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6話 初めて書く、脚本

 



 土手の草を踏む音が、二人の間に静かに響く。


 レティシアの手はまだアルベールの手を握ったままだ。華奢な指が彼の指に絡み、温もりがじんわりと伝わる。アルベールは煙草を弄ぶ手を止め、川面に映る月を見やる。彼女の言葉が頭の中で反響し続け、苛立ちではない何か新しいものが芽生えていた。




「……脚本、か」





 彼はぽつりと呟き、目を細める。レティシアが「ええ!」と弾んだ声で頷き、その笑顔が月明かりに映える。彼女の淡い金髪が夜風に揺れ、アイボリーの靴が土手を軽く叩く。





「アルの言葉って、鋭いだけじゃなくて、心に刺さるの。私、いつも聞いててドキドキするんだから。それを舞台にしたら、きっとすごいことになるわ!」





 彼女の声が弾み、エメラルドグリーンの瞳が期待に輝く。 それがあまりに眩しくて、アルベールは目をそらし、川の流れに視線を落とす。




「お前、簡単に言うけど……俺にそんな才能があると思うか?」




 汗で濡れた赤みがかった茶髪が額に張り付き、ふくよかな体型が土手の草に影を落とす。その声にはこれまでのような苛立ちではなく、迷いと好奇心が混じっていた。





 レティシアは首を振って、


「才能なんて、私にはわからないわ。でも、アルが頑張る姿を見てると、信じられるの。だって、私が好きなのは、頑張るあなたそのものなんだから」


 と言う。彼女の手が彼の手を軽く握り直し、その温もりがアルベールの心に染み込む。





「ねえ、試してみない? 少しでもいいから、書いてみてよ。私、楽しみに待ってるから!」





 彼女の声が土手に響き、川面に小さな波紋を広げる。

 アルベールはしばらく黙り、煙草を懐に仕舞う。土手の草を軽く踏み、目を細めて彼女を見る。




「……ったく、あんたってほんと押しが強いな」




 レティシアの瞳が輝くのを見て、その口元に微かな笑みが浮かぶ。



「まぁ、考えてみるよ。こんな時間にこんな話聞いたら、頭がうるさくて、少し書いてみねえと寝られないだろ」






 ─── ───







 翌朝、アルベールは劇場近くのカフェに足を運んだ。古びた木製のテーブルに腰を下ろし、煙草をくわえて火をつける。灰皿を脇に置き、目の前には粗末な紙と一本のペンが置かれている。カフェの窓から差し込む朝陽が埃の舞う光を投げかけ、店主が「珍しいな、お前がこんな時間に来るなんて」と笑いながら近づく。「うるせえ、黙ってろ」とアルが一蹴すると、店主は肩をすくめて下がる。



(脚本、ねえ……何だよそれ、どうすりゃいいんだ)



 彼はペンを手に持つが、最初は手が止まる。目の前の紙は白く、まるで自分の失敗を映す鏡のようだ。「お貴族様の気まぐれで、俺がこんな目に……」と呟きつつ、レティシアの「信じてるんだから」が頭をよぎる。苛立ちが湧きつつも、彼女の土手での笑顔と「頑張るあなたそのものが好き」という言葉が浮かぶ。



 その瞬間、ふと思い出したのは王太子ルイへの毒舌だった。



『見栄えのいい飾り物が欲しいだけだろ。あんな軟弱貴族にゃ、槍一本持てねえよ。偽善臭が鼻につくね』





 思えば、あの時もレティシアはしきりにその言葉を褒めていた。 



 アルベールの手が動き出し、ペンが紙を走る。最初の数行は、私腹を肥やす貴族の姿だった。「見栄えさえ良ければ誰も気づかぬ」と書き付け、彼はその言葉に自分の苛立ちと毒舌を重ねる。煙草の煙が細く立ち上り、灰が灰皿にパラリと落ちる。カフェの木製テーブルが微かに軋み、朝陽が紙を照らす。



(レティの言う通りなら……俺のこの苛立ち、舞台にしてみりゃいいのか?)



 彼は目を細め、ペンの動きが速くなる。紙には、偽善的な貴族を演じる自分の姿が綴られ、華やかな仮面の下で民衆を欺く台詞が生まれる。





「黄金の仮面を被りゃ、誰だって慈悲深く見えるさ。笑えよ、民衆ども」





 書きつける一つ一つの言葉に毒が滲んで、だんだんと痛快な気持ちにすらなってくる。

 汗で濡れた茶髪が額に張り付き、ふくよかな体型が椅子の軋みを小さく響かせる。




(笑いものだった俺が、貴族を笑いものに……?)





 彼は一瞬ペンを止め、煙草を灰皿に置く。目の前の紙には、貴族が民衆に施しを振る舞う場面が広がり、その裏で金を懐に入れる姿が続く。「見栄えさえ良ければ誰も気づかぬ」と貴族が哄笑し、それを暴く台詞として「その仮面、俺が剥いでやる」と書き足す。アルベールは「何だこれ……」と呟きつつ、口元がにやけるのを抑えられなかった。初めて、自分の言葉に可能性を見出せたのだ。





 カフェの隅で、アルベールは脚本『黄金の仮面』の初稿を書き続けた。


 木製テーブルの上に紙が散らばり、灰皿には吸い殻が積み重なる。窓から差し込む朝陽が彼の丸い顔を照らし、汗が一滴、紙に落ちて滲む。


 レティシアの「信じてる」が頭に響き、彼女の笑顔が彼の手を動かす。まだ粗削りだが、その一行一行に、アルの毒舌と健気さが刻まれ、新しい舞台への第一歩が始まっていた。

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