隣人
隣に越してきた女性――榎本えり。
それが、彼女の名前だった。
あの日の挨拶から数日後。
ひろは会社から帰ってきた。
夕方。
玄関を開けると、外から子供の声が聞こえた。
「待ってー!」
長女の声だ。
ひろは外を見る。
庭の前の道路で、子供たちが遊んでいた。
そのそばに、えりも立っていた。
えりはしゃがんで、次男と目線を合わせていた。
「早いね」
えりが笑う。
次男は得意そうに言う。
「ぼく速い!」
「ほんとだ」
その様子を見て、ひろは少し驚いた。
えりは、子供の扱いが自然だった。
まるで昔から知っているみたいに。
長女がひろに気づいた。
「パパ!」
えりも振り向いた。
「あ、こんばんは」
「こんばんは」
ひろは軽く頭を下げた。
「お子さん、元気ですね」
「すみません、うるさくて」
「全然」
えりは笑った。
「むしろ、いいですね」
次男がえりの腕を引っ張った。
「おねえさん、もう一回!」
「もう一回?」
「かけっこ!」
えりは少し笑った。
「じゃあ最後ね」
二人はまた走り出した。
次男は全力で走る。
えりは少しだけ遅れて追いかける。
ひろはその様子を見ていた。
そのとき。
ふと気づく。
笑い方。
走り方。
子供に話しかける声。
どれも。
どこか懐かしい。
長女が言った。
「隣のおねえさん優しいよ」
「そうだな」
「今日ね、一緒に遊んでくれた」
ひろは少し笑った。
えりが戻ってきた。
「ふう」
「すみません」
「いえ」
えりは少し息を整えて言った。
「子供好きなんです」
次男がまた言う。
「また遊ぼう!」
えりは笑った。
「いいよ」
そのとき。
えりの目が、ひろの家に向いた。
窓の向こう。
リビングの灯り。
えりは小さくつぶやいた。
「いい家ですね」
「ありがとうございます」
えりは少しだけ目を細めた。
その表情は。
どこか。
安心したようにも見えた。
そして言った。
「幸せそうですね」
その言葉を聞いたとき。
ひろの胸の奥が、少しだけざわついた。
なぜだろう。
この人と話していると。
昔の時間が、少しずつ戻ってくる気がする。
でも。
そんなはずはない。
だって。
えいこは。
もう、どこにもいないはずだから。




