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水が増えていく怪談  作者: 路明(ロア)
水底 みד֝ժ ౾こ

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赤い薔薇がしたたり落ちる ②


 また庭の門扉が開いている。


 門の外に、なんどか見た人たちが横一列にならんでこちらを見ていた。



 ずんぐりとした体型の初老の男性と、二人の白衣の女性。

 スーツを着た男性が二人と、バラの顔の男性。



 とつぜんスーツの男性のうちのひとりが澪奈(れいな)の肩をつかみ強引にゆする。

「きゃあっ!」

 澪奈は悲鳴を上げた。


「やめて! やめてください!」


 筋肉がおとろえて踏んばれない両脚で、澪奈はなんとか逃れようとした。

 ほかの人物たちが無言で止めにはいる。



 また腹部に激痛がはしる。



「いたっ! いたいっ!」

 澪奈は腹部をおさえた。


 門の両端に群生しているバラが大きくしなり、真っ赤な花びらをぼとぼとと落とす。

 芝生の上に散らばった花びらを、澪奈は自分の血液と錯覚した。



 こんなに血が流れたら、わたし死んじゃう……。



 恐怖でめまいがする。


 きつい香水のにおいが鼻をついた。

 吐き気がしそう。


 力強く割って入ってくれた腕があった。


 バラで顔のかくれた男性が、澪奈を背中に(かば)う。

 背中の体温が伝わった。


 思い出した。この人は(たつる)だ。


 いつも同じ駅を使い、あちらは通勤、澪奈は通学をしていた。



 あるとき、声をかけられた。



 なんどか見覚えのある顔とはいえ、ナンパかなと眉根をよせる。


 だが手元を見ると、澪奈の学生証が握られていた。

「カード出すとき落ちたからさ」

 樹はそう告げた。


 それから、駅で会うたび話をするようになった。


 付き合っていたわけではなかったが、いろいろ相談に乗ってもらったりした。


 頼りになるおとなの人だと思った。

 それにやさしい。


 樹が、スーツの男性を牽制(けんせい)する。



 樹。



 そうだ。

 わたし樹にもういちど会わなきゃ。


 そして、言わなきゃならないひと言がある。



 澪奈は強い感情に押しだされるように門の外にでた。

 門からつづく一本道を駆けだす。

 道を進むごとに、体が重くなる気がした。

 まぶたも重い。

 さきほどまで軽々と動いていた体がどんどん重力に支配される。脚の動きも、もどかしい。



 周囲は、いつの間にか延々とつづくアスファルトの道になっていた。



 駅に行く道に似ている気がする。

 行けども行けども進まない気がしたが、この道を行くのが正解だと直感する。 


 視界が急にあかるくなった。


 自然光の景色から、ライトで照らされた室内の景色に。

 あかるいクリーム色の天井が目のまえに広がる。



 病院の白いベッドの上。澪奈は点滴の(くだ)を腕に刺し、昏睡状態から覚めた。



 ベッドの横には初老の医師らしき男性、二人の女性看護師、スーツをきた壮年の男性と若い男性、そして樹。


 それぞれに「え」という表情でこちらを見た。

 一人の看護師が点滴スタンドに手をぶつけてしまい、生理食塩水の入った袋がゆれる。


 もう一人の看護師はうすオレンジ色の流動食を食べさせようとしていたところらしかった。


「……分かりますか? ここ病院です」

「聴診器」

 医師と看護師が診察の準備をする。


 スーツの男性二人が落ちつき払った様子で警察手帳をとりだした。

 若いほうの男性が口を開く。


「朝石署の者です。あなたを刺した人物の顔、見てませんか?」

「あ、ちょっと」


 医師が割って入る。

「いまやっと目覚めたばかりの人にやめてください」

「いやでも」

「そうですよ、刑事さん、やめてあげてください」

 樹もそう懇願する。見舞いに来てたらしい。

「ですが」

 若い刑事がそう返す。


「いまだ犯人はつかまっていません。澪奈さんには申しわけありませんが、ご協力を」


「まあ、……少しなら」 

 医師が澪奈の様子を見つつ話をうながす。

 若い刑事が、澪奈のほうに向き直った。 


「あなたは一年まえ、殺人犯におそわれた。女性ばかり何人も殺してる人物だ。――いまのところ助かったのはあなただけなんです。何か覚えてませんか?」


「えと」


 澪奈はかすれた声をだした。

 一年ぶりに声をだしたせいなのか、(のど)に違和感がある。

「あの、落ちついたら僕が聞いておきますから。それじゃいけませんか?」

 樹が口をはさむ。

 澪奈は右手を上げて、樹の言葉をさえぎった。


「平気です、刑事さん。わたし、話せます」

「ムリしないほうが」


 樹がそばに寄ってささえるように手をそえる。

「わたしは」

 澪奈は、かわいた唇を動かした。



「わたしは、この人に刺されました」



 澪奈は、樹の顔を指さした。


 これが、なんとしても言わなければならないひと言だ。

 樹の表情が一瞬青ざめ、つぎに憎々しそうにゆがむ。


 優しくして相手を安心させてから娯楽として殺すのが樹の手口だった。




 刺される直前、澪奈は樹から小さな香水の(びん)を受けとっていた。


「妹の誕生日のプレゼントに買ったら、使わないって言われたんで」

 樹が苦笑した。


「香水よりコロンとかのほうが無難じゃない?」



 そう笑ったところで、表情のない顔で横腹を刺された。



 香水の瓶が手からすべり落ち、割れて家の玄関先に植えたバラの花にかかった。

 ちょうど一年前。

 意識を失くすまでのわずかのあいだ、澪奈の五感に飛びこんできたのは満開の赤いバラとしたたる大量の血液と、バラにかかった香水のきついにおい。



 そして殺人を楽しんでいる樹の声だった。




 終






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