境界線
常に動いているが移動していない場所があった。
床はわずかに震え、壁は呼吸のように伸び縮みし、天井は低くなったり高くなったりしていた。
だが、どれだけ揺れても、場所そのものは変わらない。
外から見れば、ずっと同じ位置にある。
ただ中にいると、止まっている感じがしなかった。
そこに、名をユウと呼ばれる人がいた。
ユウは自分の名前を覚えていたが、なぜその名前なのかは知らなかった。
ここでは、知る必要があることと、知れないことの区別が曖昧だった。
ユウは毎日、歩いている。
前に進んでいるつもりだったが、景色は少しも変わらない。
床の揺れに合わせて足を出し、壁の伸びに合わせて姿勢を変える。
それを自由だと感じた日もあった。
誰にも止められていない、と思ったからだ。
別の日には、自由ではないと思った。
どれだけ歩いても、端に着かない。
戻ろうとしても、背中側も同じだった。
選んでいる感覚だけがあり、選んだ結果はどこにも現れなかった。
あるとき、境界線が現れた。線は細く、はっきりしていた。
越えられそうに見えたし、越えられない理由も見当たらない。
線の向こう側は、揺れていなかった。
動いていないというより、何も起きていないようだ。
ユウは立ち止まった。
止まると、場所の動きがはっきり分かった。
床の震えはユウの足を待たず、壁の伸び縮みはユウの呼吸を無視していた。
動いているのは場所で、自分ではないのかもしれない、という考えが浮かんだが、すぐに形を失った。
その瞬間、場所のルールが一度だけ壊れた。
揺れが止まり、壁も天井も静止し。
完全な静止だった。
ユウは一歩踏み出せば、線を越えられると分かった。
分かったが、確かめる方法はない。
次の瞬間、揺れは戻った。今度は、少しだけ強かった。
境界線は消えなかったが、近づいているのか遠ざかっているのかが分からなくなった。
ユウは腕を伸ばした。
触れたかどうかは判断できなかった。
線は見えているが、感触はない。
越えたかどうかも分からない。
ただ、ユウは境界の手前に立っていた。
立っている、という状態だけが残り、場所は相変わらず動き続けていた。




