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君が隣に住んだ理由  作者: 臥亜


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2/20

東京(出会い)

 十年前。


 ひろが東京に来たのは、二十二歳の春だった。


 就職が決まり、地元を離れることになった。


 駅のホームで、母が言った。


「体に気をつけなさいよ」


 それだけだった。


 父は来なかった。


 もともと口数の少ない人だったし、別に仲が悪いわけでもない。ただ、こういうときに何を言えばいいのか分からない人だった。


 ひろも同じだった。


「うん」


 それだけ言って電車に乗った。


 窓の外で母が手を振っている。


 電車が動き出す。


 それが、地元との距離ができた瞬間だった。


 


 東京は、広かった。


 人が多くて、速くて、どこか冷たい。


 新しく入った会社は小さな海運会社だった。ひろは現場で働くことになり、朝は早く、帰りは遅かった。


 仕事はきつかったが、それは別に嫌ではなかった。


 ただ。


 誰とも深く関わらない毎日だった。


 会社と、アパートの往復。


 休日は、洗濯と掃除をして終わる。


 友達もいない。


 恋人もいない。


 誰かと電話することもない。


 そんな生活が、一年ほど続いた。


 


 ある日。


 会社の帰り、ひろは小さな居酒屋に入った。


 その日は仕事で失敗して、上司に怒られたばかりだった。


 誰かに話すわけでもない。


 ただ、酒を飲みたかった。


 カウンターに座り、ビールを頼む。


 店内は狭く、常連らしき客が数人いるだけだった。


 ビールを一口飲んだとき。


「そこ、空いてますか?」


 女性の声がした。


 ひろは顔を上げた。


 そこに立っていたのが、えいこだった。


 二十代前半。


 肩までの髪。


 明るすぎない笑顔。


 ごく普通の女性。


 でも、なぜか目を引く人だった。


「どうぞ」


 ひろは少し椅子をずらした。


「ありがとうございます」


 えいこは隣に座り、店員に注文した。


「生ビールください」


 そして、ひろの方を見て笑った。


「ここ、よく来るんですか?」


「いえ、今日が初めてです」


「あ、そうなんだ」


 えいこは少し笑った。


「私もです」


 二人は少しだけ黙った。


 気まずい沈黙。


 ひろは、こういうときに何を話せばいいのか分からない。


 すると、えいこが言った。


「仕事帰りですか?」


「はい」


「お疲れさまです」


 そう言って、ビールが来ると軽くグラスを上げた。


「乾杯」


 ひろも、つられてグラスを上げた。


「乾杯」


 ビールを一口飲む。


 えいこは、ふっと息をついた。


「はあ。生き返る」


 その言い方が、妙におかしくて。


 ひろは思わず笑った。


 えいこは驚いた顔をした。


「今、笑いましたね」


「え?」


「さっきから全然笑わない人だなって思ってたんです」


「そうですか」


「でも笑うんですね」


 えいこは嬉しそうに言った。


「よかった」


「何がですか」


「怖い人じゃなさそうで」


 ひろはまた笑った。


 気づけば、会話は自然に続いていた。


 仕事のこと。


 東京のこと。


 地元のこと。


 話しているうちに、ひろは不思議な感覚になっていた。


 この人とは、初めて会ったはずなのに。


 なぜか、昔から知っているような気がする。


 


 店を出たとき、夜風が少し冷たかった。


「今日はありがとうございました」


 えいこが言った。


「こちらこそ」


「また会えるといいですね」


 その言葉を聞いたとき。


 ひろは、なぜか思った。


 きっとまた会う。


 理由は分からない。


 でも、そう思った。


 


 そして。


 二人は、本当にまた会うことになる。


 それが、ひろの人生で


 一番長く続いた恋の始まりだった。

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