妻の強さ
その夜。
ひろは家に戻った。
玄関を開けると、リビングの明かりがついていた。
妻がソファに座っている。
「おかえり」
「ただいま」
ひろは少し迷った。
でも。
隠すことはできないと思った。
「ちょっと話がある」
妻はうなずいた。
「うん」
テーブルに向かい合って座る。
しばらく沈黙があった。
ひろはゆっくり言った。
「隣の人」
「うん」
「えいこだった」
妻は驚かなかった。
ただ、小さくうなずいた。
「やっぱり」
ひろは少し驚いた。
「わかってた?」
「なんとなく」
妻はコーヒーを飲んだ。
「女の勘」
前にも聞いた言葉だった。
ひろは続けた。
「十年前」
「うん」
「病気だった」
妻の表情が少し変わった。
「それで」
「うん」
「俺と別れた」
妻は黙って聞いていた。
「巻き込みたくなかったって」
ひろの声は少し低かった。
妻は静かに聞いた。
「今は?」
ひろは答えた。
「また病気が来たらしい」
妻はゆっくり息を吐いた。
「そうなんだ」
それだけだった。
ひろは言った。
「最後に」
「うん」
「俺が幸せか見に来た」
妻は少し笑った。
「確認だね」
ひろはうなずいた。
「そう」
しばらく沈黙があった。
ひろは言った。
「ごめん」
妻は聞いた。
「何が?」
「なんか」
言葉を探す。
「複雑で」
妻は少し笑った。
「当たり前」
そして言った。
「四年でしょ?」
ひろはうなずく。
「うん」
妻はテーブルを指で軽く叩いた。
「それだけ好きだった人なら」
「うん」
「気持ちは消えないよ」
ひろは驚いた。
「怒らないの?」
妻は少し考えた。
そして笑った。
「怒る理由ある?」
ひろは黙った。
妻は言った。
「だって」
ひろを見る。
「今一緒にいるの私だし」
その言い方は、少し誇らしかった。
そして。
妻は続けた。
「会ってあげなよ」
ひろは聞いた。
「え?」
「最後かもしれないんでしょ」
その言葉は静かだった。
でも強かった。
「だったら」
妻は言った。
「ちゃんと話してきな」
ひろは何も言えなかった。
妻は少し笑った。
「安心して」
「うん?」
「取られないから」
その言葉に、ひろは少し笑った。
妻は立ち上がった。
「あと」
振り向いて言う。
「今度クッキーの作り方教えてもらお」
その言葉に。
ひろは胸が少し熱くなった。




