『無能でいたい王太子』VS『婚約者の有能さを伝えたい公爵令嬢』
クローディア・ブライアントには幼い頃に定められた婚約者がいた。
美しい金髪と黄緑色の瞳。長い睫毛を揺らす人形の様な精巧な顔立ちの少年。
剣術も勉学も幼いながらに優れていた彼の名はリアム・ローレンス・ネウィータ。
王国の第一王子であり、未来の王太子となる人物だ。
彼は積み上げた教養によって、王族としての品性や人柄は五歳の頃から既に完成していた。
完全無欠。そんな言葉が似合うような少年。
「クローディア」
王宮の外廊下から庭を見つめていたある日のクローディア。
視線の先で木刀を振るっていたリアムの美しい姿に見惚れていたクローディアは、ふと振り返った彼に甘く微笑まれ、頬を染める。
剣術の稽古を終えたらしい彼は、教師に頭を下げてからクローディアへ近づいた。
「来ていたのか」
「ご機嫌よう、殿下」
「いい天気だね」
「はい」
軽い会話を交えながら、クローディアはもじもじとする。
その腕の中には分厚い本が一冊抱えられていた。
五歳の少女が読むにはあまりに難解な学術書だが、高度な教養を積む二人にとってはこれがいつもの教科書だ。
「勉強、わからないところでもあった?」
「少しだけ……。殿下ならわかるかと思って」
「じゃあ一緒に見よう」
クローディアは勉学が出来る方であったが、リアムほどではなかった。
彼はクローディアが勉学で躓く度、彼女に付き合って勉学を教えてくれた。
彼の説明はとても分かりやすかったし、何より勉学という共通の話題で同じ時を過ごせる事がクローディアは嬉しかった。
「はい」
リアムがクローディアに手を伸ばす。
その手を取り、エスコートを受けるクローディアの心はずっと浮足立っていた。
自分の婚約者はなんて素晴らしい方なのだろうと思い、自分は幸せ者だと感じていた。
それから十年が経ち――
王立学園へ通うようになったクローディア。
彼女は学園の中庭の隅で男子生徒達の木刀による試合を見守っていた。
視線の先で幼い記憶と変わらない美しい金髪が揺れる。
リアムは相手へ木刀を振り上げた。相手は隙を見せていてすぐには対応できないだろう。
「――ハッ!」
目を見開き、木刀を振り下ろすリアム。
しかし次の瞬間。
彼は体幹をブレさせ、よたよたとふらつき始めた。
「お、おぉぉ~……?」
足踏みをしながら下ろされる木刀はあまりにゆっくりで情けない。
そしてゆっくりと木刀を空振りさせたリアムへ、相手が木刀を突き付けた。
「勝負あり!」
審判役の講師が声を上げる。
それを聞いた途端、リアムはどっこいしょとその場に腰を下ろした。
「はぁ~~~疲れたぁ。やーだよ剣振るうの腕痛くなるし筋肉痛なるし~」
何やら情けない泣き言を上げ始める彼を見ながらクローディアは溜息を吐く。
傍ではクローディアと同じように試合を見守っていた女子生徒達がひそひそと話していた。
「リアム殿下……お顔は綺麗なのだけれど」
「剣術も勉学もどうにも……ねぇ」
「未来の国王があの様子で大丈夫なのかしら」
リアムにただ見惚れているだけの女子生徒もいる中、国の未来に憂いる者達の声も確かに上がっていた。
クローディアはそれを聞きながら心の中で呟いた。
(どうして――こんなことになってしまわれたの?)
聡明な幼子の面影が一切ない、自分の婚約者。
リアムは社交界でこう呼ばれるようになっていた。
――国のお飾り、『駄目王太子』と。
クローディアは知っている。
リアムが本当は有能な、それこそ国を治めるに相応しい人物であると。
それを悟っているからこそ、国王も彼を王太子としたのだ。
だが……当の本人は十を過ぎた頃から徐々に堕落していき、あの体たらく。
(このままではいけない。未来の国母として――殿下と添い遂げる者として、殿下が素晴らしいお方である事を皆様に知って頂かなければなりませんわ……!)
こうしてクローディアによる『リアム殿下が有能であると気付かせよう大作戦!』が開始したのである。
***
ある日の昼下がり。
クローディアはリアムを学園の図書館へ誘う。
「殿下、よろしければこちらをご教示頂けませんか?」
「ええ。クローディアに教えられる事なんてないと思うけどな」
「またまた御謙遜を。幼い頃はいつも教えてくださっていたではありませんか」
この時期は試験前であり、図書館には多くの生徒がいる。
(私は学園の首席――この私に殿下が勉学を教えている姿を皆様にお見せ出来ればきっと、皆様の評価だって変わるはず……!)
そう思い、リアムへ教科書を見せたクローディア。
しかし暫く難しい顔で教科書を眺めていたリアムはいつの間にか机に突っ伏して眠り始めてしまう。
「で、殿下ぁ!?」
「……ハッ、ごめんよ、クローディア」
「い、いえ」
「ちょっと何書いてあるのかが分からなくて」
「問題文から躓いていらしたんですの……!?」
「へへ」
あざとく笑うリアムの顔に心が傾きながらもクローディアは我に返る。
周囲の生徒達が『やっぱりな』という顔をしていたのだ。
(違いますのよ。殿下は本当は……)
クローディアは顔を曇らせた。
「殿下! 殿下の勇ましいお姿を拝見したく存じますわ!」
「よし、任せてくれ! ハァッ!!」
ある日。
クローディアは中庭で剣技を披露してくれとリアムに頼んだ。
リアムは意気揚々と木刀を振るう。
しかしそれは手からすっぽ抜け、数メートル先へ落下した。
「で、殿下ぁぁあ!?」
「ごめんよ」
(どうしてですのぉぉおおっ!?)
木刀が手元から消えた事で目を丸くするリアムを近くの生徒達はくすくすと笑った。
その後もうっかり転びそうなフリをしてリアムに助けてもらおうとしたり、社会情勢について話を振ったりなど、自分の婚約者が有能である事をクローディアは何とかして証明しようとしたのだが、全て水の泡……どころか、彼の無様をより晒してしまうような形となった。
クローディアの奮闘がそれから数ヶ月続いた先、学園で開かれたパーティー。
着飾ったクローディアは広間の前でリアムと合流した。
「綺麗だよ、クローディア」
「殿下も……」
クローディアは言いかけてから口籠った。
彼女の曇った顔に気付いたリアムは優しく微笑むとクローディアの手を取って広間へと足を踏み入れる。
「……殿下は」
「ん?」
自分をエスコートしてくれるリアムの後ろ姿は凛としていて美しい。
そこにはやはり、幼い頃の彼の面影が残っているように思えた。
「何故、ご自身の評価を落とされるような行いを?」
リアムからの返事はない。
それは彼の中にも思い当たる事があるという事にほかならなかった。
「私がこのように申さずとも、殿下ならお分かりのはずです。王太子として求められるものが――」
「だからだよ」
大勢の声に呑まれそうになりながら、リアムは答える。
振り返った彼の黄緑の瞳にはクローディアしか映っていない。
「王太子なんて座は……いらないんだ。俺はただ――」
リアムが言いかけた時、広間に音楽が流れる。
踊り出す人々につられるようにして、二人もまたステップを踏み始めた。
「……っ!」
そしてクローディアはすぐに気付く。
(こ、この方……っ! 周囲からいかに無様に見えるかを気にして踊っていらっしゃるわ――っ!)
覚束ない脚と曲がった腰。リアムはよぼよぼなお爺さんのような奇妙な動きをしている。
その癖、傍から見るだけではわからない程に体幹がしっかりしていて、クローディアを転ばせる事だけはないように振る舞っているのだ。
そのちぐはぐさが一周回って滑稽で、何故そこまでして無様で痛いのかとクローディアは笑いを零してしまう。
「俺はね、君と一緒にいる時間が何よりも大切だ。それが減ってしまうのが……耐えられなくなってしまった」
「だからって、王太子から降りる為にこんなおかしなことばかり? 正しく振る舞うことは王族としての責務でしょうに」
「君が許してくれるなら、君を攫って逃げたっていいんだよ。王族というしがらみからね」
「平民に扮して生きると? おかしなことを言わないでください。私達二人ではろくに生きてはいけませんわ」
「それもそうか」
二人で笑い合う。
リアムの評判が落ちているという件について、一先ずは――もう少しおいておいてもいいかとクローディアは思うようになった。
本当に必要となれば彼は本領を発揮するだろう。そういう男である事を知っていた。
それに、クローディアを想うが故の事であったと知り、満更でもない気持ちになってしまったのだ。
「今度、きちんと踊ってください。誰もいない場所でいいですから」
「任せたまえ。この百倍は華麗な姿を見せよう」
「千倍でお願いします」
「わかった、一万倍だ」
軽口を言い合って耐え切れない笑い声が二つ漏れた時の事だ。
広間の入口で悲鳴が上がる。
皆がダンスを止め、そちらを見ると――そこには『魔物』と呼ばれる獰猛な獣がいた。
警備の為に配置されていた騎士は怪我を負ったらしく、床に倒れている。
邪魔がなくなった魔物は涎を垂らし、じりじりと生徒達へと近づいているようであった。
クローディアは身をかたくする。
この場で武器を持っているのは怪我をした警備の者だけだ。
丸腰の学生達で一体何ができるというのだろう。
そんな不安が過った時、リアムがクローディアを背で庇うようにして立った。
「ここを動かないでくれ」
「で、殿下……? まさか」
「安心してくれ。俺の腕は知っているだろう?」
不安がるクローディアへリアムが笑いかける。
それから彼は騎士の元へと真っ直ぐ駆け寄り、傍に落ちていた剣を拾い上げた。
リアムの死角から魔物が飛び出す。
鋭い爪が突き立てられるが、それはリアムが振るった剣によって弾かれた。
そのひと振りと、彼の瞳の中の鋭い眼光で何かを悟ったのだろう。
魔物はリアムを見て数歩後退ると、彼から離れて人混みへと飛び込んだ。
再び悲鳴が上がる。
真っ直ぐ突き進む魔物の進路。その先にいたのは――クローディアだ。
クローディアの表情が強張る。
周囲が「避けてください!」と叫ぶ中、クローディアは取り乱す事無くその獣を見据えた。
獣が大口を開け、牙を剥く。
それがクローディアの白い肌へ食い込むかと思われた――その時。
獣の体が真っ二つに割れた。
飛び散る鮮血。
その中で剣を構えたリアムが立っている。
彼はすぐにクローディアの前に立つと、魔物の死骸から噴き出す血から彼女を守る。
お陰でクローディアは一滴すら血を付着させる事がなかった。
「無事か? クローディア」
「……ええ、お陰様で」
真剣な眼差し。凛々しい顔付き。
久しぶりに見たリアムの本質に見惚れそうになりながら、クローディアは答える。
それから、彼女は周囲の様子に気付いてくすりと笑う。
何故笑うのかと目を丸くしたリアムも遅れて気付く。
リアムはたった今――恋人を命懸けで守る男として人々の目に焼き付けられたのだ。
ハッと我に返ったリアムは剣をその場に放り投げて両膝を付くと、わざとらしく手をぷらぷらと振り始めた。
「クローディア褒めてくれよぉ、俺は怖かったんだ! あんなでかくて凶暴な奴……! 手も痺れていたいし、血生臭いし最悪だぁ!」
「……もうっ!」
(本当に、この人は)
情けない演技があまりに大仰で、先程までの格好良さとの差も相まって、クローディアはお腹を抱えて笑ってしまう。
こんな芝居で先程の偉業が帳消しにできると思っているらしい、単純で少々阿呆な婚約者が愛しく思える。
「仕方ありませんわね」
クローディアはリアムの顔に付着した血をハンカチで優しく拭ってやった。
「格好よかったですよ。ありがとうございます」
小声でそういえば、泣きべそ(勿論演技)を掻いていたリアムが少し照れ臭そうにはにかんだ。
そしてリアムの預かり知らぬ場所で。
やはり彼の株は生徒の間で少し上がる事となった。
これは婚約者と一生イチャイチャしていたくて無能を演じる王太子と、本当は誰よりも素敵な婚約者を皆に認めてもらいたい公爵令嬢による――
――仁義なき戦いの一幕である。
最後までお読みいただきありがとうございました!
もし楽しんでいただけた場合には是非とも
リアクション、ブックマーク、評価、などなど頂けますと、大変励みになります!
また他にもたくさん短編をアップしているので、気に入って頂けた方は是非マイページまでお越しください!
それでは、またご縁がありましたらどこかで!




