事故の夜 暗闇で ①
入水 澄夏は、ゆっくりとあたりを見回した。
片方のまぶたが腫れているのだろうか。
すこし違和感がある。
どろっとしたものが睫毛を伝わってまぶたにたれ視界を邪魔する。
指先で軽くぬぐった。
暗くて色は分からないが、血だろうか。
膝をついているのは、おそらく石のゴロゴロと転がる河原だ。
暗闇のなかに、横転したバスの青色の車体と遠くに点在する低木のシルエットがぼんやりと見える。
通勤で使っているバスだが、事故を起こしたようだ。
途中にある橋から落ちた。
ぐらりと車体がかたむいた瞬間だけは覚えているが、あとの記憶はあやふやだ。
窓から投げ出されたという感じなのだろうか。
目が慣れてくると、バスの車体が不自然に折れた形になり河川敷に転がっているのが分かった。
服のすき間から肌寒い風が吹きこむ。
夏なのに、すこし寒い。
体は動くようだ。まぶたにすこし違和感はあるが痛みを感じる箇所はとくにない。
あたりを手でさぐると、ガサリと袋のようなものに触れた。
橋の上のうすい街灯の明かりをたよりにじっと見つめる。
チョコレートの袋のようだ。一口サイズのやつが個別に包装してかるやつ。
同乗していた乗客のものだろう。
だれのか分からないけど、一つもらっていいかな。
開いていたパッケージ袋の口に手を入れる。
「食ふな」
そう聞こえた気がした。
二、三度あたりを見回す。
だれもいない。
なにかの音を聞きちがったのかと思い、チョコレートの包装をとって口にする。
ほどよい苦さのまじった甘味が、口のなかで溶ける。
なにかホッとした気がした。
チョコレートを味わいながら、澄夏はもういちど周りを見回す。
ほかは動く人はいないようだが、このままじっと救助を待てばいいのだろうか。
それとも自分で消防署と警察に通報しなければならないのか。
自分のスマホは手元にない。
バスの車内だと思うが、暗闇のなかぐちゃぐちゃになっているであろうバスの車内をさがすのは、たぶん、ぜったいムリそう。
だれのものでもいいからスマホはないか。
澄夏は河川敷に倒れているほかの乗客を見回した。
ふいになにかが視界のまえを横切る。
いかつい感じの二人の人物が、澄夏を見下ろしていた。
暗闇なのではっきりとは分からないが、牛や馬の頭に見える変わった防火帽をかぶっている。防火服も古代の鎧のような独特の装備だ。
消防署のレスキューの人だろうかと澄夏は思った。
ずいぶん早く来るものなんだなと思った。
だれかが通報してくれたのか。
橋の上を見上げる。
工業団地内では、徒歩で移動する人はめったにいない。
移動はほぼすべてくらいが車で、通勤時間以外は輸送の大型車くらいしか走っていない。
たまたま見つけてもらうなんて朝までないかもと予想していた。
ホッとする。
ほかの乗客はいまだにだれも動かないが、自分はケガはない。すぐに家に帰れるだろう。
帰ったらなに食べよう。
とりあえずコーヒーが飲みたい。
事故が起こってからどれくらい時間が経ったのか、はっきりとは分からないがこのあと夕飯をつくる根性はさすがにない。
コンビニかスーパーでお惣菜を買って帰ろう。
唐揚げが食べたい。
ハンバーガーもいいな。
そういえば実家から送られてきた白菜、そろそろ食べきらなきゃ。
すっかり空腹を満たすことで頭がいっぱいになった澄夏を、角のついた奇妙な防火帽の二人はじっと見下ろしている。
意識の有無をうかがっているのだろうか。
見れば分かると思うけど。
「あの、大丈夫です。わたし歩けます」
澄夏は手をふり、元気だと示した。
防火帽の二人は無言だったが、軽くうなずく。「ついてこい」というふうにきびすを返した。
担架で運ばれるわけじゃないのか。澄夏は目を丸くした。
意識もあるし、歩けると自己申告したらそんなものなのか。
防火帽の二人は、倒れているほかの乗客たちを素通りして澄夏の前方をスタスタと歩いて行く。
「えと救出されるの……わたしだけですか?」
澄夏は横転したバスを見た。
バスの車内にいくつか白っぽいものが浮き上がって見える。
人の顔だと理解した。
全員それぞれの方向を向き意識を失っている。
あの人たちはもう、死亡確認されたということなのだろうか。
あれは、ぜんぶ死体なのか。
あとで夢にうなされたりトラウマになるかもしれないと思う。
まだ頭が状況を整理しきれていないけど。




