。ゲーム開始してしばらくしてから入手し愛用していた片手剣のアヴァロンブレードと魔杖剣のブレード・オブ・ロッド。それら二つが進化した武器を手にする。

 片手剣、レジェンダリ・オブ・アヴァロン。魔杖剣のロッド・ザ・リッパー。強化に強化を重ねて最前線でも使えるようになっている、リューヤが魔法戦士系プレイヤーとして戦う際の愛用武器だった。


 黒を基調とした両刃直剣に鋼色の装飾が施されている。正当な進化ルートではなく、設定上で言うならより魔力を通しやすい素材を使っている。魔法戦士系職業用の進化ルートを辿った結果だ。

 元々木だった杖は強化されたことで白くなっており、剣の柄程度の太さをしている。先端部分は鍔のようになっているので、より魔杖剣として使うことを想定されたデザインのようだ。。リューヤが持つのは先端に程近い位置で、左手の剣と射程を合わせるためだろう。


「……邪魔を、するなよぉ!」


 ナッシュは錯乱状態のまま剣と盾を携えてリューヤへと突進する。騎士という職業柄相手の行動、攻撃を見ながら隙を窺う戦い方が無難だが、そんなことは今のナッシュの頭にないようだ。がちゃがちゃと鎧をかち合わせながら走ってきた。

 対するリューヤは無表情だ。無言で魔杖剣の魔力で出来た刃を形成すると突進してくるナッシュを冷静に見据える。


「【シールド・タックル】!」


 左手の盾を身体の前に構えると、だんと床を強く踏みつけて力を溜めシステムの力を借りて床を蹴ると猛然とした勢いで突っ込んだ。


「【ブレードシールド】」


 リューヤは右手を前に出して魔杖剣をくるりと弄ぶように回す。刃の通った道に魔力の壁が築かれて盾と化した。右手を引いても盾が独立して残り、ナッシュの突進を受け止める。反動で身体が跳ね返る騎士に対して、リューヤは展開した盾の左側から素早く回り込んだ。体勢を立て直す前に左手の片手剣で斬りつける。しかし相手も一応はトッププレイヤーの一人だ。崩された体勢から剣を自分の身体と攻撃の間に割り込ませ、その攻撃に弾かれる勢いを利用して距離を取ると重心の崩れを戻した。


 他のプレイヤーが二人の戦いに割り込まないのは理由がある。

 一つは、リューヤの怒りを邪魔してしまうから。

 一つは、巻き込まれる可能性を考慮して。

 そして、リューヤが首――殺すことのできる部位を躊躇なく狙って攻撃していたから。


 もちろんデスゲームに身を置いていれば人を殺すこともあったかもしれない。全てのプレイヤーがそうではないとしてもデスゲーム中という状況を鑑みれば珍しいことではない。

 それでも目の前で人殺しが行われようとしている最中に入っていこうと思う者はいなかった。二人が決定的に決裂していることは誰の目から見ても明らかだ。この戦いが終わること、それはどちらかの死を意味している。


「ッ、あぁ! 僕の、俺の邪魔をするなよリューヤぁ!」


 煮え滾る怒りすら見せない感情のない瞳と目があって、激情するままに前へ一本踏み出し剣を振るう。リューヤはそれを半歩下がって空振りさせてから前に大きく一歩進み、思い切り左腕を横薙ぎに内側へと振るった。金属鎧と強くぶつかって火花のようなエフェクトが散る。怯んだナッシュへと魔杖剣による突きを行うが、それは縮こまるように引き寄せた盾に弾かれる。それも構わず左腕を外側へ向けて振るい盾を下から掬うようにして身体から引き離した。ナッシュはリューヤの右手に力が籠もるのを見てか、崩れた体勢のまま剣の下から真上へ切り上げる。そんな闇雲な攻撃をあっさりと見切り、振るった直後を狙って魔杖剣を叩きつけるかのように振るった。

 ナッシュが金属鎧を着込んでいるためにHPの減りは多くない。しかしリューヤは気にせず両手の剣で攻撃を重ねていく。そもそもナッシュのHPの減り具合など見ていなかった。


 まるで、「相手が死ぬまで攻撃し続けるだけだ」と言わんばかりの戦闘である。


 リューヤが絶えず攻撃をするせいでナッシュは攻勢に出ようとアビリティを使おうとしても防がれてしまう。VRRPGの戦闘の基本として、アビリティを使わずに攻撃、防御をして相手の隙を作ったらアビリティで大ダメージを与える。もちろんこれは近接戦闘に限った話だが。ゲームという都合上システムで決められている動作をしなければアビリティと認められない。であれば、アビリティを使おうとしたらそれを阻止してしまえばいい。

 現実だろうが仮想だろうが、戦闘において最も簡単かつ強い戦法は「相手になにもさせない」ことだ。


 そしてこれは、リューヤが本気で敵を倒すためだけに戦っている時の戦闘スタイルでもあった。


 アビリティを一切使わずに最も隙の少ない通常攻撃のみを繰り返す戦法は、エフェクトつきのアビリティが持つ派手さも華麗さも全くない。容赦という言葉が一切存在しない戦闘スタイルは、デスゲームを戦い抜くための戦い方とも言えた。


 相手が自分になにもさせないように動いてきたらどうするか。答えは今のナッシュのように「防御に徹して隙を窺う」である。


 盾を正面に構えてリューヤの両手を視界から外さないように注意しつつ、体勢を崩されないよう慎重に動いていた。相手がどこを攻撃してきてもいいように神経を張っている。これでも最前線で戦ってきたプレイヤーだからか。

 隙ができたらアビリティを叩き込んで形勢をひっくり返すのが狙いだ。しかもナッシュは《ナイツ・オブ・マジック》の所属――魔法と剣を両立しているプレイヤーのはずだ。

 しかしリューヤはナッシュがアビリティや魔法を口にする暇を与えていない。頭や首に向けて容赦なく攻撃を仕かけていた。口を開こうモノなら上から刃を叩きつけられて強引に閉ざされる可能性も高かった。


 となれば、ナッシュが狙うはリューヤが焦れてアビリティを使った瞬間だ。どうしてもアビリティを使うためのモーションをしなければならない。それは両手に一本ずつ武器を持っていても同じだ。片方の武器でアビリティを使えばそのアビリティのための動作をしなければならない。リューヤがアビリティを唱えた瞬間に盾を前面に持ったまま剣の攻撃アビリティを使えばリューヤのアビリティを盾で受けつつアビリティを当てることができる。

 今までの戦闘経験から確信を持って断言できた。


 勝利への道筋を思い描いてからは、辛抱強くリューヤの攻撃を凌ぐ。チャンスを逃すまいとじっと耐えていると、


「【ブレード・スピア】」


 遂にその時がやってきた。リューヤが左手の片手剣を引いて突きを放とうと構える。待望の瞬間に心が湧くものの、平静を装ってきちんと片手剣の切っ先の向く正面に盾を置く。そして片手剣を持つ右手に力を込めた。


「【タイラント・スラスト】!」


 待ってましたとばかりに笑みを浮かべリューヤの喉元に狙いをつけて突きのアビリティを発動させ――思考が固まった。


 リューヤは確かにアビリティを発動したが、【ブレード・スピア】の軌道上に魔杖剣の刃が形成されている。これがなにを意味するのかというと、発動したアビリティが障害物に当たったという判定になって中途キャンセルされるのだ。


 誘い出された。


 それをナッシュの頭が理解した時には既に遅かった。


 リューヤの持つ刃同士がぶつかり合って、アビリティがキャンセルされる。確かにモーション中の残る手首の向きなどにまでは決まりがないが、随分と強引なやり方だった。いや、というよりはこのために魔杖剣の刃を引っ込めていたことに気づかなかったナッシュの落ち度と言うべきか。


 しかし強引にキャンセルしたせいで若干リューヤの動きが止まる。そこにナッシュの放った【タイラント・スラスト】が迫っていた。喉元を貫かんと迫るそれを一瞥した彼は、前に出た。

 確かに前に出れば喉元を貫かれて一撃ゲームオーバーという事態は逃れられる。それでも顔の左半分に刃がめり込んでいく。簡易ではあるがモノを貫いたという感触がナッシュの手に伝わってきた。

 しかしそんなことよりも、顔を刃が通っているというのに瞬き一つせずに真っ直ぐナッシュを見据えている無感情な瞳と、「お前を殺すために必要ならHPが減っても気にしない」とばかりに次の攻撃に移っていることに恐怖を覚えた。


 リューヤはHPが大きく削られるのも無視して右手に持つ魔杖剣を下から一閃する。そのまま手首を返すと、


「【ギガントブレード】」


 魔力で構築された刃が大きくなり、それを真上から真っ直ぐに振り下ろした。


「かっ……!」


 普通なら真っ二つになって即死する攻撃だったが、なぜか通常通りダメージが通るのみとなっていた。

 それでもHPがオレンジを切ってレッドゾーンに突入するには充分だ。ナッシュはといえば、頭から真っ二つにされたかのような刃を通る感覚に恐怖し、よたよたと後退すると尻餅を着いた。

 座り込んだ彼の眼前に片手剣の刃を突きつけられる。


「ひっ……」


 ゲームだというのにリアルにも血の気がさっと引いていく。そんな彼をリューヤは無表情に見下ろすのみだった。


「……ま、待って、待ってくれ!」

「なにをだ?」

「僕を殺さないでくれ! こ、殺さないでくれたら女王陛下の情報を渡す! だから……!」

「女王? ……ああ、“乗っ取り女王(ハッキング・クイーン)”のことか」

「そ、そうだ! 僕は陛下の手下の一人だ! だから僕を殺すよりも情報を引き出した方が……」

「大した情報は持ってなさそうだが? 俺が聞きたいこととしてはあいつの目的とか、他にプレイヤーとしている手下の名前とかを聞けるなら有意義な情報と言えるんだが」

「そ、それは……」


 リューヤの無感情な言葉に、ナッシュは言葉を詰まらせてしまう。


「言えない、わからないならお前を情報のために生かす価値はない」

「…………い、いいのか? 陛下の怒りを買って殺されることになっても」

「お前にそこまでする価値はないと思うんだが……まぁ、そうなったら仕方ないな。エアリアにでもお前を殺すように託すしかない」

「ひ、人殺しをするんだぞ?」

「そんな感傷は昔に乗り越えたな」


 リューヤは変わらずの無表情で答えつつ、「なにより」と続ける。


「俺は俺の大切なモノを傷つける存在を、同じ尊厳ある人間だとは思いたくない」


 ぞっとするほど平坦な声音だった。とはいえ、内心で「デスゲーム始めてからかどうかは知らないが」とつけ加えているのだが。


「……ふ、ざけるなよ!! たかが弟の分際で俺とフィオナの恋路を邪魔しやがって! 俺と、フィオナは、愛し合ってるのに!」


 圧倒的不利な状況においてもそこは譲れないらしい。

 怒りの表情で叫ぶ彼を見て、リューヤは呆れるしかなく嘆息した。そして左手の片手剣を喉元から下げて上へと振り被る。

 そして残り僅かなHPを全損させるべく剣を振り下ろそうとした、その時だ。


「待って!」


 そんな彼を制止する声があった。他の誰かだったなら無視してトドメを刺していたかもしれないが、声を上げたのはナッシュに狙われた張本人、フィオナだった。

 声と駆け寄ってくる足音を聞いてか、ナッシュは憤怒と絶望の表情を一転させる。「やっぱりフィオナは僕のことを愛してくれているんだ」と思っていると顔に書いてあるくらいに変わった。


「……」


 リューヤはなにも言わずに剣を下ろして姉がなにをするのかを見守っている。

 ナッシュは喜色に染まった目で近づいてきたフィオナの姿を追う。言ってしまえばそれは自分を勝者だと疑わない顔だ。


 だからこそ気づかなかった、フィオナが右手に持っている短剣の存在に。


「フィオナ! やっぱり僕と君は……っ、え」


 嬉々として妄言を語ろうとした瞬間、近づいてきたフィオナが短剣を喉元へ一閃した。風前の灯火となっていたナッシュのHPは一気に真っ白へと削り取られる。


「……な、んで」


 まるで予期していなかったように――いや、実際に彼が予期していなかったことだった。


「……」


 フィオナは覚悟を持ってトラウマを呼び起こす元凶の、狂気に染まった瞳と目を合わせる。大きく一呼吸してから、告げる。


「あなたなんか大嫌いよ。死んでくれて清々するわ」


 ナッシュがポリゴン体となり光の粒子として散る直前、真っ直ぐに突きつけられた拒絶と嫌悪に愕然とした顔をする。リューヤに刃を突きつけられて死が間近に迫った時よりも、濃い絶望の表情だった。


「……はぁ……っ」


 完全に彼の身体が消えてから、張っていた気を息を吐き出すと共に緩める。崩れそうになる身体をリューヤが支えた。


「あ、ありがと、リューヤ」


 血の気のない顔で笑い、震える声で礼を言う。抱く手に伝わる身体の震え。それら全てがフィオナが如何に怯えていて、そして勇気を振り絞っていたかを物語っていた。


「もう大丈夫だからな」


 そんな彼女に対してできることと言えば、できる限り安心できるように宥めることだけだ。しっかりと抱いて頭を撫でて、言葉だけでなく身体に安心だと伝えるように。


「……うん。ありがと」


 フィオナもリューヤに身体を預けるようにした。


 こうして、ナッシュによるフィオナストーカー事件は解決した。トップギルドの一つたる《ナイツ・オブ・マジック》には大きな傷跡を残す結果となったが、それも時間が解決してくれる、見込みだ。ギルドメンバー、それも最前線で戦っている者達はギルドマスターであるジュンヤがきちんと会ってから加入を決めたメンバーしかいない。それもナッシュはβテスト時からジュンヤと接点のあった、所謂信頼の置けるプレイヤーと判断した一人だった。それがあんなことになろうとは、ジュンヤの精神的ショックは計り知れない。

 しかしジュンヤは大丈夫だろう。メナティアという奥さんがいる。家族がいるというのは大きい。やはり信頼の置ける友人や家族がいなければ、精神的な落ち込みから脱却するのは難しいだろう。


 ◇◆◇◆◇◆


 事件直後にリューヤは、いつも泊まっている始まりの街の宿屋に戻ってきていた。理由は単純で、フィオナが一緒にいたいと言ってきたからだ。

 リューヤがいつも使っている宿屋なら、フィオナがここの女将と知り合いということもあるので気持ちが落ち着きやすいと思ったからに他ならない。兎に角彼女が安心して泊まれる場所に行きたかった。


 ボス部屋から出た後もフィオナはリューヤの傍から離れようとはせず、リューヤも無理に離れようとは思えなかった。あれだけ精神的に追い詰められていれば当然だろうと思っているのだが。


「少しは落ち着いたか?」


 宿屋の個室に入り、フィオナに掴まれたまま座れる場所、ベッドの上に腰かけて問う。


「……うん。ごめんね、リューヤ」


 いつもよりかなり弱々しい声音だ。


「いや、いいよ。姉ちゃんが無事で良かった」


 リューヤは努めて重々しくならないようにトーンを上げる。


「……うん。いつも、リューヤには助けられてばかり。ダメなお姉ちゃんね」

「そんなことはないだろ。それに、姉ちゃんだって女の子なんだから、怖いモノは怖いだろうし」


 自嘲気味に笑うフィオナの言葉を否定したが、それで納得しないことはわかっていた。


「そうね……でも私はそれだけじゃないの」


 フィオナがようやく顔を上げる。リューヤは決して目を逸らさないように、真っ直ぐに視線を受け止めた。


「……私ね、凄いおぼろげなんだけど、私達の、本当の父親がいた時のことを覚えてるの」


 リューヤとフィオナ、リィナは親の再婚によって家族となった身だ。両親が知り合ったのはリィナがまだ母親のお腹の中にいた時だから、フィオナが一番年上とはいえ赤ん坊の頃の話だ。


「そっか」

「……うん。それで、父親がお母さんのことを殴っている光景だけが、ふと瞬間に脳裏に浮かんじゃうの。そうなると、もうダメ。力ずくを選ぶ男の人の前に立ってる時が一番多いと思うわ。震えて、身体が動かなくなって、私はこの人には勝てないんだ、この人の気が済むまで大人しくしてるしかないんだ、って無意識の内に思っちゃうの」


 今まで誤魔化してきた、フィオナ――いや陽菜の弱音だった。


「それで、ストーカーに襲われそうになった時に凄く怯えてたんだな」

「ええ。リィナは、鞄で殴って逃げるとかしてたけど、私はダメね。リューヤが毎回助けてくれたから、こうして今も無事にいるけど。リューヤがいなかったら、きっと私はもっと酷い環境にいたでしょうね」

「なら、良かった。姉ちゃんの助けになれてたんなら良かったよ」

「……ええ。本当に、助けられてばかりね。リューヤはいつも私を助けてくれる。今までも今日だって」

「家族だからな。当然だよ」

「そう。でも私一人じゃダメなの。心の奥底にある恐怖が、邪魔をするから」

「でも、今日は立ち向かえてただろ?」

「あれは、でも、最初は全然だったのよ。リューヤが来てくれて、助けてくれて、私のために戦ってくれてから……」

「それでも今までの姉ちゃんとは違ったんだから、大丈夫だ。それに、姉ちゃんが少しでも時間を稼いでくれれば俺が、必ず駆けつけるから。絶対に助けるから。だから、姉ちゃんも抗って欲しい」

「……」


 微笑んで勇気づけようとするリューヤを見て、口を閉じ顔を背ける。


「……ホントに、狡い」

「え……ちょっ」


 ぼそりと小さく呟いたかと思うと、リューヤはベッドへと押し倒された。フィオナがその上に覆い被さるよう格好だ。


「姉ちゃん?」

「……弱った女の子にそんな風に優しくしたらダメでしょ。そんなんだから、好きになっちゃうのよ」


 困惑するリューヤの頬に手で触れて、微笑んだ。いくらか血色が戻ってきているのはいいのだが、今なんて言ったのか。「好き」と言ったのか、弟であるリューヤに向けて。「好き」にも色々種類はあると思うが、今この瞬間の「好き」は家族のそれとは別種に感じた。


「姉、ちゃん……?」

「困らせてごめんなさい。でも、本当のことだから。何度でも、リューヤが呑み込めるまで言ってあげる。好きよ、燈也」


 妖しいとも取れるような笑みを浮かべたまま、プレイヤー名ではなく現実の名前で愛を囁いてくる。


「……えっと」

「まだ呑み込めてないのね。ならもっと言ってあげるわ。好きよ、大好き。愛してるわ。もちろん家族としてじゃなくて異性として」


 当惑するリューヤへ追撃をかけるフィオナ。先程までの弱々しい雰囲気はどこへ行ったのやら。


「……マジで?」

「大マジよ。ふふっ、驚いた?」


 ようやく、リューヤは姉が自分に対して恋愛感情を抱いていることを受け入れた。フィオナは悪戯っぽく微笑むとリューヤの上に自分の身体を乗せる。重くはないが、柔らかな膨らみの感触やともすれば吐息のかかりそうな顔の距離が気になってしまう。普段ならここまで意識していないはずだが、今は仕方がないだろう。


「あ、ああ。思ってもみなかった」

「……正直ね。まぁリューヤだから仕方がないと言えばないんだけど」


 苦笑を浮かべるフィオナに対して、「俺だからってなんだ?」と疑問が一つ増えたリューヤだったが。


「……不思議ね。あれだけ不安で、怖くて仕方がなかったのにリューヤの傍にいると薄れていくんだもの」

「それはなにより」

「ええ。まさかこんな簡単に落ち着けるなんて思ってもみなかったけど、そんなモノなのかしら」


 まるで他人事のように言うが、実際いっぱいいっぱいで余裕なんてなかっただろうから当然なのかもしれない。


「まぁ、姉ちゃんが立ち直ったなら良かった」

「ありがと、リューヤ」


 リューヤが姉の様子が戻ってきたことにほっとしていると、不意にその顔が近づいてきた。


「っ……」


 目の前に、目を閉じたフィオナの端整が顔立ちがある。それよりも唇に伝わる柔らかな感触が頭を真っ白にさせた。


「……ふふっ。ごめんなさい、キスしちゃった」


 しばらくして顔を放したフィオナが、少し頬に朱を差して微笑む。「しちゃった」で済む話ではない気がするのだが。


「……これ、いいわね。凄く心が満たされるわ。幸せってこういうことを言うのね」


 満足そうなフィオナの笑顔を見ていると文句も言い出しづらくなるが、


「姉弟なんだぞ」

「義理ならセーフよ。それに――」


 再びフィオナの顔が近づいてくるが、今度は唇を重ねるわけではなく互いの頬が触れるような姿勢になった。完全に身体を預ける形だ。


「私は、リューヤと“そういうこと”がしたいわ。いえ、多分違うわね。私はリューヤに、燈也に私の全てを貰って欲しいの。私の不安を燈也に埋めて欲しい。身体の隅々にまで私が燈也のモノだって教えて欲しい」


 耳元で囁かれる甘美な誘いに理性が揺らぎそうになる。しかし、それでも、仮想とはいえ、姉相手では。


「ねぇ……お願い燈也。私の全てを、貰って」


 フィオナが顔を放してリューヤを真っ直ぐに見つめてくる。

 その瞳に映る感情は様々だ。異性を誘う目であり、これからに期待した目でもあり。

 しかしそれと同時に完全にトラウマを乗り越えたわけではないという不安や、リューヤに拒絶されるのではないかという恐怖も映っていた。


 どれくらいの間、沈黙していたのだろうか。


 リューヤは触れたら壊れてしまいそうな姉を見て、覚悟を決めた。


「……姉ちゃん」


 意を決して口を開く。


「……陽菜って呼んで」


 その言葉の後に続くのは、「それで是非が決まるから」。目の前のフィオナを姉と呼ぶか、名前で呼ぶかによってこの後の答えとしてもいいということだ。


 リューヤは腹を括り、フィオナを抱き寄せる。そのまま口づけるようなことはしなかったが、先程のお返しのように彼女の耳元で答えを聞かせた。


「わかったよ、陽菜」

「っ……」


 リューヤの答えを聞いて、フィオナの肩が震える。


 やがてフィオナはゆっくりと身体を起こし、もう一度、今度は真っ直ぐに顔を近づけていく。二人の唇があと少しで触れる距離になって、リューヤからそれを更に縮めた。

 できれば、この関係が彼女のトラウマと向き合う勇気になることを祈って――。

ヒロインの話その一でした。


まぁこの作品のメインヒロインはアルティですが(適当)

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