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水が増えていく怪談  作者: 路明(ロア)
川 ヵわ

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31/43

事故の夜 暗闇で ③

「あの」

 澄夏(すみか)は思いきってふりむいた。

 ふりむいたと同時に周囲の景色ががらりと変わる。



 白い壁、白い床。

 殺風景な長い廊下の途中にいた。



 牛や馬のような防火帽の人たちも、平安貴族のような男性もどこにもいない。


 

 廊下の中央に、進行方向をしめすように矢印がのびている。

 澄夏はあたりをすこし見回してから、おずおずと矢印の方向に歩きだした。

 足下に、ボコッといくつもの人間の顔が浮かびだす。

 目が開き、言葉をしゃべりだした。

「きゃ……!」

 澄夏は悲鳴をあげて後ずさった。


 だがまえにも後ろにも人の顔が無数にあらわれる。



 それぞれになにかを読み上げるような口調で淡々と話していた。

 事故や殺人事件。不吉な内容ばかりのようだ。


 

「きゃあああああ━━━━!!!」

 澄夏は悲鳴を上げた。

 廊下を走るが、どこまで行っても出口はない。 



「きゃ、いやああああああ、気持ち悪い! だれか!」


 

 カチャ、と横の壁にドアが開いた。

 医師と看護師と思われる人物が立っている。

「た、助けて! わたしバスの事故で!」

 医師と看護師にうながされるまま澄夏は部屋のなかに飛びこんだ。 

 ベッドがある。



 自分が寝ていた。






 つぎの瞬間、澄夏は部屋に飛びこんだ勢いいきおいそのままにベッドからころげ落ちていた。

 点滴をとりかえいた看護師が目を丸くしてこちらを見る。


 看護師の背後から、白衣の男性があわてた様子でこちらに身を乗りだした。

「目ぇ覚めた? ここ病院。分かる?」

 白衣の男性がそう尋ねる。



 木目調の壁に医療用ベッド。

 ヘッドボードの上の壁には、医療用のコンセントがある。



 病院の、入院室だろうか。

「え、と」

 澄夏はかすれた声で答えた。

 左のまぶたにコットンが貼られている。澄夏は手をあてた。

 痛みはとくにない。


「めまいとかある? 頭痛とか」

「いえ……とくに」

「とりあえずまあ……入院までの必要はないと思うけど」

 医師がそう告げる。


「あの、ほかの生存者は」


 医師がポカンとした表情で澄夏を見た。

「何の」

「ええと……バス事故の」

 医師と看護師は、顔を見合わせた。



 看護師が澄夏と目線を合わせるようにかがみ、口を開く。



「あなたバスに乗って帰宅途中、同僚のかたとバスのなかで言い合いをしてたってことなんだけど」


 まったく覚えていない。

 彼氏の(たつる)とさいきんケンカが多かったのは確かだが。同僚のかたって立だろうか。

「こちらで聞いてる話だと……ええと」


 看護師が医師のほうを見て指示をあおいだ。

 医師が「話して」というふうにうなずく。



「橋のちかくの停留所で降りたあと “冥府に行く” みたいなことを叫んで……同僚のかたがつぎの停留所で降りてもどってみたら、橋の下で倒れてたって」



「バス事故は」

「そんなの起こってないですよ」

 看護師が苦笑する。

「橋の高さがそんなにないんで軽症ですんだんだね。河原とはいえけっこう水も流れてたし」

 医師が淡々と補足する。


「まあ……落ちついたら帰っても。あと何か体調おかしいとかあったら来院して」


 医師が聴診器を外しながら入院室をあとにした。




「あ、そういえば」

 看護師が声を上げる。

「よその県でならバス事故はあったけど。新聞とってきます?」

 看護師がしばらく席を外し、待合室のものらしき新聞を持ってくる。


 澄夏は指さされた記事を見た。


 事故が起こったのは、澄夏の地元のちかくだ。



 記憶がごちゃ混ぜになって変な夢を見たのだろうか。

 このニュースを見た覚えはまったくないのだが。





 つぎのバスの時間を受付で聞き、澄夏は病院をあとにした。


 病院前の停留所でしばらく待つ。

 待つあいだ彼氏の(たつる)に通話をかけて謝ろうかと思いたったが、バッグからスマホをとりだすまえにバスが来た。

 

 赤いバスに乗る。






 十五分後、澄夏はまた橋の下に倒れていた。



 目のまえには横倒しの赤い車体のバス。

 河原のゴロゴロとした石に手をつき、起き上がる。


 また夢だろうか。

 うしろから松明が差しだされる。


「なにゆえにまた来たりし」

 松明を持った人物がそう問う。

(あやま)り来たがゆえに、案内(あない)したなりつるを」

 背後でしばらく沈黙していたが、ややして重ねて問うた。

 


「こちの(じき)を食べたるか」

「……こちって」



 「こちら」ということだろうか。

 こちらってどこの。

「冥府のものを食べたるか」

「……冥府?」

 地獄とかあの世とか。



「そんなもの食べるわけないじゃない。どんな食べものなの」

「ショコラアトルを食したか」



 澄夏は記憶をたどった。

 ショコラアトルってなに。

 チョコレートに似た感じの言葉だけど、チョコレートでいいんだろうか。

 たしかにまえの「バス事故」に遭ったとき、手さぐりで見つけたチョコレートを食べた。


「チョコレートのこと? ……冥府? の食べものなの?」


「あるときにはショコラアトル」

 松明の火が、ボボッと風にあおられる。

「あるときには果実(なりもの)

「あるときには(うを)

「あるときには(よな)

 松明を持った人物が、非常にゆっくりとした話し言葉で告げる。



 たまたま見たニュースかなにかとごちゃ混ぜになった夢でしょ。



 澄夏はそう思った。

 目が覚めるのを待てばいいのか。



「かくては冥府より還るあたはず」

 松明の火がゆらゆらとゆれる。



「還るあたはず」


 どこからか、もっと低く重々しい男性の声がした。

 紙のノートをめくるようなガサガサとした音が響く。


閻魔(えんま)王、されども生きながら」

「生きながら」

 重々しい声が呼応する。


「いかにせむや」


 松明がボボボッと風にあおられた。

小野篁(おの たかむら)殿、貴殿の思ひを述べよ」


「おそらくは」


 背後の男性の声が響く。

「冥府とこの世あいだを、ふらふらとまかり歩くことになる」


 背後の男性が、扇か何かで口元をスッとかくしたようだ。



「生ける死人のようになろう」



 話がぜんぜん飲みこめない。

 だが本能的な部分で、得体のしれない恐怖を覚えて足元から鳥肌が立つ。

 生きたまま冥府とこの世をさまようようになる、つまりそんなことを言われているんだろうか。


 冥府の食べものを食べてしまったから。

 


 夢だよね。

 なんども自分に言い聞かせる澄夏の目のまえに、鳥居とながいながい階段がふたたび現れた。




 終





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