七夕令嬢のため息 結
巷で噂の悪役令嬢。
我儘で身勝手、気に入らなければ喚き散らし、暴力や権力を振りかざす。
両親さえも手が付けられない彼女だが、一年に一度、七夕の日にだけ別人のように性格が変わる……いや、正確には本当に別人へとなり代わっていた。
何の理由、どんな要因があってそうなったのかは誰にもわからない。
けれど、事実として彼女は確かにいる。
前世の記憶を持ち、悪役令嬢とは別の人格ながらもその記憶も有する存在……そんな彼女を周囲は忌避することなく喜んで受け入れた。
それどころか、両親に至っては悪役令嬢の我儘で組んだイケメン貴族との会食をその彼女に任せる始末……悪役令嬢の振る舞いに頭を悩ませていた両親にとって彼女の存在はまさに渡りに船だっただろう。
口には出さないが、両親の心情としては一年に一度だけでなく、普段も七夕の人格が表に出てくれればいいと思っているのは明らかで、それは入れ替わった彼女も感じ取っていた。
しかし、願われたところで、人格が入れ替わるとはなく、彼女は七夕の日だけ現れ、イケメン貴族と会食を繰り返す。
そうしている内にイケメン貴族は彼女に惹かれ、ついには求婚されるに至ってしまう。
その時の文言が『本当の君を取り戻して見せる』で、最初こそ取り合っていなかったものの、次第に彼女の方もイケメン貴族の熱意に負け、好意を寄せ始めることに。
けれど、どれだけ互いを想い合ったところで会えるのは一年に一度だけ……言ってしまえば不毛な恋だ。
奇跡でも起きない限り、彼、彼女等は報われない…………筈だった。
もう何回目かになる入れ替わり、目を覚ましたもう一人の彼女はいつもと違う違和感に気付く。
それは入れ替わる前……元の人格の記憶がまるで霞掛かったように読み取れなくなっているという事態だ。
とはいえ、七夕の一日しか入れ替わらず、周囲も認知している事から、もう一人の彼女は『まあ、今日一日だけだし、そこまで支障はないかな』と、気にも留めない。
だが、いつもと違うのはそれだけではなかった。
どうせ会食に呼ばれて自由はないし、それまでだらだらして過ごそうと決めた彼女。
考えるのを放棄してベッドの上でゴロゴロしたり、部屋の中を散歩したり、ただぼーっとしたりしていた彼女だったが、いつまでたっても部屋に誰も来ない事を不審に思い始める。
いつもなら会食の準備のために何人ものメイドが身支度を整えるためにやってくるのだが、その気配が一切ない。
流石に不審に思った彼女が様子を見るために部屋の外に出てたところ、少し離れたところで清掃中のメイドを見つけて声を掛けるも、何故か逃げられてしまう。
まるで表の人格……悪役令嬢に目をつけられたかのような反応だった。
メイドの反応にどうしてと浮かんだ彼女の疑問。それに答えたのは聞き覚えのない青年の声だった。
どこからともなく現れた青年は驚く彼女を無視してベラベラと喋り始め、ふざけた様子でとある真実を明かしていく。
彼女を悪役令嬢に宿らせたのは青年であること。
今日が七夕ではないこと。
悪役令嬢の彼女の意識が入れ替わっていた時もあったこと。
――――そして悪役令嬢の彼女が自ら消える事を望み、その結果として今があるということ。
全てを知った彼女は絶望し、絶叫する。
自分のせいで、自分の気持ちが中途半端だったから、元の人格である彼女を追い詰め、殺してしまった。
今更、後悔したところでもう遅い。
消えてしまった彼女はどうしたって戻らない……そうやって打ちひしがれる彼女へ薄ら笑いを浮かべた青年はこんな言葉を掛ける。
『片方の願いだけを叶えるのは不公平だろ?だから君の願いも叶えてあげよう……で、君は何を願うのかな?』
――――前置きはここまで。彼女が何を願ったか、ここからが結末のお話。
始まりは七夕の日。
ベッドの上で目を覚ましたそのご令嬢はゆっくりと起き上がり、まるで何かを確かめるように掌を握って開くを繰り返した後、辺りを見回して大きく目を見開いた。
「――――どうして……なんでアタシが生きてるのッ!?」
静かな部屋に響き渡る絶叫。もし近くに使用人がいたのなら何事かと部屋に飛び込んできたかもしれないが、そうはならず、しん、と、耳の痛い静けさだけが残る。
そう、今、ベッドの上で目を覚ましたのは消えたいと願い、謎の青年に消されたはずの悪役令嬢だった。
周囲に疎まれ、変われない自分に嫌気がさして消える事を望み、ようやく終われると思った筈なのにどうして、アタシがここにいるのならもう一人の人格はどうなったのか、溢れる疑問に押しつぶされそうになったその時、不意にドアをノックする音が聞こえ、彼女は我に返る。
「――――失礼します。先程、大きな声が聞こえましたが、大丈夫でしょうか?」
ドア越しに聞こえてくるのはメイドの声だ。
普段ならこの部屋からどんな音が聞こえてこようが、誰も来やしないのに、こうして心配そうに声を掛けてくる……その事実から今日が七夕だと察した彼女は咄嗟に出そうになった悪役令嬢然とした言葉を無理矢理呑み込み、もう一人の人格がごとく振る舞い、言葉を返す。
「ッ……なんでもないわ。ちょっと体調が優れなくて」
「そうでしたか。それでは今日の会食はどうなされますか?体調が悪いようでしたら先方にも断りの連絡をいたしますが……」
今日が七夕という事は当然、あのイケメン貴族がもう一人の彼女に会いにくる。
扉越しにメイド相手なら誤魔化しも効いたが、もう一人のアタシに求婚しているイケメン貴族を相手には難しいだろうと、一瞬、考える彼女だったが、逆にここで体調不良を理由に断ったとしても、彼は心配してここにくる。
それならば会食に参加し、当たり障りのない会話で今日を乗り切る方がまだマシだと思い至った彼女はメイドに少し休めば大丈夫だから会食は問題ないと伝え、大きなため息を吐いて再びベッドに横たわる。
「――――随分と浮かない顔だね。お腹でも痛いの?」
他に誰もいない筈の部屋で唐突に聞こえてくる人を小馬鹿にしたような台詞に彼女はバッと起き上がり、声の方向に視線を向ける。
「アンタ……よくもアタシの前に顔を出せたわね!アタシの願いを叶えてくれるんじゃなかったの!?」
視線の先にいた見覚えのある青年に対して彼女は捲し立てるように詰め寄り、不安と不満をぶつけるも、彼はどこ吹く風とそれを受け流しつつ、ニヤニヤ笑いながら言葉を返した。
「願いはきちんと叶えたさ。ちゃんと君はこの世界から消えた……一度はね」
「ッどういう意味?」
「どうもこうもそのままの意味さ。一度、君はこの世界から消え、その身体はもう一人の彼女の物になった。でも、とあるきっかけで君は蘇り、今に至る……ってね」
「訳の分からない事をべらべらと…………」
意味深に笑う青年と言葉の意味が分からないまま苛立ちを募らせる悪役令嬢。今にも殴りかかりそうな雰囲気の中、青年は笑みを絶やさないまま、相も変わらずのふざけた態度で確信に迫る一言を告げる。
「ならこういえば分かりやすいかな。願いを叶えるなら平等でないと不公平だろう?」
「不公平?何を…………っ」
そこまで言いかけた彼女は一つの可能性に辿り着き、顔面蒼白になりながら思わず息を呑んだ。
「どうしたの?随分と顔色が悪いね」
「うるさい……」
「その様子だと気付いたみたいだ。そう、彼女は願ったんだよ。自分の存在を完全に消してくれってね」
「うるさいうるさいっ!」
「いやー……人間って本当に愚かだよねーお互いに消えたいって願って望まない結果を招くなんてさ」
本当に心の底から人間の愚かさを嗤う青年にうるさいと叫ぶ彼女だったが、次第にその声も小さくなっていく。
そして少しの沈黙の後、彼女は縋るような瞳を青年に向けて口を開いた。
「…………お願い……もう一度、アタシを消して。それであの子を――――」
「ハハッ、ご生憎と、願いを叶えるのは一度だけ。気に入らないからと言ってやり直しは叶わない……ま、現状を受け入れて暮らせばいいんじゃない?」
ぴしゃりと、縋る言葉を断ち切り、青年は笑みを深めて彼女を絶望の淵に叩き落す。
「あぁ……あああぁぁぁッ!!」
「いいね!いいよ!その顔!その顔が見たかったんだ!愚かな人間の絶望は本当に素晴らしい!!」
絶望の表情を貼り付け絶叫する彼女を見て興奮した様子で声を上げた青年はひとしきり笑った後、ふぅと息を吐いてから深々と頭を下げた。
「――――満足だよ。とても良い絶望をありがとう」
お辞儀と共にそんな言葉を吐いた青年の身体はまるで風景に溶けるかのように消え始める。
「ッ待って!お願いだから待って――――」
「さようなら。愚かな悪役令嬢」
必死に縋りつこうとする彼女叫びは届かず、その手は虚しく空を切り、後には痛い程の静寂だけが残った。
それからどれくらい経ったかだろうか。
絶望に絶望を重ね、打ちひしがれて泣き続けた彼女は不意に顔を上げ、狂ったように笑い出した。
「アハッ、アハハハハハ……そうよ、アタシはもう死んだ!ここにいるのはあの子よ!そうよ!あの子が死んでアタシが生きているはずがないもの!!」
くるくるくるくると回りながら狂気的な笑みを浮かべて彼女は笑い続ける。
その声を聞きつけたのか、使用人達が何事かと部屋に駆け込んでくるも、彼女はスッと笑いを引っ込め、まるでもう一人の彼女のように振る舞い、なんでもないとそう返した。
そこからの彼女は最早、悪役令嬢と呼べるような人物ではなくなった。
その日の会食はもちろん、次の日以降も彼女はもう一人の自分として振る舞い続け、やがてイケメン貴族と正式に婚約、そのまま結婚し、周囲を偽り続けたままその生涯を終える。
――――本当の自分を殺し続けたままで。
「――――え?これで終わり?バッドエンド……とは言わないかもだけど、ビターというか、すっごい何とも言えない感じじゃん」
現代、一人で済むには少しだけ大きい部屋の中で一人の女性がベッドに転がりながらスマホで小説を読み漁り、そんな感想を漏らす。
「んんー……つっかれたぁ…………あれ?そういえばなんで私はこの小説を読んでたんだっけ?というか、そもそも私はさっきまで何を…………ま、いいか。シャワーを浴びよっと」
少し考えた後で思考を切り替えて起き上がり、ベッドにスマホを放り投げシャワーを浴びるためにお風呂場へと向かう彼女。
放り出されたスマホの画面はつけっぱなし……そこにはとある小説のタイトルが表示されていた。
~七夕令嬢のため息 完~
ここまでお読みいただきありがとうございます。
この作品は毎年、七夕に投稿している七夕令嬢シリーズの完結編です。
この作品、単体でも楽しんでいただけるよう書きましたが、続きから読むと、より一層、楽しめる作りになっていますので、よろしければ他の短編もよろしくお願いいたします。
シリーズを通して、あるいはこの作品が良かった、面白かったという方の感想をお持ちしております。
ではでは、ありがとうございました。