2、紅茶派
目の前で少女の姿が崩壊し、黒い影のような化け物に変貌する。
複数の触手の先には刃がついており、その姿は先ほど見た魔女とほとんど変わりなかった。
「2体目か……もうこの辺には残ってないと思いたかったけどな」
トルテが銃を再度構え、一発打ち込むと魔女は一瞬だけよろけたものの、すぐに前へ進み出て黒い触手を振るう。
「うわっ!」
「避けろ、全部!」
無茶だ、と思いながらもシスはどうにか身体を捻ったりあるいは杖を盾変わりにして攻撃を防ぐ。
鼓動が早まる心臓の音をどうにか無視して、とにかく避けることに集中する。
黒い刃が数本、狭い場所を飛び回る。
トルテも攻撃を躱しながら、時折銃で触手を打ち落とす。
そのおかげで多少は減ったものの、攻撃がやむ気配はない。
「うっ、あぶな…っ!」
痛みを感じる。気づけば刃が少しだけ腕を掠めていたようでローブの袖に血が滲んでいる。それなりの痛みだったが、さすがに冒険者になったばかりのシスでも我慢できる程度のものだ。
が、このままの状態で長時間に渡って全ての攻撃を避け切ることはできない。
「ああ、クソ! ここ、狭いなっ! これじゃ、俺の魔法使えねぇ……!」
情けない話だったが、範囲魔法以外の魔法は使えない。
この狭い場所で魔法を使えば自分と彼女も巻き込んでほとんど自爆になりかねない。
「狭いところで、戦えないって…不便だな! 今後はもう少しなんとかしろよ」
「わ、分かっちゃいるけどっ…!」
投げられた言葉に複雑な気分になりつつ、攻撃をよけながら何かないか周囲を見渡す。
このまま避け続けるのは恐らく10分も保たないだろう。シス自身はとんでもなく素早いなんてこともなければさほど場慣れもしてない。
彼女なら、保つかもしれないがとにかくシス本人はこのままだと切り傷だらけになることだろう。
打開策はないか、考えつつ先ほど来た道を戻って一旦外に出ればと振り向いたがこの小さな行き止まりの出口も魔女の触手によって塞がれてしまっていた。
「上だ。梯子から上に上がるしかない。俺が何発が撃ち込んでほんの少しの間だけ動きを止める。その隙に梯子を上がるからお前もついて来い」
「わ、分かった!」
返事を聞くと同時に彼女は、数発の銃弾を連続で魔女の巨体に撃ち込んでいく。
先ほどの一発とは違い、ある程度怯ませることはできたようで魔女の身体大きく後ろに倒れ、地面をのたうち回る。
トルテは素早く梯子に手をかけ、登り始めたのでシスもすぐにそれに続く。
「俺なら狭くても戦えないことはなかったけど、最悪なことにそろそろ弾切れしそうなんだ。あの状態で新しく装填する時間はどう考えても稼げないし」
恐ろしいことを聞いた。彼女の戦力にほとんど頼り気味だったので彼女の攻撃手段が減ることはそのまま敗北に繋がり兼ねない。
よくよく考えれば、彼女が最初にあの魔女に撃ったのは一発と触手を落とすための2~3発程度。
先に交戦していた魔女に対するものより攻撃回数は減っていた。
減った銃弾をどう消費して、どう装填する時間を作るかと考えていたのだ。
急いで登りながら、下を確認する。
「うわっ、もう追いかけて来てる!」
下には梯子に触手をかけて上がってくる魔女の姿があった。
想像していたよりも早い。
このペースでは上に登り切る前に追いつかれてしまい地面に真っ逆さまに落ちるかもしれない。
「やべぇ! もう、追いつかれそう」
「はあ!? 思ったより早いな。ああ、そうだ。お前の魔法」
「俺の…?」
「下に向けて撃て。それならこっちが巻き込まれる展開はないだろ」
言われてはっとする。
確かに下に向けて撃てば魔女を怯ませるか、あるいはそのまま落とすこともできる。
そう分かった瞬間、時間がないのもあってほとんど魔力を練らずに魔法を放った。
真下にいた分、炎は直撃して不安定な梯子にしがみついたままでいられるほどではなかったらしく、魔女が落ちていく。
それに目掛けて追加でもう一発放つ。魔女が戻って来るような気配もなく、下は完全に火の海だった。
安堵した一瞬、梯子を掴んでいた方の手が梯子から離れる。
「あ」
やばい、と思った時には遅い。
もう一度梯子を掴むという器用な動きができなかった。
落ちる──そう思った瞬間、強く腕を掴まれる。咄嗟の判断トルテが少し下に下り、落ちかけたシスの片腕を掴んでいた。
「クソ! 手間かけさせやがって!」
片腕で梯子を掴んだまま、もう片方の手で落ちかけたシスの腕を掴むという腕力に驚く暇もなく勢いよく上に投げられた。
既に上に辿りつきかけていたこともあり、梯子を上がった先の上に吹っ飛ばされて地面に身体を打ち付けた。
「いてて……」
多少の痛みはあったが、落ちるよりはるかにマシだ。
彼女もすぐに梯子を登り終えて、下を見下ろすと魔女がもう上がってくる気配はないのを確認してからホルダーの中にあった新しい弾を銃に装填し始める。
ひとまず周りに敵がいる様子はない。
「はあ……助かった…」
とりあえず難を逃れたといったところで安堵した。
と言っても彼女の機転がなければ、アレから逃げ切ることもできなかっただろう。
そう思うとぞっとした。
薄暗い坑道は上でも続いていて、採掘場ということもあって所々に明かりがあるのはありがたいことだった。
なんとか息を整えながら、坑道の先に視線を向ける。
他の冒険者も来ているはずだから、そろそろ1人や2人姿が見えてもいい頃だった。
少し先の通路に人が倒れているのが見える──が、すぐにそれも死体だと気付く。
「うぐ…やっぱり……、」
魔女退治とやらが順調に進んでいるなら当然死体だけは残るだろう。
それでも目にするのはそれなりに精神的なダメージを負う。
一旦目を閉じて深呼吸した後、立ち上がる。
ぐるぐると眩暈がしてややよろけるが、ここで引くわけにも行かずそのまま足を強く地面に叩きつけるように踏ん張る。
「休憩は終わったか?」
「あ、ああ……ありがとな、待っててくれて」
「べつに待ってねぇよ。休憩してた方が仕事が減って楽だろ」
「……」
「で、まだ行くのか? べつにもう帰ってもいいと思うぜ。下に残ってたのもさっき倒した2体だけ。ここでもぱっと見魔女の姿は見えないし、もうそんなに残ってないだろうしな」
「いや、全然平気! ここまで来たんだから、最後までやらねぇとな……」
シスは拳を握りしめて、気合を入れ直す。
まだ緊張が溶けたわけではないが、ここで帰ってしまう選択をしてしまうと今後の覚悟が緩んでしまいそうな気がしていた。
彼女は特に驚く様子もなく「じゃあ行くか」と一言言って先を歩き出しシスもそれを追う。
薄暗い坑道だったが、下よりも明かりは多い気がする。
道の端には時折崩れた後や血の跡が見え、死体も何体か転がっている。
「あと、倒れている奴には安易に近づくなよ。こういう場所じゃ、特に魔女と見分けがつきにくい。魔女にやられた冒険者がさらに魔女に乗っ取られてなんてよくあることだしな」
「お、おう。そうなのか……」
「魔女の魂ってのも、街中だったり建物の中だったり人の多い場所で乗っ取ることはほとんどないな。人気のない場所で死んだ奴が一番標的になりやすい」
「そっか……じゃあ、俺も万が一死んだら乗っ取られたりとか……? あ、でも魔女って言ってるから性別制限とか」
「別に性別も年齢も関係ないぞ。魔女ってあくまで種族名みたいなもんだし」
しばらく歩いているうちに、前方から浮遊する大きな鳥のような影が読んでくる。
すぐに彼女が銃を構え、素早く撃ち落としていく。
魔女と違って一撃で霧散していく。
「あれって」
「魔女の使い魔みたいなもんだ。これがいるってことはこの先に最低でも一体はいるか。本体が来てないあたり、奥で他の奴らと交戦中で何匹か飛んで来ただけか」
鳥のような使い魔は先ほどの魔女より弱いものの、素早さだけはあるといった感じだった。
薄暗い坑道でやや視認しづらいが、トルテが銃で正確に撃ち落としていく。
一匹だけそれを逃れて、シスの目の前まで迫って来る。
「やべ…おらっ!」
この場で魔法を使うわけにはいかず、力いっぱい杖を振り回して使い魔に叩きつける。
一撃で、とは流石にいかなかったがよろけた影を追加で2、3発がむしゃらに殴ると霧散した。
「はー……あ、危なかった……」
分かってはいたが、まだ終わってない。かなり消耗してしまっているが、前に進んでいく。
冷静になろうとどうにか考える。
とにかく、落ち着かなければ冷静にならなければ。
そう考えて、疲弊している様子は彼女も察したようで、銃で影を撃ち落としながら声をかけてくる。
「ちなみに、好きなものは?」
「え?」
唐突すぎるこの場に関係ない質問にある意味驚いた。
「質問を変えるか。趣味は?」
そんな問いかけに何の意味が──と一瞬思いかけたが、これはどうにか落ち着かせようとしてくれている気遣いのようなものだと気付く。
それならば、その気遣いを無駄にするわけもいかず、相変わらず杖を握りながら答える。
「えーと……本を読むこととか?」
「そうか、俺は本はさっぱりだな」
「き、聞いておいて突き放した返事じゃねーか……」
複雑な気分になりながらも、ほんの少し頭の中のぐるぐるしたどうしようもないものが抜け落ちるような気がした。
また一発、彼女が銃を放つ。
「好きな天気は?」
「晴れ、だな」
「俺は雨」
「……」
さらにもう一発、銃を撃つ音が聞こえる。
「コーヒー派? 紅茶派?」
「紅茶、だよな」
「俺はコーヒーだな。紅茶は嫌いだな」
「ひ、一言余計じゃねーか。こう、ちょっとひねくれてるとか言われたりしてねぇか?」
「俺は素直で嘘をつかない良心的な人間ってだけだろ」
「自己評価たけーな……」
話しているうちに、気分は落ち着いてきた。
先ほどまでの緊張や、眩暈はほとんどなくなって少なくとも精神的な疲労は抜けてきた気がする。
「じゃあ、最後の質問。好きな色は?」
「赤」
「赤、か……それだけは同じだな」
赤色が好きなところだけは合ったらしい。
赤色はシスにとっては、自分でも扱える炎魔法を象徴するような色だった。
幼い頃から好きだったように思う。
会話が終わる頃には、完全に平常心になっていて、自分でも驚くくらいだった。
気づけば前方から次々と飛んできていた使い魔の姿はもうない。
シスは少し立ち止まると、彼女に尋ねる。
「とりあえず使い魔ってのが何匹か飛んで来た以外には何もないな」
「そうだな。下にいたのは2体だけ後はほとんど上にいたみたいだな。まあ下にいた2体も潜んで他の冒険者を切り抜けたか、上から逃げて来たか……ってところか」
「じゃあ、ほぼ順調ってことでいいのか?」
「上に上がってすぐ魔女に遭遇しないってことはそうだろうな。俺かお前がこの世の終わりみたいな超不幸体質ってわけじゃなきゃこの奥に進んで他の冒険者が全滅してるオチなんてないだろ」
肩をすくめながら言う彼女に対して、シスは笑えないジョークだと思った。
結果としては、彼女の想定していた通りで奥へ進めば先に参加していた冒険者たちがほとんどの魔女の残滅を終えていたようだった。
冒険者たちは中堅から新米までそれなりの人数が参加していたこともあってシスでもとりあえずギルドに見覚えのある顔もそれなりにいた。
そして予想外だったのは、そこにギルドマスターであるアレクサンドラも参加していたことだろうか。
「全員無事みたいで、良かった」
40代くらいに見えるギルドマスターは、大剣を手にしていた。
参加者に大怪我をしているような者が出なかったのも、彼の助力があったことも大きい。
冒険者たちがいろいろ話を終え、解散していく中でアレクサンドラが声をかけてくる。
「君たちもお疲れ様。まだ下にも2体ほど残っていたのを倒してくれたという話だったね」
「ああ、けど、あんたがいるなら最初から参加すれば良かったな。より多くマスターのあんたに活躍を見せられた方が評価も上がったってもんだろ?」
トルテはややため息をついた。
そんな彼女に対してアレクサンドラは苦笑いをする。
「心配せずとも、君たち2人の活躍もちゃんと把握している。下にいた2体を倒してくれたのは助かったよ」
「そう、俺が健気に新米のこいつを守りながら2体葬ったんだ」
「ちょっと待てよ!1体は俺が魔法でトドメ刺しただろ」
黙って聞いていると、全部彼女の手柄にされそうだったため思わず口を挟む。
「んー…2体目は一応そうだったな。それで、梯子から手を放してうっかり落ちそうになって、俺が引っ張り上げた。どのみち、俺がいなきゃ死んでたぜ」
「ま、まあ…それはそうだけどよ……」
実際それに関しては事実なので反論はできない。
彼女にかなり助けられたのは事実だ。1人で来ていれば恐らく1体すら倒せたか分からないしどのみち2体目に対応することはほぼ不可能だったと言ってもいい。
アレクサンドラはそんな2人を宥めるように告げる。
「心配しなくても、2人ともちゃんと相応の報酬は出す。君たちの活躍は間違いないからね」
「そっか、ならいいや」
「あ、ありがとうございます」
こうして魔女退治の依頼は幕を閉じた。