アジサイ消滅 ②
「ス……スマホ」
彩はあわてて自分のバッグをさぐった。
ユーチューブのアプリを開き、就活のために見るクセをつけたウェブニュースのチャンネルに入る。
「え?」
彩は目を丸くした。
「なに? ごめん、見ていい?」
笠居が横から問う。
彩は、笠居に見えるようスマホの画面を向けた。
画面には黒地に大きな白文字で出だしの静止画が表示されている。
世界滅亡
静止画にはそう書かれていた。
「は?」
笠居がポカンと小ぶりの目を見開く。
「えっと、チャンネル間違えてない? どっかのアニメの期間限定配信とか」
「ちゃんとニュースですよ」
彩はそう返した。
ほかの登録したニュースチャンネルも見てみる。
更新すらされていないチャンネルもあったが、甲高いAIの音声で経緯を説明しているチャンネルもある。
画面をじっと見つめて経緯を聞いていた彩は、ややしてから、「なにそれぇ!」と声を上げてしまった。
「世界の指導者はバカばっかりなわけえええ━━?!」
思わずふだんの調子で暴言を叫んでしまう。
「え、なに」
笠居があわてた様子で聞き返した。
「ええと……説明します」
「うん」
笠居がうなずく。
「まず、A国に国際原子力機関の査察団が入ったところから始まったそうです」
「うん」
「A国の大統領が、核のボタンを査察団に見せたそうです」
「うん」
「査察団が “まさか偽物のボタンではないでしょうね” と言ったので、大統領は “そんな訳はないでしょ、HAHAHA” という感じで核のボタンのカバーを外してみせたそうです」
「え、ちょっと待って」
笠居が右手を挙げる。
「そのHAHAHAはあなたの脚色?」
「いえ。解説動画でそう言ってるんです」
「……ああ、そう」
笠居がそう返す。手のひらを差しだし「続けて」というふうにジェスチャーした。
「ええと。核のボタンって……知ってました? 万が一頭のおかしくなった国のトップが勝手に押せないように、離れた位置に二つあるんだそうです。で、それを同時に押さないと発射できない――って枝豆が説明してるんですが」
「ああ、ぼくも何かの動画で見たような」
「査察が終わってカバーをかけ直そうとしたところ、査察団のメンバーのひとりが大統領の秘書にセクハラしたそうです」
「は?」
笠居が怪訝な顔をする。
「大統領の秘書は、「NO!」と言ってセクハラメンバーをグーで殴りつけた」
「……グーで」
「よろめいたセクハラメンバーが大統領にぶつかり、大統領もよろめいた」
「あー、うん」
「SPが大統領を支えようとして駆けよった。ところが片方のボタンの支柱に足を引っかけてよろめいた」
「ええ……」
「大統領の顎とSPの胸板とで、同時にボタンが押されてしまったそうです」
「はあ?」
笠居が間の抜けたような、あきれたような声を上げた。
「――あ、まだ続きがあります」
彩は何か言おうとする笠居を手で制した。
「A国から発射された核を、A国とギクシャクしていたB国はとりあえず冷静に見送ったそうですが、関係ないC国が勝手に自国への挑発と見なして報復で核発射」
「ええ……」
「そこでC国と休戦について協議中だったD国が、核発射を自国への攻撃と勘違いし、核保有国ではないので代わりにトマホークの雨で報復攻撃」
画面には、枝豆をバックにフリー素材と思われる爆発の映像が映る。
「ところが目標の設定を間違えて、トマホークがぜんぶ関係ないE国に向かってしまった。E国は、D国の宣戦布告と見なしてA国から買ったばかりのMOABで報復攻撃。それをA国軍のものと勘違いしたF国が……」
「やめろおお! もうたくさんだあああ━━━━!」
笠居が耳をふさいで叫ぶ。
「世界の指導者は、バカばっかりかああ!」
それ、さっきのわたしのセリフじゃん。彩は内心でツッコんだ。
「つまり……世界中が核とかミサイルとかで飛ばされたってことですかね」
彩はつぶやいた。非現実的すぎてまったくピンとこない。
「たいへんだ」
笠居が立ち上がる。
「店の商品も飛ばされたかも」
え、そこか。
彩はもういちど心の中でツッコんだ。
笠居がドアを開けてロッカー室の出入口から飛びだそうとする。
「おおっと」
まえに踏みだそうとして廊下がないことを思いだし、ドアノブにつかまった。
「そうだった……」
「そうですよ」
隣接していた店舗もないのはさきほど確認ずみだ。外のあの様子だと、土台も少し抉れているのかもしれない。
外には小雨がさらさらと降りしきり、ドアのすぐ外の景色を陰鬱に見せている。
焦げとホコリといろいろ混じった匂いがさきほどと同じように室内に飛びこんだ。
それでもいまだこの状況が信じられない。
彩はとりあえずスマホをタップした。母と姉に電話をかけてみる。
どちらもなかなか出ない。
友人に片っ端からかけてみる。
何人目かでつながり、電話口からノイズ混じりの音声が漏れる。
「あ、あの、大丈夫?」
彩は電話の向こうに呼びかけた。
「そっちこそ大丈夫?」という声が小さく聞こえた気がしたが、すぐに切れる。
「あの」
笠居がおずおずと話しかけた。
「よかったら……スマホ貸してくれないかな」
笠居がドアの外を指さす。
「ぼくのやつ、飛ばされたみたいだから」
「あ、そっか。そうですね」
彩はホーム画面にもどしてスマホを渡した。
「番号、そらで大丈夫ですか?」
「何とか妻の番号なら……」
笠居がスマホのキーパッドをタップした。
スマホを耳にあてて待つ。
ややして相手は出たようだ。
「美雨ちゃぁん? パパでちゅよお。大丈夫でちたかあ?」
とつぜんのことに彩はドン引いて二メートルほど後ずさる。
笠居がほそい目を糸ミミズのようにゆるめ、恐ろしいほどの猫なで声でしゃべりだした。
「美雨ちゃん、ママはぁ? え? なに? ──ムーミンのにょろにょろ?」
笠居がとつぜん声のトーンを低く落とす。
「どうしました?」
彩は不安を感じて尋ねた。
笠居が急にあわてた様子になり声を荒らげる。
「美雨ちゃんダメ! ポイッ、ポイしなさい! え? ひまわり組の大河くんに見せる? 美雨ちゃん、いつの間にボーイフレンドなんか! パパは許しませんよ! ああああああ、いやそうじゃない」
ややしてから、笠居が耳からスマホを離す。
「切れた……」