8話 公演『黄金の仮面』
『黄金の仮面』の初演当日。
王都の劇場は開演前から熱気に包まれていた。
レティシア・ジラールは最前列に陣取り、淡い水色のドレスに薄手のマントを羽織ってそわそわと座る。そんなレティシアを見て、隣のソフィー・ルノワールが苦笑した。
「レティ、少し落ち着いて。あなたまで緊張したらアルベール様が可哀想よ」
「落ち着くなんて無理よ、ソフィー! アルの脚本が、初めてみんなの前に出るのよ。私、ドキドキして仕方ないんだから! 心臓が口から飛びでちゃいそうってこういうことなのね……」
彼女のエメラルドグリーンの瞳は期待と不安で揺れ、ふわふわの金髪が興奮で軽く跳ねる。
レティシアは目を閉じ、土手での彼の言葉を思い出す。
「俺自身じゃダメなのかって思うんだよ」と剥き出しの本音をぶつけてきたアル。その痛々しい声を抱きとめたくて、彼女は必死に自分の想いを伝えた。
あの夜から、彼は少しずつ変わった。
脚本を書く姿も、彼女に「教えてくれよ」と甘える声も、全部が愛おしくてたまらない。
(ねぇ、アル。私の英雄。
――あなたの輝きが、もっと見たいの)
─── ───
幕が上がると、観客のざわめきが静まり、照明が舞台を照らす。
アルベールが「ギルバート」として登場し、黄金の仮面を被った姿が目に飛び込む。灰色のローブががっしりした肩幅を際立たせ、既に汗に濡れた赤みがかった茶髪が仮面の隙間から覗く。
「我が民よ、この慈悲を讃えなさい!」
哄笑する声が劇場に響き、レティシアは息を呑む。
(アルの声、なんて力強いんだろう……! まるで本当に貴族を嗤ってるみたい)
観客が笑い声を上げ、民衆の金を懐に入れる場面でざわつく中、彼女の胸は誇りで高鳴る。
─── ───
公演が進み、ギルバートが貴族たちの偽善を暴く場面が訪れる。「見栄えさえ良ければ誰も気づかぬ」と嘲笑う声が響き、他の貴族を次々翻弄する。
舞台上で生き生きと輝くアルベールに、レティシアは涙が滲むのを感じた。しかしもう、それを拭く間も惜しい。
アルベールのすべてを、この目に焼き付けたい。
(アルの毒舌が、こんなに鋭く舞台に生きてる!)
仮面の下で糸目が鋭く光り、丸い顔が汗に濡れて輝く姿は、彼女にとってまさに英雄そのもの。
「三下役だった彼が、こんな大きな舞台で……私の信じたアルが、ここにいるんだわ」
舞台で絢爛豪華に着飾り生き生きと舞うアルベールの姿に、観客の誰かが「ルイ様そっくりだ!」と囁く。その声が耳に届いて、レティシアはくすりと笑った。いつかの劇場裏の、アルベールの毒舌を思い出す。
『婚約者だの貧民救済の実績だの、見栄えのいい飾り物が欲しいだけだろ。あんな軟弱貴族にゃ、戦場で槍一本持てねえよ。偽善臭が鼻につくね』
確かに、きっとアルベールが脚本を書く時に貴族のモデルにしたのは、王太子ルイたちなのだろう。
けれど、今ギルバートを演じるアルベールは、宝石で着飾った奴らとは比べ物にならないくらいに輝いている。
(誰かが、やれ誰それの方がイケメンだなんて言ったって、私にとっての一位は揺るがないわ。
アルは、ずっと……私の、特別な英雄なんだから)
ギルバートが貴族を笑いものに変えるたび、彼女の心は喜びで弾み、隣のソフィーが「レティ、あなたの顔がすごいことになってるわ」と呆れるほどだ。
クライマックス、アルベールは仮面を剥ぐ。「仮面を剥いでやる」と貴族を暴き、観客が息を呑む。
「笑え、民衆ども!
お前たちを笑ってきた愚かな者たちを笑え。
この笑いが、お前たちの力になる!」
アルベールのその声に、レティシアの目からは涙が溢れた。
それは、笑われて生きてきた彼だからこそ、書くことができ、演じることのできる台詞だ。
彼女の手がドレスの裾を握りしめ、心の中で呟く。
「私の英雄だわ、アル。
あなたが輝いてるの、見てるだけで幸せよ」
─── ───
幕が下り、拍手が鳴り止まず、「アルベール、最高だった!」と叫ぶ声が響く。レティシアは立ち上がり、目を潤ませて拍手を送る。
舞台の上の彼は汗に濡れ、肩で息をしながら劇場全体を見渡した。彼女の視線に気づいたようにこちらを見る。
目が合ったその瞬間、
「見つけた」
というようにその唇が動き――、ぱっと、太陽のように笑った。