レインマン✕サニーレディ ①
雨が前触れもなく降りだした。
周辺のビル街を歩く人々が、めいめいに傘をさしたり建物内にかけこんだりする。
向陽 彩乃は、眉をひそめ周囲を見渡した。
雨に濡れるのもかまわず、街を歩く人々の顔をひとりひとりをながめる。
濃い茶色のセミロングヘアから水滴が落ちた。
退社して駅まで行く途中の道。
近くの店で夕飯を済まそうとしていた。
きょうの降水確率は、八十パーセント。
しかし、雨など降るはずはない。
彩乃はいわゆる晴れ女だ。しかも快晴率百パーセントという驚異的な確率で晴れを呼ぶ体質。
外出中に雨など遭遇したことはない。
雨が降るとしたら、考えられることはひとつ。
斎。雨城 斎が近くにいる。
どうしよう。
もうとっくに別れたのに。
周辺を見回して斎の姿をさがしながら、彩乃はこの場をさっさと立ち去るかどうか迷った。
雨男の斎とは、一年前まで同棲していた。
たがいくら好きでもいっしょに暮らすのはムリだ。
子供のころから晴れ女として暮らしてきた彩乃とは、考えかたも生活習慣もいちいち違っていたのだ。
一年間いっしょに暮らして、この人とはやっていけないと分かった。
いまさら会っても。
そう思ったとき、うしろから傘を射しかけられた。
透明のビニール傘だ。
常時傘を持ち歩く斎は、なくしてもいいようにいつも安いビニール傘を使っている。
ほかの持ちものはそれなり良いものを使っているのに、傘だけ使いすてのものを使うところにギャップを感じて付き合うまえはかわいらしくさえ思った。
だがいまは、傘が自分たちのあいだの壁のひとつだったとすら思えてくる。
「あいかわらず傘を持ち歩かないんだな」
背後から斎が声をかける。
低めのいい声だ。
「あたしに必要ないもの」
彩乃はそう答えた。
「それでも念のため持ち歩くってことは考えないのか? 現にこうやっていきなり降られてんだろ」
「斎が近づかなければ降らなかったでしょ。なに近づいてんの?!」
「しょうがないだろ。このへん歩いてるとは思わなかった」
斎が困惑したように返す。
「職場、変わったの」
彩乃は答えた。
「旅行会社辞めたのか?」
「違う支店に異動になったの」
「ああ……そか」
斎が納得したように相づちを打つ。
「いまでも快晴率百パーセントの奇跡の添乗員って言われてるのか」
斎が背後でハハッと笑う。
「……仕事先で斎と出逢ったおかげで、九十八パーセントに落ちた」
「ああ……そう」
斎が当惑したように答える。
「とりあえず、どっか店に入らないか?」
斎が周囲を見回した。
雨がますます強くなり、ビニール傘をたたきつける水滴が大きな音を立てている。
足元を雨水が流れだし、すこし離れた場所はもう灰色にかすんでいる。
「……まわりの人に迷惑だから」
斎が言う。
驚異の雨男ぶりに磨きがかかっている気がする。
「そうだね」
彩乃はそう返事をした。
飛びこんだ最寄りの喫茶店は、若い女の子向けのかわいらしい内装だった。
ピンクと白の壁紙に、いたるところにある猫のキャラクター。
男性の斎は完全に浮いている。
「なんていうか……雨やんだら、すぐ店移ろうか」
彩乃は店内を見回した。
「……いやいいけど」
斎が、店に入るまえよりもさらに当惑した顔で答える。
客は若い女性や女子中高生ばかりだ。
斎が居心地の悪さに耐えるように眉をよせる。
サンドイッチが運ばれてくる。
斎が一枚ずつバラバラにし、なかに挟まれているものを念入りに確認してからもとにもどす。
あいかわらずだと彩乃は思った。
雨男の斎は、常にカビの生えやすい環境で過ごしているので、食べるものはこうして細部まで確認してから食べる。
いっしょに暮らしているあいだは、食材の保管のしかたに非常にうるさかった。
そしてできることならカビの生えにくい食材を選んでくれと言われた。
別れるまえの数週間は、ケンカばかりしていた気がする。
行く先々が常にカラッと晴れている彩乃は、あまりカビを気にしたことがない。
食材で気にするのは、せいぜい乾燥するかしないかくらいだ。
それを斎は、ズボラだと言った。
洗濯物を干すときすら違っていた。
晴れ女の彩乃は、急な雨で洗濯ものをとりこむなどという経験がなかった。
だが斎が休みで家にいる日は、かならずにわか雨にみまわれる。
降っているのを知らずに干していたと毎回くどくどと詰られた。
いっしょに住んでいればいちばん幸せなはずの休日に、いつも洗濯もののことでケンカになった。
掃除の考えかたも違う。
彩乃が常に気にしているのは、ホコリが部屋に溜まることくらいだ。
いちばんマメにするのは掃き掃除。
斎は違っていた。
常に拭き掃除用のウェットティッシュを用意していた。
防カビ剤のたぐいは住居に常に一式そろえられ、洗面台の下の小物置場には、防カビスプレー、防カビ燻煙剤、防カビ洗剤、防カビ芳香剤、防カビシート、カビ抑制プレート、その他各種カビ取り剤がぎっしりとならべてあった。
それらをすべて的確に使いこなす斎が、別れるまぎわにはもはや家事の手抜きを責め立てる悪魔に思えた。