赤い薔薇がしたたり落ちる ①
屋敷の門の向こうには、三人の人物がいる。
ずんぐりとした体型の初老の男性、その両脇に若い女性二人。
いずれも白い衣服を身に着けている。
三人は横一列にならび、そろって一礼する。
赤いバラの花びらが、風に乗って白い空の向こうに消える。
吹く風はやわらかく暖かかったが、春かすみのようなものがかかって三人の顔はぼやけていた。
澪奈は門扉を閉めた。
ガコン、と重厚な鉄の音が響く。
植物を模したレリーフがこちらとあちらをさえぎった。
「お食事を。最高級の流動食でございます」
背後から高齢の執事が声をかけてくる。
「それと生理食塩水を」
執事がそうつけ加えた。
澪奈はうなずいて応じる。
服の裾を軽くおさえ、おろした髪の乱れを気にする。
執事に連れられ部屋に入ると、澪奈は猫足の白いイスに座った。
テーブルに静かに置かれた皿に盛られたのは、最高級流動食スープだ。
なにが溶かされているのかよく分からない、うすオレンジ色のドロッとした代物。
口にふくむと体液に似た匂いがしたが、ふしぎと不快感はない。
かすかにビスケットとミルクのような匂いも感じる。
「生理食塩水を」
執事が透明な液体の入ったビニール袋を皿の上に置く。
袋に小さなノズルがついていて、そこから口に一滴ずつ落とすように飲む。
部屋の豪華な雰囲気やテーブルの華美な装飾にまったく似つかわしくない食事。
これがいつもの食事だ。
執事は、数年まえに亡くなった祖父によく似ている。
あまり会う機会はなかったが、たよりにしていた。
テーブルのまんなかには一輪挿しの真っ赤なバラがかざられている。
「いまはバラの季節なの?」
澪奈は問いかけた。
めずらしく言葉を発したせいか、執事がわずかに目を見開く。
「外にでれば分かります」
執事が一輪挿しのバラの角度を直す。
真っ赤なバラの花がこちらを向く。血液に似ていると澪奈は思った。
つぎの食事の時間のまえには、門扉の外にスーツを着た男が二人いた。
男たちが口からそれぞれにバラの花をだす。
そのバラを澪奈に差しだしたが、澪奈は受けとらず門扉を閉めた。
執事に連れられ室内へと入り、猫足のテーブルにつく。
執事がきょうも一輪挿しのバラをかざる。
「バラ、赤いのね」
澪奈はつぶやいた。
あいかわらず同じものばかり出される食事だが、不満はない。
感情が出てこない。
ただ口に流しこむのみだ。
そおに疑問はない。
執事が無言でテレビをつける。
ふだんテレビは見ないのだが、ここにいると食事以外にすることがない。
猫足の白いイスに座ったまま、澪奈はじっとテレビ画面を見た。
事件の報道をしているらしい。ちょうど一年前の事件だと女性リポーターが強調している。
犯人はまだ捕まっていない。
画面を凝視するうち、澪奈はめまいを感じた。
一輪挿しのバラの香りをやけに強く感じる。
香水にでも浸けていたのかと思うほどだ。
こんなに匂いの強い花を、食事をするテーブルに飾るものなのか。
「このバラ、下げてくれる?」
執事がうやうやしく一礼する。
「このバラは下げられないようになっておりまして」
「なぜ」と問いかけようとしたが、なぜか意識がふっと途切れて問う気力が失くなる。
「じゃ……外の空気が吸いたい」
めまいを感じて目頭を押さえる。
「それは、外に出ないと」
執事がゆっくりと部屋の扉を開け、外へとうながすようなしぐさをした。
庭にでる。
はだしで歩くと、しばふのチクチクした感触がちょっと気持ちいい。
門扉はまた開いていた。
門の向こう側では、バラの花びらが大量に吹きぬけている。
まるで飛び散る血に見えた。
門の両端によりかかるようにして群生しているバラが、いっせいに真っ赤な花を咲かせている。
澪奈は、足元がふらついてその場に座りこんだ。
まるで長いあいだ歩くことがなかったかのようだ。
筋力が弱ってとても頼りない。
いつからこんなふうだったか。
はっきりと思い出せない。
門の向こうに、人影が見える。
若い男性のようだ。
赤い大きなバラが顔をかくしているので、人相は分からない。
ちょうどマグリットの絵画にある、鳩で顔がかくれた紳士の絵のようだ。
誰だったか。
親しい人だった気がする。
どんな人だっけ。
思い出そうとしたが、頭の中で何かが必死で止めている。
男性がこちらに近づいてきた。
バラの顔をした男性と、まっすぐ見つめ合う。
群生しているバラが突風にあおられてゆれる。
赤い花びらが地面にしたたって、バラバラに飛び散った。
体がふるえる。
横腹に激痛が走り、澪奈は両手で腹部をおさえてかがんだ。
血の気が引く。
目が回る。めまいがする。
どうしていいのか分からない。
「こちらへ!」
執事が、澪奈の腕を引きずるようにして部屋に引き戻す。
猫足のテーブルに座り、澪奈は自分を抱くようにしてガチガチとふるえた。
執事が生理食塩水の透明な袋をテーブルに置く。
「まだ外に出るのはむりでしたか」
「男の人がいたの」
澪奈はガチガチとふるえた。
「それはどなたですか」
「どなたって……バラで顔が見えなかった」
「ほんとうに見えなかったのですか?」
「見えなかった」
澪奈は答えた。
執事が黙ってテレビをつける。
テレビはほとんど見ないのにと澪奈は思ったが、画面をながめた。
また一年前の事件の話題だ。
連続殺人とのことだった。
犯人はいまだ不明。
ただ一人生きのこった女性は、意識不明の状態がつづいている。
重要な目撃者であるため病院側も警備に気を使い、警察官が常時出入りしているが、いまだ状態に変わりはなし。
「物騒だね」
「ええ」
執事が返事をする。
いつものうすオレンジ色のスープをテーブルに置いた。
なんの感情もなく食事をはじめる。




